127.氏族と、家と
――ルミアフィア=レイジュは、家族に愛されて育った。
祖父にも両親にも、そしてほとんど歳が離れていない兄にも、それはもう目に入れても痛くないほど可愛がられている。
というのも、子どもができにくい魔族からすれば、長子エイジヴァルトの誕生からたった数年で産まれた長女は、望外の喜びだったのだ。
特に、兄エイジヴァルトは生まれつき責任感が強く、何かにつけて妹の面倒を見ていた。「おにぃ、おにぃ」と甘えて、いつもついて回っていたルミアフィアが、立派なお兄ちゃんっ子になってしまったのは当然の帰結だろう……
ただし。
ルミアフィアが甘やかされているのは、相応の理由あってのことだ。
『――俺は、割と厳しくされてるからさー』
ある日、槍の訓練上がりでボロボロなエイジヴァルトは、幼いルミアフィアを肩車しながら、ボヤくように言っていた。
『お前にはあんまり、苦労させたくないなー、って』
将来、一族を継ぐ立場にあるエイジヴァルトには、父も祖父も厳しく接していた。
レイジュ族は魔王国で数少ない治療術――転置呪の使い手として、武勇よりもまず治療の腕を求められがちだが、だからといって、族長一家が惰弱であっていいはずがない。
なので、エイジヴァルトは角が生える前から、槍を持たされていた。練習用の槍で動けなくなるまで叩きのめされるのは当たり前。泣いて嫌がっても寝床から引きずり出され、「その性根を叩き直してやる」とボコボコにされる。
その虐待じみた鍛錬のおかげで、エイジヴァルトは確かに『強く』なった。
しかし、だからこそ、可愛い妹まで同じような目に遭うのは、あまりにも気の毒だと思っていたらしい。
もっとも族長の子に求められる
『――あなたも、将来はどこかにお嫁さんに行かなきゃいけないからね』
幼いルミアフィアに最大の衝撃を与えたのは、ある日、母がポロッとこぼしたこの言葉だった。
『えっ? どこか、って、どこ?』
『……レイジュ族ではない、別の氏族のところよ』
母は穏やかに微笑んでいたが、どこか物憂げでもあった。
別の氏族のところ。
ルミアフィアは、それがどういう意味なのか、すぐには理解できなかったが――
住み慣れた家と、愛する家族から引き離されて、遠くへ独りで行かなければならないのだと知って、それはもう泣いて嫌がった。
『ヤだあああぁぁ! ずっとみんなと一緒にいるぅぅぅ!!』
ぐずるルミアフィアを抱きしめ、母は体を揺らしてあやしてくれたが。
慰めの言葉は、かけなかった。
――魔族は血によって強くなる。
血統魔法。父方と母方から、それぞれひとつずつ受け継ぐことができる独自の魔法は、上位魔族の『力』の源でもある。そしてこの場合の『血』とは、単なる血縁関係だけではなく、『氏族』という概念とも密接に関わっていた。
同じ氏族の者同士で子をなした場合、たとえ双方がそれぞれ他氏族の血統魔法を受け継いでいたとしても、なぜか自らの氏族の血統魔法――レイジュ族なら転置呪――しか受け継がせることができないのだ。
別々の、ふたつの血統魔法を同時に受け継がせるには、別の氏族から嫁なり婿なりを迎え入れなければならない。
だからエイジヴァルトは、将来族長を継ぐ者として、強い子をなすために別の氏族から嫁を迎えるだろう。
――では、ルミアフィアは?
レイジュ族ばかりが、もらってばかりというわけには当然いかない。受け取った分は、返さねばならない。
族長一家の娘として――ルミアフィアには、将来、よその氏族にその強い血を分け与える義務があるのだ。他でもない、ルミアフィアの母ように。
彼女もまた、他の氏族出身で、父ジークヴァルトに嫁入りしてきたのだから――。
『……これが役目なのよ』
ルミアフィアの頭を撫でながら、母はただそう言った。故郷を離れ、相手方の部族に単身乗り込まねばならない辛さも寂しさも、身にしみてわかっている。
だからこそ、滅多な慰めは言えなかったのだ。
それが決して避けられないことだと、わかっていたから――。
大人になったら、見ず知らずの男のところに嫁がされるというのは、ルミアフィアには恐怖でしかなかった。
ただでさえ家族以外には当たりが強かったのに、兄への依存と男嫌いが加速してしまったのには、そういう事情もある――
(やだなぁ……)
――邸宅の中庭。
歓迎の宴の喧騒を背に、拗ねたように唇を尖らせたルミアフィアは、ひとり木に寄りかかって夜空を見上げていた。
ルミアフィア=レイジュ、13歳。あと2年もすれば成人だ。成人して即嫁入り、なんてことにはならないだろうが――嫁ぎ先を厳選する必要があるため――それでも10年、20年も経てば、自分の居場所はこの家にはなくなっているだろう。
「…………」
もう、泣いて駄々をこねるほどには幼くない。嫌々ではあるが、仕方がないと受け入れている。……族長一家の娘でありながら、10年20年経っても嫁ぎ先が見つからないようでは、それはそれで腹立たしいではないか。
昔は、兄と結婚すればよそに行かなくて済む! なんて考えたりもしたが――血が濃くなりすぎる問題を除いても、血統魔法のことを考えればありえない選択肢であることはわかる。
兄が強い戦士であるように。
その子も、強くなければならないのだから。
「…………」
ちら、と再び、窓から宴会場を覗き見る。相変わらず兄は、末席で愛想笑いを浮かべていた。
兄は立派なヒトだ。だからこそ、レイジュ領で一番輝いていて欲しかった。
なのに……
「あンのクソガキ……!」
その隣、本来は兄が座っていた場所で、我が物顔でふんぞり返る王子。
若輩者のくせに、身分を笠に着て好き勝手して――気に食わない。
理屈では、頭ではあの王子の重要性はわかっている。このまま順当に王子が育っていけば、レイジュ族にどれだけの恩恵をもたらすかも。
だが、ただでさえ男嫌いで、男女のアレコレに嫌悪感を抱いているのに、大好きな兄まで蔑ろにされてしまえば、万が一にでも好意の抱きようがなかった。
「ぬぅ……」
しかし、だからといって何ができるわけでもなく、ルミアフィアがただただ爪を噛みながら睨んでいると。
「――ごきげんよう、ルミアフィア」
不意に、背後から猫なで声で名前を呼ばれた。
ぞわっ、と悪寒が走る。
振り返れば、アッシュグレーの長髪を夜風にたなびかせた男が立っていた。
「うわ……」
「『うわ』とはご挨拶だな。どうしたんだ、こんなところにひとりで」
苦笑しながら、やけに親しげに歩み寄ってくる魔族。
「ゲルマディオス……」
ルミアフィアは苦虫を潰したような顔で、男を拒絶するかのように、我が身を掻き抱いた。
――ゲルマディオス=レイジュ。
年齢は80歳前後で、槍の腕前も魔法の力量もなかなかと評判の男だ。
「……アンタこそ、なんでこんなトコに」
「うん? きみが外に出てくのを見てたから」
探しに来たんだよ、とにこやかにゲルマディオスは笑う。
(気持ち悪い……)
ルミアフィアは嫌悪感を抱いた。ゲルマディオスの目。ねっとりと舐めるような、心を見透かそうとするかのような目――そこに浮かぶ、にこやかさでコーティングされた下心を敏感に感じ取ったからだ。
別の氏族に嫁ぐのをルミアフィアが嫌がっている、と聞きつけて以来、この男は何かにつけて接触してくるようになった。
具体的に何を考えているかなど、吐き気を催すので想像もしたくないが、どうやらルミアフィアと
なぜか?
それは族長一族に返り咲くためだ。
この男――ゲルマディオスは、初代魔王時代の『元』族長の血を継いでいるのだ。
……さて、魔族は氏族社会を形成しているが、家という概念もある。
魔族は往々にして、父の名の一部を男子が受け継ぐことが多い。ジジーヴァルト、ジークヴァルト、エイジヴァルトといった具合に。
これを指して『家』あるいは『系譜』と呼ぶ。
たとえば、ジークヴァルトの子ルミアフィアなら『ヴァルト家』あるいは『ヴァルトの系譜』。ジルバギアスなら初代魔王ラオウギアスから続く『ギアスの系譜』。
――そして眼前のゲルマディオス=レイジュは、『ディオスの系譜』だ。
ディオス家は、かつてレイジュ族を束ねる立場にあった。しかし、初代魔王ラオウギアスが聖属性の傷に倒れた際、あまりの魔法抵抗で治療がままならなかった責任を負い、魔王崩御とともに当時の族長が殉死。
ディオス家に次いで力を持っていたヴァルト家が、レイジュ族の族長に成り代わったという歴史がある。
以来、代替わりしても、ヴァルト家が族長の座を継いでいた。実力は申し分なく、現魔王ゴルドギアスの王位継承戦でも、多大なる貢献が認められたからだ。
(ジジーヴァルトの父にして前族長ジドーヴァルトをはじめ、ジジーヴァルトの妻やプラティフィア大公妃の父など、ヴァルト家は多数の戦死者を出している。)
だが、そんな現状に、ディオス家はもちろん満足していない。族長の座を虎視眈々と狙っており、一族の重鎮たちへの働きかけやら手回しやらで、暇さえあれば積極的に動いている。
ヴァルト家としては鬱陶しいことこの上ないが、ディオス家が由緒正しいのもまた動かしがたい事実だ。
また、初代魔王が治療不可能だったのは仕方ないことであり、よその氏族から殺到したレイジュ族への非難は、言いがかりに近いものだった。それを、家長が殉死することで相殺したのはディオス家の功績。
『ケジメをつけて
ディオスの系譜はそう主張してやまないが、ヴァルト家としても、その自覚はあるためあまり強く出られない。
とはいえ、ヴァルト家もうまいことやっており、現魔王に多大な貢献をしつつ結果も出している。それを押しのけてまでディオス家が族長に返り咲く必要もない。
族長の座を巡る水面下の争いは、そんなわけで膠着している。
そしてそんな状況に一石を投じようとしているのが、このゲルマディオスという男なわけだ。
……その手段が、『ルミアフィアとの婚姻』というのは、悪手としか言いようがなかったが。
血統魔法の件があるので、族長を目指すならば、なおのことレイジュ族同士の婚姻はありえない。
よしんば関係を持ったとしても――吐き気を催す仮定だが――強い子をなすためには、別氏族からの嫁取りは不可避。
つまり、ルミアフィアはゲルマディオスの側室にしかなれないわけだ。そんなこと受け入れられるわけがない。
『――家族と一緒にいたいんだろう?』
などと、ゲルマディオスからは言われたことがあったが。
ふざけるな、と。
家族と離れ離れになるのは、もちろんイヤだ。
だがルミアフィアとしても、我慢して受け入れようとしているのだ。
小娘と見くびられた上、覚悟につばを吐きかけられたようで、甚だ不快だった。
第一、この男の話を受けるメリットが、ヴァルト家には欠片もない。どうにかこうにか気に入られようと、ゲルマディオスは贈り物を携えてきたり、何かと褒めたり、なだめすかしたりしてくるが、とにかく全てが気持ち悪いだけだった。
(オトコなんて、こんなのばっかり――)
ゲルマディオスが傍らで話しかけてくるが、言葉は全てルミアフィアの心を上滑りしていく。嘆息しながら視線を逸らすと、その先には――気に食わない王子の姿。
(……そうだ)
ふと、思いついた。
それはいたずら心にも似ていた。
どいつもこいつも気に食わないなら――
気に食わない者同士を、ぶつけてしまえ、と。
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