140.状況と想定


「それでは、気をつけていってらっしゃい」


 ニコニコ笑顔のプラティに見送られながら、俺たちは山林に踏み込んだ。


 この演習場は、起伏に富んだ地形と、そこに延々広がる雑木林で構成されている。


 適度に樹木が間引かれているため、鬱蒼と生い茂る原生林ではないが、それでも夜の暗さは相当なもんだ。俺が魔族じゃなかったら、何も見えなかっただろうな……


 今の俺の瞳は、こんな暗闇でさえ見通せるわけだが。



 ザッ、ザッ、という俺たちの足音に、ガシャッガシャッという耳障りな武具の音が混ざる。



 全員、実戦を想定したフル装備だ。今回の訓練は、初日ということもありシンプルな内容となっていた。隊列を組んで、演習場を縦断し、無事に森を抜ける。


 それで終わり――


「いやー、それにしても、殿下の鎧ハンパないですね!!」


 隊列の先頭を行くアルバーオーリルが、振り返って俺にキラキラとした目を向けてきた。


「そうだろう? 相当な逸品だよ」


 俺は、身につけた白銀の鱗鎧を撫で付ける――


 久々の登場。ファラヴギの鱗で造られた魔法の鎧、【シンディカイオス】だ。闇夜に白銀の鱗が映える。


 俺はこれに加えて、頭防具の額当てを装備し、手には剣槍を携えていた。頭防具は間に合わせなので、魔王城に帰ったら新しく仕立てるかもしれない。


 ちなみに他の連中は、兜をかぶっている。獣人たちがよく使う、耳が飛び出るデザインのノリで、角はそのまま露出した形だ。


 俺が、「角は丸出しなんだな……」とボソッとつぶやいたら、全員ビクッとしてたのが面白かった。


 それはさておき、鎧について言っておかねば。


「鍛冶師にやる気を出させるため、俺はこの鎧を身に着けている間は、ドワーフ族に手を出さないという誓いを立てた」


 段差や木の根っこに足を取られないよう、しっかりと地を踏みしめて歩みながら、俺は言った。


「だから、実戦でもドワーフ族との交戦はなるべく避ける方針だ」

「なるほど、わかりました!」

「殿下! 万が一、誓いを破ったらどうなるんスか?」


 と、お調子者のセイレーナイトが尋ねてきた。プラティとの特訓確定でさっきまで死んだ顔してたくせに、もう回復しやがったのか。


「そりゃあもちろん、この鎧の魔法の力が色褪せて、鱗を寄せ集めただけのガラクタになるだろうよ」

「はぁ、そりゃあ一大事だ!」

「そんな業物がガラクタになっちまうなんて、いただけませんね!」

「ドワーフ族が出てきたら、俺たちに任せてくださいよ!」


 三馬鹿は槍を掲げて、やいのやいのと。


「ドワーフ族は殺すに惜しいし、交戦を避けるのが無難だろうが……閉所で鉢合わせたらお前たちに任せよう」


 俺は苦笑した。先祖伝来の真打ちで武装したドワーフ集団に、三馬鹿が勝てる光景が全くイメージできなかったからだ。


 それにしても、皮肉なもんだよな。この鎧のおかげで俺はドワーフを手にかけずに済む。だが……俺の同胞は、人族は……。


 こうして訓練で一歩進むごとにも、その日が着実に近づいている。


「…………」


 俺は小さく溜息をついて、気持ちを切り替えた。考えても仕方がないことだ。


 森に入ってしばらく経つが、俺の足取りは相変わらず軽い。さすがはドワーフ製の魔法の鎧というべきか、重さを全く感じさせず、むしろ俺の身体を支えてくれているような感じさえする。


 普通、フル装備で起伏に富んだ地形を歩けば、足腰が疲弊して往生するんだが。


「汗がやべえ……」

「うわっ枝が引っかかった!」

「お前ッ槍が危ねえよ!」


 ――三馬鹿あいつらみたいに。


 俺とは違って、高級品に縁のない若手の三人組は、(おそらく鹵獲品の)鎖帷子を身に着け、その上から骨と鋼を組み合わせたような鎧を装備し、さらに兜をかぶって槍まで抱えているので、かなりの大荷物だった。


 おかげで動きが鈍いのなんの。その上で隊列を組み山林を行進してるもんだから、散々だ。実戦経験はあるそうだが、どうせ魔族らしく前線に突撃して、一族の連中と好き勝手暴れてただけだろうしなぁ。


 対して、俺の前を歩くクヴィルタルや、俺の左右と後方を固めるその部下たちは、チームとしての動きが身についていて、そつがない。フル武装で動き回っていても、ちょっと汗をかいてるくらいのもんで、涼しい顔のままだ。


 ここらへん、年季の差がはっきりと出ているな。


「――小休止するか」


 そこからさらに歩き、三馬鹿たちが無駄口を叩く余裕もなくなったところで、俺は声をかけた。


「ひぇえ、助かります」

「暑ぃ!」

「みず、水……」


 木の幹に背を預け、兜を脱ぎ去り、革の水筒からガブガブと水を飲みだす三馬鹿。それを尻目に、俺は一口だけ水を含んで、じっくりと味わうように飲み下していく。


『にしても、地味じゃのー』


 と、俺の中でアンテがぼやく。


『行けども行けども木々ばかり、似たような景色でつまらん。ちゃんと目的地には進めておるんかの』


 それは、大丈夫だ。方位磁針は確認してるし、夜エルフ謹製の地図もあるし。


 この手の地図は前世から馴染み深いけど、今は測量術や星読みの心得まであるからな、バッチリだぜ。


 このまま森を横断していって終わり!



 ……と、言いたいところだがなぁ。



『なんぞ、あるのか?』


 いや、考えてもみろよ。


 プラティだぞ?


 こんなピクニックみたいな、ただ山林を歩いて終わり! なーんて甘い訓練があると思うか?


『全く思えんの! これは、訓練、そうじゃな?』



 多分、そういうことさ。




          †††




 ――クヴィルタル=レイジュは水分補給をしながらも、さり気なくジルバギアスを観察していた。


(うぅむ、危なげがない……)


 山林に踏み入って以来、感心することしきりだ。


『――あなたも知っての通り、ジルバギアスの戦闘力は一線級よ』


 昨日、クヴィルタルを呼び出して、プラティフィアはこう言っていた。


『でも、あの子が見た世界はまだまだ狭い。槍の立ち回りに問題がなくても、平らな練兵場で戦ってばかりですもの。それでは実戦じゃ通用しない、そうでしょう?』

『はっ』

『来春の王都攻めは市街戦だから、それはそれで別な訓練を考えているけれど、とにかくあの子には様々な経験を積ませてあげたいの。あなたには期待している』

『全力を尽くします!』


 ――というわけで、ジルバギアスに至らぬ点があれば、それを指摘するのがクヴィルタルの役割だったわけだが――


(まるで熟練の戦士じゃないか)


 舌を巻いていた。


 これまでのところ、文句のつけようがない。


 森の中でも迷わぬように、常に方角を確認しているし、それでいて不整地の足元はおろそかにせず、しっかりと地面を踏みしめて歩いている。


 体力的にも問題なし、少し汗はかいているが息は荒げていない。水分補給も慎重だし、何より――


(常に周囲に気を張っている……)


 これだ。


 全く油断していない。


 自分たちの位置関係をも常に把握しており、いざというときは即応できるよう、常に身構えている。不気味なほど、老獪さを感じさせる動きだった。


(これが本当に5歳児か……? ありえん……)


 いったい、どこでこれを学んだというのだ。知識として知っていたとしても、それを身体に染み込ませるには、経験を積むしかないはずなのだが。


 それともこれが、魔王陛下の血なのだろうか……


「ん、どうしたクヴィルタル」


 などと考えていると、ジルバギアスと目が合った。


「いえ。訓練とは思えぬほど、しっかりした動きをされているな、と」

「ああ。まあこの程度なら、母上に鍛えられてるからな」


 この程度、と言われても……とクヴィルタルは微妙な顔だったが、部下たちも同感らしく、「どんだけ鍛えられてんだよ」とばかりに顔を見合わせていた。


 三馬鹿だけは「やっぱ殿下すげえなぁ」「憧れるぜ……」などと呑気に構えていたが。どちらかというと、クヴィルタルの指導はこいつらがメインになりそうだ……


「にしても、この訓練。何か一波乱あると睨んでいるが、どう思う?」


 不意に、ジルバギアスに水を向けられてクヴィルタルは言葉に詰まった。


「……あるのか。そういう趣向だな?」


 水筒から一口、水を飲みながら、ニヤリと笑うジルバギアス。


「……かないませんなぁ」


 クヴィルタルは、もはや苦笑するしかなかった。


「バレてしまったからには、仕方がありません。ええ、そうです――」



 

 ひゅぅぅん、と。




 風切り音。




「!!」


 ジルバギアスが、咄嗟に身をよじる。


 カッ、と乾いた音を立てて、その背後の木の幹に矢が突き立った。


「――こういう趣向です」


 クヴィルタルは槍を構える。


「小休止中の奇襲、か」


 額当ての位置を調整しながら、つぶやくジルバギアス。その周囲で部下たちが隊形を組み直す。泡を食って兜を被り直し、立ち上がる三馬鹿たち。



 ザザザッ、と森の奥から、足音が複数。



 ――演習場を縦断し、森を抜ける。



 それが今回の訓練の目的だ。



「来るぞ」



 ジルバギアスの言葉と同時、ブブブブン、と低い音が鳴り響く。



 それは、弓の弦が奏でる、独特な――



 茂みを突き破り、一斉に矢の雨が降り注いだ。

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