120.戦友と覚悟


 傷みかけのソーセージをエールで流し込み、バルバラは己の頑強な臓腑と、丈夫に産んでくれた両親への感謝の念を新たにした。


(――この冬は厳しくなりそうだねえ)


 窓の外、兵士たちの焚き火の明かりを眺めながら、胸の内でごちる。


 最前線の砦では、予想されていたような魔王軍の追撃は一切なく、勇者たちを除いた残存戦力の全てが撤退を完了した。


 重傷者のひとりさえ置いていかずに済んだのは、奇跡と言っていいだろう。


 だが――感が否めない。


 ぎり、とジョッキを握る手に力がこもる。バルバラからすれば、それは――情けをかけられたというよりも、自分たちの覚悟を弄ばれているようで、屈辱的だった。


 そして良いことばかりではない。治療はしたものの、すぐには戦線に復帰できない負傷兵たちが、逼迫したデフテロス王国に重くのしかかった。


 もともと豊かな国土を誇る農業国だったが、魔王軍の侵攻により収穫前の穀倉地帯の大部分が削り取られ、食糧事情は悪化。


 後背地たる東部の支援国からの輸送も滞っており――おそらく闇の輩のスパイや、協力者シンパたちの策謀だ――この冬は大量に餓死者が出るのではないかと、市井ではまことしやかに囁かれている。


 だが、その餓死者の中に、おそらく自分バルバラは含まれまい。


 貴重な精兵として、残り少ない食料を回されるだろう。それを好むと好まざるとにかかわらず。


 また、生き延びてしまった。そして今も生きるために食らっている。


 散っていった勇者たち、そして老師ドガジンの顔を思い浮かべながら――バルバラは自分が、ひどく場違いで、浅ましい存在であるように思えてならなかった。


「……どうした、神妙な顔をして」


 対面でエールをちびちびやっていたヘッセルが、どこか冗談めかして問う。


「……いや、良い奴から死んでいく、と思ってね」

「確かに」


 真面目くさってうなずくヘッセル。


「俺やお前みたいに、が生き残ったな」

「悪い奴とはまた御挨拶だね」


 テーブルの下、こつんとヘッセルの脛を蹴る。


「ははっ。……さ」


 痛がる素振りもなく、そう言ってヘッセルは目を逸らした。


「…………」


 しばし、ふたりそろって窓の外、夜空を眺める。


「……シャルはどうしてる?」


 不意にヘッセルが尋ねた。


「もうダメだよ、あの娘は。戦端が開く前にとっとと後方に送った方がいい」


 力なく首を振りながら、バルバラは椅子に背を預ける。


「けど、そう言っても、テコでも動かないだろうね」

「…………だろう、な」


 わかっていた、とばかりに嘆息するヘッセル。


 シャル――女神官のシャルロッテ。戻ってきた勇者の首に半狂乱になっていた彼女は、砦から撤退する頃には、魂が抜けた人形のようになっていた。


 しかし、3日ほどしてからは、寸暇を惜しんで負傷者たちの治療に奔走するようになった。


 ひとりでも多くの兵を癒やし、戦力を再編することが――魔王軍への最大の復讐になるとでも考えているようだった。


 本来、治療に携わる神官たちは戦場の救いの神としてありがたがられるものだが、シャルロッテの血走った目と尋常ならざる気迫には、屈強な兵士でさえ怯えて震え上がる始末だった。


「魔力と命が尽きるまで、治療をやめない……そう言っていたよ。魔力が尽きたら、杖を持って殴り込みに行く気だろうね、あれは……」


 あの目は、もう……それを覚悟しているようにしか、見えなかった。


 結局、決死隊でまともに弔うことができたのは勇者だけだ。シャルロッテの部屋には、勇者の遺灰の壺が大事に置かれていることを、バルバラは知っている。


「聖教会の連中って、みんなあんな感じだよなぁ……」


 ヘッセルは、グビとジョッキを傾けながら、どこか遠い目でぼやくように言う。


アタシら剣聖も大概だけど、ワケありな人ばっかりだからねえ」


 バルバラも、やるせなさを呑み下すようにエールを流し込む。……いつにも増して苦い。


「……なあ、バルバラ。強襲作戦って知ってるか」

「7年前の? 知ってるよ」



 公にはされていないが――聖教会と各種族の精鋭が、ホワイトドラゴンの協力を得て魔王城に殴り込んだらしい。



 文字通り決死隊だ。しかしこの英雄的行為が、なぜ公にされていないかというと、戦争が継続していることからわかるとおり、失敗に終わったからだ。



 せめて、魔王に手傷のひとつでも負わせていれば、華々しく戦果として公表されていたかもしれないが……



 実際は作戦直後、健在さをアピールするように、魔王本人が前線に出張ってきて、暴虐の限りを尽くしただけだった。



 今では強襲作戦の存在そのものが、公然の秘密と化している――



「俺の知り合いがアレに参加してよ。全部終わったあとに、聖教会経由で手紙が届いたんだわ」

「へぇ、奇遇だね。アタシもだよ」

「なんだお前もか。……まあお互い名持ちだからな、そういうこともあるか」


 ヘッセルは苦笑する。バルバラもヘッセルも二つ名持ちの剣聖だ。そして強襲作戦に参加したのは一角の人物ばかり。互いに知り合いがいてもおかしくなかった。


「まるで、ちょっとした旅行にでも出かけるような、軽いノリの手紙でよ。『行ってくるからじゃーな』、だとさ」

「ふふ。……アタシの知り合いも、そんな感じでさっぱりした手紙だった。『魔王の顔面をぶん殴って、このクソッタレな戦争を終わらせてくる』、ってさ……」


 どこか懐かしげな、それでいて憂いのある表情のバルバラをよそに。


 ヘッセルは、はたとエールのおかわりを注ぐ手を止めた。


「………………まさかとは思うんだが」


 椅子に座り直しながら。


「そいつの名前、『アレクサンドル』っていわねーか?」


 今度はバルバラが、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする番だった。


「……『不屈の聖炎』?」

「なんだ同じ奴かよ!」


 バルバラとヘッセルは顔を見合わせて、ブッと噴き出した。


 まさかこんな偶然があるとは。そしてヘッセルとはそこそこ付き合いがあるのに、今になってようやくわかるとは。


 無性に可笑しくて、可笑しくて……それでいて、一抹の寂しさと、ひとかけらの悲しみと。


 笑い声が、しんみりとした空気に溶けて消えていく。


戦友ダチだった」


 しおれかけのリンゴを、モソッとかじるヘッセル。


「北部戦線じゃしばらく肩を並べて戦ったよ。そのあとは、配置転換だ何だで、しばらく音信不通だったが。律儀な奴だ、最期に手紙をしたためるなんてさ」

「だねえ。アタシも故郷くにの戦じゃ、ずいぶんと世話になったよ。あんときゃまだ小娘だったからねえ」

「小娘? お前が? ……ちょっとピンとこねえな」

「どーゆー意味だい」


 ごつん、と強めにヘッセルの脛を蹴る。


「……ほんと、律儀で、おせっかいな男だったよ」


 痛みに顔をしかめるヘッセルから目を逸らし、テーブルに頬杖をつくバルバラ。


「底抜けに気軽な、さっぱりとした別れの挨拶でさ。そのくせ『どうせ使い途がないから』とか言って、金貨まで同封しちゃって……」

「は? 俺にはそんなもん入ってなかったぞ?」

「え?」


 再び顔を見合わせるバルバラとヘッセル。


「『魔王城に殴り込む、魔王ぶん殴って戦争を終わらせてくる、それじゃーな』って書いてあっただけなんだが……」

「…………アタシだけかいッ! 道理で、文末にとって付けたみたいに、『一足先に結婚祝いだ、いい相手を見つけろよ』なんて……あーッもう、あの男ったら!」


 何やら憤慨した様子で、壺からエールのおかわりを継ぎ足し始めるバルバラ。


「…………」


 しかし、ヘッセルは笑うでもなく、妙に真剣な顔をしていた。


「なあ、バルバラ」

「……どうしたのさ、改まって」

「お前、シャル連れて後方に引かねえか?」


 その問いに、バルバラはきりりとまなじりを吊り上げた。


「……今さら逃げろとでも?」

「逃げるとかじゃねえよ。でもさ……」


 ジョッキの中身を――エールに反射して写り込む自身を眺めながら、ヘッセルは。


「次は、やべえよ。生き残れねえ」


 強い視線が、バルバラを見据える。


「……お前みたいな良い女に、無駄死にしてほしくねえ」

「…………」


 ごん、と再び、ヘッセルの脛が蹴り飛ばされた。


「舐めんじゃないよ」


 ジョッキをテーブルに置いて、バルバラは静かに言う。


「アタシは、戦うためにここにいるんだ。アタシは――私は、剣聖であり、プロエ=レフシ連合王国、ダ=ローザ男爵家の一員として、祖国と元領民のため身命を賭し、戦う義務がある!」


 めらめらとその瞳が燃えている。


「たとえ亡国の騎士なれど、たとえ女の身なれど――私はこの剣を、この命を、祖国と人類のために捧げると決めたのだ! 我が覚悟を愚弄するは、何人なんぴとたりとも許さんぞ!」


 ヘッセルは息を呑んだ。眼前に座すのは、姉御と慕われる女剣士でも、女傑として名を馳せる剣聖でもなく――気高い亡国の貴族であった。


 その傷だらけのかんばせに、美しくも凛々しい表情に、ヘッセルは見惚れた――


 が、徐々に険を増すバルバラの目に、ハッと我に返った。


「……すまない。気分を害したこと、伏してお詫び申し上げる」


 ヘッセルは深々と頭を下げた。


「だが、……その覚悟を愚弄するつもりは、一切ござらん。貴公の覚悟のほどは存じ上げている。……その上で、その上で……」


 縋るような目で、ヘッセルは。


「……それでも、お前には死んでほしくないんだよ……」

「…………」


 消え入るような声に、バルバラもまなじりを下げた。


「……怒鳴って悪かったよ」


 バルバラは、小さく溜息をついて。


「でも、悪いけどアタシは退かないよ。それに死ぬつもりも毛頭ない」


 その目には、しっかりとした力と意志が宿っている。自暴自棄ではない。


「……小耳に挟んだけど、聖教会から援軍が来るんだってさ。早けりゃ1月後には」

「! そうなのか!」

「それに……あのクソ魔王子には、一発お返ししないと気が済まない。アンタこそ、シャキッとしな! 死ぬ気でことに当たるのと、最初から気持ちが死んでるのは、大違いなんだからね!」


 活を入れてくるバルバラに、もう、ヘッセルは苦笑するしかなかった。


「……そう、だな! 俺らしくもねえ! ちと気弱になっちまったぜ!」

「ははっ、そんなことじゃ笑われちまうよ。みんなに、ね」


 ――ふたりは顔を見合わせて、微笑んだ。


 どちらからともなく、ジョッキを掲げる。


「これまで散っていったみんなのために」

「我らが記念すべき、共通の戦友アレクサンドルのために」



 こつん、と乾杯した。



「「――ともに、戦おう」」

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