133.老害、動く


「――なにィ? ディオス家のぼんが角ォ折られただとォ?!」


 老害は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王子を正さねばならぬと決意した。老害には政治がわからぬ。老害はいち戦士である。槍を振るい、気ままに狩りをして暮らしてきた。


 けれども伝統を乱す若者には、人一倍に敏感であった。聞けば若き王子が歓迎の宴で暴れだし、ディオス家の男の角を折ったという。しかも、あろうことか魔族の誇りである槍ではなく、人族の剣を使っていたらしい。


「許せん! 魔王陛下の血を継ぐ者として、あるまじき所業!!」


 話を小耳に挟んだ翌日、日暮れ前に家を出発し、野を越え山を越え、はるばるレイジュ族の本拠地までやって来た。


 この地を訪れたのは久方ぶりだったが、小綺麗な格好をした街の住人に比べ、毛皮を身にまとい、黒曜石の槍を担いだ老害は、明らかに貧相で浮いていた。


「――最近の若者はたるんどる!」


 きらびやかな貴族服に身を包み、きゃいきゃいと歓談しながら歩く若い男女を見かけて、老害は再び激怒した。


「こらァ貴様ァ! なんだァその腑抜けた顔は!」

「うわぁ! 化石爺だ、逃げろ!」


 槍を振り上げて迫る老害に、ギョッとした若者はスタコラサッサと逃げ出した。


「待てェ! そのたるみきった根性を叩き直してくれるわァ!」


 怒って追いかけるも、若者たちは足が速い。単純に若いこともあるが、強大な魔力のおかげで身体強化に優れているからだ。


 対する老害は、初代魔王がダークポータルを解禁するまで、悪魔と契約していなかったため、魔力に劣る『古き魔族』だ。老いで体が衰えていることもあり、まったく若者たちに追いつけない。


「ゼェ……ゼェ……まったく、逃げ足、だけは、一丁前でェ……!!」


 あっという間に見失ってしまい、槍にすがりついて肩で息をしながら、老害は追うのを諦めた。


「……こんな老いぼれ相手に、『かかってこい!』と受けて立つでもなく、一目散に逃げ出すとは……最近の若いモンは……」


 怒りを通り越して、情けなくなってきた。悲しげにため息をつく老害。


 最近の若者はたるんでいる。たるみきっている。老害はそのことに、強い危機感を抱いていた。


 老害は『聖域』での古き生活を知る、魔族でも指折りの古参だ。その歳は300に届こうとしている。


 初代魔王に率いられ『聖域』を脱した魔族は、肥沃な土地を手中に収めて、確かに豊かになった。だが、その豊かさが魔族を腐らせているように思えてならない。


 昔の魔族は戦いと狩りに生きていた。今の生活に比べれば貧しくはあったが、毎日をもっと真剣に、必死に生きていた。目の輝きが、顔つきが違った。


 しかし見てみろ! この整然とした街並みを! 通りを歩く次世代の魔族たちを!


 外見だけは小綺麗に取り繕って、その実、どいつもこいつもたるみきった間抜けなツラを晒している……!


「ぬおおお、許せん、許せんぞォ!!」


 往来の真ん中で咆哮する老害を、都会育ちの魔族も、使用人の獣人や夜エルフも、まるで腫れ物のように避けて通っていた。


 ――確かに魔族は豊かになった。悪魔との契約で魔力も強くなった。


 だが、本当に魔族は、『強く』なったのか?


 老害は懐疑的だった。


 魔王軍は戦でも負け知らずらしいが、そもそも惰弱な人族を相手取って、勝つのは当たり前のことだ。負ける方がどうかしている。


 楽勝な戦ばかりを重ね、魔族全体がたるんでいるに違いない。


 そして、その象徴が例の王子だ。まさか槍を捨てて剣を使うなどとは。どうせ魔力だけ膨れ上がった、生意気な小僧に違いない。


「ワシがその性根を叩き直してくれる!」


 気持ちも新たに、歩みを再開する。


「おい、貴様ァ! 王子はどこにいる!?」


 が、王子が具体的にどこにいるかまでは知らなかったので、手近な青年に尋ねた。


「うおっ!? 王子って、あのジルバギアス殿下のことか?」

「ジルバギアス! おうおう、たしか、そういう名前だったなァ!」


 威勢よくうなずく老害に、「こいつ大丈夫かよ」と言わんばかりの顔をする青年。


「……殿下なら、あっちの族長の屋敷にいるよ。今なら練兵場に行けば会えるだろうさ、鍛錬中だったからな」

「そうか! ありがとうよ若いの!」


 バシン、と青年の背中を叩いて、老害はノシノシと歩き出した。お世辞にも清潔そうには見えない老害に、青年は嫌そうな顔をしてジャケットを脱ぎ、背中をはたいてからそそくさと立ち去る。


 族長の屋敷を目指して歩くうちに、老害は道行くヒトの流れに気づいた。老害が目指す方向に同じように歩いていく者と、何やら引き攣った顔で仲間たちと言葉を交わしながら引き返してくる者と。


「――アレやべえよな」

「――バケモンだろあの王子」

「――あんなの命がいくつあっても足りねえ」


 最近遠くなってきた耳をかっぽじって盗み聞きすると、引き返してくる者はそんなことを話し合っていた。


「……この上、王子がまだ何かやらかしておるのか!? 許せん!!」


 老害は激怒した。その頭には、すっかりわがまま放題で暴虐な王子のイメージが形作られていた。


 老害は、初代魔王の人となりを、治世を知る者でもある。あの御方こそ魔族の中の魔族、優れた戦士にして魔族の王たる人物だった。


 現魔王もなかなかの傑物ではあるが、初代魔王に比べると小綺麗にまとまっている感がある。子が常に親より優れているわけではない、当然だと理解しているが、どことなく世の無情を感じさせる。


 が、その孫がとんでもないうつけ者となると話が別だ。


 暴れん坊な上、槍ではなく人族の武器を好んで使うような酔狂者が、ロクな王子であるはずがない。


「ええい、かくなる上は……!!」


 老い先短いこの命を賭してでも、王子を正してくれる! 亡き魔王陛下、ラオウギアス様のために……! 槍を握り直しながら、決意を新たにする老害。


 そして、とうとう族長の屋敷にたどり着いた。


 練兵場には、何やら人だかりができている。


「どけい、どけい!」


 わっしわっしと人混みをかき分け、最前列に顔を出してみると――




「な、なんだァアレは!?」




 愕然とした。




 ――練兵場で、血みどろになって打ち合うふたり。


 片や背中から半透明な腕を生やし、3本槍を器用に操って怒涛の連撃を見舞う女。顔のつくりはゾッとするほどに美しいが、その表情には一切余裕がなく、汗にまみれ髪を振り乱しながら戦っている。


 片や刃が異様に長い槍を振り回し、連撃をいなしながら果敢に応戦する少年。女と似た顔つきで銀髪、こちらも欠片も余裕がなく、獰猛そのものな表情を浮かべて必死で食らいついている。


 ガァン、ギィンッと刃と刃がぶつかり合い、空中で激しく火花が散る。一撃一撃の凄まじい威力に、離れたこちらにまで圧が届くかのようだった。見物人たちが遠巻きに見守っているのは、ふたりの打ち合いがあまりに鬼気迫るため、これ以上近寄れなかったからなのだと悟る。


 そして、遅れて気づいたが、打ち合うふたりのすぐ近くには、白目をむいて泡を噴きボロボロになった魔族の若者3人が、折り重なるようにして倒れていた。


(あれは……たしか、オーリル家の軟弱者か)


 アルバーとかアンバーとかそんな名前の。


(そして……あっちの女は、プラティフィアか!?)


 あの美しい顔には見覚えがある。現魔王に嫁いでいったレイジュ族きっての英才にして女傑・プラティフィア。――ということは、あの少年が件の王子なのか!?


「おい、アレはいったい何をしている!?」

「うおっ。……なんだ、ジイさんか」


 固唾を呑んでプラティフィアたちを見守っていた青年が、突然声をかけられて驚くも、老害の顔を見て(厄介な奴に絡まれたな)と言わんばかりの顔をした。


「なんだもかんだもあるか! アレは?」

「実戦形式の訓練だとよ。夕方あさからぶっ通しであの調子らしいぜ、どうかしてるよホント……」


 訓練であそこまで鬼気迫る戦いを!? いくら傷が治せるからとはいえ――人族の身代わりがいくらいても足りんぞ、と驚く老害だったが。


「ぐぅッ……!」


 王子、ジルバギアスが苦しげに呻いた。見物人たちが「うわぁ」「ぎゃー」と悲鳴じみた声を上げる。


 見れば、プラティフィアの槍が、王子の腹を刺し貫いているではないか!


「ぐぅ……おおおお!」


 それでも血を吐きながら槍――そこで気づく、穂先が剣であることに――を振るう王子だったが、プラティフィアは容赦なく弾き返し、止めととばかりにドスドスッと突く。


「ゴっ……ハ……」


 ドバァ、と血を吐いて、臓物を傷口から溢れさせながら倒れる王子。


「なっ……」


 あまりにもむごい致命傷に絶句する老害だったが、すぐに「きゃうんきゃうん!」と妙な鳴き声が響いてさらに言葉を失う羽目になった。


 なんと、手足のない女が王子に四つん這いで駆け寄り、ぺろぺろと舐めだしたではないか。


 しかもシュワシュワと音を立てて、その傷が――致命傷が癒やされていく!


「なんだあの女は!?」

「知らないのかジイさん、殿下のペットのハイエルフだとよ」

「ペット!?」


 ハイエルフ!?


 いや、そういえば、なんかエルフだかドラゴンだかを手篭めにしているという話を小耳に挟んだ気も……ついこの間、生まれたばかりな気がするのに、もう色気づいたのかと呆れて聞き流していたが、まさかこのような。


「うっ、ふぅ。助かったよ、リリアナ」


 すっかり全快した王子が、起き上がってハイエルフの頭を撫でる。


「くぅーん」


 ふりふりと尻を振り、ぴこぴこと耳を揺らしながら喜ぶハイエルフ。異様な光景だった……


「あのハイエルフとやらは、なぜ犬真似を……?」

「……話によれば、殿下の魔法で自我を破壊されていて、自分を犬だと思いこんでるらしい……」


 呆然とつぶやいた老害に、声を潜めた青年が解説する。「敵ながら、さすがに哀れだよな……」と同情の目を向けながら。


「ところでジイさんも殿下を見に来たのか? 聞きしに勝る半端ない御方だよな」


 と、青年に言われて、老害は当初の目的を思い出した。



 性根が曲がっているらしい王子を叩きのめして、正してやるつもりだったことを。



「よし、母上は治療はいいですか?」

「フフッ、まだまだ行けるわよ」

「さすが母上。ではもう1本!」


 再び構えを取って、血みどろの稽古を再開する母子。


「…………」


 あの戦いぶり……


 古き時代の魔族でも、そうそう見なかったような……


 伝統的な槍ではなく、剣を穂先にした武器など……気に食わんが……


 いやでも強いし……強い奴が正義だし……よく見たら魔力も半端ないし……


 自分が挑みかかったら、おそらく……数秒と持たな――


「――今日はちと、腰が痛いわ」


 誰に言うとでもなくつぶやいた老害は、腰をさすりながら、くるりと背を向けた。



 ――老戦士は引き際を知っている。



 何言ってんだこいつ、という顔の青年を置いて、その場を立ち去る老害。



「うーむ……最近の若者は……」



 よくわからんなぁ、と歩きながらつぶやいた。



 ただ、あの王子の戦いぶりは、見るべきものがあった。



「……案外、魔族の未来は明るいやもしれん」



 ちょっとだけ機嫌を治し、老害はノシノシと帰路につくのであった。

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