104.軽い後始末


 エルフ魔導師を背負い、ドガジンは森の中を疾走していた。


 たとえ魔法の加護を失おうとも、拳聖の身体能力は健在だ。細身のエルフぐらい何の苦にもならない――


 はずだが。


 風のように駆ける老獣人の顔は、まるで巨大な石塊でも抱えているかのように、苦しげに、そして悔しげに歪められていた。


「私は……捨て置けッ、足手まといだ……!」


 激しく揺られて舌を噛みそうになりながら、背中のエルフ魔導師があえぐようにして言う。


「そうはいかん」


 ドガジンは言葉少なに答え、ギュッと一瞬、強く目を瞑ってから、いつもの飄々とした態度を取り戻した。


「ワシは魔法には明るくないが、あの魔王子に何かしらされたんじゃろ?」

「……ああ」

「魔王子の情報は貴重。ここは生き恥を晒してでも、逃げるべきだと思っての」


 ――本音を言えば。


 死ぬまで暴れ回りたかった。剣聖たちが散っていくのを尻目に、倒れた勇者さえも見捨てて、おめおめ逃げ帰るなどあまりに面目が立たない。


 だが――悔しいが、魔法の加護を失った自分では、魔族に挑んでも数秒ともたないだろう。ひとりくらいは道連れにできるかもしれないが、それだけだ。


 ならば。


 今後に活かすため、少しでも情報を持ち帰った方がいい。


 臆病者と後ろ指を指されることになろうとも――無為に命を散らすよりは、ずっといい。


 それに、犬獣人の拳聖も、ドガジンと反対方向に一拍置いてから逃げ出した。おそらくエルフ魔導師を逃がすために囮を買って出たのだ――彼の犠牲も無駄にするわけにはいかなかった。


「……ッ」


 ぎりっ、とドガジンは牙を食いしばる。いつもの調子に戻ったつもりだったが、気を抜けば、怒りとやるせなさで頭がどうにかなってしまいそうだ。


(口惜しい……ッ! なぜ我らは……のか……ッ!!)


 武を極め、物の理さえ超越した達人が、己の無力を嘆く。



 ――魔力の、無さを。



 どれほど鍛えようと。どれほど技を身に着けようと。


 魔族が一言、二言つぶやくだけで、呆気なく命を奪われてしまう。


 まるで、子どもが戯れに虫けらを踏み潰すように。


 努力を、覚悟を、武人の魂を、踏みにじられる――!


「私を、置いていけ……探知される危険性がある……」


 ぐったりと力を失ったエルフ魔導師は、ただ言葉を紡ぐのさえ苦しそうだった。


「代わりにお前に、言伝を頼みたい……推測まじりだが、魔王子の情報だ……」

「記憶力には自信がないがの、聞こう」

「あの王子は風魔法使いだ……条件はわからんが、精霊の加護をすり抜けて、相手の魔法力を奪うような呪いを使うらしい……奪われる前に、耳元でささやかれたような感覚が――」


 ドガジンは一言一句聞き逃すまいと、全身全霊を込めて耳を傾けていたが――



 ぞわっ、と。



 空気が異様な気配を孕んだ。



「……まずい、逃げろ!」



 エルフ魔導師が息を呑み、



「【細切れアネモス・に散れトゥロヴィロス】」



 あの、魔王子エメルギアスの声が響き渡った。



 同時に空気が爆ぜる。何百という風の刃の嵐が吹き荒れる。



 背中のエルフ魔導師が、赤黒いボロきれになって即死した。



 当然、ドガジンもタダでは済まされない。エルフ魔導師が盾代わりとなって、辛うじて生きながらえたが――


「ガッ……ぐっ、ご、ほっ……」


 裏を返せば、即死できなかった。全身、骨が見えるほどに散々に引き裂かれ、血を吐きながら倒れ伏す。まるで羽のように感じられたエルフ魔導師の肉体が、今はただただ、鉄のように重い。


(ここで……死ぬわけには……!)


 いかない。皆の死を無為にしないためにも。


 自分は這いずってでも逃げ延び、せめて魔王子の情報を伝えねば――死ぬのはそれからでもいい……!!


 根性で立ち上がろうとしたが、しかし、足がぴくりとも動かないことに気づく。


 ――風の刃の乱斬りにより、かかとの腱が切断されていた。


 いくら――物の理を超越した達人といえども、体が動かないことには――もう――どうしようも――


「な、ぜ……!!」


 毛皮が半ば剥がれ血まみれの腕を動かし、それでも這いずって行こうとしながら、ドガジンは血の涙を流していた。


「なぜ……我らは……こうも、弱いのだ……!!」


 こんな死に方はしたくない。


 名誉ある戦いの果てに討ち取られるならばまだしも。


 逃げようとしたところを――背中に魔法を打ち込まれ、手も足も出ずに、無駄死にするなど――


 これが、武を極めようと心血注いだ戦士の末路か。


 なぜこのようなことが、許されるのだ……!


「神よ……!! なぜ、……我らに、もっと力を……!!」


 カッと目を見開いて、木漏れ日に手を伸ばしたドガジンは――



 そのまま、ふっと力を失って、突っ伏した。



 全身裂傷による失血。



 それが、老拳聖の最期だった。



             †††



「ん、死んだか」


 一方その頃。


 本陣で槍に寄りかかってのんびり構えていたエメルギアスは、エルフ魔導師の死を感じ取っていた。


 


 奪い取った力も、まるで蒸発するように消えていく。



『羨望』のエメルギアス。



 それがエメルギアスの呼び名だ。『色情狂』もとい『恋多き』ダイアギアスのように、半ば揶揄する色がある。エメルギアスが常に不平不満を隠さないからだ。


 だが、その真の意味を知る者は、意外と少ない。


 エメルギアスが本契約しているのは、嫉妬の悪魔ジーリア。権能については、説明不要だろう。他者を妬み嫉むことにより力を得る。


 だが、そんなジーリアがもたらす魔法には、一癖も二癖もあった。


 気が狂わんばかりの嫉妬に駆られ、心の底から望むことにより――傷をつけた対象から力を奪い取る。


 それがジーリアの魔法。


 奪うといっても、完全にではない。どれほど焦がれようとも、望んだそのままは手に入らない。


 、さらにもどかしさを掻き立てられる。


 嫉妬の炎は勢いを増し、力をもたらす。相手が抵抗しようが、ほんの僅かでも力を奪い取れば、エメルギアスは強化され、相手は弱体化される。相手の抵抗は弱まり、さらに力を奪いやすくなり、やがて丸裸にされていく――


 じわじわと、蛇が獲物を絞め殺すようなやり口だ。


 しかし、敵から力を『盗む』というのが魔族としての体裁上、非常によろしくないため、魔法の本質を知るのは身内のごく一部で、対外的には『凶悪な弱体化の魔法』ということにされている。


 その説明で、問題ないのだ。


 なぜなら対象が死ねば、力の源泉も失われ、奪ったものも消えてしまうから。卑劣な手段で奪い取っても、結局は身につかない――その過程で、多少は得られるものもあるとはいえ。


(あの魔導師は逃がしても良かったんだが、世間体ってのは厄介なもんだ)


 胸の内、エメルギアスはごちる。生きている限り力を供給してくれる、あのエルフは見逃してもよかったのだが、襲撃犯におめおめと逃げられたとあっては王子の面目に関わる。


 だから、嫌々ながら始末せざるを得なかった――一緒に逃げた拳聖も魔法で巻き込めただろう。もうひとり、別方向に逃げた拳聖は部下たちが追っているところだ。


「【――殿下】」


 と、耳元で声。


「【黒犬を捕捉しました。現在追尾中】」


 姿は見えない。しかし森の方から、妙に響く『声』。


「【よし。そのまま討ち取れ。油断するなよ】」


 エメルギアスもまた、妙に響く声で答えた。


「【承知】」


 短く返事が戻ってくる。



 これは、イザニス族の血統魔法だ。



 その名も【伝声呪】。読んで字のごとく、声を伝える魔法だ。イザニス族の得意とする風の魔法と特に相性がいい。


 戦場においては、離れた味方にも瞬時の声が届けられる。血族同士であれば、血の繋がりをたどることで、移動中であっても正確なやり取りが可能だ。(あくまで声をだけなので、互いが互いに発声する形だが)


 優れた戦術家を輩出するイザニス族を、古来より支えてきた汎用性の高い血統魔法だ。しかし、いかんせん地味なこともあり、一般魔族には「使い走りのような力」と軽視されがちでもある。


 魔王をはじめとした高位魔族や、夜エルフたちには高く評価されているのだが。


 ともあれ、この【伝声呪】の最大の特徴は、ただの声を飛ばすわけではなく、声に魔力の輪郭を与えている点にある。


 風に乗せて、届けられるのだ。


 魔力のこもった声――すなわち唱えた呪文そのものを。


 通常、呪いや攻撃魔法の射程は50歩ほどだ。術者から放たれた魔法は、世界に偏在する他の魔法や魔力の影響を受け、どんどん変質し、減衰してしまう。


 だが、伝声呪は、声の魔力を非常に強固なものとする。輪郭を与えられた呪文は、他要素の影響を受けにくい。


 結果として、たとえば風の刃の魔法を、視界の果てまで飛ばすような芸当も可能になるわけだ。夜エルフの弓さえ遥かに上回る、超長距離攻撃。


 ただ、格上には、届いた呪文こえが発動しても結局無効化されがちだし、かといって格下相手に使うと「弱気な」「腰抜け」「惰弱」などと笑われてしまうことから、イマイチ活躍の場が少ない。


 エメルギアスは嫉妬の魔法のダメ押しにうまいこと応用できているが、他イザニス族は、本来の伝令的な使い方や、逃げる敵へのトドメ、小動物や鳥の狩りなどに細々と活用しているらしい……。




「……殿下。情報を抜き出して参りました」


 と、遮光フードをかぶった夜エルフの猟兵が声をかけてきた。


「血、ついてるぞ」


 その顔を一瞥したエメルギアスは、自分の頬をトントンとつついてみせる。


「おっと、これは失礼」


 頬に返り血が飛んでいることに気づき、服の袖で拭い去る夜エルフ。


「それで?」

「ハッ。こちらが把握している以上のことは、特に何も。なかなか強情な奴でしたので、最終的には投薬で済ませました。ちょろいもんです」


 ニチャリと意地の悪い笑みを浮かべる。


「ただ、話によれば砦の戦力が撤退を開始しているとか。連中は、我らの目を逸らす陽動も兼ねていたようです」

「ほーう。無駄死にご苦労としか言いようがないな」


 夜エルフと鏡写しのような、陰湿な笑みを浮かべるエメルギアス。


「若。いかがします?」


 そばで控えていた緑髪の女魔族――エメルギアスの直属の部下だ――が、生真面目に尋ねてきた。


「捨て置け。これ以上の侵攻は許されていない。あの砦が確保できればそれでいい」


 エメルギアスはつまらなさそうに、肩をすくめて答える。



 ――あの砦を突破すれば、ほぼ平野が続き、デフテロス王国の首都まで一直線だ。



 この国は、まだ滅ぶべきではない。周辺国への影響が大きすぎて、同盟が傾きかねないからだ。ここは敢えて放置して、力を蓄えさせるべき。



 そう、魔王軍の侵攻は、昨日で最後だったのだ。



「まったく犬死だ。せっかく逃げるなら、そのまま生かしてやるつもりだったのに」


 次なる戦のために。デフテロス王国には、もうちょっとだけ、踏ん張って貰う必要がある。


「まあ、戦功のにはちょうどよかった。お前たちもそうだろう?」


 おどけたように問いかけるエメルギアスに、周囲の魔族や夜エルフたちもニヤニヤと笑い、同調してうなずいている。


「それで、その勇者は?」

「一応、まだ生きております。ただクスリが効きすぎたのか、壊れたように『帰る、みんなのところに帰る』としか言わなくなってしまいました」

「ほーう、そうか」


 聞いたはいいが、あまり興味がなさそうだったエメルギアスは、ここに来て「いいことを思いついた」とばかりにニヤリと笑みを浮かべた。


「……そうだな。それなら本人の希望通り」


 底意地の悪い笑顔を。


「帰してやるとするか」




           †††




 ――砦から、人族の列が吐き出されていく。


 多くは負傷兵だ。互いに肩を貸し、あるいは軽傷者が重傷者を背負い、できる限りの早足で撤退していく。


 砦の前面。


 剣聖『一角獣』バルバラは居残り組の剣聖ヘッセル、そして女神官のシャルロッテとともに、緊張の面持ちでそれを見守っていた。


「……静かだね」


 乾いた唇をぺろりと舐めて、バルバラはつぶやく。


 周囲には、完全武装の神官たちも控えており、魔王軍の追撃にいつでも対応できる構えだった。……が、当初の予想を裏切り、獣人やオーガの昼行軍はゆるい半包囲網を維持するのみで、まったく動かなかった。


「……が、うまくやってくれたのでしょうか」


 疲労も色濃い女神官シャルロッテがバルバラの独り言に答えた。半ば祈るようにして杖を握りしめながら、勇者たちが消えていった森を見つめている――


「ひょっとすると、魔王子が討ち取られて大騒ぎなのかもな?」


 場の空気をほぐそうとしたか、ヘッセルが大剣でトントンと肩を叩きながら、軽い調子で言う。


「だとしたら、そろそろひょっこり顔を出すなんてことも――」


 微笑んでヘッセルの軽口を聞いていたバルバラだが、不意に、背筋に冷たいものが走った。



 それは勘としか言いようがない。



 戦場で何度も助けられてきた直感。



 命が危ういときに感じるそれを。



 バッ、と弾かれたように森を見やれば、視界の果ての果て、砂粒のような点。



 ひゅぅん、と森から何かが、弧を描いてこちらへ――



「危ない!」


 シャルロッテを突き飛ばし、バルバラは剣を振るった。


 それは魔族の槍だった。


 空中で切り捨てる。ガキィンッとどこまでも耳障りな音。


 そして、と転がった穂先には――何かが刺さっていた。



 何かが……いや、それは……ひと目ですぐにわかった、だが……



 理解、したくなかった……



「あ……あぁ、ああ……!!」



 シャルロッテが目を見開いて、ハッ、ハッと短く肩で息をしている。足元に転がってきた、から、目が離せない。



 半ばへしゃげた、勇者の首から――



「いや……イヤッ、いやあああああああ――ッッ!」



 絶叫を振り絞るシャルロッテ。



「【惰弱なる同盟の諸君!】」



 しかしその悲鳴を、不意にざらつく声がかき消した。


「ッ誰だ!?」


 声あれど姿見えず。ヘッセルもバルバラも臨戦態勢で構えたが――


「【我が名はエメルギアス。第4魔王子エメルギアス=イザニスなり】」


 その声は、どうやら切り捨てられた槍本体から響いていた。


「【我が陣に迂闊にも迷い込んだ人族がいたため、この通りお返しするぞ。ずいぶんと帰りたがっていたようだからなァ】」

「貴、様ァ――ッ!」


 ヘッセルが激昂するが、声は変わらず。


「【同盟の人族どもよ、身の程を知れ。貴様らは勝てない。お前たち全員が無駄死にするのだ】」


 ヘラヘラとどこまでも軽薄に、嘲笑う調子で。


「【せいぜい尻尾を巻いて逃げ帰り、次なる侵攻に備えるがよい! そこそこ歯応えのあるお前たちと、再び戦場で相見える日を楽しみにしているぞ。我が首級がどれほど増えるか、今から待ち遠しいわ! ハッハッハッハッハ――】」



 バルバラは、槍本体に剣を突き込んだ。



 正確無比な刺突が槍の柄を粉砕する。



 だが魔法は傷つかず、いつまでも耳障りな笑い声が――



 勇者の頭を抱きかかえて泣きわめく女神官。



 剣を振り上げ、「クソがァ――ッ!」と吠えるヘッセル。



 バルバラは剣を握り締め、わなわなと震えることしかできなかった。



 怒りのあまりに。憎しみのあまりに。



 ……何もできなかった、己の無力さのあまりに。


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