41.勇者の決断


 俺には2つの選択肢がある。


 1.リリアナを殺して責め苦から解放する。


 2.ここからリリアナを救い出す。


『救い出す選択肢があったとは驚きじゃ』


 おどけたふうにアンテは言うが、口調の割に冷え冷えとした心情が伝わってきた。


『だが、どうするつもりじゃ? 密かに連れ出すのは不可能じゃぞ』


 わかってる……。だから、連れ出すとしたら堂々と、だ。



 ――俺がリリアナを【支配】したことにする。



 聖女が気に入った。魔力のゴリ押しで屈服させ、我がものとした。だから持ち帰る。そのていでナイトエルフたちを納得させるしかない。


『…………』


 アンテはしばし、沈黙した。


『あの女に、正体を明かすつもりか』


 静かで、厳かな問い。俺は教皇様の審問でも受けているかのような気分になった。


 ……だが、やるなら、それしかないと思う。俺の名を明かせば――彼女はきっと協力してくれるだろうから。


 いや、言われなくても、わかってるさ。それがどれだけ危険なことかは。俺の正体がリリアナ経由でバレたら――待っているのは破滅だ。


『それもあるが』


 一切の感情を廃したような声。


『懸念事項は、どのような仕込みがしてあるかわからぬことじゃ。ナイトエルフたちは聖女の心を折った、と明言しておった。魂までは完全に手中に収めておらんにしても、表層意識くらいは操れるかもしれん』


 例えば呪文キーワードひとつで言うことを聞かせ、何が起きたか、自己申告させることくらいはできるかもしれない。


『それで聖女が話してしまえば――目撃者を全員口封じせねばならぬ。連鎖的に破滅するだけじゃ』


 ……たしかに周到なナイトエルフのことだ。万全に万全を期して、聖女が脱走した際に備えて、呪詛のひとつやふたつは仕込んでいそうだ。


 だが、ナイトエルフが使える程度の呪詛なら、の魔法で上書きできないか?


『どういうことじゃ』


 制約だよ。威力が足りない場合は、禁忌の魔法。


 キーワードで一時的に制御下に置くような精神操作の呪法なら――それはリリアナを対象に取るはず。


 だったら、『リリアナとしての人格や思考』を封じてしまえば、どうだ?


 まず最初に、リリアナに強い魔力を込めた言葉で言い聞かせる。『お前はリリアナではない』と。代わりに別人物――は再現が難しいから、そうだな、犬なり猫なりだと思い込ませよう。次に、自分の正体を思い出すことを禁じる。そして俺のペットにしたという名目で連れ出すんだ。


 犬真似をする羽目になるのは、彼女にとっても屈辱だろうが、ここで地獄の責め苦を味わい続けるよりかはマシなはず。


 俺の名を明かして、彼女が心を開いてくれれば。


 そして今の俺の全力と、弱った彼女の魔法抵抗なら。


 それくらいの呪いならかけられるかもしれない。


『ふむ……可能か不可能かであれば、可能ではあるかもしれんの』


 ただし、と付け足すアンテ。


『問題があるとすれば、禁忌の魔法はお主にも効果があるということじゃ』


 そうだ。だがアンテ、お前には効果がない。俺の中にいれば、お前は禁忌の魔法の影響を受けない、そうだろう?


 俺もまた、自分の正体アレクサンドルを思い出すことを禁じよう。ジルバギアスとして振る舞うんだ。勇者としての使命も忘れてしまうだろうから、お前が中から俺に指示してくれ。


 俺自身も相応の代償を支払うから、かなり強力な魔法になるはず。ついでに正体についての言及を禁じれば盤石だな。あとはここを脱出してから、ひとりになったタイミングで、アンテが魔法を解除していい。


『……確かにそれならば、可能かもしれん。ジルバギアスとして振る舞うお主の言動が未知数である点は不安じゃが……』


 そこは……お前に頼るしかない。ただ、理由を忘れても、リリアナを連れ出したいという欲求は残るはずだし、俺の人格が途端に魔族みたいな残虐非道に変わることはない――と信じたい。


『まあ、それは置いておこう。しかしお主、ひとつ重要な視点が抜けておるぞ』


 ……何か抜けがあったかな。


『あるとも』



 アンテは一拍置いて、問うた。



『連れ出したあとは、どうするつもりじゃ?』



 …………。



『確かに、お主の愛玩動物としてなら、生存は許されるであろう。だが、ずっとお主の部屋でそのまま飼い殺しか? それは、果たして救い出したと言えるのか?』


 ……でも……拷問を受け続けるよりかは。


『そうかもしれん。だがいずれにせよ、自我を取り戻してしまえば、情報漏洩の危険はつきまとう。正体について言及を禁ずることで保険はかけられるが――お主の周囲にはナイトエルフの配下がうようよおることを忘れるでないぞ』


 針のむしろのような環境は、変わらない。


『であれば、屈辱的なペットのふりを続けざるを得なくなるじゃろう。……果たしてそれは、本当に救いか? 城を脱出させるのも難しかろう。ペットとして用済みだとお主が言えば、ナイトエルフどもが身柄を引き取りに来るじゃろうからな』


 そして、ペットとして御しやすくなった聖女を、どうにか利用しようと実験と研究を続けるに違いない……。


 ……なら、どうしろってんだ。


 やっぱり殺すしかないってのか?


『あるいは、それも慈悲やもしれぬ……』


 アンテは唸るように言った。


『そもそも、お主の大目標。魔王を倒し、魔王国を滅ぼし、人族を救うためならば、ある程度の犠牲は許容する覚悟ではなかったか。お主の正体が露見すれば全て台無しになる危険性を鑑みれば、一思いに殺すか、ナイトエルフとの関係悪化さえも避けて見殺しにする手もあるはずじゃ』


 お主は必死で、その選択肢を考えぬようにしておるようじゃがの、と。


 ……俺は知らず識らずのうちに、拳を固く握りしめていた。アンテの言葉は、正論だった。どうしようもないほどに。


『……勘違いしてほしくはないが、お主を責めているわけではない』


 語調を柔らかくして、アンテは言った。


『ただ、広い視野を持ってほしかったのよ。今のお主は、救い出すことに必死になっておるように見えた。救うなら救うで、我は構わぬ。だが他の選択肢と、それぞれの利点欠点をよくよく検討してから、結論を出すべきではないか』


 最後の最後で、お主に後悔してほしくない――と、独り言のように。


『幸い、考える時間はまだ残されておる。10分か、20分か……』


 裏を返せば、それまでに――リリアナの運命を決さねばならない。



 俺は、まるで石の塊でも飲み込んだみたいに、腹の奥がずっしりと重く感じた。



 そう……俺は、覚悟を決めていたのだ。魔王を倒すためなら、何でもする、と。



『――今さら、こいつだけは救い出すのか?』



 背後からそんな声が聞こえた気がした。


 アンテではない。俺が今まで、見殺しにしてきた人々の怨嗟の声だ。


 名乗りの魔法のために兵士たちを殺して以来、俺はもう何十人と見捨ててきた。


 仕方なかった、と言い切ることはできる。人族に救いの手を差し伸べるような真似は、魔族の王子として不自然すぎてできなかったからだ。


 対してリリアナは――希少なハイエルフだから自分のペットにした、という体裁を取れば、それは実に蛮族らしい振る舞いだ。


 


 彼女が顔見知りだから、ハイエルフの聖女だから、7年以上も地獄の責め苦を受けていたから、贔屓してないと言い切れるか?


 彼女だけ救い出すのは、


 ……ハイエルフを手元に置くことのメリットは、いくつか思いつく。彼女の奇跡の力が俺にもたらされるかもしれない。転置呪の対象に取ることで、実戦形式の訓練でもこれ以上人族の犠牲を出さずにすむかもしれない。


 だが、正体がバレて、全ての目論見が崩壊する危険性があることも確かだ。それらのメリットが、リスクに見合っていると言い切れるか?


 今まで、何人も見殺しにしてきた。


 だから、今回も見殺しにするべきではないか?


 これまで犠牲になった人たちに――どう顔向けすればいいんだ。



 ――殺してしまえ。



 そんな声が聞こえた気がした。



 ――全てを犠牲にしてでも魔王を倒すのがお前の使命だ。



 その声に従えば。



 ――お前は楽になれる。



 もう、思い悩む必要もなくなる……。



「……ッ」


 いいや、ダメだ。思い悩め。それが俺の責務だ。


 勇者としての矜持が、警鐘を鳴らしている。


 これまで、何十人も見殺しにしてきた。


 だが、それは、


 俺は全力を尽くさねばならないんだ。ひとりでも多く助けるために。


 そうだ、忘れるな。魔王を倒すのも、魔王国を滅ぼすのも――全てはみんなを救うためだ。復讐が原動力であることは否定しないが、いちばん大切なのはそれなんだ。


 ベルトに手を伸ばす。吊り下げていた、兵士たちの骨を手に取る。


 実に手に馴染んだ彼らの遺骨は、自然と槍の柄の形になった。




 ……許してくれますか。




 目を閉じ、両手でぎゅっと柄を握りしめて、俺は彼らに語りかけた。




 ……あなたたちを死なせた俺が。




 それでも誰かを助けるのを、許してくれますか……?








『……なんと』


 不意に、アンテが息を呑んだ。


 目を開いた俺は――同じように、言葉を失う。






 手の中の遺骨が――変形していた。




 槍の柄から、『剣』の形に。




 人族の力の象徴に。




 骨の刃が、ぶるりと震える。




『御託を並べる暇があるなら』




 あの、年かさの兵士の声が聞こえた気がした。




『――ひとりでも多く救ってみせろ』




 そうだ 俺は



 誰がなんと言おうと



 勇者だ。




 ――骨の剣を閃かせる。


 リリアナの首を締め付けていた、ロープを断ち切った。


 がくん、と首の支えがなくなって、カチャカチャと鎖が揺れる。……さすがは聖女だ、みるみるうちに顔に血色が戻っていく。


「……ぅ……」


 わずかなうめき声を上げたリリアナが、意識を取り戻した。


 恐る恐る顔を上げ、俺の姿を認めて「……ひっ」と震え上がった。四肢に繋がれた鎖が再び細かな音を立てる。


 怯えている。


 これからどのような責め苦が訪れるか、恐怖に押し潰されそうになっている。


 かつての元気いっぱいな彼女の面影なんて、これっぽっちも残ってなくて……俺は泣きそうになった。


「…………」


 人差し指を唇に当てて、静かにするよう身振りで示した。


 おそらく鉄の扉の向こうでは、ナイトエルフたちが聞き耳を立てているだろう。


 だから、声は出さない。


 代わりに――



 指先に、魔力を集中させる。



 ……リリアナ、お前は、憶えているかな。



 俺は、虫食いだらけの記憶でも、忘れてなかったぜ。



 光の神々よ、ご照覧あれ。



聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ この手に来たれスト・ヒェリ・モ



 銀色の火花が、弾けた。



 それは俺の指先を焼きながらも――白い花の模様を描く。



「…………っ!」


 リリアナが驚愕に目を見開いた。


 俺は指先から放った魔力で、空中にエルフ文字を描く。


 ハイエルフのお前なら、読めるだろ?




『俺だ 勇者アレクサンドルだ』




『お前を 助けに来た』





 ――彼女の青い瞳から、涙がこぼれた。

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