100.乾坤一擲
「……全員、か」
勇者は嬉しそうな、それでいて困ったような笑みを浮かべた。
「ほら見ろ。私の言った通りになった」
片耳のエルフ魔導師が勝ち誇ったような顔をする。
「……どういう意味だ?」
「『助力を請えば、全員が二つ返事で受けるだろう』と私は言ったのだ。
魔導師の言葉に、勇者はバツが悪そうに肩をすくめた。
「無謀だって自覚はある。何人かついてきてくれれば、御の字だと思ってたんだ」
「おいおい勇者さんよぉ。オレたちの覚悟を舐めてもらっちゃ困るぜ」
「誠に。今さら我が身惜しさに怖気づく者がいるとでも?」
「ここで引いたら男がすたるってもんよ!」
「女もいるけどね!」
拳聖・剣聖たちがハッとバルバラを見た。
「……そういえばそうだった」
「これは失礼」
「すまねえ、あまりにも違和感がなくて……」
「ちょっとアンタらどういう意味だい!!」
バルバラがギャーッと怒り、男たちがすまんすまんと謝って、みなで顔を見合わせて笑って。
いつも通りの空気が戻ってくる。
「さて、私は最初からこの状況を予想していたので、」
エルフ魔導師が、胸元から何やら紐の束を取り出した。
「――くじを用意しておいた。『当たり』は2つだ」
「おい、まさか残れってか?」
「根こそぎ全員連れて行くわけにもいかないのでな」
非難するような剣聖に、エルフ魔導師は悪びれるふうもなく皮肉に笑う。
「……斬り込み隊が暴れ、敵の注意をひきつけたタイミングで、この砦の戦力は撤退を開始します」
女神官が静かに言葉を引き継いだ。
「敵本陣も蜂の巣をつついたような騒ぎになるでしょうが、私たちの撤退が確認された時点で、包囲軍の激しい追撃が予想されます。『当たり』を引いた方には、
拳聖・剣聖たちは全員顔を引きつらせた。
「『当たり』じゃなくて『ハズレ』の間違いじゃねえか?」
「当たらずといえども遠からず、といったところだな」
「……当たりだけにのう。ほっほ」
老師ドガジンが苦笑いしている。
「さあ、引いた引いた。それほど時間はない」
エルフ魔導師が紐を差し出す。……端は手の中に握り込まれていて、見えない。
「どれどれ、ワシはこれにするかの」
大して迷う素振りも見せず、ドガジンが泰然とうち1本に指をかける。
「せっかくだから皆で一斉に引くかの」
「そうしよう。拙者はこちらで」
「では自分はこちらを」
みなが思い思いに紐を掴む。
「お前どれにする? 俺はこっちかな」
「いや待て、その紐はオレのだ。この端っこはイヤな予感がする」
「お前がそれ引けよ」
「イヤだって! これぜってぇ『ハズレ』だよ!」
「この紐は俺のだつってんだろ!」
「ごちゃごちゃうるさいね! アタシが引いてやるよ!」
バルバラは端っこの紐を握った。
「みな持ったな? それでは――」
するりと、全員が紐を引っ張った。
――視線が交錯する。互いに確認。
ドガジンの紐は白。端っこを押し付け合ってた二人組も白。他数名も白、白、白。
バルバラの紐の先端は――赤黒く染まっていた。
そしてバルバラの対面、大剣を背負った大柄な剣聖も、もう1本の赤黒い紐を引いて「マジかよ……」と呻いている。
「『当たり』はバルバラとヘッセルか」
「おめでとう! いやーハズレちったなぁ」
「これは仕方がないな」
はっはっはと笑う『ハズレ』組に対し、バルバラは渋い顔をしているし、ヘッセルもまた悲痛な表情で。
「おれ、守りには向いてないんだが? 誰か代わってくれ!」
「イヤだよ」
「潔く運命を受け入れろ!」
「それにお前、走るの遅いからちょうどいいじゃん」
「貴公が隣にいたら危なくて仕方がないゆえ、ハズレで助かった」
「やっぱりこれ『当たり』じゃなくてハズレじゃねえか!!」
やんややんやと。
「……さて」
どこか微笑ましげに、そして名残惜しげに、それを見守っていたエルフ魔導師が、おもむろに席を立つ。
「では行こうか」
散歩にでも出かけるような気軽さで。
「おう」
ガタガタとみなも席を立つ。バルバラは、テーブルの下で拳を握りしめたが、何食わぬ顔で立ち上がった。
勇者がテーブルに盃を並べている。
「ワインと水があるけど、どうする?」
「ワシは水で。酒は感覚が鈍るでのぅ」
「自分も水でお願いしたく」
ドガジンと、黒毛の犬獣人の拳聖が水を所望。
「オレは酒にするぜ。タダ酒は逃さない主義なんだ」
「ハッ、そのせいで泥水まじりの安酒呑んで腹下してたよな」
「昔の話を蒸し返すんじゃねえよ。じゃあお前水な」
「俺もワインで!」
最後までやかましい二人組の盃に、勇者が笑いながら溢れんばかりにワインを注いでやる。
それぞれに水やワインの盃を掲げて。
「武運を」
「神々の御加護を」
「精霊たちの導きあれ」
それぞれに祈り、願い――飲み干す。
拳聖、剣聖、ともに生気と覚悟に満ちていた。居残り確定のバルバラとヘッセルを除く、全員が――
会議室をあとにする。連れ立って歩く勇者、拳聖、剣聖たちに、休んでいた兵士らも何事かという顔をしていた。察しのいい兵士は、神に祈りながら「武運を」と声をかけてくる。
砦の裏手で、装備を最終確認。
「半包囲網を迂回して、森に突入する。接敵したら、まあ、みなで派手にやるから、そっちにも伝わると思う」
「……はい」
勇者が女神官と話している。勇者は平常通りの顔で、女神官は――平静を保とうと必死な様子で。
そのまま話が続かずに、見つめ合っている――
「……老師」
ふたりを尻目に、バルバラはドガジンに声をかけた。
「うむ。ちと暴れてくるでな」
賢狼族の老拳聖は、牙を剥き出しにしてニカッと笑う。
「我が武名を轟かせる晴れ舞台よ。腕が鳴るわい」
飄々としながら戦意を高めつつあるドガジンに、バルバラはこれ以上ない頼もしさを覚えながらも、胸が締め付けられる思いだった。
それほど付き合いは長くなかったが――この老人から学ぶところは多かった。
「ご一緒したかったです」
「ワシもじゃよ。ま、戻ってこれたら、また一緒に
ドガジンが拳を差し出す。
バルバラも精一杯に笑って、こつんと、自分の拳をぶつけた。
「なあ、どっちが魔王子の首とるか、賭けようぜ」
「乗った。何を賭ける?」
「負けた方は、酒場で裸踊り!」
「へへ、言ったな? お前の踊りを拝むのが楽しみだぜ」
これからまさに命賭けだというのに、二人組が脇を小突きあってふざけている。
曲刀の柄に手をかけて、瞑想するように目を閉じている剣聖。
左手に装着する小型の盾を、手ぬぐいでキュッキュッと磨く剣聖。
入念なストレッチで身体を解している拳聖。
のんびりと地面に寝転がって、日差しを堪能する拳聖――
「みなに隠蔽の魔法を、頼むよ」
女神官に背を向けて、勇者が言葉少なに。
「……は、い」
女神官が杖を構える。
待機していた拳聖、剣聖たち、そしてエルフ魔導師が一箇所に固まった。
女神官が呪文を唱え始める。精一杯に力をかき集めて、ありったけの魔力と祈りを込めて……
勇者たちの姿がぼやけて、見えなくなっていく――
「――さよなら、シャル」
勇者が背中越しに告げて。
ハッと目を見開く女神官。
だが呪文の詠唱は終わり、魔法が発動し。
勇者たちの姿は、かき消えていた。もはや足音も、気配さえも――
「……っ」
はらはらと涙をこぼしながら、女神官がその場に崩れ落ちる。
バルバラは、残されたヘッセルと顔を見合わせた。
自分しかいない、と思い、バルバラは女神官の肩を力強く抱きしめる。
少しだけ、泣かせてあげよう。だが――
「さあ、アンタもしっかりしな」
砦の兵士たちは撤退の準備を始めている。
「まだまだアタシたちも、やることがあるんだからね!」
悲しんでばかりも、いられないのだ。
「……は、い……!」
女神官も、うなずいて。涙を拭いながら、フラフラと立ち上がった。
†††
――隠蔽の魔法のヴェールをまとった男たちが、ひとかたまりになって走る。
「……良かったのかよ?」
剣聖のひとりが、勇者に小声で問いかけた。
「何が?」
「抱きしめて口づけでもしてやればよかったのに」
「彼女とは、そういう関係じゃないから」
勇者はひょいと肩をすくめた。
「マジで?」
「てっきりコレかと」
例の二人組がそろって小指を立てている。
「……だって、いつ死ぬかわからないし」
これで良かったのさ、という勇者に「かーっ!」と犬獣人の拳聖が額を叩いた。
「いつ死ぬかわからないから、こそであろうに!」
「まったくだ」
「オメーなぁ……」
「そりゃねえよ流石に……」
「え、え?」
急に非難の視線にさらされて、走りながら勇者が困惑している。
「貴公も身近にいたなら、もう少しやりようがあったのでは?」
別の剣聖がエルフ魔導師に言うと、彼は残った方の長い耳を不機嫌そうにピクピクと揺らして。
「あの調子を四六時中見せられていたこっちの気にもなってみろ。背中を押せば押すほど引いていく、私にどうしろというのだ」
お前なぁ……とばかりに呆れた目で見られて、勇者は困り顔で肩をすくめた。
「戻ったら、また声をかけるよ」
だが前に向き直って、勇者は言った。
「無謀な自覚はある。だけど――ただ死にに行くつもりもない」
力強い言葉だった。
「へっ、言われるまでもねえ」
「ちゃちゃっと片付けて帰ろうぜ」
二人組も不敵に。
いや、全員が、不敵に笑う。
砦の半包囲網を大きく迂回し、そのまま森へと突入する。
スンッ、と先頭を走るドガジンが鼻を鳴らした。
「……猫どもの臭いがしおる」
「張っておるようですな」
犬獣人の拳聖もうなずいた。
「我ら、先行しても?」
「頼む」
「ではワシが右手を」
「ならば自分は左手を」
ひゅっ、と風の音を置き去りにして、拳聖ふたりの姿がかき消えた。
「ひゃぁ」
「はえー」
呆れたような声を上げる剣聖二人組。すでに自分たちも相当な速さで走っているのだが、ただでさえ身体能力の高い獣人、ましてや拳聖ともなると――その動きはもはや異次元だった。
「頼もしいな」
勇者はニヤリと笑う。
「……俺たちも負けていられない」
そう、負けていられない。
(ここで侵攻を食い止める。そしてみんなを――)
――彼女を、無事に逃がすのだ。
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