132.影響甚大
――ゲルマディオスがルンルンと軽い足取りで去ってから。
ルミアフィアは、一応自分がけしかけた手前、何が起きるか見届ける義務があると思い、窓の外から宴会場を覗き見ていた。
(ま、アイツがどうなろうと、別に構わないんだけど)
そのときまでは、気楽にそう考えていたのだが――
(……ちょっと待って、あの男、まさかと思うけど)
なみなみとワインが注がれたグラス片手に、ゲルマディオスが壇上に上がった時点で、嫌な予感しかしなかった。
(うわっ! さすがにそれはないでしょ!!)
歓談の最中、やおら王子の顔面にワインを引っ掛けるゲルマディオス。
何やらわざとらしく頭を下げ、ハンカチで拭き清めているが、されるがままの王子は恐ろしいほどの無表情――
それでいて両隣の父とお
(嘘でしょ! もっと、こう……あるでしょ!!)
穏当な喧嘩の売り方が! と憤慨するルミアフィア、だが見守るしかない――
と。
(あ、なんか笑ってる)
ジルバギアスが爽やかな笑みを浮かべている。実はそんなに怒ってない? それとも機嫌を直した?
一瞬でもそう思ったのが間違いだった。
不意にテーブルを蹴り上げたジルバギアスは――
「【我が名はジルバギアス=レイジュ】」
宴会場の外にまで響き渡る【名乗り】を上げながら、
「【魔王国が第7魔王子なり!!】」
テーブルを粉砕し、ゲルマディオスの顔面を殴り飛ばした。
「ええ……!?」
ルミアフィアは唖然と、宙を舞うゲルマディオスを見送りながらも、ゾワッと鳥肌立つのを感じていた。兄と同格――そう思っていたジルバギアスの魔力が、ひと目でわかるほどに膨れ上がっていたからだ。
一瞬にしてお
(嘘でしょ……あれが【名乗り】……!?)
ルミアフィアはまだ戦場に出たことがない。魔王陛下およびオルギ族の血統魔法は知っていたが、あそこまで劇的な変化が現れるものとはついぞ知らなかった。
愕然とする間にも事態は進行する。片や壇上で嘲笑するジルバギアス、片やロン毛に絡まった食材を払い落としながら、憤然と立ち上がるゲルマディオス。
(……!! アイツ!)
そしてゲルマディオスが腰のベルトに――魔法の槍に手を伸ばしたのを見て、悲鳴を上げそうになった。
(バカ! それはマズいでしょ! いくらなんでも!!)
歓迎の宴で主賓相手に決闘を挑む奴がいるか! と。
ちょっとしたいたずら心でけしかけただけなのに、想定外の方向に――しかもとてつもなく悪い方向に――事態が転がり始めている。
ルミアフィアは頭が痛くなってきた。自分が
そして、ゲルマディオスが得物に手を伸ばしたのを見て、ジルバギアスもまた応えるように腰の剣の柄に手を置いている!!
(やめて……! もうやめて……!!)
切実にそう願う。これ以上何かやらかす前に、ゲルマディオスには退場してもらいたい。今ならまだ間に合う。そうすれば自分の名前も、たぶん、きっと、出ずに済むから――
と、宴会場のみなの視線が、壇上のプラティフィア大公妃に集中した。
扇子で口元を隠しているが、何か喋ってるらしい。
(よかった! 止めてくれてるんだ……)
ニヤリと獰猛に笑ったジルバギアスが、人骨を変形・融合させて長大な槍となし、構えを取った。
その魔力が臨戦態勢に練り上げられているのを感じる。そしてあろうことか、ゲルマディオスも魔法の槍を展開し、【
(なんでよォ――!?)
今度こそ悲鳴を上げそうになった。プラティフィアが止めたのではなかったのか?
しかしよくよく見れば、扇子で口元を隠した大公妃の目は明らかに笑っていたし、隣の祖父ジジーヴァルトは完全に傍観モードに切り替わっていた。
つまりそういうことらしい。
果たして、奇妙な武器を振り上げて、王子が斬りかかった。
「……ッ」
ルミアフィアは、その踏み込みの速さに、そして込められた凄まじい剛力に思わず息を呑んだ。
剣槍と槍がかち合い、斬撃の圧に宴会場の窓がビリビリと震えていた。自分にまで衝撃波が飛んできた気がして、身をすくめてしまう。
「らァァァァ――ッッ!!」
凄絶な笑みを浮かべ、ジルバギアスは怒涛の連撃でゲルマディオスを攻め立てる。時折反撃を受けて体の各所を切り裂かれているが、血が流れ出しても痛がる素振りさえ見せず、むしろ徐々に加速して――
「うそ……」
あのゲルマディオスが――圧されている。圧され続けている。ルミアフィアは、実は訓練でゲルマディオスと手合わせをしたことがあった。
手も足も、出なかった。軽くいなされて、小突かれて、転がされて終わりだった。
鬱陶しくて気持ち悪い男だが、実力は確かなのだ。
敬愛するお
なのに、あの王子は――
ジルバギアスは――
王子の猛攻に耐えるゲルマディオスは、いつものキザっぽい笑みも吹き飛んで、額に汗を滲ませた必死の表情。
そのまま壁際まで追い詰められ――
何やら悔しげに顔を歪め、ゲルマディオスは一転、ばさりと【
そして不意をついて、【
が。
難なくそれを剣槍で受け流したジルバギアスは――
「――死ねァァァァァァッ!」
ひぃっ、と情けない声がルミアフィアの唇から漏れる。
背筋から頭までを這い上がる、『怖気』としか呼びようがないそれは――まだ戦場に出たことがないルミアフィアが、初めて触れた混じりけのない殺意。
(死ん、じゃう――)
ルミアフィアは膝から崩れ落ちそうになった。ゲルマディオスの首が容赦なく刎ね飛ばされる未来が見えたから――
が、実際はぴたりと剣先が止められ。
【
「い、……生きて、た……」
へなへなと尻もちをついてしまうルミアフィア。今さらのように、どっと冷や汗を流していた。自分の軽はずみで祝いの場で死人が出たりしたら――いくらゲルマディオスが鬱陶しいといっても、死を願うほどではない。
こんな……こんな大事にするつもりは、なかったのに……
しかしそこで幕引きとはならなかった。
「あっ」
剣先を添えられていたゲルマディオスの角が……
『――見給えよ、私のこの角を。実に洗練されたフォルムだと思わないかい? 毎日の手入れも欠かしてないんだ――』
鬱陶しく自画自賛していた、ご自慢の角の先端が……
ポロッと……
「…………」
唖然とするルミアフィアの視線の先で、ゲルマディオスは痙攣しながら泡を吹いて卒倒し。
ジルバギアスはバツが悪そうに肩をすくめて、我に返った周囲の面々が大慌てて駆け寄って――
宴会場は阿鼻叫喚の様相を呈していた。
「あ……あたし、こんな、こんなつもりじゃ……」
尻もちをついたまま、ずりずりと後ずさったルミアフィアは。
「……知らない、あたし知らない……!」
転がるようにして、その場から逃げ去った。
怪訝そうな使用人たちを気にする余裕もなく、自室のベッドに潜り込み、布団を頭からかぶって震えていた。
まさか王子が、ホントにあんなに強いなんて。
まさかゲルマディオスがあそこまで軽挙に出るなんて。
まさかその結果、あんな――あんな大事になるなんて。
これからゲルマディオスがどうなるのか、そして自分がどうなってしまうのか。
まったく予想がつかず、ただただ恐ろしくて――
ルミアフィアは、そのまま夜が明けても、不安で眠ることができなかった。
†††
――アルバーオーリル=レイジュは、オーリル家の長男だ。
オールバックにした灰色髪がトレードマーク。魔族にしては珍しく協調的なタイプで、口さがない者からは『軟弱者』などとバカにされているが、実力的にはそこそこで若手中堅といったところだ。
面倒見がよく横暴でもないので、目下の者や子どもたちからは、兄貴と呼ばれて慕われている。
「よっしお前ら、準備はいいか?」
「おうとも!」
「ばっちりだぜ兄貴!」
そしてこの日、幾多の苦難をともに乗り越えてきた弟分ふたりとともに、宴会場へジルバギアスに挨拶に来ていた。
族長より先に接触したため――そう、件の歓迎の横断幕だ――あの場は族長に怒鳴られつつうまいこと逃げ出したものの、家に帰ってから事情を聞きつけた
が、懲りずにこうして、再び顔を出している。ちょっと叱られた程度でへこたれるタマじゃない。オーリル家は男女揃って無駄にタフなのだ。
歓迎の宴に出席できるほどの身分じゃなかったので、食事と挨拶が一通り終わったであろう、終盤を見計らって会場に乗り込む。
「兄貴、いつにも増してオシャレですね!」
「へへん、だろ?」
弟分の称賛を浴びて、得意げに鼻の下をこするアルバーオーリル。普段着だと浮きそうな気がしたので、オヤジのクロゼットから一張羅をかっぱらってきたのだ。
「殿下に取り入って、俺たちも出世するぞ!」
「おーっ!」
「おーっ!」
そうして、3人で意気揚々と会場入りしたが――
一歩入って、驚いた。
乱闘騒ぎでもあったのかというレベルで、テーブルがめちゃくちゃに。
使用人たちが床に散乱した食器類の片付けに追われている。
列席している面々も、酒を酌み交わしながら、ボソボソとささやくように話し込んでいて、何やら異様な雰囲気だ――
「誰か喧嘩でもやらかしたんですかね」
「殿下の歓迎の宴で? フてぇ野郎がいたもんだぜ」
弟分のつぶやきに、思わず憤慨するアルバーオーリル。
「そんな調子に乗ってる奴がいたとは――いっちょ俺たちでシメてやらねえとな!」
「ですね!」
「おうとも!」
意気込む3人組の会話を、近くで小耳に挟んだ魔族が二度見したが、結局何も言わなかった。
そして、肝心のジルバギアスといえば――
壇上で見目麗しい色白な金髪の女に、舐め回されていた。
女っていうか、耳が長く尖ってるハイエルフ。しかも四肢がない。
「兄貴! アレってもしかして……」
「ああ……噂に聞くハイエルフのペットって奴だ!」
流石に若干引く3人組。
「やっぱ殿下、ハンパねーっすよ! あんなに人前で堂々と……」
「ああ……俺たちにはムリだな!」
とんでもねー御方だが、そんな御方の家来になろうというのだ。気を取り直して、ジルバギアスのもとに向かう。
それにしても、殿下の両隣のエイジヴァルトとジークヴァルトの顔が引き攣ってるし、大公妃と族長が何やら真面目に話し込んでいるし……どうしたのだろう?
(まあ歓迎の宴で騒動のひとつでもあったら、気まずいもんかな)
などと考えて。
「殿下! 先ほどは失礼いたしました。アルバーオーリル=レイジュです!」
またお前らか――という族長一家の視線は気にせず、膝を突いて挨拶する。
「おう、お前たちか。本当に挨拶に来るとは律儀だな」
苦笑しながら、それでも親しげに答えるジルバギアス。その膝の上で主人をペロペロしていたハイエルフが、「くぅん?」と小首をかしげたが、興味を失ったようにペロペロタイムに戻った。
(それにしても、……アレだな)
アルバーオーリルは少し、怪訝に思った。
先ほどと違って、ジルバギアスの服装がダメージ加工されたようなデザインのものに変わっている。
(斬新だな! あれが魔王城の流行りなんだろうか?)
しかし口には出さなかった。
「それで、俺の家来になりたいとか言ってたな」
ジルバギアスから言及してくれた。隣のエイジヴァルトがギョッとしたような顔をしているが、アルバーオーリルは嬉々として「はい!」と答えた。
「俺たち、きっとお役に立ちますので! 殿下の手足としてお使いください」
アルバーオーリルの言葉に、宴会場がにわかに静まり返った。
「うーむ……まあ、この場で即答はしづらい、な……」
ジルバギアスは少し考え込み、かたわらの次期族長ジークヴァルトに目を向けた。
「何人かは供が必要なわけですし。他に候補がいなければ、彼らでも構いませんかなジークヴァルト殿?」
「あ、ああ……もちろん、構わない。
ジークヴァルトはやや引き攣った笑顔で了承した。
(うおおっ)
(マジかよ!)
(こんなあっさり!)
内心、大喜びの3人組。
新進気鋭の一族の王子殿下。またとない出世のチャンスだ、家来になるべく若手が殺到するに違いなく、自分たちなんてお呼びじゃないとばかりに門前払いされると思っていたのに……!
「ただ、俺と手合わせして、実力は見させてもらうぞ」
「はい! もちろんです!!」
それも当然だろうな、と思ってハキハキと答えたアルバーオーリルを、会場の魔族たちが二度見した。
そのあと、手合わせの段取りなどを話し合ってから、アルバーオーリルたちはその場を辞した。
「やったぜ!」
「すっごい好感触でしたね、兄貴!」
「ツキが回ってきたかも!!」
3人組は大喜びで、仲良く肩を組んで帰路についた――
(それにしても、)
浮かれながら、アルバーオーリルはふと疑問に思った。
――なんで会場中のみなが、俺たちを憐れむような目で見てたんだろう?
その答えが明らかになるのは――もう少し先の話。
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