39.囚われの聖女


 ――初めての出会いは、戦場だった。


 忘れもしない、エルフの森の防衛戦線。


 ゴブリン、オーガ、獣人で構成された先鋒隊を退け、つかの間の平穏を取り戻した陣地で、俺は独り地べたに座り込んで飯を食っていた。


 すると――不意に、ふわりといい香りがした。


 いつの間にか隣に、フードを目深にかぶった女が座っていた。


『ねー、あなた勇者でしょ。人族の聖魔法っての、見せてくれない?』


 フードの奥、宝石みたいな青い瞳が、好奇心にきらきらと輝いていた。


 雰囲気で、ああ森エルフだと気づいた。


 そして俺は、こういう手合いに慣れっこだった。


 もともと閉鎖的な森エルフは、その長い長い一生を、他種族と全く関わることなく終えることも珍しくなかったそうだ。完全に森で自給自足できる彼らは、他種族との交流を必要としていなかった。


 だが、それも過去の話――長引く魔王軍との戦争が、幸か不幸かそんな事情を変えてしまった。


 汎人類同盟が結成され、交流が活発化した。そして刺激を求める好奇心旺盛な若いエルフたちが、こっそりと里を抜け出しては、同盟の兵士にちょっかいをかけに来るようになったのだ。


 そのとき俺は、激しい戦闘で疲労困憊していた。邪険に扱って、さっさと追い返すのも面倒くさいと思えるほどに。


 だから、最初から諦めて、指先に一瞬だけ聖属性の光を灯した。


 くるりと指を回し、白い火花で簡単な花の模様を描いてみせる。


『気は済んだだろ。帰りな』


 お嬢ちゃんのような子が来る場所じゃない、と俺は言った。


 どうせ若い見た目で、俺よりは歳上なんだろうけどな、などと思いながら。


『ところがそうもいかないの。あたし、もしかしなくてもあなたの同僚だし』


 ――なに? と怪訝な顔をする俺をよそに。


 彼女は、まるで見えないハープでも奏でるように、空中で指を踊らせた。


 ぼんやりとしか知覚できなかったが、極めて高度な魔法が編まれている。


 歌うように、祈りの言葉を口ずさみながら――唇に人差し指を当てた女は、ふぅっと俺に息を吹きかけた。


 瑞々しい魔力が、生命力の奔流が。


 俺の全身を包み込み、使い古しのボロ雑巾みたいになっていた俺の体に、みるみる活力が戻ってくる。


『あたし、リリアナっていうの』


 フードを外しながら、彼女は言った。


『聖大樹連合から派遣された、……いわゆる、聖女ってやつ』


 ちょっと気恥ずかしそうに、はにかんだ笑みを浮かべながら。普通のエルフよりもちょっとだけ長く尖った耳。可憐な花のような美貌。健康的に日焼けした肌。


『ねー、あなたの名前は――?』



 それが、『聖女』リリアナとの出会いだった――




          †††




「――あのときは本当に傑作でした、この女のブタのような悲鳴といったら!」


 そして現在。俺は魔王城の地下で、胡散臭いナイトエルフの話を右から左に聞き流していた。


 強襲作戦からおおよそ7年――その間に聖女をどのように辱めたか、苦しめたか。聞いてもいないのに延々と話し続けている。


 詳細は割愛しよう。……だが、ゴブリンの群れに放り込まれたり、皮を剥がれたりなんてのは、彼女が味わった苦しみの数百分の1にも満たないことは、記しておく。


「いやはや、それにしても驚いたな」


 これ以上は有用な情報も喋りそうにない、と見切りをつけた俺は、胡散臭い男――シダールの言葉を遮った。


「この女ひとりのために、随分と厳重ではないか。なぜ、このような――」


 ……なんて言えばいんだ。


「――なぜ、このようなを?」


 ついでに、黙って着いてきていたメイドのヴィーネを見やる。……彼女は嗜虐的な冷笑を浮かべて、ぐったりとした聖女をただ眺めていた。やっぱりヴィーネもあちら側か。わかってはいたが。


「よくぞ聞いてくださいました!」


 話を遮られて気を害するでもなく、パンと手を叩いてシダールが答える。


「実は、ここに至るまで、我々も少なくない犠牲を払ったのです――」


 忌々しげにリリアナを睨みながら。


「――もちろん、死ぬほど後悔はさせましたがね」

「ほほう」

「まず四肢ですが、これは逃走防止と魔法の妨害、ふたつの目的を兼ねています」


 シダールはおもむろに、壁にかけてあった鋭いナイフを手に取った。


「このように、」


 無造作に、リリアナの胴体に刃を突き立てる。俺は自分が刺されたわけでもないのに、悲鳴を上げそうになった――声を押し殺す。


 対してリリアナは、グリグリと腹をナイフで抉られているのに、「う゛ー……」とかすかなうめき声を上げるのみだった。


「ナイフで刺したくらいでは、聖女は死にません。御覧ください」


 シダールがナイフを抜く。腹からどす黒い血が溢れ出した――普通なら致命傷だがすぐに出血が止まり、即座に傷が塞がっていく。


「光の魔力の、非常に強力な癒やしの効能です。ヴィーネ、明かりを」

「はい」


 ヴィーネが、ランプのシェードに覆いをかけた。


 すると監獄が真っ暗になり――その中で、リリアナの真っ白な肢体と、床に垂れた血液だけがぼんやりと光を放っていた。それはどこか幻想的な光景であり――悪趣味な絵画でも見せられているみたいだった。


「この驚異的な回復力により、皮を何度剥がれようが、手足を切断されようが、すぐに治ってしまうんですよ。傷口を鉄で焼き固めなければ、手足も生え変わってしまうほどです、まるでトカゲの尻尾ですな」


 部屋に明かりが戻る。布切れでナイフの血を拭い去りながら、感心したような蔑むような口調でシダールは言う。


 ……知っていたさ。彼女の回復力は。


 それを他者にも分け与えられるのが、彼女の強みのひとつだった。


 だが……今となっては、そのしぶとさが仇になっているとしか思えない。


 ちなみに、森エルフといえばその健康的な日焼けが特徴だが――日の差さない地下牢で幾度となく皮を剥がれ続けた結果、リリアナはナイトエルフのような真っ白な肌に変わっている。「太陽の恵みを奪い去ってやった」とシダールは笑っていた。


「森エルフは魔力を『編み』ますからね。手足を封じるのは有効な魔法対策でもあるわけです。ところが、ここに閉じ込めた直後は、この女もまだ反骨心を失っておりませんで。自身で回復を敢えて、手足を失ったフリをして、監視が緩んだ隙に脱出しようとしたのですよ」


 苦々しさと憤怒が入り混じったような表情を浮かべるシダール。


「……おかげで、5人の尊い若者の命が失われました。光の魔法で焼かれたのです。この女が焼いたのです!」


 せっかくきれいに血を拭い去ったナイフで、衝動的にリリアナの胴を斬りつける。真っ白な肌にビッと赤い線が走ったが、それもすぐに治ってしまった。


「……というわけで、こうして動きを封じたわけですが。ハイエルフですからね、何をしでかすかわかりません。そこで登場したのが、この縄です」


 リリアナを半首吊り状態にしているロープ。


「手足の鎖と長さを調節して、体重の半分ほど首にかかるようになっています。これにより気道と頸動脈が圧迫されて、思考が常に混濁しています。多少監視の目が緩んでも、この状態に置いてさえおけば、魔法の行使はおろか糞尿を我慢することもできないというわけです」


 もちろん常人なら数時間で死ぬでしょうがな、とシダール。超回復力の聖女ならではの封印法というわけだ……


「薬物の類はすぐに耐性を持ってしまいますから、この方法が最適でした。無論……このようなをせずとも、四六時中拷問で苦痛を与えていれば、魔法の妨害は容易ですが――」


 ここで、何を思ったか、シダールは恥じ入るようなそぶりを見せた。


「お恥ずかしながら、この女を捕らえて7年と少し。拷問がマンネリ化してきてしまいまして」

「拷問がマンネリ化」


 初めて聞く単語の組み合わせだ……


 できれば一生涯、聞きたくなかった……こんな組み合わせ……


「最初はみなで押し合いへし合いして、四六時中拷問にかけていたのですが。ええ、その甲斐あって心はへし折れましたが――思った以上に飽きが来てしまいましてな」


 そんな身内の恥を晒すような顔をされても。


「我々が培ってきた拷問技術は、短期間で対象を最大限に苦しませることに焦点を当てています。つまり、最終的に対象が死ぬことを前提にしているのです。こんな生き汚いブタを苦しめることは想定になかった……もちろん、我々も試行錯誤は続けましたが――」


 続けんでいい! そんな試行錯誤は!!


「我らの創造力クリエイティビティも枯渇してしまいまして。ええ。どのような責め苦を与えたかは、先ほどお話ししたとおりですが」


 たしかに、悪意の煮こごりみたいな、ありがたい話を聞かせてもらったな。だが、あれが『限界』でもあったのか……


「こうして本日、ジルバギアス様がお越しくださったのも、何かのご縁。魔族の方ならば、また違った責め苦も思いつかれるのでは、などと愚考いたしまして」


 そう言って、シダールは期待の眼差しで俺を見てきた。


 おいおい……。


 ヴィーネを見れば、こちらもきらきらと目を輝かせている。


 おいおい……何だよ、この状況は。勘弁してくれよ。


 道理で、やけにすんなり許可が下りたと思ったら。


 俺に、新手の拷問法を考えさせようって魂胆だったのか……。



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※コミック3巻にはこのあたりのエピソードが収録されています。

 作画のニトラ先生と編集氏が日和らずアクセル全開にしてくださったので、ぜひぜひご覧になってください!

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