165.聖犬と見学


(――こわかった)


 の腕に抱かれながら、リリアナはぷるぷる震えていた。


 耳元では風が唸る。遥か高空、ドラゴンの背に揺られ、身を切るような夜風が吹きつける。だけどが呪文を唱えると、たちまち見えない壁ができあがって風圧を抑えてくれた。


 眼下には、ぽつぽつと街や集落の明かりが現れては、後方へ流れ去っていく。


 先ほど、魔王城――リリアナにはそれが魔王城だとわかった――を目にした瞬間、「行かねばならない」という強い衝動に襲われた。


をしている場合ではない」という思いもあった。だけど「こんなこと」が何を意味するのか、リリアナ自身にもわからなくて、とにかく居ても立っても居られなくて。


 何がなんだかわからないまま、焦燥感に衝き動かされるようにしてもがいていると――気がつけば空中に放り出されていた。


 寒風が吹き荒れる中、命綱1本で宙ぶらりん。


(――あぶなかった)


 出発前にトイレを済ませてなかったら、漏れてたかもしれない。リリアナは犬だが賢いので、これまで粗相をしたことはない。


 ……これからも、ない。たぶん。


「くぅーん……」


 に甘えて顔を擦り寄せると、優しく頭を撫でてくれた。


(――あたたかい)


 今は、しっかりと抱き寄せてもらえて安心だ。


 やっぱり、が良い……


 そう思った。


 だけど、胸のどこかがちくりと痛んで。


 それがどうしてなのか、なぜなのか、リリアナにはよくわからなかった。




 そのまま夜景を眺めつつ、飛び続けることしばし。


 すっかり安心しきったリリアナがうつらうつらし始めると、段々と高度が下がってきたのがわかった。


 眠い目を開けば、月明かりに照らされて、切り立った崖に建つこじんまりとした石の建造物が見えてきた。


「これがアウロラ砦か……」


 ドラゴンから降り立ったが、半ば呆れたように塔を見上げる。


「原型とどめてなさそうだな。改修ってか、ほとんど建て直しじゃんよ」


石操呪コンクレータ】造りだ、とのっぺりした壁をぺたぺたと触りながら、ちょっと残念そうにしている。リリアナの目には、物理的にも魔法的にも極めて頑強な建物に見えたが、何が気に食わないのだろう?


 やっぱり、ちょっと不気味で無味乾燥なデザインが嫌なのだろうか。リリアナも、その点ではあまり好みではない。


(――石 あんまりすきじゃない 木と森 すき)


 一瞬――リリアナの心に、巨木の生い茂る雄大な森の風景がよぎった。樹上に築かれた、優しくて懐かしい木の街並み。あたたかな木漏れ日、鳴り響く音楽、精霊たちの笑い声と花の香りを運ぶ風――


(あ……)


 だけど、それが何なのかまでは、わからない。犬なので。


「……まあ、壊れかけの人族の砦と、ほとんど新品の魔族の砦なら……新品のがマシか。魔族の王子だしな……」


 ぼんやりするリリアナをよそに、フフ、と自虐的に笑ったが、ゴツゴツとした骨の扉に触れる。


 魔法でするすると骨が変形し、扉が開いた。


「面白い仕組みですね、その扉」


 と、背後でふわりと、ドラゴンの存在感がほどけるように消えていく。


「ああ、魔族なら誰でも開けられるし、物理的には頑丈で獣の類は入らないし」


 振り向いて答えたが、慌てて恥じ入ったように目を逸らす。人化したレイラの身体が、夜の闇に白くぼんやりと輝いている――ほとんど生まれたままの姿で、革紐みたいなもので胸のあたりを締め付けたような格好。


(――レイラ すき)


 最近は、リリアナも何かしら着せられていることが多いが、お外ですっぽんぽんなレイラには、なんとなく親近感を抱いた。


 でも、自分でさえ毛皮を着せられているのに、革紐だけで寒くないのかしら? と首をかしげるリリアナだったが、案の定、レイラは「へっくち」とくしゃみをする。


「おっと。人の姿だと風邪引いちゃうぞ」


 咄嗟にマントに手をかけるだったが、「今はドラゴンのままの方が良くないかな?」と付け足した。


「そうですね。次は着替えも持ってきた方がいいかもです……」


 恥ずかしげに、すんと鼻をすすったレイラが、ゆらりと揺らめく。


 存在感が膨れ上がり、美しい白銀の竜に戻った。


「軽く中を見てくるよ。ちょっと待ってて」

「はい。ついでにわたしも、辺りを見てきますね」


 普段より少し金属質な声で告げたレイラが、ばさりと翼を広げて飛んでいく。


(――きれい)


 夜空にきらめく白銀の鱗。リリアナはレイラが好きだ。そして彼女が空を飛ぶようになってから、もっと好きになった。


「おいで、リリアナ。中を見に行こう」

「わん!」


 に手招きされて、リリアナは元気よくついていく。


 砦に入ってすぐは広間だった。継ぎ目のない岩の床がのっぺりと続いている。左右には扉が2つあり、奥には昇り階段。


「縦横30歩ってとこか。天井も高いし、レイラだって元の姿に戻れそうだ」


 感心したように、それでいて注意深く観察する


「……リリアナ、浄化の光を使ってくれないか? 邪悪な魔法や呪いの類――いやなものがあったら、打ち払ってほしい」

「わん!」


 お安い御用だ。む~~~ん…………と力を溜めたリリアナは、


「ぅわん!」


 自分の中に渦巻く『あたたかなもの』を解き放った。ぼうっ、と光の波が、砦の床と壁を舐めるようにして広がっていく。


「わぅ?」


 特に手応えらしい手応えはなく、こてんと小首をかしげるリリアナ。


「妙な仕込みはなかったか。ありがとう、リリアナ」


 よしよし、と頭を撫でられて、リリアナは得意げに胸を張った。


「いやーホント。リリアナはもっちもちだなぁ……」


 ついでにほっぺたもグニグニされて、にへーと笑うリリアナだったが、ふとが、ぴこぴこ動く長く尖った耳にも目を留めた。


 頬に触れるの指が、そのままスルッと耳も撫でる。


「はぅん」


 くすぐったさにも似た甘い痺れが走って、変な声が出てしまった。


「おわっ……と。ごめんごめん」


 お互い、びっくりしたように見つめ合ってしまったが、すぐに妙な空気をごまかすように、はわしゃわしゃと髪を撫でてきた。


「わぅわぅ」


 その手にじゃれついて、ペロペロと舐めるリリアナ。犬なので。


「他の部屋も見て回ろうか」

「わん!」


 広間の左右の扉も開ける。正面入口と同様、骨で出来ており、魔族なら簡単に開けられる仕組みのようだ。


「対魔族の防犯が課題だな……こっちは書斎か。棚があるのは助かるな」


 壁の一部が凹んでいて、戸棚や机として利用できるようになっている。


「この骨の板はなんだ……? お、地下室か!」


 そして部屋の片隅、床部分が骨になっている部分があり、魔法で変形させると階段があった。


「わう」


 ふぅっ、と光の魔法を吐き出すリリアナ。光球が飛んでいって地下室を照らす。


「ありがとう、リリアナ。助かるよ」

「わふん」


 流石の魔族も、真っ暗闇では何も見えまい――地下室は思ったより広く、砦の外壁と同じくらい強固な空間となっていた。


「これは……もともとあったわけじゃなく、新たにくり抜いたのか? いや、外壁の材料をこの空間から引っ張ってきて、ついでに地下室にしたのかな」


 壁を撫でながら、ぶつぶつと呟く


「使いみちは多そうだな」


 頑丈さを確認してから、地下室を出て、今度は反対側の部屋へ。


「おお、井戸がある。こいつはありがたいな」


 こちらは書斎より広々としているが、かまどや井戸などがあるせいでちょっと手狭に見えた。炊事場を兼ねているらしい。


「飲水をこっちで確保できるのはいいことだ。レイラに持ってもらうにも限度があるからなぁ」


 ついでとばかりに、が井戸から水を汲んでくれたので、喉を潤した。とっても冷たかったが、魔王城で飲む水より澄んでいて美味しい気がした。


 最後に、奥の階段を登ってみる。見張り塔に続いているようだ。


「わぅ……」


 塔の上部、に抱きかかえてもらって、外の風景を眺める。


 月明かりに照らされて、荒涼とした山岳地帯が広がっていた。


 人里は付近にないらしく、人工の灯りは一切見えない。


「……もともと、昔の人族の国の、国境線を監視する山城だったんだってさ」


 独り言のように、が耳元でささやく。


「崖の下には小さな村もあったらしい。……だけど今は誰も住んでない」


 耕作に向いた土地じゃないし、山がちな地形で陸路では辿り着くのも一苦労だし。


「……いつか、きみを脱出させてあげたいと思ってる。同盟圏に」

「…………」


 リリアナは答えなかった。


 何を言っているか、わからなかったからだ。


 代わりに、の頬をぺろりと舐める。


 彼は、ただ寂しげに微笑んで、リリアナの髪を撫でた。


「リリアナ」


 名前を呼ばれたが、答えることなく、の胸に顔をうずめるリリアナ。


(……はなれたくないの あれく)


 そう思った。


 だけど、言葉にはならない。


「くぅーん……」


 悲しげに鳴くことしかできなかった。犬なので。

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