134.後継の重圧
エイジヴァルトは、上位魔族の例に漏れず、槍の鍛錬を毎日欠かさない。
『――我らは族長一家として、最強でなければならん』
幼い自分を練兵場に連れ出した祖父は、いかめしい顔でそう言っていた。
ヴァルト家は、先々代で族長に成り代わった家だ。今は一族の大半が支持してくれているが、後継が頼りないようでは、ディオス家が再び勢いを盛り返すだろう。
ゆえに常日頃から、族長に相応しいことを証明し続けなければならない。現族長のジジーヴァルトは一族で最強の一角であり、次期族長ジークヴァルトも5本指に入る槍の使い手だ。
『お前も強くなるのだ。行くぞ、エイジ!!』
そしてエイジヴァルトに求められるのも、その水準の『強さ』だった。
だから幼い頃より、ずっと過酷な訓練を課されてきた。父と祖父は厳しく、泣き言を吐くことは許されなかった。
母にすがりついて助けを乞うても、ぶん殴られて練兵場に引きずり出された。母は悲しげに見守るばかりで、救い出してはくれなかった。
血反吐を吐くような鍛錬を積まされ、気絶するまで叩きのめされ、転置呪を使うほどではない生傷に悩まされ、痛みでよく眠れず――
――孤独だった。
家族と一族の者たちに囲まれながらも、エイジヴァルトは孤独を感じていた。
今振り返ると、幼い自分は塞ぎがちで、随分と陰気な子どもだったと思う。だけどそれも当然だ。同じくらいの年頃の子どもはみな外で遊んでいたのに、自分だけ過酷な生活を余儀なくされていたのだから。
だが、妹が生まれてからは、だいぶんマシになった。予期せず誕生した娘がよほど可愛かったのか、ピリピリしていた祖父と父がちょっとだけ丸くなったからだ。
エイジヴァルトも、妹を可愛がった。妹の面倒を見ている間は訓練から遠ざかっていられたし、自分より弱い守るべき存在が生まれたことで、強くなる理由ができた気がしたからだ。
最初は打算もあって可愛がっていたが、実際、妹は可愛かった。何より気晴らしになった。
『妹を守る』――それを自分に言い聞かせて、我慢に我慢を重ねて、厳しい訓練にも耐えられるようになり、族長一家の長子に相応しい存在であり続けることを、自らに強いてきた。
その、自負があった。
だが。そうやって積み上げてきた誇りが、目の前でがらがらと突き崩されていくのを、エイジヴァルトは感じていた。
「おオォォォァァァッ!」
練兵場。まだ声変わりさえ迎えていない少年の、猛々しい咆哮が響く。
ガァン、ギィンと火花を散らして、王子が大公妃が実戦形式の立ち合いを繰り広げていた。
流血や骨折なんてのは当たり前、時には手足が千切れ飛び、臓腑を抉る致命傷さえ許容する過酷な訓練――
一般魔族の大半が尻込みするような血みどろな鍛錬を、幼い王子が積んでいた。
実のところ、エイジヴァルトも似たような訓練はやっている。
本物の槍を用いて戦い、致命傷を
が、いかにレイジュ族の本拠地といえども、転置呪の身代わり――人族のストックには限りがある。他領地への出荷分や、病人や怪我人への備えもあって、訓練ばかりに浪費していられない。
週に2回。
それがエイジヴァルトの『実戦形式』の頻度だった。つまり週に2頭までなら訓練のため人族を消費できる。これでも族長一族の跡取りとして、かなり融通を利かせている方だ。
地位も伝手もない、いち魔族じゃこうはいかない。月に1回できるかできないか。もちろん、名家の生まれでも、そんな過酷な訓練を受けない者もいるだろう。……妹のように。
「ぐガッ……はァァァ」
ジルバギアスが大量に吐血して倒れ込む。
「うゎん、うゎん!!」
すかさず、待機させられていた四肢のないハイエルフが駆け寄って、ペロペロと舐めて回復させる。
そう――王子には
どんな手を使ったか、ハイエルフをペットとして手懐けており、自分たちと違って治療に制限がない。
ジルバギアスはついでにプラティフィアの傷まで引き受けて、あっという間に全快し、けろりとした顔で訓練を再開した。
致命傷を受けて全快するまでを1セットとして、ジルバギアスはそれを毎日欠かさず、何セットもやっているらしい。
エイジヴァルトが、多くて週に2セットしかしない訓練を。
毎日。
「…………」
日課の素振りのため練兵場に出てきた自分が、酷くみみっちい存在に思えてきて、エイジヴァルトは思わず、愛用の槍を強く握りしめていた。
――何よりも悔しかったのは。
週に2セット
今日の今日まで考えていたことだ。
自分は良くも悪くも恵まれている。族長一家に生まれ、人族の供給に融通が利くために、週に2セット
正直、できることなら放り出したい。訓練の前日は常に憂鬱だった。たとえ転置呪で傷が綺麗に消え去っても、痛みを受けた記憶までは消えない。
――誰が好き好んで、痛い思いをしたいと願うだろう?
訓練相手を務める祖父と父は、笑ってこう言うはずだ。『痛いのが嫌なら強くなるんだな』、と。
自分が痛めつける側に回れ、と。
一族で最強格のふたりが。
「……よっし! じゃあもう1本!!」
しかしジルバギアスは、どれだけ酷い傷を負い、ボロボロにされても、何ら痛痒を感じていない顔で幾度となく立ち上がる。
まさに、不屈。
同じくらいボロボロになりながら、笑顔でそれに付き合う母親のプラティフィアも大概どうかしてるが。
プラティフィアはまだわかる。一族でも名の知れた英才で、魔王に嫁いだ女傑で、何より大人だ。
だが、ジルバギアスはよくわからない。
(……なんで、あんな平気な顔ができるんだ?)
5歳だぞ。おかしいだろ。
そう思わずにいられなかった。時の流れが違う魔界で長く過ごしたため、額面通りの年齢ではないとはいえ、子どもであることには違いないのに。
自分が嫌で嫌でたまらない訓練を、数十倍の密度で、平気な顔でこなして。
「…………」
エイジヴァルトは、厳しい鍛錬を積んできた自負が
だけど、それも今日までだったらしい。
「よう」
と、背後から声。
父ジークヴァルトが、腕組みして立っていた。
「父上……」
「お前も見ていたか」
その目は鋭く、王子と大公妃の訓練を観察している。
「……うぅむ」
そして小さく唸り、口元を引き結んだ。父は、愛想笑い以外は表情があまり変わらないタイプなので、これは一般人の『顔をしかめる』に等しい。
「末恐ろしいな」
ジルバギアスを眺めながら、小さくつぶやくジークヴァルト。
末恐ろしい――全く同感だったので、エイジヴァルトは無言でうなずいた。
「あれだけ激しく打ち合いながら、隙あらば互いに呪詛を放ち、抵抗している。前線の戦士でさえ、あの次元で戦える者がどれだけいることか……」
プラティフィアは、嫁入り前の時点でジークヴァルトと互角の戦士だったらしい。それと、ほぼほぼ互角で打ち合えている、あの5歳児は何なのだ……?
自分は……自分は、父とどれだけ打ち合えるだろう……?
いや……もっと恐ろしいのは……
「……っ」
これまでの努力が、苦労が、全て否定されるんじゃないかと、ヒヤッと冷たいものが背筋を走り抜けた。
父も、自分に失望してるんじゃないか。
ふと恐ろしくなって顔色をうかがったが。
「……エイジ、ひとつ良いことを教えてやろう」
そんな自分の内心を見透かしたかのように、父はポンと肩を叩いた。
「
「…………はぁ」
常にストイックな父らしからぬ言葉に、エイジヴァルトは呆気に取られた。
「……俺もな、若い頃、似たような思いをしたことがある。まあ、ここまで
少しばかり口の端を吊り上げる父。……一般人で言うところの、苦笑だ。
「この訓練風景を、宴の前に見せていてくれればなぁ……」
「全くですね……」
あんな騒動は起きなかったのに、としみじみする父と子。練兵場には一族の連中が見物に集まっていたが、あまりに過酷な上にレベルが高く、しかも終わる気配がない訓練に引き気味だった。
王子がこうして戦うさまを披露していれば、誰も舐めてかからなかっただろう……
「ところで、ルミアを見てないか?」
不意に、表情を切り替えて、ジークヴァルトが尋ねてきた。
「え? 今日はまだ見てませんね。部屋にいるんじゃ?」
「うーむ、さっき訪ねたらいなかったんだが……」
周囲に人がいないか確認してから、ジークヴァルトはささやくようにして。
「――実は先ほど、ディオス家の使いが来た」
……! 思わず身構えるエイジヴァルト。
「話によれば、意識を取り戻したゲルマディオスが――」
父の表情は、はっきりと見て取れるほど苦々しかった。
「――例の一件は、ルミアにそそのかされたと主張しているらしい」
本人から詳しく話を聞きたいので、お前も妹を探してくれ、と。
父に頼まれ、エイジヴァルトは、にわかに頭が痛くなってくるのを感じた。
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