156.贅沢な敵
「ホラっ! キビキビ走る! 弱みを見せた奴こそ狙われるんだからねェ!」
ゴリラシアにドヤされながら、矢や石が降り注ぐ路地を俺たちは全力で走る。前方の家屋までたどり着き、中を制圧しなければならない……!
「おっと人族の民間人だ! どうする!?」
と、路地から命乞いする姿勢を取った人族の人形が飛び出てきた。俺は剣槍で斬り捨て、駆け続ける。
制約の魔法のおかげで飛び道具の威力は大幅に減衰しているが、目や顔面に直撃すれば危険だ。そして、そんな飛来物に気を取られ、足元をおろそかにすれば――
「ぎやああああ!」
ズボォッ、と落とし穴を踏み抜いたアルバーが悲鳴を上げる。
「放置! そこで足を止めれば敵の思うツボさ! 助けるのは後回しで、敵の制圧を優先すること! 罠に引っかかった間抜けは自力で脱出しな!」
「がああぁぁ足首がッ、足首がァァァ!」
足が抜けずにわめくアルバー、どうやら落とし穴とトラバサミのコンボを食らったらしいな――いくら良いブーツと足甲を装備してても、足首の関節部分は脆い。トラバサミはそこを狙った罠だ。
ポコポコと投石を食らいまくるアルバーを置いて、俺たちは家屋に突入。
「ぐわああああッッ!」
と、薄暗い室内でワイヤーを見落としたオッケーナイトが、振り子のように横から飛び出した丸太に吹っ飛ばされた。壁に叩きつけられたオッケーが「ごぶゥ……」と血を吐いている。丸太には鋭い鉄の杭が仕込まれており、その何本かが刺さったようだ――
「こなくそーッ!」
叫びながら、しかし足元をめっちゃ気にしながら、上階の制圧に向かうセイレーナイト。扉を蹴破り、ワンテンポ置いて罠を警戒しながら階段を駆け上がろうと――
「ヴぅっぷ……ッッ」
――した矢先、階段の一段目が落とし穴になっていてズボォと胴を飲み込まれた。左右に仕込まれた棘付きローラーに装甲のない下半身や脇をズタズタに引き裂かれ、もはや悲鳴さえ上げられずに「俺死ぬんだ……」という顔をしている。
「治療すんの俺だぞクソがァ――ッ!」
俺はそんなセイレーを捨て置き、毒づきながら階段を登った。
クソッまたワイヤーかよ鬱陶しい、どうせ天井から落下物だろホラ来た! そして避けた先に落とし穴! 忌々しいほどよく考えられてやがる! こんな民家にまで、手の込んだ罠を仕掛ける余裕があったら実戦じゃ苦労しねえよ……!!
俺はエゲつない罠の数々を無力化・回避し、階上に潜んでいた敵兵士役の獣人たちを制圧した。
そして――
「お前ら……いい加減に……ちょっとは学べ……」
一時訓練を中断し、俺はリリアナにペロペロされながら苦言を呈した。
訓練がキツいのは良しとしよう、その過程で怪我をするのも仕方ないとしよう。
だが、罠に引っかかりすぎだ三馬鹿ども……!!
「すいません……」
流石に返す言葉がなく、しょんぼりとしているアルバーたち。
「なんで殿下は、全部避けれるんです……?」
「勘」
まさか前世の経験と言うわけにもいかず、ぶっきらぼうに答えた。アルバーたちが困ったように顔を見合わせる。
しかし、俺もあんまり偉そうなことは言えないんだよな。夜エルフの偽装がガチすぎて、パッと見でわかんないから、結局「ここかな?」とアタリをつけてどうにかしている。
「ちなみにアンタら、実戦だと今の棘やら刃やらに全部クソが塗りたくられてるからねェ。傷は塞がっても、帰ってから長いこと苦しむ羽目になるよ」
下手したら死ぬ、とゴリラシアに告げられ、ますます絶望する三馬鹿たち。
転置呪は、傷や患部を身代わりに移せても、解毒や解呪はできないからな。毒素が体内に残っていたら、いったん元気になってもまた体調を崩していく。そのたびに、改めて転置呪で治療する必要があるので負担がデカいのだ。
まさか、俺たち怒りのうんち塗り塗り戦法が、ここまで魔王国に痛手を与えていたとはな……
ただ、裏を返せば、人族の身代わりを潤沢に用意することで、毒素が抜けきるまで持ちこたえることが可能なわけでもある。
結局犠牲になるのは人族ってワケだ。畜生めッ!!!
「……不甲斐なくて申し訳ないっす。でも俺たちばっかり先頭なのはちょっと不平等じゃないっすか!」
――と、俺がイライラしていると、アルバーがクヴィルタルに噛み付いた。
「勘違いするな」
しかしクヴィルタルとその部下たちは、冷酷なまでに平然と。
「お前たちの役目は露払いだ。罠を発見、無効化するのもお前たちの務め。我らにはいざというとき、殿下をお護りするという、より重要度の高い任務がある」
そして、とクヴィルタルは諸々の罠を一瞥して鼻を鳴らした。
「――我らはこの程度の罠には引っかからん。お前たちが未熟だからこそ、重点的に経験を積ませてやっているのだ。それとも何か? 実戦で引っかかってから泣き言を漏らすつもりか? それこそお笑い草だな……」
クヴィルタルも部下たちも、あからさまな嘲笑を浮かべる。クヴィルタルは、俺に対しては常に真面目で礼儀正しい姿しか見せないから、こういう魔族らしい偉そうな言動はなんか新鮮だな。
ぐぬぬ……と歯噛みするも、反論できない三馬鹿たち。
「――とはいえ、口で言っても納得はできまい。年季の違いを見せてやろう、小僧」
というわけで、今度はクヴィルタルが先頭に立った。
「ふンッ」
そして訓練を再開するや否や、魔力を込めてズンッと足を踏み出すクヴィルタル。
途端、石畳のあちこちにズバァッと石の槍が生えてきて、そこにあった罠の数々がまとめて粉砕された。
「…………あの、この訓練って必要なんスか?」
セイレーナイトが遠慮がちに問うた。
アルバーとオッケーも、「もう全部あいつひとりでいいんじゃないかな」みたいな顔をしている。
「必要だ。万が一俺が倒れた場合は、お前たちが自力で突破しなきゃならんのだぞ」
真面目くさって正論パンチを放つクヴィルタル。
まあな。こういう罠には一切魔法が使われていないから、呪詛と違って魔力で察知できない。クヴィルタルは魔法で一斉に除去したが、罠自体は目視で見つけているわけだし……
「お前たちは一箇所に集中しすぎだ、罠を過度に恐れず、もっと視野を広く――」
三馬鹿たちにレクチャーし始めるクヴィルタル。なんだかんだ面倒見は悪くないのだった――
そんなこんなで、余分に疲労しながら俺たちは突き進む。
正直に言おう。実戦の罠は流石にここまで高密度じゃない! 仕掛ける側にこんな余裕がないからだ!!
『つまり、この訓練を受けた者は、実戦が楽に感じるという寸法じゃな』
忌々しいがその通りだ。それにゴブリンやら獣人やら昼戦部隊が、ある程度露払いなり、罠に引っかかるなりして無効化するだろうしな。
ここの訓練所の使用料は高いって話だったが、罠だってタダじゃねえ。このクオリティならそりゃカネを取るだろうよ……!!
「さあ走った走った! まだまだ続くよ!」
相変わらず元気なゴリラシアに追い立てられるようにして、俺たちは市街地を制圧していく。
罠を無効化し、敵兵士役の獣人たちを薙ぎ倒し、人族の人形をぶち壊し――
とにかくやることが多い上に、キツい。
感覚が鈍っていくようだ。視界から色が消えていく。
久しく感じていなかった。戦い詰めで、クッソきついときのアレだ。
最後にこれを味わったのはいつだ? 魔王の玉座の間に辿り着く直前、近衛兵どもとやりあったときか――?
心の片隅でそんなことを考えながら。
路地を走り抜け、民間人の人形を剣槍でぶち抜こうとした俺は――
――
「たっ、……たすけて、ください! 殺さないで!!」
それは女だった。
薄汚れた服に身を包んだ、何の変哲もない、若い人族の女性だった。
「おねがいです! わたし、何にも悪いことは――!!」
必死で平伏し命乞いする、生きた人間に、思わず俺の手と足と思考が止まった。
『……いかん! 横!』
だからアンテの警告にも反応できなかった。
「そうらッ!」
ズガァンッという轟音とともに真横の壁が砕かれ、戦鎚が俺の脇腹を打つ。
凄まじい衝撃が俺を襲い、肋骨がまとめてへし折れる嫌な感触、激痛――
「がッ――」
肺から空気が叩き出され、その場に崩れ落ちるしかなかった。息ができない。
「はっはっは、馬鹿な魔族が引っかかったぞ!」
戦鎚を振り回しながら、馬鹿笑いしているのは――鎧姿のレゴリウス。
「あーあー、言わんこっちゃない」
ゴリラシアが呆れたように溜息をつく。
「ゴリ、姐……これ、は……」
「生きた人族の民間人さ。言ったろう? 囮にしてこういう罠を張るってねェ」
俺の髪を引っ掴んで、無理やり引きずりあげられる。痛ぇ……!
「そしてアタシがなんて言ったか覚えてるだろう? 民間人が視界に飛び込んできたらどうするか」
……やめろ。
「こうするのさ!!」
やめろ――!!
ゴリラシアは、一切の躊躇なく、その手の剣を振り抜いた。
「あぐっ」
袈裟斬りにされた女性が、血飛沫を上げて倒れ伏す。
ごろん、と横を向いた顔が、開ききった瞳孔が――
物悲しげに俺を見つめていた。
「ああっ、もったいねえ!」
遠巻きに見守っていたセイレーナイトが、思わずと言った様子で叫ぶ。
「あ。しまったねェ、そういや治療に使えるんだった……」
ぺろ、と舌を出して頭をかくゴリラシア。
「ジルバの治療が便利すぎて、忘れてたよ。いやはや贅沢な話だねェ」
「教官、この人族の女は……? 廃棄するには若くないですか」
オッケーナイトが不思議そうに尋ねる。
「石女らしくってねェ、ちっとも子を産まないから治療用に回されたって話さ」
「ああ、そういうわけで……」
納得するオッケーナイト。
俺は呆然として死体を見つめることしかできなかった。
こんな……こんな、無為な死が、あるかよ。
平然とした空気を漂わせる周囲に、俺はただただ、取り残されていた。
……いや。ひとりだけ。
アルバーオーリルだけが、何とも言えない顔をしているが――
「…………」
「さ、アンタも治療しな。まだ訓練は終わっちゃいないよ」
ぽん、とゴリラシアに頭を叩かれて。
めら、と俺の中で、何かに火がつきかけた。
だが、抑える。必死で抑える。
肋骨の痛みに集中することで、どうにか気を紛らわせる。
ガチの殺意はまずい。
この女相手に、それはまずい――!
「うわんうわん!!」
リリアナが駆けつけてきて、ペロペロして俺の傷を癒やしてくれる。あっという間に痛みが引いていった。呼吸も楽になった。
だが――
「きゅーん……」
続いて、横に転がった女の頬をぺろりと舐めて、リリアナが悲しげに鳴き、その耳を垂らした。
どんなに癒やしの力を注いでも、治らない。
もう、治らないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます