157.いい湯だな


 ――結局それから、さらに3人殺した。




          †††




 ターフォス訓練所名物のひとつ、それが天然温泉だ。


 汗と泥と血にまみれた身体を綺麗サッパリ洗い清めて、熱めのとろみがある湯に浸かると、疲労がじわじわ抜け出していくかのようだ。


 ここの温泉は転置呪じゃ完治させづらい神経痛などにも効くらしく、湯治場としての人気も高いそうだ。


「あああー疲れた体にしみるー!」

「うっひょー冷えた酒まであるっスよ兄貴!」

「たまんねぁなぁ!」


 ちょっと遠く、下の方の男湯から三馬鹿たちの声が響いてきた。


「お前ら、ほどほどにしとけよ。ここの飯は美味いから水腹になると後悔するぞ」


 と、クヴィルタルが釘を刺す声も。「うぃーっす」と素直に返事する三馬鹿たち、なんだかんだで頼りになるクヴィルタルには懐いてるらしいな……



 ……え? 俺は男湯じゃなくて、どこにいるのかって?



 上の方の、個人用の露天風呂だよ。なにせ実家が金持ちだからな。


「ああ~~~たまらんのぅ」


 人化したアンテがざぶんと肩まで湯に浸かって、おっさんみたいな声を上げる。


「わふ、わふ、わふん!」


 ぱしゃぱしゃと飛沫を上げて、犬かきするリリアナが俺の前を横切っていった。


「…………」


 あと顔を真っ赤にしつつ、俺の右横、ちょっと離れて体操座りで浸かるレイラ。


「なるほど。定命の者たちが好き好んで入りに来る理由もわかる気がしますね」


 そして、神妙な顔で初めての温泉を満喫するソフィア(ひとのすがた)。トレードマークの片眼鏡を外して、普段はポニーテールの髪まで下ろしていると、もう誰だかわかんねぇな。肌も赤みがかった色から普通の肌色になってるし。



 ――俺が、あの民間人役の女性に意表を突かれて、骨をバキ折られたあと。



 魔族への殺意を悟られまいと、必死で感情を抑えていたら、「ヘマして落ち込んでいる」と解釈されたらしく、「元気出せよ!」とばかりに俺の女たち(他者視点)とセットで個人用風呂を用意されたわけだ。


 ちなみにガルーニャも一緒に放り込まれるところだったそうだが、毛の生え替わりの時期なので辞退したとか何とか。


 たぶんプラティやゴリラシアも、似たような個人風呂でのんびりしてるんだろう。金持ちだからな。


「はぁ……」


 金持ちだから、意味もなく殺すためだけの奴隷も用意できちまうんだ……


 初冬の露天風呂。湯気がもうもうと立ち昇る中、俺は溜息をついて空を見上げた。


 最初の女性は……手も思考も完全に止まっちまった。意表を突かれるってのは本当にあのことを言うんだろうな。ただただびっくりして、時間が止まったように感じていた。


 ……そして、『どれだけ訓練で優秀でも、いざというとき殺せないんじゃ話にならないねェ』などと、ゴリラシアが不穏なつぶやきを漏らしていた。


 だから俺は、


 ここで腑抜けた様子を見せたら、ゴリラシアが大丈夫そうだと判断するまで、延々無意味な殺しを強要されかねない。



 ……だからそのあと、民間人役が出てきたら、命乞いする前に瞬殺した。



 他の奴らが手出しする暇も与えなかった。



 どのみち死ぬしかないなら――



 俺が糧とする。



「…………」



 ああ。もうなーんにも考えたくねえわ。



「ほれソフィア。さっき三馬鹿どもも言うておったが、湯の中で冷えた酒を呑むと格別の味わいらしいぞ」

「ぬ……お酒ですか……」


 俺がぼんやりしていると、アンテが脱衣所横の氷室から冷えた葡萄酒の瓶とグラスを取ってきて、ソフィアに差し出していた。


 片手を出したり、引っ込めたり、悩ましげに手をわきわきさせていたソフィアだったが、結局好奇心と酒の魔力には逆らえず、グラスを取った。


「……おぉ……これはなかなか……!」


 一口いったら、あとはもう坂を転がり落ちるように、だな。グビグビ呑み始める。


「……ん?」


 とん、と俺の胸板を何かが押す感触。すいすいと仰向けで泳いできたリリアナの頭が、俺にぶつかったのだ。


「わう」


 宝石みたいな青い瞳が、俺を見つめて心配そうに揺れている。そのまま、くるっと器用に体を裏返して、ぺろぺろと胸を舐めてきたのには参った。


「ははっ、くすぐったいって」


 ちょっと引き剥がして、後ろから抱きしめるように、俺の前に座らせて。


「……髪、伸びてきたな」


 助け出したときはショートだった金髪が、ゆらゆらと湯の中で揺れている。


 リリアナはちゃんと生きているんだな、と思うと、無性に愛おしくて切なかった。なぜか胸が痛いよ。……だから、ぺろぺろしてきたのかもな。


 ――と、今度は、右肩に感触。


 いつの間にか、レイラが体操座りのまま、距離を詰めてきていた。


 チラチラと、金色の瞳が俺の様子を窺っては、すぐに恥ずかしげに逸らされる。


 上気してピンク色になったうなじが目に入り、妙に心臓が跳ねた。なんかこう……色っぽいというか……


 さらに、身を寄せて、頭を俺の方に預けてこようとするレイラだったが――俺たちの角がぶつかった。


 ぱちん、と魔力が弾けるような、形容しがたい感覚が走る。


「おぅっ」

「あふっ」


 なんか変な声が出た。レイラも同じだったらしく、びっくりしたように目をしばたいていた。


「…………」


 もう一度、恐る恐る、レイラがまた角をぶつけてくる。ぱちん、と――頭から足先までじんわりと波が広がっていくような……


 何だこれ……癖になるじゃん……


「ふふふ。両手に花とはこのことじゃの」


 と、ソフィアにさらにおかわりの瓶を投げ渡したアンテが、堂々と裸体を晒しながら、ばちゃばちゃと歩いてくる。


「どれ、さらに一輪。嬉しかろ?」


 俺の左手に収まり、肩に腕を回してきた。


 ん……アンテ、人化を解いてるな? ソフィアを見やれば、上気して色っぽいとかじゃなくへべれけに酔っ払って、出来上がりつつあった。「ほへぇ……」というノリで次々にグラスを空けている――




『――今日1日でどれほど力を稼いだか、知りたいか?』




 俺にしか聞こえないアンテの声。


 ……ああ。


 うなずくと、途端にぐぐっと俺の体が膨れ上がるような感触。アンテから魔力が流れ込んできた。


 おい!! 渡せとまでは言ってないぞ!!


『そろそろ、少しずつ渡していった方がよかろうかと思うてな。ファラヴギのときのように、急激に成長する方がおかしかろう?』


 それは……そうかもしれないが。


 俺は、手を握ったり開いたりしながら、力加減を確かめた。自分じゃハッキリ違いはわからないが、リリアナが目をパチパチさせているあたり、他者からすれば明らかに魔力がのだろう――


『死霊術で溜めに溜めた禁忌の力もあわせれば――お主の真の力は、もはや大公妃に迫りつつある』


 俺は、思わず天を仰いだ。


 もう……そんなにか。お前と契約してからまだ1年と経ってねえぞ。


 大公といえば、魔王を除く魔王国の最上位クラスだぞ。魔王が異次元に強いから、ここから先が遠いけど……


 それにしたって……ただの人族じゃ束になっても敵わない魔力。


『別に、おかしくはあるまい。初代魔王も魔神カニバルと契約し、凄まじい力を手にした――だが我も、カニバルとほぼ同格の魔神ぞ? お主もまた、魔王となる資格の持ち主よ。魔神の槍など受け継がずとものぅ……』


 俺のかたわらで、魔神がくつくつと喉を鳴らして笑う。


『時間はお主の味方じゃ』


 肩に回された手が、今度は愛しげに、俺の頬を撫でる。


『これからお主は、さらに禁忌を積み重ねていくことじゃろう。そうすれば大公をも超えて、お主の魔力は強まり続ける。時間をかければ、かけるほどに――あの魔王にさえ迫っていくじゃろう――』



 ――あまり時間をかけすぎると、同盟が滅んでしまう、と俺は思っていた。



『魔神として断言しよう。同盟が滅ぶより、お主が魔王に並ぶ方が早い』



 今のまま成長を続けるならば、とアンテは小さく付け加えた。



 ……そう、その通り。



 ただ時間だけかければいいって話じゃねえ。



 その過程でおびただしい血を流す必要がある――



『――気にするな、とは言わん。それこそが力の源ゆえ』



『――半端な慰めも言わん。泣き言を吐く暇などなかろうて』



『――じゃが、お主は確かに前進しておる。あやつらの死は決して無駄にはならん。……それを、お主に伝えたかった。たとえおびただしい血が流れようとも、同盟圏が滅ぶよりは犠牲は少なかろう。だから――』



 俺は、アンテの手を強く握りしめた。



 わかってる――



 ありがとう。



「ふん……」


 鼻を鳴らして唇を尖らせたアンテは、人化は解いているはずなのに、ちょっと頬が赤くなっていた。


 ……俺は幸せだよ。これだけみんなが支えてくれているんだ。


 腑抜けてなんていられねえ。


 俺は……進み続けるぜ。


 年が明ければ実戦だ。


 俺は、魔王子としての武名を轟かせる。


 周りが手出しを躊躇うくらいに――魔王子として、強くなる。



 その暁に――



「…………」



 決意を胸に秘め、夜空を見上げた。



「…………ん、ソフィアどこいった?」



 が、視線を戻すと、さっきまで酒をかっくらってたソフィアが消えている。


「わう?」

「……? どうしたんでしょう」

「なんかグラスが浮いとるの」


 ……嫌な予感がしてグラスを取りに行くと、濁った湯の中でグニャッとしたものを踏んだ。



「……溺れてんじゃねーか!!」



 俺は慌てて、赤ら顔で白目を剥いたソフィアをザパァッと湯から引き上げた。

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