103.第4魔王子


「殿下!」


 緑髪の魔族の背後から、続々と、新手の魔族たちが現れる。


 完全武装。統率の取れた動き。そして、王子には見劣りするとはいえ、それぞれが強い魔力の持ち主だ。


(――クソ、精鋭か!)


 顔の傷を手で押さえながら、エルフ魔導師は表情を険しくする。寝間着姿で及び腰だった雑兵魔族たちと違い、こちらは手強い。


「我らで抑える。他は退け!」


 エメルギアスの傍らについた魔族の女戦士が、よく通る声で言った。彼女もまた緑髪――おそらく王子の一族。


 下された『命令』により、これ幸いと雑兵たちが距離を取る。いくら剣聖がおっかなくとも、体裁上、逃げ出すわけにはいかなかったが、『命令』なら仕方ない――


 代わりに進み出た魔族の精鋭たちは、王子を中心に構え、槍を突き出す。


(……だが、これは千載一遇の好機だ!)


 一方で、勇者は己を奮い立たせていた。考えようによっては、討伐目標ターゲットが自ら姿を現したのだ――


 探す手間が、省けた。


「――――」


 一瞬、全員で目配せして――


「【聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ この手に来たれスト・ヒェリ・モ】!」


 力を温存していた勇者は、ここに全てを賭ける。


「【英雄アイギア・の聖鎧アルマトゥラス】ッ!!」


 味方全員に強い加護を。


 光の衣をまとった拳聖、剣聖たちが、四肢に力をみなぎらせ。


 一斉に斬りかからんと――


「ハッ。無駄なあがきを」


 しかし魔王子エメルギアスは動じることなく、むしろ嘲るような態度で。


「【我こそは第4魔王子、エメルギアス=イザニス!】」


 人族にもはっきりと感じ取れるほど、強烈な魔力を一瞬で練り上げた。



「――【風化せよアポサルスロスィ】」



 風が、吹き寄せる。



 向こう側が歪んで見えるほど魔力を含んだ風に、流石の勇者たちも踏み込むのをためらった。



「【風の精霊よ!!】」


 すかさずエルフ魔導師は祈り、清浄なる風をぶつけて呪いを相殺する。……いや、相殺というより、これは、


(浄化の力を!)


 エルフ魔導師は背筋が粟立つのを感じた。辛うじて無効化できたが、凄まじい解呪の呪文だ。


 あれに勇者たちが晒されたらどうなるか、聖属性や魔除けのまじないが一瞬で消し去られ、呪術的に丸裸にされてしまうだろう。


 そうなれば、魔法に対して赤子同然に脆くなる。


 魔導師たる自分がしっかりしなければ、彼らは全滅する――!


「なるほど。やはりお前がかなめか」


 ニヤリと意地悪な笑みを浮かべ、エメルギアスがこちらに目を向けてきた。


「――闇の輩に死を!!」


 嫌な流れを感じ取ったか、勇者が叫び、剣から聖なる炎を放つ。


 眩い銀の爆炎が魔族たちを襲う――当然、何らかの防護魔法で弾かれたが、視界を一瞬塗り潰した。


 それを合図に剣聖たちが突撃。もはや魔法を受けるのも覚悟の上だ。何人かが迎撃され、犠牲になったとしても、ここで魔王子を討ち取る――


「【風化せよアポサルスロスィ】」

「【清浄なる風よ!】」


 再び飛んでくる魔王子の解呪、負けじと対抗するエルフ魔導師。強大な魔力が渦巻き、せめぎ合い、消滅していく。


 エルフ魔導師がいる限り、剣聖たちにエメルギアスの魔法は届かない。だがそれは同時に、エルフ魔導師がエメルギアスにかかりきりになることを意味していた。


「【足萎えよ 硬直せよ】」

「【風よ 淀み 絡みつけ】」


 魔族の近衛兵たちもまた、堅実に、呪いを放つ。


 間合いを詰めた剣聖たちに呪いが直撃。


 しかし聖なる光の衣が身代わりに呪いを受け、虚空へほどけ消えていく。


 消えていきながらも――確かに剣聖たちを守った。




 果たして、両者の距離が、ゼロになる。




 ギィン、ガァンッと激しい金属音が響き渡る。剣聖たちの斬撃を、精鋭魔族たちはどうにか受け止めた。何人かは槍を切断され、鎧や鎖帷子を切り裂かれたが、致命傷を負った者はひとりもいない――


 負傷した魔族たちは無理せず身を引き、後続と入れ替わる。


(いかん、こやつら)

(地力もあるぞ!)

(構わん、押せ!)


 剣聖たちは危機感を共有しつつ、エメルギアスに狙いを定めて押し進む。


「【大いなる加護よメガリ・プロスタシア】!」


 勇者が力を振り絞って加護を分け与え、辛うじて魔法抵抗を維持。単純な白兵戦ではやはりこちらに分がある。


 敵は王子を庇おうとしているため、動きにどこか無理があった。剣聖の圧力に押し負け、致命傷を受ける魔族もちらほら――他に横槍を入れられる前に、一気にカタをつける――!!



(よし、このまま――)



 いける。魔王子の首も取れる!



 エルフ魔導師は魔力の循環を維持しながら、高揚感を覚えていた。



「いいなぁ、お前。その魔力の強さ」



 だが耳元で、声。



 ぎょっとするが横には誰も居ない。



 というか、この声は――



「ただの森エルフじゃねえな。ハイエルフの血筋か?」



 数十歩も離れた魔王子エメルギアス。



 その唇が動いているのが、見える。



「【羨ましい】」



 まるで真横で囁かれているかのように――



 はっきりと、声が、こちらまで届いている。



「【妬ましい。お前のその持って生まれた力が】」



 ねっとりとした粘着質な視線が、エルフ魔導師に絡みつく。



「【このオレ様にも立てつけるだけの強い力が】」



 その瞳は狡猾な毒蛇のように黒々とした色で――



「【妬ましい。羨ましい。オレもそれが欲しい……!】」



 あらゆる光を吸い取って逃さない、虚無の穴のようにも見えた。



 エルフ魔導師はその虚無の果てに、ゾッとするような狂気を感じ取る。





 ――まずい!!





 そこで我に返った。





 ――自分は何をのんびりと聞き入っている!?





 呪詛だ!! 心に滑り込む呪いの言葉だ、





 これ以上、耳を傾けてはならな





「【】」





 ――魔法で引き裂かれた頬の傷が、灼熱する。





「あ……ぐッ」


 全身から力が抜け、めまいに襲われたエルフ魔導師はその場でふらついてしまい、護衛として控えていた老師ドガジンに支えられ、かろうじて倒れずに耐えた。


 まるで――まるで、が――


「ははぁ♪」


 悪辣な笑みを浮かべ、存在感をいや増すエメルギアス。


「【風化せよアポサルスロスィ】」


 間髪入れず、呪いの風を剣聖たちへと吹きかける。


「――清浄なる風よ!」


 エルフ魔導師も叫んだが、直後、愕然とした。



 言葉が、呪文が――力を持たない。



 魔法が――使えない……?



「――いけない!!」



 エルフ魔導師の叫びはもはや、悲鳴のようだった。




 呪いの風がそのまま、剣聖と勇者たちを呑み込んだ。




 彼らが身にまとう聖なる光が――完膚無きまでに剥ぎ取られ、吹き散らされる。




「なっ……」


 勇者もまた、愕然とした声を――


「今だ、やれッ! 【足萎えよ】!」

「【硬直せよ】!」

「【裂けよ】!」


 精鋭たちによる怒涛の呪いの連打。


 鬼神のごとき戦いぶりだった剣聖たちの動きが、途端に精彩を欠く。あるいは魔法攻撃に身を切られる――


「な、めるなァァァ!」


 腹を風の刃で裂かれた双剣の剣聖が、それでも血反吐を吐きながら眼前の魔族を斬り捨て、エメルギアスに斬りかかる。


「【裂けよ】」


 だが、エメルギアスはたったの一言つぶやくのみ。


 渦巻く風に切り刻まれ、双剣も腕ごと引き千切れ、血達磨となって倒れ伏す。


「――ッ!」


 歯噛みした曲刀使いの剣聖が、しかし、散っていった彼の体を盾として、エメルギアスに肉薄。


 ひゅぅん、と首筋が寒くなるような音とともに、曲刀が王子の首に迫る。


「素晴らしい身体能力だな!」


 だが、エメルギアスは魔法一辺倒の魔族ではない。鍛えられた肉体と槍術で危なげなく迎撃する。


 膨大な魔力を流し込まれた槍で、難なく曲刀を受け止めた。


 あらゆるものを切り裂く、物の理に愛された剣を、物の理を歪めることまほうのちからでねじ伏せたのだ。


「【裂けよ】」


 またしても、一言。どぢゅん、と水気のある音を立てて曲刀の剣聖もまた血溜まりに沈んだ。


「【加護よプロスタシア】……!」


 魔力を限界まで振り絞り、今にも倒れてしまいそうな顔で勇者が唱える。


 ぽうっ、と残る剣聖たちにほのかな銀色の光が灯った。


「まだまだァ!」

「オレたちの剣技、とくと見な!」


 元兵士剣聖たちが空元気で叫び、鏡面盾の剣聖もまた、果敢に斬りかかる。


「お前たちの涙ぐましい努力には敬意を払おう」


 無造作に槍を突き込んで、足元の肉塊にとどめをさしながら、エメルギアスは白々しく言った。


「――だが、羨ましくはないな」


 嘲りの色が滲む。


「【風化せよアポサルスロスィ】」


 最後の頼みの綱と言える聖なる光は、またしても――



 あっけなく。あっけなく吹き散らされた。



「…………」


 魔力の使いすぎで、勇者がぐらりと身体を傾け――倒れる。


「さて、オレはもう首級を稼いだからな。独り占めも何だし、あとはお前たちで好きにしていいぞ」

「おっ、いいんですかい?」

「さっすが殿下。太っ腹ァ!」


 エメルギアスは数歩下がって、鷹揚な態度でのたまった。


 部下の魔族たちが喜色を浮かべて湧き立つ。もう戦いが終わったかのような、気の抜けた会話――


「舐めんじゃ」

「ねえぞコラァ!」


 激高した二人組が、盾を構えながら突進。


「【裂けよ】」

「【足萎えよ】」


 浴びせかけられた呪いに対し、


「【悪しき言葉は我らを避けて通る】!」


 たったふたりながら陣形を組み、どうにか耐えてやりすごす。だがそこへ槍が四方八方から襲いかかった。


「畜生がァ!」

「卑怯だぞ! 魔法抜きで勝負しやがっ」


 どす、どすどすっと穂先が肉を貫く鈍い音――


「シッ!」


 後方からぱぁんっと空気が爆ぜる音。犬獣人の拳聖が、石ころを拾い集めながら拳で叩いて次々に放ってきていた。


「うおっ!」

「危ねえ!」

「グがっ」


 不意を打たれて直撃を喰らう者もいたが、いかんせん距離がある。血反吐を吐いてひっくり返った運の悪い1名を除き、ほとんど回避するか、いなすかしていた。


 犬獣人の拳聖はそのまま素早く身を翻して、森へ駆けていく。


「……ん? あのエルフどこいった?」


 エメルギアスは怪訝な顔。




 エルフ魔導師と、そのそばにいた老獣人もまた、少し目を離した隙に、忽然と消え失せていた。

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