97.秘めたる野心


「――魔王子殿下をお迎えに上がりました」


 俺の前でうやうやしく一礼する、フードを目深にかぶった人物。



 クレアだ。



 死霊術講座、当日。彼女は居住区に姿を現した。普段の活発で生意気な態度は鳴りを潜め、従順な召使いのように振る舞っている。


 それもそのはず、クレアは魔王国の爵位を持っていないのだ。


 まだエンマの弟子、見習い死霊王リッチに過ぎず、これといった戦果も上げていないらしい。俺の演習みたいに、チンケな脱走ゴブリン狩りを何回かやっているくらいのもので。


『それがわたしのなのよね!』


 本人いわく、ゴブリンをできるだけ惨らしくぶち殺すのが、彼女のライフワークならぬデスワークだそうだ……。


 いつものように監視と護衛役のソフィアを連れ、アンデッドたちの拠点へ向かう。


「…………」


 エンマと違って、爵位を持たないクレアは軽々しく口を開けず、魔族の居住区内では会話らしい会話もない。


 しずしずと先導するローブ姿の背中を眺めながら、俺は先日のレイラとの会話を思い返していた――



          †††



『つがいになったことにしますか?』


 思わぬレイラの提案に鼻水が出そうになったが、流石にこのタイミングはまずいという話になった。


 恋愛感情による結びつきを強調するよりも、俺が失恋したところにレイラがうまく取り入ったように思われかねない。


『???』


 と、説明してもレイラはよくわからなかったようだ。こてんと小首を傾げていた。


『だから、その……俺に惚れたように見せかけて、俺と懇ろになって、油断させてから殺す! みたいなことを企んでいると取られかねないから……』


 そう告げると、レイラはショックを受けたような顔をしていた。


『そんな……悪いことを考える人もいるんですね……』


 口元を押さえて、『信じられない……』とばかりに。


 ……闇竜から、こういう方向性では悪い影響は受けてないんだなぁ。レイラは酷い環境で傷つき苦しんだが、彼女自身は、闇にはまったく染まっていない。


 本当に、泥の上に咲く可憐な花みたいな子だ……


 俺が守護まもらねばならぬ。


 彼女が自立しようとしていることは、重々承知だが。


『――ただ、アイデアとしては悪くないな』


 それはさておき、せっかくレイラが大胆な案を出してくれたのに、否定してばかりでは今後に響く。俺は肯定的な見解もまた示した。


『恋愛感情による結びつき、それと……ある種の関係を匂わせるような振る舞いは、俺もリリアナを助けるときに多用した。俺が立場ある魔族ということもあるが、周囲がおいそれと口出ししづらい分野だ』


 俺たちの関係を補強する要素としては悪くない、と。


『だけどやはり、プラティが安心できるような、きみが俺を裏切らないと信じられるような信頼関係を、まずは構築する必要があるな』

『うぅん……難しいです』


 レイラは頭を抱えてうんうん唸っていた。まあね。こんな悪だくみなんて、今までする必要もなかっただろうからね……願わくば、レイラは、そのままでいてほしい。


『お役に立てず申し訳ないです……』

『そんなことはない!』


 レイラがしょんぼりしてしまったので、俺は慌ててフォローした。


『ありのままの俺で、正直に色々と話せただけで、ずいぶん気持ちが楽になったよ。本当にありがとう』


 精一杯の真心を込めてお礼を言うと、レイラも、儚く微笑んだ。


『……我じゃいかんのか?』


 と、ぷっすりした口調でアンテがつぶやく。不満げに唇を尖らせた顔が目に浮かぶようだった。


 ――いや、そういうわけじゃねえよ。でもほら……お前って、ほとんど俺みたいなもんじゃん。もはや一心同体っていうか、他人とは思えないっていうか……


『かーっ! 前世も合わせて半世紀も生きとらん小童がよく言うわ!』


 そう拗ねるなって。あとでお前もナデナデしてやるからよ。


『ぬがーッ!』


 やめろ内側から魂蹴るんじゃねえ! おぇっぷ!


『……? あの、……?』

『い、いや、気にしないでくれ』


 俺の中で魔神が暴れてるだけだから……


『なにはともあれ……男女の関係で説得力を出すなら、きみが主体になるよりも、俺が王子としてきみを手篭めにしたようなふうを装った方が、より効果的だろうな』


 そしてそのためには……



 ――俺がから立ち直る必要がある。



 そう、レイラのおかげで、見違えるほど心が軽くなった俺だが。



 クレアの件は何ひとつとして解決しちゃいないのだ。があるのかもわからない。



 何をもって、『解決』とするかさえも――



『そういえば……アンデッドに一目惚れした、っていうのは、本当なんですか?』


 恐る恐るといった様子で、レイラが尋ねてくる。


 俺は思わず、どう答えたものか迷ったが、俺たちはもう隠し立てするような間柄ではなかった。


『それが……その、エンマの弟子ってのがさ』


 もう力なく笑うしかない。


『……前世の故郷の、幼馴染だったんだ。魔王軍の手に落ちて、よほど酷い死に方をしたらしい……』


 死してなお憎しみは消えず。


 幸か不幸か。


 それがエンマの目に留まった――


『…………!』


 レイラも流石に予想外だったようで、ただ、絶句していた。



 ただ……俺はふと疑問に思う。



 レイラに色々と打ち明けて、少し冷静になったことで気づけた視点だ。



 クレアがいかに悲惨な最期を迎えたとしても――人族なんて死んだ方がマシだと、極端な結論に達してしまったとしても――



 いや、だからこそ、その原因となった魔王軍や魔族を、深く恨んでいてもおかしくないのでは?



 にもかかわらずクレアは――あの負けん気の強い彼女が、なぜ魔王軍の傘下に下ることを承諾したのだ――?




 ……、のか?




 そうするに足る理由が。




 あのクレアが喜び勇んで参加するなんて、それは――




 




「あーっ、肩こったー!」


 地の底まで続く階段に入り、人目がなくなってから、バサッとローブを脱ぎ去ってせいせいしたとばかりに叫ぶクレア。


「その体で肩がこるのか?」


 俺はいつものように、冗談めかして声をかけた。


「もー王子様ったら、女の子のカラダに言及なんてサイテー! 不潔ー!」


 わざとらしく自分の体を抱きしめて、ササッと距離を取るクレア。


「比喩表現です、ひーゆー!」

「わかってるよ、ごめんごめん」


 我ながらヘラヘラしてんなと思いつつ。こんなのでも、未だに楽しく感じてしまう自分が心底哀れだ。


 隣からソフィアが呆れたような目を向けてくるが、気にしない!


「ね! 今日、楽しみだね。わたしも高位霊体って初めてなんだぁ!」

「へぇ、長いこと弟子入りしてるのに?」

「……ドラゴンの魂なら、コッソリ喚んだことがあるけど。もうボロボロで、高位って呼べるほどじゃなかったんだよねぇ」


 延々と続く螺旋階段を降りていく。


「~~~♪」


 クレアは上機嫌で、明るい調子の歌を口ずさんでいた。


 俺は、ハッとさせられた。消えかかっていた記憶が蘇った。それは――故郷の村に伝わる民謡だった。


 光の神々の恵みに感謝し、豊穣を祈る歌――よく祭りで歌われてたっけ――クレアと一緒に踊ったことも――


「……いい歌だな」


 思わずつぶやくと、クレアが「あっ」と口を押さえた。


「まーた歌ってた。前世の習慣って恐ろしいね!」


 おどけた様子でチラッと俺を振り返る。


「これ、故郷の歌なんだよねー。光の神様に、恵みをくれてありがとう、豊かな実りをありがとう! って感謝を捧げる歌」


 そしてクスクスと笑いながら。


「笑っちゃうよね、アンデッドが光の神々の歌を口ずさむなんてさ」


 前に向き直った彼女は。


「――どれだけ願っても、神様なんて助けてくれなかったのにね」


 …………。


 クレアの背中と、馬の尾のように揺れる髪だけが見える。


 彼女が今、どんな表情をしているのか、俺は知るのが怖い……


 ――と、思った瞬間に、クルッと振り返ってきてギョッとしてしまった。


 いたずらっ子のような笑み。俺がどんなツラを晒してるか確認してみたらしい。


「あはっ」


 ……コイツ蘇って悪趣味に磨きがかかってやがるぞ!! どうにかしろエンマ!



 そうこうしている間に、最深部へ。



「待ってたよ、ジルくん」


 ワクワクした面持ちで、エンマが出迎えた。今日は控えめなファッションだ。俺の観察力チェックはもう終わったのかな。……いや、指輪が新しい奴だな。あとで言及しておこう。


 入ってすぐの広間には、重厚な円陣の結界から、霊魂を抑え込む呪具に至るまで、アレコレ用意されてまさに万全の態勢だった。


 ……本来、敵対的な竜の魂を呼び起こすならこれくらいの備えが必要ってわけだ。


 骨粉の簡易結界と防護の呪文だけで実行した俺が、どれだけ無謀かわかる。


「こんなに設備がいるものか」

「一応、念のためにね」


 エンマはひょいと肩をすくめた。


「どちらかというと、霊魂の抵抗と思考を奪うような仕掛けに注力したよ。光属性だから、ヘタな真似をしたら自滅しかねないし――」


 ニンマリと、悪辣極まりない笑顔。


「――それだとにならないからね」


 そうだな、と俺は平静を装ってうなずいた。


「それじゃあ、ジルくんさえ構わなければ、さっそく始めよう」

「わかった」


 俺は呼吸を整えて。


 闇の魔力を練り上げ、呪文を詠唱し始める。



「【アオラト・テイホス・ポ・ホリズィ――】」



 ……クレアの一件は、何も解決していない。



 だが、それでも。



「【イニリエ・ンエ・ウオス・ファパナ――】」



 俺が魔王国を滅ぼすことは必定であり。



 彼女が魔王軍に身を置くならば――



「【――ファラヴギ!】」



 そこには、必ず結末が待ち受けている。



 ……しーん、と静まり返る広間。



「【ファラヴギ】」



 俺がいくら喚んでも、奴は姿を現さない。



 ……当然だ。



「ふむ」



 俺は真面目くさって振り返った。



「どうやら、霊魂はもう消滅してしまったみたいだな」



 不甲斐ない奴め、などと心にもないことを言いながら。



 ふたりの様子を窺う。



 肩透かしを食らったような顔の、エンマとクレア――



 俺がいつか。



 この手で滅するであろう、アンデッドたち。





 ああ。





 今ようやく、ここに至って。





 ――俺は自分から、クレアのことを、まっすぐ見つめられた気がした。

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