119.食事と展望


 その日、俺はプラティと夜食ランチを共にしていた。


 一緒に飯を食べるのは久々だな。プラティは高等医官的な立場で忙しいし、訓練の時間を合わせるのが精一杯で、母子の交流はかなり少ない。


 俺がフツーのガキだったら母恋しさに泣いてたぞ。


『そのときは我がお守りしてやるゆえ問題ない』


 俺がフツーのガキだったらお前とも出会ってないんですがそれは。


「なかなか美味しいわね」


 上品にナイフとフォークを操って、プラティが切り分けたムニエルを口に運ぶ。


 白身魚のムニエルだ。内陸の魔王城にあって海産物。それも傷んだり腐ったりした様子もなく、かなり新鮮で上等なものだった。


「美味しいですね。癖になります」


 俺もまた舌鼓を打つ。俺は内陸育ちで、前世でも各地を転戦しながら、数えるほどしか海には行ったことがないが、それでも海産物は好きだった。


 小麦をまぶしてカリッと焼き上げた身はホロホロと崩れ、バターと魚肉の脂の理想的調和を、きりりとレモン果汁が引き締める――まったくたまらねえぜ。


「気に入ったみたいね」


 モリモリ食べる俺に、プラティは微笑んだ。


「これ、ラズリエルからの贈り物よ」

「は?」


 あの、第1魔王子アイオギアスの母親から? 思わず食事の手を止めて、右人差し指の指輪を確認してしまう。毒検知と毒除けの守りが込められた魔法具だ。


「ふふ、大丈夫よ。毒味はさせたから」


 害はないわ、と笑いながらムニエルを口に運ぶプラティ。


 ま、まあプラティが平気で食べてるくらいだし……うん……


「なんでまた、あの女が? 母上とは――親交が深いようには見えませんでしたが」

「あなた、先日、第3魔王子ダイアギアスしていたでしょう?」


 プラティは少しばかりいたずらっぽい笑みを浮かべて。


「あなたが第2魔王子ルビーフィア派閥に取り込まれるのを、恐れていたみたい。探りを入れられたわ」

「あ、ああ……そういうことですか……」


 見方によっては密会とも取れるわけだしな……中身はアレだったが……


 うん……めちゃくちゃアレだったけど……。


 もちろん、内容についてはプラティに報告しており、改めて話すまでもない。食事中にするような話題でもないしな。


「お陰でこの食事にありつけたと思えば、甲斐があったというものです」

「そこまで気に入ったなら、取り寄せてもいいわね。そう思わせるだけ、ラズリエルの策略も侮れないのかしら?」

「商売でもさせたら、案外、優れた経営者になるかもしれませんね」

「っあっはっはっは! それは傑作ね」


 俺のコメントに、プラティは大ウケだった。


 皮肉じゃなくて、本気で商売上手だねって言ったつもりだったんだが……。


「今度、厭味を言われたら、そう言い返してやるわ。どんな顔をするか見ものね」


 構わねえけど俺の名前は出してくれるなよ。


 そのまましばらく、黙々と海の幸を堪能していると、「――それで」とプラティが再び口を開いた。




「そろそろ、あなたの出陣を考えているの」




 ――再び、俺の食事の手が止まった。




「もちろん今日明日の話ではないけれども」


 俺の顔色を観察しながら、プラティは平坦な口調で続ける。


「あなたも知っているでしょう。デフテロス王国はそろそろ落ちるわ」


 ……知っているとも。


 そろそろ、か。


 俺が魔王城強襲作戦に参加する前、最後に戦っていたのは、隣国のプロエ=レフシ連合王国の最前線だった。


 そのときは、デフテロス王国は後背地だった。だが俺が転生してすぐにプロエ=レフシ連合王国は滅び、デフテロス王国が『最前線』となった――


 しばらく北部と南部が活発化していて、東部戦線の動きは少なかったが、去年から今年にかけて大攻勢があり、デフテロス王国は一気に国土を削り取られた。


「来年、王都に魔王国旗が翻ることになるでしょうね。王都攻めは誉よ。あなたが参加すれば――それは華々しいとなるでしょう」


 艶然えんぜんと、プラティは俺を見つめる。……公式に首級ファラヴギを挙げている俺だが、対同盟の実戦経験は、まだない。


 王都攻め。ああ、そりゃあ華々しい実戦デビューになるだろうよ……!!


「腕が鳴りますね」


 俺は穏やかな呼吸を維持し、肩の力を抜きながら何食わぬ顔で言った。心臓の鼓動もそれにあわせて、落ち着いていく。


「ふふ。言葉の割には落ち着いているわね。普通の魔族の若者なら、もっと血気盛んになってるところよ」


 さすがだわ、などとプラティは満足げにうなずいた。


『この女の、ある種の能天気さには救われるところがあるの』


 う、うん……あと一族の連中、つまり普通の魔族から隔離されてたのも、いい方向に転んだかもな……


「ただ、ジルバギアス。対同盟戦ともなれば、これまでのように、夜エルフや獣人の側仕えだけというわけにはいかないわ」


 おっと、この食事会の本題がお目見えかな。


「この冬、レイジュ族の領地への里帰りを検討しているの。あなたも一族の者たちと顔合わせしないといけないわね。同時に、戦場であなたとともに戦う人員も、見繕う必要があるわ」


 いらねえ…………。


 心の底からいらねえ……そんな人員…………。


「普通は、同年代の者と組むんだけど……その、あなたの場合は同年代は子どもしかいないから……」

「俺も子どもなんですが?」

「ふふっ。――今のあなたなら、成人したばかりの血気盛んな若者程度には負けないでしょう」


『面白い冗談ね』みたいなノリで流してんじゃねーよ。


「にしても大丈夫ですかね。そんな歳上連中と俺が組んで」


 ヤケクソ気味にムニエルの残りを頬張りながら俺は言った。


「ふふふ。言っておくけど、魔法ありの模擬戦で私から1本取れる相手なんて、レイジュ族には族長を含めてほんの数人しかいないわ」


 ……むしろいるのか。そこに驚くわ。族長ってやっぱ強いんだな。


「そんな私と、寸止めもなしに、実戦さながらの訓練を積んでいるあなたなら。成人したばかりのひよっこなんて、赤子の手を捻るようなものでしょう。……もっとも、当人たちはそうは思わないでしょうから、きっと里帰りした直後は、若い衆からされるでしょうね」


 見ものだわ、とプラティは意地悪く笑っている。まーーーた、あの天然記念物アホみたいな一件があるのか?


 一族の者が相手となると、角を折るわけにもいかねえし面倒くせえな。


『いっそのことひとりを見せしめにして、『角折』のジルバギアスの名を確たるものにしたらどうじゃ?』


 魔王国の治療従事者たるレイジュ族をひとり潰せる、という点では、悪くない手ではあるけどな、それも……


 ちなみに『角折』は、あのアホの一件のせいで、俺のあだ名として定着しつつあるらしい。『ダイアギアスの再来』とどっちがマシかは議論が分かれるところ。


 しかしなぁ、俺より技量の劣る連中が、お付きの者になるのか……? 色んな意味で邪魔だな。ガチでいない方がマシだ。


「俺の魔法は周囲を巻き添えにするんで、独りの方が気楽なんですが」

「あれは……確かにそうかもしれないけれど」


 自身も幾度となく体験したを思い返したのか、プラティは顔を曇らせる。


「……あなたは、ダイアギアスに似ているわね。戦い方も……その、他にも色々」


 自分で言い出しておいて、微妙に気まずそうな顔すんのやめろよ。こっちもどうしたらいいかわかんねーだろうが。


 そしてやっぱり、ダイアギアスはお供連れてないんだな。まあお供が全員発情してたら、足手まといってレベルじゃねえし当然だが……。


「ただ、あなたの場合はさすがにそうも言ってられないのよ。一族の若者にも手柄を稼がせなきゃいけないんだから」

「そう、……ですか」


 クソッ、何が手柄だよ。そいつらのせいで何人が犠牲になることか……


「……彼らをは、保証しませんよ」


 俺はさも、「仕方がない」と言わんばかりの顔で、そう言った。


 確かに、そう、言っておいた。


「戦場に来るからには覚悟の上でしょう」


 プラティは言葉の上っ面だけを撫でて、こともなげにうなずいた。


「…………」


 それでも、やっぱり。


 犠牲は避けられないんだろうな。


 今から気が重い……俺はそんな内心を誤魔化すように、最後の一口、高級な魚料理を口に放り込んで、椅子に背を預けながら窓の外を眺めた。



 遠い――遠い、最前線までの道のりを、見通そうとするかのように――




          †††




 ――デフテロス王国、王都エヴァロティ。


 ここ数百年、大きな戦火には見舞われることのなかったこの国も、いよいよ命運が尽きようとしていた。


 交通の便をはかるため王都には城壁らしい城壁もなく、栄えた街並みに比して貧相な急ごしらえの土壁や防御陣地が、この国の窮状を端的に表している。


 ただ、仮にも王都だ。全く戦への備えがないわけではない。


 まるで衛星のように、王都を遠巻きに取り囲む堅固な砦がいくつもあった。それらは有事の際、有機的に連携し、外敵を一致団結して迎撃する――ことになっている。


 いずれにせよ、ないよりマシ程度のものではあったが。


 そしてそんな砦のひとつにて。


「今日という日に、乾杯」

「我らの明日と武勇に乾杯」


 木製のジョッキをこつんとぶつけて、エールを酌み交わすふたり。


「今日の晩飯は豪勢だな」

「いやーすごいねえ、よく残ってたもんだよ!」


 剣聖バルバラ、そしてヘッセルのふたりは、笑顔でテーブルを見下ろした。



 ――しおれかけたリンゴ、カビの生えたチーズ、変色したソーセージ。



 それと白湯のような麦粥。


「運が良かった。まさか肉が食えるとはな」


 壁に大剣を立て掛けて、完全にリラックスしたヘッセルは、ソーセージをひょいと口に放り込む。


「ン…………まぁ、まだイケる」

「食えるだけ贅沢なこったよ」


 一瞬、硬直したヘッセルに対し、バルバラは気にする風もなく、豪快にソーセージを噛み千切って「美味い!」と言い切った。




 ……最前線の砦から撤退を完了し。




 ふたりは、再編された防衛戦力の最精鋭として、いつ来るとも知れぬ魔王軍に備えて、砦に詰めているのだった。



――――――――――――

明日はバルバラ視点。

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