53.本領発揮


 怪しげな、角を生やした不審人物がドラゴンに姿を変えたとき。


 ガルーニャは咄嗟に前へ飛て、敬愛すべき主人ジルバギアスの盾になろうとした。


 だが出来なかった。お荷物リリアナを抱えていて、思うように動けなかったからだ。


 そして白銀のドラゴンのブレスに、なすすべもなく薙ぎ倒された――


(熱い――痛い――)


 全身が燃えるようだった。身動きもままならない。この身を盾とせねばならなかったのに、何という体たらくか。自分がどんな状態かもわからない。気を抜けばあっという間に、意識が闇に沈んでしまいそうだった。


「くぅーん、くぅーん」


 と、頬を、何か湿ったものがぺろぺろと舐める。


(リリアナ……)


 ハイエルフの聖女。彼女のせいで、ジルバギアスからナデナデされる機会が相対的に減ってしまい、一時は複雑な心境を抱いていたガルーニャだったが――


 純真無垢なぽやぽやとした顔で、リリアナが早々にお腹を見せて服従のポーズを取ってきたので、わだかまりを抱くのも馬鹿らしくなっていた。


 元々、獣人としては、森エルフに思うところはない。陣営が違うから仕方なく敵対していただけだ。だから――今ではちょっと手のかかる妹というか、そんな感じだ。いつも撫でられていて羨ましいのは変わらないが。


(おみゃー……みーを、心配して……)


 リリアナが舐めるごとに、燃えるようだった痛みが、少しずつ引いていく。


みーはいい……ご主人さまを……)


 辛うじて動く腕で、そっとリリアナを押した。リリアナが「わうっ、わうっ!」と吠えながら離れていく。


 これでいい。自分よりも、まずはジルバギアスを。


(それでも、ちょっとだけ……楽になった……)


 今のうちに回復に努め、ジルバギアスが動けるようになったら、その脱出を手助けしなければ。最悪、数秒でもいいから時間を稼がねば――今こそ白虎族の忠誠心を見せるとき――


 フッと意識が遠のきかけながらも、根性で踏みとどまって。


 浅い失神と覚醒を繰り返す。だが完全に意識は手放さない。


 それがガルーニャの忠義、そして意地だった。


 トカゲめ。手負いの獣を放置したらどうなるか。


 ――目にものを見せてやる。




          †††




 双方にとって不幸だったのは、こいつファラヴギが空を飛べないことだ。


 ファラヴギは飛べないせいで、魔王国内に潜伏する羽目になった。


 俺はこいつが潜んでいたせいで、敵対する羽目になった。


 いや――そもそも、こいつが魔王城強襲作戦なんてのを持ちかけてこなければ、今の俺は存在しなかったのだ。


 全ての始まり。


 ホワイトドラゴンの長、『夜明け』のファラヴギ。


 その、大ぶりのナイフのような爪が、俺に襲いかかる。


 ひと思いに吐息ブレスを使えばいいようなものを――宣言通り、俺を嬲り殺しにするつもりらしい。


 ……まあ、俺が背中を向けたら容赦なくブレスが飛んでくるんだろうけどな。


 全部、魔王が悪い。ファラヴギも俺も、魔王軍のせいで家族を失った。そして復讐に衝き動かされた者同士、何の因果か、ここで激突することとなった。


 やってられないよなぁ、全く。


「だが、邪魔立てするなら」


 ――容赦しない。



 アンテ。



 お前に預けていた魔力、今こそ引き出させてもらうぞ。



『――よかろう』



 俺の中で、何かが弾けた。


 体の奥底――物理的ではない、神秘的な根源から、間欠泉のように力が溢れ出す。


 何十という人族を犠牲に、勇者として積み上げた禁忌の力。それを槍にまとわせ、眼前に迫るファラヴギの腕へと突き込んだ。


 光の魔力をまとう白銀の鱗と、闇の魔力が染み込んだ黒曜石の穂先が、銀色の火花を散らしてぶつかり合い――拮抗する。


 そして白銀の鱗が、砕けた。


「何ダとッ!?」


 魔族の少年が、己の数十倍はあろうかという体格のドラゴン族に、力で対抗してみせた。あまつさえその鱗を砕いた。


 愕然としたファラヴギが思わず飛び退る。トカゲというより、猫科の肉食獣みたいな俊敏さ、しなやかさだ。ドラゴンは飛ばずとも強い、その証左だな――



 



 ああ……すごい全能感だ。


 世界を作り変えられるような、意志ひとつで事物を捻じ曲げられるような、陶然とした心地。


 だが同時に、俺の中に――少しだけ失望感もあった。


 こうなったら、もう戻れない。アンテから受け取った力を、戻すことはできない。


 今の俺にとって、世界の物の理は、あまりに儚く脆弱なものだった。もはやその気がなくても、俺の都合のいいように捻じ曲げてしまう。


 俺は、もう、絶対に『剣聖』にはなれない。……在りし日の憧れが、ヴィロッサのせいでちょっと再燃してたんだ。


 だけどその可能性は今、完全に潰えた。物の理は俺を愛さない――


「貴様――その力は何ダッ!?」


 じり、じりと俺を中心に弧を描くように動きながら、ファラヴギが問う。


 奴からすれば、俺が突然、巨人に変身したようなものだろう。互いに魔力が知覚できる種族同士、魔力が突然強くなったり弱くなったりだなんて、それがどれだけ異様なことかは説明するまでもない。


「俺は魔族だぞ」


 笑いながら、俺は告げた。我ながらあまりに皮肉じみた響きだった。


「……悪魔どもノ邪法――ッ!」


 ファラヴギの目に浮かぶのは、ある種の羨望だろうか。


 わかるぜ。力、欲しいよな。お前たちドラゴン族がダークポータルへの立ち入りを許されて、悪魔と契約するようになったら――世界がどうなるか、空恐ろしくて想像もしたくない。


「逃げるなら今のうちだぞ? 互いに無駄な消耗は避けたかろう」


 逆効果だろうな、とは思いながら一応聞いておく。


「ほざケッ、魔族のガキがァァァァッッ!」


 激高するファラヴギ。その喉奥にポッと光が灯る。嬲り殺しはどうした、沸騰して湯気が吹き出るヤカンかよ。


「――ガァァァァ!」


 ドラゴン族の吐息ブレスが、来る。



 



「【――我が名はジルバギアス】」



 ぐんっ、と我が身がさらに、ひと回りもふた回りも膨れ上がるような感覚。



「【――魔王子ジルバギアスの名において――】」



 周囲の皆も巻き添えは喰らうが、ちょっとの間だから辛抱してくれ。



「【――呼吸を禁忌とす】」



 制定。



「――かハッ」


 ファラヴギが目を剥いた。ぽフッ、と灼熱の光になりそこねた魔力が、喉から煙となって立ち昇る。


 俺も息はできないが、あらかじめ深呼吸しておいた。目を白黒させるファラヴギに肉薄、ヴィロッサが切り裂いていた傷口に、さらに槍をねじ込む。


 狙うは心の臓。とっとと終わらせて、俺は手下どもを治療せねばならんのだ。憎くてたまらないはずの闇の輩をな!!


「……ガァァッ!」


 痛みに呻いたファラヴギが、腕を振るう。ビヒュッと背筋が凍るような風切り音とともに横薙ぎの爪。咄嗟に転がって避けるが、防護の呪文がほとんど削り取られた。そしてこっちの槍の一撃は浅い! 致命打には程遠い――



「舐・め・る・ナ!」



 バチンッ! と革紐が引き千切れるような音。



「ガキがァァァァァァ――ッッ!!」



 ファラヴギの喉奥に、光。



 こいつ、呪縛を強引に振りほどき――



「――アアアァァァァァァァッッ!!!」



 灼ける光の柱が、俺に降り注ぐ。



 だが俺の手の中で、槍が、もぞ――と身動ぎした。



 ……ああ、思い出すな。おとぎ話でさ。



 勇者が悪いドラゴンに立ち向かう物語があったんだ。



 村長の家に、絵本があったっけ。



 ドラゴンにブレスを吐きかけられて、それでも勇者は――




 白銀の光の奔流が、砦を揺らす。




 純粋な熱のエネルギーに、石のタイルが割れ砕け、壁が赤熱する。


「――はハハッ! ははハハハッ!」


 魔法の呪縛がもはや消え失せたことに気づいて、ファラヴギは笑った。


 眼前にはもうもうと舞い上がる粉塵、石が焼ける煙――


「嬲り殺スつもりダったが、消し炭ニ――……ッ!?」


 なったか、と言おうとして。




 ぶわりと押し寄せる魔力の風に、煙が吹き散らされていく。




「……ひでえ話だ。光のドラゴンに闇の魔族。まるで構図が逆じゃねえか」



 焼けた石のタイルの上で、身をかがめた状態からゆっくり立ち上がる魔族の少年。



 その手には――濃厚な闇の魔力を、まとった、




 骨の、『盾』。




「【――赤熱を禁忌とす】」



 速やかに、周囲の空間が冷却されていく。



 ファラヴギの口内の熱さえ、燃える闘志を道連れに消えていく。



「ひでえ話だ。お前もそう思うだろ?」



 全力のブレスに、真正面から耐えきった魔王子は。



 右手に黒曜石のナイフを、左手に骨の盾を構え――不敵に笑った。

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