98.気配と予感


「――おかしいね」


 恐ろしいほど無表情でエンマが言った。


「キミがファラヴギを仕留めてから、まだ2ヶ月も経ってないよね?」


 族長クラスがそう簡単に消滅するとは思えない、とつぶやいて。


「ちょっと失礼」


 俺の横に立ったエンマが、どろっ、と俺とは比較にならないほど濃密でおぞましい闇の魔力を練り上げた。


「【――出でよ、ファラヴギ】」


 俺が開いた霊界の門に、どろどろとしたエンマの魔力の腕――というか触手が何本も殺到し、内部を探るが。


「……おかしい。本当に気配がないね」

「実のところ、心当たりはある」


 興味深げなエンマとクレアの目が、俺に向けられた。


「へぇ? どんな?」

「アイツは最後に、『魂が消えても構わぬ』みたいなことを言いながら、何か奥義っぽい光魔法を使ってたんだ……」


 俺はしたり顔でそう語る。――清々しいほどに嘘は言っていない。


「あちゃー」という顔でペシッと額を叩くエンマ。


「確かに。闇と双璧をなす光魔法なら、己の魂を代償にするような術があってもおかしくない……!」


 そして、そのような魔法で魂が損傷していたら――通常よりも遥かに早く、霊魂が輪郭を失うことも充分にありうる。


「なんでそれをもっと早く言わなかったんだい!」


 ぺしぺしと俺の肩を叩きながら、エンマが非難がましく言う。


「いや、すまない。アイツが何か仕掛けてくる前に首をはねたから、大丈夫かなって思ってたんだ」


 ……これも嘘じゃない。たださっきとは時系列が違うだけで。


「うぅん……気持ちはわかるけれども……」

「師匠ー、そうは言っても、ファラヴギで何かしようなんて言い出したの、ついこの前じゃないですか」


 クレアがひょこっと話に入ってきて、俺の肩を持つ。文字通り、エンマにぺしぺしされていた肩に、馴れ馴れしく手を載せて。


「まさか教材にするなんて、あの時まで王子様も思ってなかったでしょうし」

「……そして、あの段階で言われてても、手遅れだった可能性が高い、か」


 エンマは残念そうに溜息をついた。


「しまったなぁ、今日はファラヴギの魂で遊ぶ気満々だったから、他に何も用意してないよ!」


 そいつはよござんした。


「それにしても、ジルくん、ホントに強いんだね? ドラゴンの族長に、そんな禁術の使用まで決断させるなんて」

「……さあな、相手が何を考えてたかなんて、本当のところはわからないさ」


 俺は素っ気なく答える。『今回、呼び出せていたら聞き出せたかもな』などと言いかけたが、『嘘つきは口数が多い』という格言もある。


 せっかく今のところ真実しか言っていないのだ。ボロが出る前に口を閉ざすことにした――せいぜい残念そうな顔をしながら。



 そのまま解散、というのも何なので、座学の時間となった。



「うっほほーい!」


 資料室に突撃して本を読み漁るソフィアが、嬉しそうで何よりだぜ。それにしても酒乱事件以降、なんか言動が雑じゃない? 大丈夫?


「――そうだ、次の講義なんだけど、ちょっと遅くなるよ」


 ファラヴギに備えて用意していた呪具の解説をするさなか、ふと思い出したようにエンマが告げた。


「ほう、なんでまた?」

「前線に用事ができてね」


 何の気なしに飛び出た言葉に、俺は硬直する。


 ――『人形作家』のエンマが、前線へ?


 まさか戦いに? 魔王軍の戦力が足りなくなったのか?


「なんて顔してるんだい。戦いに行くわけじゃないよ、死体の片付けさ」


 軽くお手上げのポーズを取りながら、つまらなさそうな顔でエンマ。


「死体の片付けにエンマが駆り出されるのか?」

「別に初めてじゃないさ。ボクを買いかぶってくれるのは嬉しいけど」

「あたしも行くよー」


 テーブルに頬杖を突いて魔術書を読んでいたクレアも、ひらひらと手を振る。


 どうやらクレアをはじめとした、配下のアンデッドたちの監督としてエンマも同行するらしい。


「指揮官級のまともな爵位を持っている死霊王リッチはボクだけだからね」

「なるほど……」


 死体の片付けは、戦場では常に悩みのタネだ。労働力は割かれるし、士気は下がるし、かといって放置すれば疫病の原因になるし。


 その点、死体が勝手に動いてくれるなら――これほど楽な片付けもあるまい。


「そんなに出たのか、死体が」


 死霊術師部隊を動員するほどに。そして死体の多くは、人族だろう……。


「キミのお兄さん、エメルギアス殿下率いる部隊が破竹の勢いで砦を落としているらしいよ」

「……へえ、兄が先走ったのか?」

「いや、そういう話は聞かないね。普通に作戦通りらしいけど」


 ……おかしいな。ゆっくりじっくり攻めるのが今の魔王国の方針じゃなかったか?


 エメルギアスに手柄を立てさせるためだけに、魔王が快進撃を許すとも思えない。どういう風の吹き回しだ……? ウチ、医療系だから、この手の軍事戦略情報はワンテンポ遅れて入ってくることが多いんだよな……


「どうしたんだい、そんな――焦るような顔をして」


 エンマがニンマリと笑いながら、からかうようにして問う。


「そりゃ、兄の一人が出世しそうなんだ。焦りもするさ」


 俺は頬をぺたりと撫でながら、はぐらかすように答えた。


「……前々から考えていたんだけど、さ」


 ずい、と距離を詰めてくるエンマ。近い近い。


「キミは――やっぱり魔王を目指しているのかな」


 ……踏み込んできたな。


「ご想像にお任せしよう」


 当の魔王子たちに対してさえ、まだ明確に立場を表明してはいないんだ。エンマに話せるわけがない。


「……ボクは、キミが魔王になってくれたら嬉しいな。キミが一番、ボクらに理解がありそうだからね」


 とだけ言っておくよ、とエンマは楽しそうにニタニタしていた。俺が明言しなかったのと同様、ハッキリとは支持しない。


 まあ、お互いに言ったも同然だったが。



          †††



 それから呪具についていくつか習って、解散。


 いや、今日の講義はためになったな。死霊術の応用で、擬似的な魔法の品々を作る術を知った。


 付与術エンチャントってのは、本来めちゃくちゃ高等技術なんだ。魔法の品をホイホイ作り出すドワーフたちのせいで勘違いされがちだが。


 魔法の奥義、限られた血統や才能、あるいは神々の奇跡――そういったものに頼らねば物品に魔法は定着しない。


 ……のだが、死霊術も見方を変えれば、『死体』という物品に『魂』という魔法を宿す付与術エンチャントの一種なわけで。


 ここに着目したエンマは、魂を宿す過程で一緒に呪いや魔法なんかも練り込んで、『ある種の魔法に特化したアンデッドを道具化する』という手法で、魔法の品に限りなく近いものを生み出してしまった。


 馬車の揺れを制御する、例の黒い箱ブラックボックスの延長線上にあるような技術だ――言われてみれば単純な発想だが、俺にはまず思いつけない……。


 ドワーフの魔法の品と違い、日光を浴びたら消滅するし、死霊術の心得があるか、闇の魔力の持ち主でなければ上手く扱えないという欠点はあるものの……死霊術師にとってはあってないような欠点だし、その生産効率の高さは特筆に値する。


『命を命とも思わぬ、エンマらしい手法じゃのー』


 問題はそこよ。


 次の講義でジルくんもやってみようねぇ、なんて言われたけど、魂をこねくり回すのを想像しただけで吐きそう……。


 やはりアンデッドは滅ぼさなきゃ。


 ……たとえそれが幼馴染であったとしても。



 げんなりしながらも気持ちを切り替えて、鍛錬に汗と血を流す。



 ここ最近、我ながら思い詰めた感じでやってたので、今日の肩の力が抜けた様子にプラティも「おや」という顔をしていた。


「今日は手ぬるいわね」

「そうとも限りませんよ」


 なんだかんだ、呪いを振り払ったり無視したりするコツは掴めてきた。あとは地力の勝負だ!!


 プラティの3槍流にも慣れてきたな。確かにプラティの手数の多さは脅威だが、俺は俺で、人族の兵士たちの頭蓋骨を防具のように使うことで、臨機応変に防御できるようになってきた。


 ……というかこれも、考えようによっては可変式の魔法の防具みたいなもんか。


 厳密には死霊術じゃなくて骨を変形させる魔法だが、俺の意志を汲み取って動いてくれるところがあるし、何より魂が宿っている。


 ヒントは身近なところに転がってたんだな。


 だが、俺にとって、彼らは道具じゃない。


 戦友だ。




 ――そうしてプラティとほぼ五分五分の戦いを繰り広げ、朝が近づいてきたあたりで鍛錬は終了。


 最近、プラティと戦ってもなかなか決着がつかないせいで、鍛錬の時間がどんどん伸びつつある……。俺もキツいけどプラティだって相当キツいはずだ。やっぱ大公妃はダテじゃないな。


「じゃあ、レイラ」

「はい」


 俺の鍛錬のあとは、レイラの飛行訓練で〆るのが常だ。



 だが、今日は――



 いつもと違うはず。



 するすると躊躇いなくメイド服を脱ぎ去っていくレイラだったが、ふと俺の方を気にして。


「…………」


 今さらのように、本当に今さらのように、不意に頬を赤らめて、俺の視界からそそくさと逃れるように服を持って移動した。


 ……えっ、今さら!?


 っていうか、いっつも一切の恥じらいなく脱いでくから、なんか俺も慣れちゃって普通に見てたわ!! 最初のように目を逸らしておくべきだった……!


 ……えっ、でもなんでホント今さら!?


 レイラは人の姿の羞恥心に疎い。俺たちが犬猫に変身して、そのままの姿で恥ずかしく感じるかどうか、という次元の話だと理解してたんだが……


「……やっぱり……」

「……昨日ご主人さまに何かされたんだにゃ……」

「……ずいぶん長時間、ふたりで部屋に閉じこもって……」


 ひそひそと、ヴィーネやガルーニャたちの囁きが背後から。


 ウッ……ち、違う、誤解! 誤解だ……!!


『いたいけな娘と秘め事に及び、ヒイヒイ泣かせておったからのぅ』


 言い方ァ!!


「えっと、じゃあ……」


 俺の背後で人化を解いたレイラが、おずおずと。


「あの、……飛んでみます」


 だがその声から、おどおどした色が吹き飛んだ。


 バサッ、と翼を広げ――軽く地を蹴った。


 羽ばたく。力強く。


 それでいて――今までとは違う、なめらかな動きで。


「ああ……」


 俺は溜息のような声を漏らした。


 バサッ、バサッと、羽ばたくごとに、高度が上がっていく。


「わぁ……」


 背後で、ガルーニャたちが声を上げた。


 レイラは――もう、地に落ちなかった。


「すごぉい!!」


 空中を泳ぐようにして。


 高高度で飛ぶ、警備の他ドラゴンたちの視線も忘れて。


「わたし、飛べてる!!」


 大はしゃぎで、練兵場の上空を旋回していた。


 嬉しそうに――楽しそうに――


『飛んだのぅ』


 どこかしみじみとした口調で、アンテがつぶやいた。


 ……そう、だな。


 あれが、彼女の本来あるべき姿なんだ……



 俺は練兵場に寝転がって、レイラを眺めながら。



 背景の白みつつある空を見上げた。



 ……俺が前線から離れてもう7年か。



 死霊術師が必要とされるほどの、死体の山が築かれたという。



 前線では今、何が起きているんだろう。



 これまでの国家戦略とは裏腹な、エメルギアスの快進撃。



 ……魔王国で何かが起きている。あるいは、何かが起きようとしている。



 俺はそんな予感に、ぎゅっと拳を握りしめた。



 今もなお血を流しているであろう同盟の兵士たちも、また――



 夜通し闇の輩と戦い続けたであろう彼らも、また。



 この夜明けを、朝日を、眺めているのだろうかと――想いを馳せながら。




          †††




「……どうにか、しのいだみたい、だねェ……!」


 撤退していく魔王軍に、思わず脱力して膝をつきそうになった。


 肩で息をしながら、黒髪の女剣士は空を見上げる――朝焼けの空を。


 周囲は死屍累々だった。夜エルフの矢に額を射抜かれた者、槍で頭を叩き割られた者、半身を引き千切られた者、魔法で黒焦げにされた者――生者の姿の方が珍しいくらいだ。傷ひとつない者に至っては皆無に近かった。


 魔王国に接する、デフテロス王国西部。


 本来、後方の補給拠点のひとつであったその砦は、今や『最前線』と化している。


 夜通し続いた魔王軍の攻撃に、この砦が陥落せずに済んだのは――兵士たちの決死の反撃はもちろん、撤退してきた味方の戦力が合流できたことと、聖教会の予備戦力がたまたま居合わせていたことが大きい。


 力を温存した勇者や高位神官たちがいなければ、今頃この砦は更地になっていただろう。


 ……だが、今日をしのいだところで、もう、彼らも……


「いよいよ次はアタシの番かもねェ……」


 苦笑と呼ぶには苦すぎる笑みでつぶやく女剣士だったが。


「――おおバルバラ、生きておったか」


 背後からしわがれ声。


 振り返れば、老齢の獣人族の戦士がひらひらと手を振っていた。白い毛が混じった灰色の毛並みで、ピンと尖った耳、突き出す鼻先。賢狼族と呼ばれる狼系の獣人――その両の拳は、どす黒く血で染まっていた。


 もちろんすべて、敵の血だ。


「あっ、老師!」


 バルバラと呼ばれた女剣士は、慌てて姿勢を正す。


「お見苦しいところを……!」


 この老獣人は、バルバラの師匠ではないが、彼女は最大限に敬意を払っていた。


「いやいや、当然じゃろ。ワシだって腰が痛うて痛うて……」


 かしこまるバルバラに対し、顔をしかめた老獣人はあくまで飄々と。


「……あれだけの夜をしのいだんじゃ、ぶっ倒れてもおかしくないわい。いや、よくぞ生き延びた! お互い無事で何よりじゃ、ほっほっほ」


 ポンポンと親しげにバルバラの肩を叩いた老獣人は――不意に顔を寄せて。


「――勇者殿が、名のある者を集めておる」


 周囲に聞こえぬよう、囁くようにして言った。


「何かお考えがあるようじゃ」


 まったく老いを感じさせない、鋭い眼光がバルバラを捉える。


「疲れておるところ悪いが、お主にも来てもらうぞ」

「……はいっ」


 疲労困憊の身体に鞭打って、バルバラはどうにか立ち上がった。




 ……戦いは、まだ終わっていない。

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