117.彼女の想い


 生きてたころの記憶は、そのほとんどが苦しみで彩られている。


 きっとあたしの人生には、嬉しいことや楽しいこともいっぱいあったはずだけど。


 それらを全部、真っ黒に塗り潰してしまうくらいに、


 痛くて、苦しくて、悲しくて、悔しくて、辛くて、惨めで――


 早々に死ねたら楽だった。でも死ねなかった。あたしは嬲り者にされた。家畜にされた。


 手足の腱を切られて逃げられないようにされて、残飯みたいな食事を無理やり詰め込められて、それから――心と体をヤスリがけするみたいに、がりがり削って、何度も何度も、望まぬ命を産まさせられた。


 最後にはボロきれみたいになって、あたしは衰弱して死んだ。


 結局、神さまは助けてくれなかったな。何度も何度も死ぬほど願ったのに。


 死んで楽になるかと思ったら、そんなことはなくて、あたしは果てのないどす黒い海で溺れながら世界を呪い続けた。


 悪い夢にうなされてたみたいで、よく覚えてないんだけど。


 そんなとき、手を差し伸べてくれたのが――お師匠様だ。



『やあ、ずいぶん酷い目に遭ったみたいだね――



『どうだい。ボクと一緒に、こんな苦しみの連鎖は終わらせないかい?』



 ……正直、お師匠の思想はイカれてると思う。


 死後の世界がなくて、無意味な生まれ変わりがイヤだからって……世界そのものを滅ぼしちゃおうだなんて、普通考える?


 イタズラ好きのあたしだって、そんなこと思いつきもしなかったわよ。頭おかしいでしょ。いやまあお師匠は頭おかしいんだけど。


 あたしはその手を取った。他に選択肢なんてなかった。


 あのまま終わるなんてまっぴらだったし、苦しみから逃れられるなら何だってよかったし。


 生まれ変わり云々は正直どうでもいいけど、ただ、それの繰り返しに意味があるとも、もはや思えなくなっていた。


 その程度には、あたしはに憂いていたんだ。


 何より、どんなに祈っても願っても、知らんぷりを決め込む偉そうな神さまなんかより、実際に助けてくれたお師匠様の方がよっぽどありがたい存在だったわ。




 あのまま終わるなんてありえない。




 全生物を滅ぼすってことは、復讐もできるんでしょ。




 ならやるわ。なんだってやる。




 あたしが憎むもの、全部ブチ殺してやる……!!




 それで、死霊王リッチ見習いとして蘇った。


 案外、快適だったわ。魔力さえあれば活動できるってのは楽なもんね。


 食事も睡眠も必要ない。寝ないで済むってのは正直助かるわ。絶対に、悪夢にうなされる自信があるもの。そんなのまっぴらごめんよ。


 アンデッドになって、あたしは明らかに、生前のあたしではなくなった。


 霊界で失われた記憶や理性諸々を、魔力で補ってるからなんでしょうけど。考え方がちょっとドライになったわ。


 すべてが割とどうでもよくなった、とも言えるかもしれない。


 にしても、あたしってば闇属性持ちだったのね。魔力の判定なんてしたことなかったから知らなかったけど。


 そうしてお師匠から死霊術のあれこれを習って――不思議なもんよ、まさかあたしが魔王城の地下で暮らすことになるなんて、思いもしなかった。


 人生、何があるかわかったもんじゃないわ。


 あたしはもう人じゃないけど。あはは。


 死霊術のお勉強は楽しかった。まずうろ覚えだった文字を復習するところから始めなきゃいけなかったけど。学ぶうちに、お師匠がイカれてるってこともよくわかったきたし、ガンガン人の死体も間近で見た。


 正直、ねえ。お師匠の思想を受け入れたとはいえ、内心はちょっと複雑よ。


 だって元はヒトなんだもん。




 だから。




「何とも思わないのか。同じ人族が、魔族に殺されて」


 並べられた剣聖たちの遺体を見やって、ジルバギアスが言ったとき。


「――お前もまた、魔王軍の犠牲者だろうに」


 は?


 と、反射的にカチンと来たあたしは、元人族としてはきっと正常だ。


 何とも思わないのか、ですって?


『何とも思わない』わけないでしょ、お師匠じゃあるまいし。


 アホなの? 誰のせいであたしがこうなったと思ってんのよ。


 あんたら……魔族のせいでしょうがァ――ッ!!


 それなのに、まるであたしの心を見透かしている、とでも言いたげな顔をして! 


 ぬくぬくと王子様育ちのあんたに、何がわかるってのよ!! っていうか、あたしにどうしろっていうの!? 剣聖たちの死を悼んで神妙な顔をしろとでも? 魔族の王子の前で? バカじゃないの?


 お生憎様ね、そもそもそんな表情、用意してないわよ――


 それより、今どんな顔すりゃいいのかわかんなくて、あたしは表情を消した。


 ……どう答えたもんかしら。


「まー、どのみち人族は滅びるわけだし?」


 敢えて笑顔で、おどけたふうに言った。


「なら、苦しみが少なく済んでよかったんじゃない。どのみち遅かれ早かれよ」


 肩をすくめてみせながら、どこか投げやりに――


 この口調は演技じゃない。


 人類の未来については、諦めてるの。お師匠は、やるといったらやる女だし。そもそも同盟軍に勝ち目なさそうだし。


 あたしが味方になりたくても、アンデッドになっちゃったら、ねえ。聖教会は容赦なく討滅しにくるでしょうし……


 あーやだやだ、黄泉帰ってまで己の無力なんて嘆きたくなーい。


「…………」


 あたしの答えに、ジルバギアスは閉口していた。自分がどれだけ無神経な問いを発したか、遅れて気づいたのかしら? まるでママに叱られた子どもみたいな顔してるわ、情けないヤツー。


 角さえなければ、可愛いんだけどね。


 さっきみたいに。弱っちい感じなら。


 ……あのまま、あたしが衝動的に首を捻り潰してたら。


 どうなってたのかしらねー。


 理性的だったあたしに感謝してほしいわ。今はね。


「そう、か」


 表情を消して、ジルバギアスはあたしに背を向けた。


「つまらないことを聞いたな」


 ほんとよ、口を開く前にもっと考えてちょうだい。


「……エンマは、無駄に苦しめるの好きじゃないと言っていたが、俺も同感だ。俺が連中と戦うときは、せめて楽に死なせてやろうと思っている」

「へー……優しいんだね」


 ほんっと、お優しいこと。クッサイ偽善で吐き気がするわ。


「あたしも、やっぱり元同族だから気を遣うよ。ゴブリンは別だけど」


 あいつらは全員、生まれたことを後悔させるって心に決めてるの。


「…………」


 何とも言えない顔であたしを見るジルバギアス。何よ。言いたいことがあるなら言いなさいよ。そんな痛ましげな目で見られるほど、あたしには失うものなんて残ってないわ。


 そう、残ってない。


 人族はきっとこのまま、魔王軍に攻め滅ぼされる。


 でもね、だからって消えてなくなるわけじゃないの。


 どんな形であれ、になる。


 そしたら――次はあんたたちの番よ。


 あたしたちは、楽しく魔王国を滅ぼすの。


 ……さすがに魔王国どころか、全生物を滅ぼすってのはどうかと思うけど。


 あたし花とか鳥とか好きだし。でも仕方ないわよね。


 あたしにとって、お師匠は神さまみたいなもの。


 魔王に負けず劣らず、あのヒトも大概バケモンだし……


 あたしじゃどうにもならないのよねー。




 死霊術は楽しいけど、限界も知ったわ。




 使えるようになってすぐ、お父さんとお母さんを呼び出そうとした。


 でも、ダメだった。もう魂の輪郭が残ってないんだって。


 むかーし仲良しだった、幼馴染のアレクってヤツも呼び出してみたけど。


 こっちもダメだったわ。


 もうみんな、残ってないのね。


 もしも死後の世界があったら、また会えたかもしれないのに……


 でもそうしてみると、やっぱ生まれ変わりなんてクソだわ。


 生前の、あたしが会いたい人たちには、


 ああ、たぶん、それがわかったときだ。


 全てが、なんかもうどうでもよくなってきちゃったのは。


 こんなつまらない世界、滅びちゃえ。


 ……いえ。


 どうせなら、面白おかしく!


 みんなで終わっちゃいましょう!


 魔王国だって楽しく滅ぼしちゃう!


 あたしは昔っから、そうやって何にでも楽しみを見出してきたの!


 あはははははは!!




 ……ねえ、王子様。




 お師匠様はあなたのこと気に入ってるみたい。




 どうにかして、仲間に引き入れたいみたいだけど――




 でも、あたしには、あんたがこっちになびくようには思えないの。




 そしたらお師匠様はどうするかしら。あんたのこと諦めちゃうかな? 




 それともお人形にするのかしら?




 もしも、お師匠様が興味を失うようだったら――




 あたしが姉弟子として、あんたを終わらせてあげる。




 そして、思い知らせてあげるわ。




 ……あたしたちがどれだけ、苦しんだかを、ね。




 ああ、その日が来るのが楽しみだわ。




 ね! 

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