43.無理難題


「……いやはや大変失礼いたしました。このシダール、敬服の至りにございます」


 シダールは愛想笑いを貼り付けて、慇懃に一礼した。


「まさか聖女を、このような形で屈服させられるとは……」


 ジルバギアスの後ろに隠れる聖女リリアナ。床に尻をついて座り込み、ジルバギアスの脚の陰からひょっこりと顔を出して、こちらの様子をうかがっている。


 シダールが愛想笑いのまま、目に力を込めて見返すと、すぐに怯えたように顔を引っ込めた。もはや、聖女としての面影は一切残っていない。自我を破壊したというのはどうやら本当のようだ――シダールは内心、腹立たしく思う。



 自我を完全に狂わせると、聖女としての力が喪われる恐れがあった。



 脳みその改造も、その観点から最後の手段としていたのに――ジルバギアスは何の断りもなく、勝手に自我の改変をやってのけた。結果的に奇跡の力が残ったからいいものの、喪われていたらどうしてくれたのか。


 まあ、いい。


 聖女が屈服し、奇跡を利用する目処は立った。


 それを為したのが、眼前の王子であることは揺るぎない事実だが。


 だからといって一族の悲願たる『癒やしの力』の源泉を、そう易易と手放せるはずがない――!


「いかがでしょうか、殿下。お望みとあらば、この貴賓室を殿下専用のお部屋に改造致します。殿下にごゆるりとおくつろぎいただけるように――もちろん、我々も最大限のおもてなしをさせていただきます。そうして殿下がお好きなときに、ご自由に、聖女の身体をお楽しみいただければと」


 まるで商人のような身振り手振りで、話を進めようとする。


「ほほう、えらく謙虚な申し出だなシダール。他人の成果を手中に留め置き、自分は甘い汁をすすりつつ、最大の功労者たる俺にはご足労願うというわけか。俺がそれを受ける意味がどこにある?」


 尊大極まりない口調で、ジルバギアスは一笑に付した。


「俺はこの女を手元に置き、いつでも好きなときに楽しむ。それで万事解決ではないか。わざわざこのしみったれた監獄に足を運ぶ必要もない。違うか?」

「そうは仰っても、殿下」


 監獄をしみったれ呼ばわりされ、シダールは口の端をピクッとさせながらも、愛想笑いを崩さない。


「この聖女の身柄は恐れ多くも魔王陛下により、我ら夜エルフ一族に褒美として下賜されたものにございます。7年前、汎人類同盟の襲撃に際し、我らも奮闘し多大な犠牲を払ったがゆえに。もっとも、殿下はまだお生まれになっていなかったので、ご存じなかったかもしれませんが……」


 若造が。この聖女は、お前の父親から貰い受けたもの。すなわち我らのものだ。


「聞き及んでいる。勇者たちを相手取って随分と血を流したらしいな。おかげで父上も、残党を処理するのが多少は楽になったと仰っていたぞ。城のどこで戦闘が起きていたか、血飛沫で一目瞭然だったらしいからな」


 粋がるなよ雑魚め。お前たちは魔族のおこぼれに与ったにすぎん。


「そして、父上から聖女の肉体を、お前たちは嬉々として切り刻み、弄んでいたわけだ……7年に渡って、な」


 不意に、ジルバギアスが笑みを消して、冷たい眼差しを向けた。



「――お前たちはこの7年間、いったい何をしていた?」



 そこにあるのは、どこまでも酷薄な色。夜エルフを下等種族とみなし、蔑む、傲慢極まりない目だった。


「研究していたといえば聞こえはいいが、結局拷問して遊んでいただけではないか。血の利用法を模索していた? よかろう。支配を試みた? それもよかろう。結果として奇跡をものにするには至らなかったとしても、まあそれも仕方はあるまい。世の中、全てが思い通りに運ぶわけではないからな。……と言ってやりたいところだが」


 ジルバギアスは、足元で四つん這いになって寝転ぶリリアナを示す。


「この体たらくはどう説明する?」


 完全に支配下に置かれた聖女という、これ以上ない実例を前に。


「俺がこの部屋に来てから、どれほど時間が経った? 5分か、10分か? 俺には、シダール。これがお前たちの無能の証明でないというならば、他に何だというのだ?」


 獲物を弄ぶ肉食獣のような表情で、痛烈に糾弾するジルバギアス。たかが5歳児に虚仮にされる屈辱、だが同時に、それはぐうの音も出ない正論でもあった。歯を食いしばって拳を握りしめたシダールは、咄嗟には反論できなかった。


「どうやら、お前たちは勘違いしていたようだな」


 もったいぶった口調でジルバギアスは言葉を重ねる。


「聖女はただのオモチャとして、お前たちに与えられたわけではない。奇跡の価値を鑑みれば、父上も一定の成果を期待しておられたのは明白。魔王国において夜エルフほど森エルフに詳しい者はいない――そうお考えの上でな。実際はとんだ買いかぶりだったようだが……」


 やれやれと首を振ったジルバギアスは、ぺたんと座り込んだリリアナの頭を微笑みながら撫でた。


「わんっ! わんっ!」


 きらきらと青い瞳を輝かせてジルバギアスを見上げるリリアナは、尻尾さえあれば振っていそうな懐きようだ。


「よしよし、かわいいぞ。……この女はお前たちには過ぎた代物だったのだ。わずか数分で支配を成し遂げた俺こそが、7年もの時間を浪費したお前たちよりも、ずっと所有者として相応しい。むしろ、これからそのとやらに――」


 ジルバギアスはあからさまに失笑した。


「――費やされるはずだった時間と労力を、お前たちは無駄にせず済んだのだ。称賛と感謝の言葉なら、いつでも受け付けているぞ」

「……お言葉ですが、殿下」


 たまらず、唸るようにしてシダールも口を開く。


「聞こう。俺は目下の者であっても、反論を許す程度には寛容だ」


 間髪入れずに煽るジルバギアス。笑みを引きつらせるシダールの横で、ヴィーネは猛烈な違和感に襲われていた。これは……本当に、あのジルバギアスか? 攻撃的で傲慢極まりない言動、普段の人となりからあまりに乖離している。


 だが、この場で口を挟むなんて、そんな恐ろしいことはヴィーネにできなかった。黙って議論の行末を見守るしかない――おそらくはヴィーネ自身の進退にも関わってくるであろうやりとりを――


「殿下、あなたは賭けに勝ったのです……」


 鉄面皮を保つヴィーネに対し、シダールの愛想笑いの仮面は、もはや苛立ちを隠しきれていなかった。


「ただし、勝てる見込みがあるかもわからない、無謀な賭けに!」

「ほう? 俺はたまたま運が良かっただけ、とでも言いたいのか?」


 ジルバギアスは眉を跳ね上げて、後ろ手を組んだ。


「恐れながら――過度な自我の改変は、聖女の力を損なう恐れがありました。だからこそ我らも、頭脳や記憶の改造には慎重だったのです! それらはあくまででした!」

「その気になればいつでもできた、と。失敗を恐れて、あと一歩が踏み出せなかったのが今回の敗因だな。貴重な教訓が得られたじゃないか。次に活かすといい」


 次があればの話だが――と含み笑いも忘れない。


「あなたは! あなた様は! 我らにとって、その聖女がどれほど希少な存在であったかを理解されていない!」


 シダールの叫びはもはや悲鳴のようだった。


「失敗したら取り返しがつかなかったのです! あなた様は自らの所有物でなかったからこそ、そのような無茶な真似ができた!」

「取り返しがつく失敗でなければ、挑戦することもできないというわけか? 惰弱に過ぎるな」

「……聖女の癒やしの力は、我らが一族の希望です。ジルバギアス殿下。先週は前線で大きな動きがあったこともあり、一族の者が20人冥府へと旅立ちました」


 苛立ちと怒りで血の気が引いた顔。シダールの口調の節々に毒気が滲む。


「我らに充てられた転置呪の枠では、とても治療が間に合わず。必死の手当てと延命の甲斐なく、苦しみながら逝ったのです……!」


 そう。転置呪による治療は魔族が最優先。夜エルフたちが受けられる数には限りがある。1週間以上待たされることもザラで、同時に大量の重傷者が出てしまうと、枠の奪い合いになって多くの者は手遅れになる。


「……殿下。夜エルフ一族は魔王国に血と忠誠を捧げております。魔王国のためには身命を賭す覚悟にございます! しかし! ひとりでも多くの戦士を生きながらえさせたい、そう願うのはおかしいことでしょうか!?」


 燃えるような真っ赤な瞳で、シダールは聖女リリアナを睨んだ。ジルバギアスの脚に隠れる彼女を、執着と羨望の眼差しが追う。


「その聖女の血の力があれば、彼らも犠牲にならずに済んだかもしれない! 傷口が膿んで手足を切り落とさずに済んだ者もいたかもしれない! しかも殿下、あなた様はレイジュ族のご出身だ!! 聞けば先週は過酷な訓練で、何十人と人族を使い捨てにされたとか……!」


 夜エルフの戦士たちが、治療を受けられずに死んでいくのを尻目に。


 この王子は訓練のためだけに、何十回と転置呪を使っていたのだ。


 いくら魔族が支配階級とはいえ、理不尽がすぎる!!


「あなた様には、もう【転置呪】の力があるというのに――この上、我らから聖女の癒やしの力まで取り上げられるおつもりかッ!」


 シダールの、夜エルフ一族の魂の慟哭を浴びたジルバギアスは――


「……ふっ。くくっ、ふははははははッ!」


 噴き出した。


 シダールの額に青筋が浮かぶ。相手が王子でさえなければ、「何が可笑しい!」と殴り倒していただろう。俯きがちに話を聞いていたヴィーネでさえ、鉄面皮で怒りの表情を押し隠そうと必死だった。


「……いや、すまない。悪かった。決して、犠牲となった戦士たちを侮辱する意図があったわけではない。そう取られても致し方ない振る舞いだったことは、重ねて詫びよう。――俺はただ、シダール。お前が哀れで滑稽で仕方がなかったのだ」

「どういう、意味に、ございましょう」


 返答次第ではこちらにも考えがある、と言わんばかりに。もはや表情すら取り繕わずに、シダールは眼前の王子を睨みつけた。


 さすがに我慢の限界だ。普段、夜エルフたちが魔族にかしずいているのは、一族の繁栄のためであって、決して魔族を調子に乗らせるためではない。


「この聖女の癒やしの力が、一族の悲願だと言ったな」


 シダール、そして隣のヴィーネの険しい視線などどこ吹く風で、再びリリアナの頭を撫でたジルバギアスが、そっとかがみ込んだ。


 ニコニコと笑うリリアナの口に、おもむろに指を突っ込む。


「……くぅーん?」


 何これー、とばかりに首を傾げたリリアナだったが、そのままぺろぺろとジルバギアスの指を舐めている。


「聖女の体液だ。光の魔力と癒やしの力がたっぷりと込められている」


 唾液にまみれた指を引っこ抜いて、ジルバギアスがニヤリと笑った。


「お前も体験してみるといい。この癒やしの力をな……腕を出せ」


 歩み寄り、指を突き出すジルバギアス。ハイエルフの唾液――少し、いや、かなり抵抗があった。生理的嫌悪感もさることながら、これまで幾度となく血や体液の利用を試みては、光の魔力で肌を焼かれた経験があったからだ。


 だが、仕方がない。シダールはいやいやジャケットの袖をまくった。


 そしてナイトエルフ特有の病的なまでに白い肌に、ジルバギアスが指の唾液を塗りたくる。



 ジュッ! と鉄板で肉を焼くような音が響いた。



「が――ッ!!」


 途端、激痛がシダールの腕を襲った。たまらず飛び退く。見れば唾液が沸騰し、肌が半ば溶かされたかのようにただれているではないか。


「やはりこうなったか」


 もはや嘲りの色さえなく、憐れむような目を向けるジルバギアス。


 痛みを堪えながら、シダールは混乱している。なぜだ。聖女は、支配下に置かれたのではなかったのか?


「これは俺がやったことだからな、俺が責任を取ろう。【転置メ・タ・フェスィ】」


 不意に、王子から魔力の手が伸び、シダールの腕を包み込んだ。傷口が痛みごと、引っこ抜かれていくような異様な感覚――転置呪だ。


「っ……これは、かなりキツいな。なるほど」


 シダールの腕からはきれいに傷が消え去り、代わりにジルバギアスの肌が焼けただれた。わずかに顔をしかめた王子だったが、傷口に聖女の唾液を塗りたくる。


 しゅわ、と爽やかな音が響いて、たちまち傷が癒やされていく――


「……なぜ」


 呆然と、シダールはつぶやいた。なぜ、王子は奇跡の恩恵に与れているのに、自分には適用されない――


「簡単なことだ」


 リリアナのもとに戻ったジルバギアスは、かがみ込んで彼女の裸体を抱きしめた。王子の胸板に頭を預けた聖女が、すりすりと頬ずりしている。


「――転置呪の話をしよう。このまじないは、レイジュ族の先祖が怪我に苦しむ我が子を見かねて、傷を『引き受けた』ことから始まった」


 リリアナの金髪を指でとかしながら、ジルバギアスは語る。


「今でこそ、他者を傷つけるためにも使われる立派なのろいだが――その始まり、根源は、親から子への愛だったのだ」

「……愛」


 おおよそ、傲慢な魔族の口から紡がれたとは思えぬ単語に、シダールとヴィーネは顔を見合わせた。



「そして――光の陣営の奇跡についても、同じことが言える」



 穏やかな口調で続けられた言葉に、シダールはぞわ、とおぞましい感覚が背筋を這い上がるのを感じた。


 とてつもなく、嫌な予感がする。いっそこのまま耳を塞いでしまいたい――


「考えても見ろ。殺したいほど憎い相手を、癒やして救いたいと願う者がいるか? 癒やしの奇跡の根源もまた、愛なのだ。愛し愛される者のために祈り、願った末に、天から与えられる――それこそが奇跡」


 ジルバギアスの瞳が、こちらをひたと見据えた。


。なんと哀れでかわいそうな女だと。見かねて手を差し伸べた。そして、その苦痛と恐怖を忘れさせてやったのだ。だからこそ、この女も俺の愛に応えた」


 愛する者にこそ、光の奇跡は恵みを与え給う。


 闇に巣食う悪しき者であろうと、慈愛の光は降り注ぐのだ。


 ただし。愛ではなく憎しみをもって応える者には、灼熱の光となって――


「シダール、これほど滑稽な話があるか? 必要なものは愛だったのに、お前たちは代わりに、地獄の責め苦を与えることでを得ようとしていたのだ」


 知らず識らずのうちに、シダールとヴィーネは後ずさっていた。蜘蛛の巣のように伸びるジルバギアスの、呪いの言葉から逃れようとするかのように。


「言っただろう。簡単なことだ。もしも聖女の奇跡を欲するなら――」


 リリアナの額にキスをして、ジルバギアスは言い放つ。




「――この女を愛し、愛されてみせろ」




 もう手遅れかもしれんがな、と笑いながら。

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