138.ゆめのあと


 ――ふと目を覚ましたら、窓の外は明るかった。


 俺はベッドに寝かされているらしい。


『この馬鹿者』


 と、アンテの幻の手がニュッと俺の胸から伸びて、ナチュラルに目を突いてきた。


てァ!」

「あ、お目覚めですか」


 ベッド脇の小椅子にはメイド服姿のレイラが腰掛けていて、俺が起きると同時、何やらサッと手を後ろに隠した。


 上体を起こす。窓際のソファでは、リリアナがすぴすぴとお昼寝中。


「……どれくらい寝てた?」

「半日くらいです」


 両手を後ろに回したまま答えるレイラ。けっこう気を失ってたんだな。


『アホみたいに血を流したからじゃ、このバカタレ』


 アンテがプンスカしている。悪かったって。しょーもないことのために命を危険に晒してしまった。


 もうちょい軽めの傷で済ませるつもりだったんだけど、途中まで本気だったから、思ったより食い込んじゃった。


『フン、あんな生意気な小娘、どうせなら殺してしまえばよかったんじゃ』


 幻のアンテの手が、グイグイと俺の頬をつねる。ごめんて。


「……あのあと、どうなった?」

「大騒ぎでした」


 苦笑するレイラ。


「あのお姫様は、心臓が止まりかけていたそうで、ご親族が必死で蘇生処置してましたよ」


 まじかー。


 しかしレイラいわく、すぐに呼吸も脈拍も安定していたらしいとのことで、問題はなかったようだ。


 見物人たちも、俺の迫真の殺気に、ルミアフィアが首を刎ねられたように錯覚したそうで、しかもその傷を引き受けて大量出血しながら、あまりに平然としていた俺に若干引き気味だったとか。


 この地での俺のが高まりそうだな……


「レイラは、ずっとついていてくれたのか?」

「はい。一応……」


 レイラは不自然に両手を背中に隠したまま、にへらと笑う。さっきからずっとその姿勢のままだった。そろそろと椅子を立ち上がって、俺に背中を見せないよう横歩きで移動していくが――


「……その手は?」


 あからさまに怪しいので、指摘せざるを得なかった。


「あ。……えーと、そのぅ……」


 ちょっと恥じ入りながら、観念したように『それ』を見せるレイラ。



 ――かぎ針と、毛糸。



「編み物も、習ってみたんですけど……全然うまくできなくて……」


 レイラの言う通り、かぎ針には編みかけの――何? 何というか……形容しがたいウネウネとしたものが出来上がりつつあった。いや、出来上がってんのかあれ?


「そろそろ寒くなってくるので、靴下でも、と思って……」


 靴下なんだ、それ……。


 ちょっと出来上がりがつたないから、恥ずかしくて隠したわけね……悪いことしたなぁ。


『この娘、どんくさいところがあるからのぅ』


 まあ、確かに。やっぱり根本的に違う生物の身体だからだろう。レイラはちょっと不器用なところがある。レイラに限らず、人化したドラゴン全体に言えるのかもしれないが。


 ガルーニャもレイラに格闘の手ほどきしようとして、さじを投げたからなぁ。


 そしてそんな状態なのに、アイロンがけは完璧に仕上げるレイラ。どれほどの時間と労力をかけて習得した動きなのか、考えるだけで泣けてくる。


 しかし、初心者でアレだけ編み上げてるんだからすごくないか?


『まあそうじゃの。やはり、やる気にあふれておるからじゃろうなぁー、すごい集中力で練習しておったぞ』


 なるほど! レイラは学習意欲旺盛なんだな……! 馬車でも熱心に読書してたって話だし、俺も見習わなきゃ。


 それにしてもそろそろ冬、か。ドラゴンは寒暖差なんて気にしないみたいだが――連中、炭火で炙られても氷水に漬けられてもビクともしねえし――人の体だとやっぱ寒く感じるのかな。


 近頃は気温が下がってきたし、レイラも足先が冷えたりしているのかもしれない。心配だ。


「レイラも、もし寒かったりしたら、遠慮なく言ってくれよ。防寒着ならいくらでも用意するからな」

「え? ……あ、はい」


 俺の言葉に、こてんと首をかしげてから、モニョッとした顔でうなずくレイラ。


『この阿呆』


 が、再びアンテが俺の眼球をアタックした。


「痛てァ!」


 何しやがる!!


『そういうとこじゃぞ』


 何がだよ?


『いや……まあ、よい。そのうちわかるじゃろ』


 だから何がだよ? ……しかしアンテはそれ以上、何も答えない。


「……わふぅ」


 ??? と首をかしげる俺を薄目で見ていたリリアナが、つまらなさそうにアクビして、再びスピスピと寝息を立て始めた――




          †††




(――あかるい)


 ぼんやりとした、夢うつつの心地で、少女は目を開いた。


「…………」


 薄暗い部屋。カーテンの隙間からは陽光が差し込み、小鳥たちのチッチッチという鳴き声が聞こえてくる。


(……あさ?)


 なんでこんな時間に目を覚ましたんだろ、なんて考えて。


 だんだんと、思考が輪郭を取り戻していく。



 ――そして、



「ひィッ!」


 ルミアフィアは、咄嗟に首へ手をやった。……傷ひとつない、なめらかな肌。柔らかい絹の寝間着。どうやら自分は、自室のベッドに寝かされていたらしい。


「……ん、ッ?」


 と、視界の端で動くもの。見れば、ベッド脇の椅子に腰掛けて、うつらうつらして兄――エイジヴァルトが、ルミアフィアの声で目を覚ましたようだった。


 寝ぼけ眼で、顔を上げる兄。


 視線が、ぶつかり合う。


「――ルミア! 起きたのか!? 大丈夫か!?」


 ほとんど椅子を蹴倒しながら立ち上がるエイジヴァルト。がっしりした手がルミアフィアの肩を掴む。温かい――自分も、兄も。


「お兄ぃ……あたし……何が……?」


 問いかけながら、徐々にルミアフィアの息が荒くなっていく。


 生々しく、覚えていた。


 自分の首に、喉に、熱いような冷たいような何かが、めり込んでくる感触を――


 生命の源が、体温が、体から抜け落ちていくおぞましい感覚を――


「ハッ……ハァッ! ハァッ……!!」

「大丈夫! 大丈夫だから……!」


 途端に、呼吸が荒くなって、ガクガクし始めたルミアフィアを、咄嗟に抱きしめるエイジヴァルト。


「大丈夫……! もう終わったんだ……大丈夫なんだ……!」


 優しく頭を撫でられ、ゆっくりと身体を揺すられ、兄の体温と鼓動を間近に感じて……ルミアフィアも徐々に落ち着きを取り戻した。


 と同時に、どうしようもない安心感が、胸いっぱいに広がる――


「ぅっ……うぇぇぇぇ……!!」


 ルミアフィアはエイジヴァルトの胸に顔をうずめて、赤子のように泣き出した。


「こ゛わ゛か゛っ゛た゛よ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛――!!」


 死んじゃうかと思ったぁぁぁ、と鼻水を垂らしながら泣きじゃくる。


 あのとき。ルミアフィアが最後に思ったことは、「あたし死ぬんだ……」だった。それくらい、あの恐ろしい魔王子から向けられた殺意は、真に迫るものがあった。


 めちゃくちゃ痛い思いをするのが嫌で、それでも、死にはしないはずとタカを括っていた自分を、奈落の底に突き落とすような――そんな所業だった。


 グズグズと泣きながら、あのときのことを思い返しても、ジルバギアスに対する不満や反抗心といったものは、自分でも驚くくらい出てこなかった。


 完全に、心が折れていた。


 に対して不満を覚えることの方が恐ろしい、と身体がもう理解している。


 なんであんな存在に、つばを吐きかけるような真似をしたのか、理解できない。次に直接あったら、どうなってしまうだろう。その場で平伏しない自信がなかった。


(もうヤダ……)


 できれば金輪際、顔も合わせたくなかったが――族長一家なのでそういうわけにもいかないだろう。


 自業自得なので誰にも文句は言えず、ただ兄にすがりつくのが精一杯だった。


「…………落ち着いた?」

「……ぅん」


 しばらく泣いて、ようやく平静を取り戻したルミアフィアの頭を、エイジヴァルトが優しく撫でる。


「よし。……何か、欲しいものとかある?」

「…………のど、かわいたかも」

「じゃあ、何か持ってこようか。何がいい?」

「……ううん、自分で……取りに行く……」


 喉も乾いたし、ついでにちょっとお手洗いにも行きたいルミアフィアであった。


 ベッドから起き上がろうとしたが、ふらふらと足元がおぼつかない。


 兄が肩を貸してくれようとしたが、流石に半ば抱きしめられるような格好で廊下を歩くのは恥ずかしかったので、「だいじょうぶだから……」と強がるルミアフィア。


「じゃあ、ちょっとこれを使いなよ」


 フラフラしている妹を見かねて、エイジヴァルトはベッド脇に立て掛けていたを杖代わりに手渡した。



 ――訓練用の、槍。



 あくまで訓練用なので、刃引きされている。しかしその穂先が目に入った瞬間に、ルミアフィアは――



「……うーん」



 白目を剥いて、ぱたんと倒れてしまった。



「え……? は? えっ!? ルミア!? おい、どうしたルミア! しっかりしろルミア――ッ!!」



 何が起きたか理解できず、動転するエイジヴァルト。



 ――その日以来。



 ルミアフィア=レイジュは、刃物がダメになってしまった。

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