42.最悪な展開


 魔王城、夜エルフの領域――地下監獄の最奥部にて、そわそわと落ち着きなく佇むナイトエルフふたりの姿があった。


 そのうちひとり、神経質そうな表情で指の爪を噛む男こそ、監獄審問長官シダール=ト=ヴァサニスティその人だ。


 シダールの齢は130。だいたい250年ほど生きる夜エルフの中では中堅どころといえるだろう。


 狡猾さとしたたかさに定評のある男で、苛烈な減点方式で人材が評価されるナイトエルフ一族において、失態らしい失態を犯さず、着実に地歩を固めてきた。


 しかし今日という日が、彼のキャリアの終点となるかもしれない――ハイエルフの聖女を迎え入れた『貴賓室』に居座り、お楽しみ中の魔族の王子のせいで。


 第7魔王子ジルバギアス。


 よりによってハイエルフ相手に劣情を催しあそばされるとは。

 

(5歳のガキのくせに、無駄に色気づきやがって……!)


 眼前の鉄の扉を睨みながら、シダールは胸中で毒づいた。


(早く出てこい! どうせ童貞でそう長くだろう!)


 そう思ってから、つい室内の様子を想像してしまい、吐き気を催す。


 夜エルフにとって、森エルフとは唾棄すべき存在で、いうならばナメクジみたいなものだ。拷問して苦しむ様子を楽しむのも、感覚的には、畑のナメクジに塩をかけて悶えるさまを眺めて笑うのと大差ない。


 種族的・文化的・宗教的な観点から、森エルフとは害虫みたいなものなのだ。ゆえに、性的な意味では完全に対象外で――もしかしたらそんな変態嗜好の者も一族には存在するかもしれないが、少なくともカミングアウトすることはない――まさか王子がハイエルフの聖女とヤらせろなどと言い出すとは、想定していなかった。


 せめて布切れ1枚でもかけて、裸体を隠しておくべきだったか? いやいや。


(5歳だぞ! ませくれるにも程がある!!)


 魔族は早熟だが、それにしたって限度というものがある。王族の子に自慢のペットの虎を見せたら、美しい毛並みなので交尾させろと言われたようなものだ。想定する方が無理がある。


 しかも、魔王国における治療のまじないを一手に担う、レイジュ族の血を引く王子だけに、無碍に扱えないところが厄介だった。下手に断って短気を起こされたら、どんな悪影響を及ぼすことか。


 が、何よりも恐ろしいのは――


(もしも万が一、聖女リリアナが王子を傷つけるようなことになったら……!)


 どのような苦難が襲いかかるか、想像するだけで気が遠くなりそうだった。


 優れた危機察知能力と先見の明で数多の修羅場を乗り越えてきたシダールをして、さじを投げたくなるような状況だ。


 まず、魔族側が難癖をつけてくるのは間違いない。もしも王子が重傷を負ったり、死ぬようなことでもあれば、王子の母親も怒り狂うだろう。


 いったい何がどうなるか。さらなる戦力供出の要求――夜エルフ一族への予算減額――転置呪の治療枠の削減――そんな事態を招き寄せた『失態』により、シダールは更迭されるとともに、首が胴体と泣き別れする羽目になるかもしれない。


(それもこれも……!!)


 全てはお前のせいだ、と半ば八つ当たり気味に、シダールは隣の姪を睨む。


 ヴィーネ=ト=ヴァサニスティ――プラティフィア大公妃に仕えるメイドだ。彼女はシダールの視線に気づかないフリをするためか、祈りを捧げるように目を閉じて、全神経を耳に集中させている。


『貴賓室』に異変が発生した際に、いち早く助けに入るためだ。


 使用人としてだけではなく、優れた猟兵として訓練を受け、簡単な魔法も扱える夜エルフ一族でも屈指のエリート。しかしそんなヴィーネでも、本気で害をなす聖女が相手では、何秒保つかわからない。王子を救えるかどうかさえ……


 それでも、ヴィーネはけじめをつけるためにやるだろう。


 今回、魔王子ジルバギアスが聖女を見たがっている、というのはヴィーネが持ってきた話なのだから。


(無論、それを許可したのは私だが……!)


 八つ当たりの自覚はあるが、そんな自分への怒りも込みでシダールは腹立たしく思わずにはいられない。


 ヴィーネによれば、ジルバギアスはハイエルフの皮を大層気に入っていたという。レイジュ族と強いつながりを持つ王子だ。今回監獄に招いて、さらにハイエルフの皮製品を献上し、ご機嫌伺いついでに将来的なコネに繋げられればいい、などとシダールは考えていた。


 夜エルフ一族は、魔王国に多大な貢献をしている。戦働きはもちろん、魔族が苦手とする諜報や行政、使用人としての日々の雑役まで。


 だが、魔王国における夜エルフは1等国民ではあるが、魔族よりは明確に格下だ。魔族が独占する悪魔の魔法や、レイジュ族の治療といった各種秘術は、利用が制限され、ごく僅かな者しかその恩恵に与ることができない。


 特にレイジュ族の治療枠の問題は深刻だ。治療待ちのせいで、いったい何人の戦士が手遅れになり、無念のうちに息絶えたことか。


 ジルバギアスを通してレイジュ族に働きかけ、少しでも枠を拡大したいというのが今回の目論見だったが――それも――


(頼む……!)


 早く出てきてくれ……とシダールは闇の神々に祈り、光の神々を呪いながら、眼前の扉を睨んでいた。


 シダール自身も一流の戦士であり、先ほどから耳を澄ませているが、ほとんどそれらしい音が聞こえない。だが王子が害されている様子もない。いったい何をしているのか……



 ――と。



 ガシャン、と鎖がひときわ大きく揺れる音が響いた。


 シダールはジャケットの内ポケットに手を伸ばし、ヴィーネも目を開いてサッと腰を落とす。


 ふたりで目配せした。……今すぐにでも扉を開けるべきか?


 どうだ? とシダールが唇を動かして問うと、異音は聞き取れず、とヴィーネも唇だけで返す。


 いや――かすかに、王子の話し声が聞こえる。聖女に語りかけている? 何を言っているのだ? 『犬』という単語が聞き取れたような。


「――ッ」


 ビクッとヴィーネが身をすくませた。シダールも総毛立つような感覚に襲われる。



 これは――魔力の励起!



 貴賓室で、何か強大な魔法が行使されている!!



「いかん!」


 いわんこっちゃない! この期に及んで、無礼だ何だという余裕はない。シダールは即座に扉に手をかけた。


「殿下! ご無事ですか!?」


 ――ところが、貴賓室の中央には、普通に立ち尽くす王子の背中。ズボンも履いたままだ。はて、お楽しみの最中ではなかったか……?


「ん……ノックもせず入ってくるとは、いい度胸だな」


 ジルバギアスがゆっくりと振り返った。かすかな違和感。……こんな、不敵な笑みを浮かべるような少年だっただろうか?



 部屋に、かつ、かつんという金属音が響いた。



 ふとジルバギアスの背後に視線をやったシダールは――目を剥いた。


 リリアナが! ハイエルフの聖女が!! 床に倒れ伏しているではないか!


 首のロープはおろか、手足の鎖まで断ち切られている。そしてゆっくりと、床の上で起き上がろうとしている――


「馬鹿な!」


 拘束を解いたのか!? まさか王子がここまで愚かだったとは! シダールは己の判断の甘さを呪いながら、ジャケットの内側から折りたたまれた金属製の武具を引き抜いた。


 バシャッ、と音を立てて武具が展開、小型の弓に変形する。さらに袖に仕込んでいた毒矢をつがえ、いつでも放てるよう構えた。


 シダールに続いて部屋に入ってきたヴィーネも、「なっ!?」と上擦った声を上げたが、状況を理解するなりメイド服のスカートを跳ね上げた。太ももにベルトで留めていた投げ矢を抜き取る。その矢じりは分厚い刃になっており、接近戦ではナイフとしても使える代物だ。


「ヴィーネ! 殿下をお連れしろ!!」


 王子が射線に立ちふさがっていて、聖女を射れない。言葉を尽くしてどいてもらうより、さっさとご退出願った方が早い、とシダールは判断した。


「その必要はない」


 だが、駆け寄ろうとするヴィーネを、王子は手で制す。


「この女は、俺が【支配】した」


 ……何を馬鹿なことを。所詮はガキか、1発ヤった程度で屈服させたつもりか? シダールの中でジルバギアスの評価は、もはや地に落ちていた。


 相手にする時間も惜しい。こうしている間にも、聖女は身を起こそうとしている。一刻も早く、多大な苦痛を与えて拘束し直し、意識を奪わねば。駆け寄るヴィーネ、矢を放つべく王子を避けて横に動くシダール。


 ジルバギアスが舌打ちした。


「わからん奴らだ。見てみろ」


 あろうことか、そのまま聖女をぐいと引き起こす。


「ばっ――」


 かな、と矢を放ちかけたシダールだったが、聖女の顔を見て困惑することになる。



 きょとん、としていたからだ。



 ぺたりと尻を床につけて座り込んだ聖女が、「?」と無垢な表情でジルバギアスを見上げている。


「よーしよし。いい子だ。俺がご主人様だ、わかるな?」


 かがみ込んだジルバギアスが、聖女の顔を笑いながら両手で包み込み、ぐにぐにと頬を揉みほぐした。


「? わんわんっ!」


 一瞬、首を傾げたが、顔をわちゃくちゃにされながらも元気に答える聖女。


「――は?」


 シダールも、ヴィーネも、動きを止めた。十分に聡明なふたりの脳みそでも、何が起きたのか理解できなかったからだ。


「……殿下?」

「言っただろう、こいつを【支配】した。見ての通り今ではただのメス犬さ」


 聖女はジルバギアスに撫でられてご満悦、苦痛や恐怖など知らないような顔でニコニコしている。


 ――いや、これすらも擬態かもしれない。


「【舌を噛み千切れクリィノス 己が血に溺れよナルキソス】」


 魔力を込めた言葉を聖女に浴びせる。万が一の事態に備えて仕込んでいた呪詛だ。


「? くぅーん……」


 しかし語気を強めたシダールに怯える様子を見せただけで、聖女には何の効果もなかった。どころか、震えながら、ジルバギアスの後ろにそそくさと隠れる始末だ。


 その姿は……まるで、まるで本当に……犬にでもなったようで……


「まだ疑うか? 魔法でこいつの自我を破壊し、犬だと思い込ませてあるのだ」

「いや……しかし……」

「強情な奴だな。よかろう、決定的な証拠を見せてやる。王子の俺にここまでさせるのだ、ありがたく思えよ?」


 ジルバギアスは不穏な笑みを浮かべ、ベルトから黒曜石のナイフを抜き取った。


 そして、おもむろに自らの腕を切り裂く。


「おお、痛い、痛いなぁ……」


 わざとらしく顔をしかめるジルバギアスに、「きゅーん」と聖女が情けない声を上げてすり寄る。


「リリアナ、心配してくれるのか? 優しい子だお前は……どうだ、手当をしてくれないかな……?」


 そして差し出された腕を、リリアナがぺろぺろと舐めた。


 しゅわ、と泡立つようなかすかな音を立てて――


 燐光とともに、その傷がみるみる塞がっていくではないか。


「なっ……!?」


 シダールは、頭を斧でかち割られたような衝撃を受けた。


 隣ではヴィーネも、投げ矢を取り落とさんばかりに愕然としている。


「と、いうわけさ。よーしいい子だ」


 ジルバギアスがわしゃわしゃとリリアナの頭を撫で、その額にキスをした。シダールは混乱と吐き気を堪えるので精一杯だった。


「実は、こいつを支配するのと可愛がるのにかかりきりで、まだ肝心のには及んでないんだ。こんな場所じゃ落ち着かんし、あとは部屋に帰ってからじっくりと楽しむつもりだ」


 ……何だと。


 王子はいったい、何を言っている。


「俺はこの女が気に入った」


 傲慢極まりない顔で、ジルバギアスは宣言した。


「だからこいつを俺のペットとする。このまま連れて帰るぞ、文句はあるまいな?」




 ――あるに決まっている!!




 シダールはどうにか己に活を入れて、眼前の王子を睨みつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る