38.夜エルフの牙城


 どうも、勇者時代の顔見知りが、ナイトエルフに囚われているらしいことを知ったジルバギアスです。


 どうしたもんかな。


 自室に戻った俺は、窓際で本を読むフリをしながら考える。


『まず、お主がどうしたいか、じゃろう』


 そりゃあ……助けたいさ。


 今までだって、ずっとそうだった。人族の兵士たちも、転置呪の身代わりにされた人たちも、みんな助けたかった。


 だが……状況が許さなかった。


 そして今回も厳しそうだ。助けるのが無理なら、せめて、苦しませずに死なせてあげるくらいのことはしたい。事故に見せかけるなり、俺が短気を起こしたことにするなりして、殺す。


『……死んだ方がマシというわけか。あまりお主らしくないの』


 実際マシだ。仮に俺が森エルフに生まれ変わったとして、夜エルフに捕まりそうになったらその場で自害するぜ。


 戦場ではたびたび、森エルフの惨殺死体を見かけることがあった。大抵、夜エルフの捕虜になった奴らだ。


 ――俺は戦場で見かけた死体の数々を思い浮かべて見せた。


 こんな目に遭わされるんだぞ? 大人しく死んだ方がマシだろ。


『うぬぅ……これは酷い』


 禁忌の魔神をして閉口させる凄惨さ。夜エルフの、森エルフを苦しめ辱めることにかける情熱と執念は、魔族の我の強さでさえ遠く及ばないほどだ。


『我、ナイトエルフどもが嫌いになりそうじゃ。我に流れ込んでくる、現世の禁忌の力の何割かは、彼奴らの手によるものかもしれぬ』


 ん、なんで嫌いになるんだ?


 力が流れ込んだら強くなれるんじゃないのか?


『力を得られるのはたしかじゃが、質が悪いというか……どう例えたものかのぅ』


 うーむ、としばし考えたアンテは、


『そうさな……定命の者にもわかりやすく言うなら、口に管を突っ込まれ、粗雑な油を腹に流し込まれて無理やり肥え太らされる感覚、とでも言おうか?』


 それは……イヤだな。


 俺はぷっくりと肥え太った、だらしねえ体型のアンテをイメージした。


『やめんか』


 幻の手が胸から生えてきて、俺の目ん玉を無造作に指で突く。


「ぐあッ」


 実害はないが! 感覚はあるッ!


「ご主人さま? いかがなさいました?」

「い、いや……目に羽虫が飛び込んできてな……大事ない」


 ほら、ガルーニャが心配そうにこっち見てんじゃねえか! うかつなことをしてくれるなよ!



 ……どうしたもんかな、本当に。



『実際の状況を、もうちと詳しく調べてから考える、という手もアリではないかの。妥協案ではあるが』


 救出を試みるにせよ、一思いにとどめを刺すにせよ、か……それしかなさそうだ。


 何はともあれ、ナイトエルフのことなので、一番詳しいであろう当のナイトエルフに聞いてみることにした。


「なあ、ちょっといいか」

「はい、何なりと」


 ナイトエルフのメイドのひとりに、囚われのハイエルフについて尋ねる。


「もちろん、存じ上げております……」


 普段は澄まし顔で表情を出さないナイトエルフのメイドが、ニチャァ……と粘着質な笑みを浮かべた。


『これだけで察しがつくというものじゃ』


 違いない。


「俺はまだ、ハイエルフというものを見たことがない。それに、聞けば身の程知らずな強襲部隊の生き残りらしいじゃないか。どんなザマで生き恥を晒しているか、ぜひそのツラを拝んでみたいと思ってな……」


 俺が、いかにも夜エルフ好みな表現で話すと、案の定ネチネチと喜んでいた。


「何を隠そう、監獄の責任者はわたくしの一族の者でして」


 そのメイドは、尖った耳をピクピクさせながら得意げな顔で言った。


「ジルバギアス様をご案内できるなら、光栄の至りでございます。今朝にでも責任者に打診して参りますので、ご期待くださいませ」


 慇懃に一礼するメイド。


 今日の知見。


 夜エルフは、森エルフを辱めることに関しては、フットワークが軽く協力的。


 助かるなぁ……。




 そして次の日には、快諾の返事が来た。




 昨日のメイド――『ヴィーネ』という名前らしい――に案内されて、ナイトエルフの居住区を訪れることになった。思ったより展開が早くて、俺自身けっこう困惑している。まだ心の準備ができていない……


 居住区は、魔王城の北側の外縁部にあった。この区画一帯がナイトエルフのテリトリーとして与えられているらしい。俺が魔王城のをしていたときも、体よく追い返されたのを覚えている。


 今回は、一族の者たるヴィーネが同行しているので顔パスだ。複合弓を装備したナイトエルフの守衛が、区画の扉を開けて中に招き入れてくれる。



 ――そこには別世界が広がっていた。



 全体的に質実剛健シンプルな魔王城の中にあって、ナイトエルフたちの空間は――まるで満天の星空のようにきらびやかだった。壁や天井は真っ黒な塗料で塗り固められ、ランプや鏡を利用した間接照明の明かりを受けて、てらてらと輝いている。


 天井にはところどころに真珠のような飾り物が埋め込まれ、まるで夜空を再現しているかのようだ。魔族の基準からしても、かなり薄暗い。暗視が得意なナイトエルフにはこれくらいでちょうどいいのかもしれない。


 壁の至るところには、木材を加工し、幾何学模様に組み合わせたような、不思議な魔除けが飾ってあった。城のいち区画というよりは、賑やかな商店街のような雰囲気で、人通りが多い。


 そしてその全てが、ナイトエルフだった。


「お目汚し失礼致します、我らの領域は――魔族の方々には、あまり好まれないことが多く」


 慇懃にヴィーネが頭を下げる。


 たしかに、装飾がかなり多くて、惰弱と蔑まれたりすることも多々あるかもな。


「ん……まあ、こういうのも悪くはない」


 だが俺は無難に答えた。プラティ配下の者たちには、俺が『変わり者』なのも周知の事実だ。他種族の文化にも寛容であることも。


「ただ、ちょっと暗すぎるがな」


 と、不満を表明するのも忘れない。そっちの方が、からな。俺の内心を知ってか知らずか、ヴィーネが口の端に、ほんの僅かに笑みを浮かべた。


 俺という異分子が入ってきたことで、周囲のナイトエルフたちもこちらを注視している。扉を開けた直後は、商店街みたいに賑やかだったのにな。


 だが、大人たちとは違って、元気に走り回るナイトエルフの子どもたちは、そんなこと気にもしなかった。


「あっ! ヴィーネねーちゃん! おかえりー!!」

「おかえりー!!」


 廊下で追いかけっこをしていた幼い子どもたちが、ヴィーネの姿を認めてズドドドと駆け寄ってくる。


「まだお仕事中なの! 戻りなさい!」


 鉄面皮も剥げ落ちて、慌てたヴィーネがシッシッと追い払おうとする。子どもたちの視線が、今度は俺に移った。


「あおいひとー」

「角はえてるー」


 いくつもの無垢な赤い瞳が、しげしげと俺を観察している。


「こちらの方は、魔族の王子様なの!!」


 ヴィーネが半ば悲鳴のような声で言った。


「ほら、さっさと行きなさい、でないと仕置きよ! 失礼があったら悪魔に食べられちゃうんだからね! 足の先からバリバリって噛み砕かれるのよ!」


 その脅し文句に、子どもたちはワッと蜘蛛の子を散らすように去っていった。


「…………」


 非常に気まずげに、恐る恐るといった様子でヴィーネが振り返る。


「あの……大変な失礼を……本日、殿下がお見えになることは、周知していたのですが……」

「さすがに、この程度のことで目くじらは立てんよ」


 俺は苦笑した。


 子どもたちが元気なのはいいことだ。


 たとえそれが、残虐非道な種族の子であったとしても……子どもたちにはまだ罪はない……


「それに子どもとは、ああいうものだろう。どれだけ大人が言って聞かせても、どこ吹く風で気ままに振る舞う」

「……ご寛恕かんじょいただき、ありがとうございます。殿下の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです。あの子たちも、もう10歳にもなるのに……」


 え、10歳なんだ。人族の3、4歳くらいの見た目なのに……やっぱりエルフ族の端くれだけあって、成長遅いんだなぁ。


 ……っていうか、わかったようなこと言ったけど。


 俺……5歳だったわ……


「…………」


 同じことに思い当たったのか、ヴィーネが吹き出し笑いを無理やり鉄面皮で溶接したような顔をしていた。


「……俺も追いかけっこに混ぜてもらうべきかな?」


 真面目くさって俺がつぶやくと、ヴィーネが肩を震わせて顔を背ける。


「こちらへ。監獄へご案内致します」


 ……そういえば、それが目的だったな。俺は気持ちを引き締めた。




 しばらく生活感のある空間が続いていたが、重厚な鉄の扉を抜け、地下へ続く階段を下っていくと、だんだん不穏な空気が漂ってくる。


「こちらが我らの誇る監獄」


 俺の前を歩くのは、途中で合流したナイトエルフの男。名前は『シダール』というらしい。ヴィーネの血縁で、監獄の責任者だそうだ。


 エルフ族らしい美男子で、しかし貼り付けたような笑みと、どこかヘラヘラした態度が胡散臭い男だった。


「アリ1匹通さず、魔王城建設以来、一度も脱獄者を出したことのない厳重警備にございます」


 シダールは自慢げに眼前の門を示した。地下階段の先には、これまたこれみよがしに厳重な金属の扉があった。物理的に厳重なだけではない――幾重にも魔法がかけられているように見える。


 俺は、この時点で、聖女を密かに助け出すという選択肢を諦めていた。


「シダールだ。開門」


 のぞき窓にシダールが声をかけると、ガチャン、ガチャンと幾重にも解錠される音が響き、地下監獄の門が開く。


 途端に、ぎやぁぁぁぁ……と誰かの叫び声が聞こえてきた。どうやら門には、防音の効果もあったらしいな……。


 門の向こうには、ランプの明かりに照らされて、ずらずらと鉄の扉がいくつも並んでいた。


 そしてこの世の終わりのような苦痛の叫びも、そこから聞こえてくる……


「おっと、失礼。どうやら誰かがだったようです」


 シダールが胡散臭い笑顔で軽く頭を下げる。


「構わない。それにしても、教育に悪そうな場所だ」


 子どもたちが追いかけっこする居住区のすぐ真下に、こんな……こんな空間が広がっているとは。


「とんでもない。大変に教育的な場所ですよ」


 すると、シダールが心外そうに眉をつり上げた。


「ここで一族の若者たちが、獲物の解体と拷問のイロハを学ぶのです。魔王城は換気も排水設備もしっかりしていますし、大層に便利ですよ」


 そうか……お前たちは、そういうやつだったな……


 そのまま、うめき声や悲鳴を聞き流しながら、監獄を奥へ奥へ進んでいく。


 否応なく、俺は緊張していた。


 悪い予感なんてするまでもなく、ロクでもないものを見る羽目になるのは、わかっていたから……


「こちらが、ハイエルフの聖女をお迎えしたになります」


 最奥部。


 ニタリと笑ったシダールが、『貴賓室』という呼び名の割に代わり映えのしない、厳重な扉に手をかけた。



 ――開かれる。



 ……拷問部屋、ってのはこういうのを言うんだろう。斧、ノコギリ、ナイフに――その他、口にするのもおぞましい金属製の器具の数々が、所狭しと壁に吊り下げられている。



 どす黒く染まった床。冷たい石造りの部屋。




 そしてその真ん中に、はぶら下がっていた。




 一糸まとわぬ姿で、Xの字に四肢を開かされているハイエルフ。


 だが、その肘から先と、膝から先は――


 切断されている。傷口は鉄で溶接され、鎖に繋がれて天井と床にそれぞれ固定されていた。


 そして首にもロープがかけられて、半ば首吊の状態になっている。


 ぼさぼさの金色の髪、ロープに体重がかかって伸びた首、ぐったりと身じろぎもしない肉体――


 えっ、これ……死ん……


「こちらが、」


 革の手袋をはめながら、シダールがまるで名匠の作品を紹介する美術館長のような陶然とした顔で言った。


「ハイエルフの『聖女』、リリアナになります」


 金色の髪を無造作に掴み、顔を引き上げる。



 ああ――俺の記憶に、薄っすらとあった、あの顔。



 彼女だ。リリアナだ。長命種とは思えないくらい活発で、無鉄砲で――



 だが、息を呑むほどだった彼女の美貌は酸欠で紫がかっており、好奇心旺盛だった瞳は、今や白目を剥いていて、どこも見ていない。ただ、ぶくぶくと、泡の混じったよだれを垂れ流すだけの存在――



 それでも、彼女は、生きていた。



 ……生かされて、いた。

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