37.思わぬ事実


 役人や陳情者の列は途切れる気配がなかった。


 どこぞの前線では快進撃のあまり予定以上に戦線が伸びてしまい、さらなる補給と支援が必要になったとか。魔王は援軍を出す代わりに責任者を更迭し、その階級の格下げを通達する書類に署名した。


『魔王軍におけるゴブリン・オーガ不要論』に対し、オーガ族の代表者が反論のための嘆願書を提出しに来ていたようだ。ゴブリン・オーガ不要論って何だよ。あとで誰かに聞いてみよう。


 ナイトエルフの役人と、ホブゴブリンの役人の対立が激化しているらしい。双方の代表者が互いに罵詈雑言じみた苦言を呈していた。無能なホブゴブリンどもを早急にクビにするべきと主張するナイトエルフに、嫌がらせが陰湿すぎてやってられない、ナイトエルフと職場を分けてくれと懇願するホブゴブリン。魔王はどちらを擁護するとは明言せずに、ただ「検討する」とだけ答えて次の案件に移った。


 とある魔族と、隣接する領地を持つ別の魔族が水利権を巡って争いを起こした。頭を抱えて唸り声を上げた魔王は、資料を読み漁って双方の言い分にそれぞれ一理あることを認め、最終的に代表者同士の決闘をもって解決させることを決定。文官にその旨を口述筆記させてから署名捺印した。



 うーむ……これが魔王の仕事か……



 人族の国に比べ行政や司法が遥かに未熟で、集落の首長の仕事が、まんま国レベルに拡張されている印象だ……何というか、魔王に色々と集中しすぎている。


 なまじ、激務に忙殺されても潰れてしまわない程度にタフな種族だったのが災いしているな。何とかなっちゃうから、そこから進歩しない。どうやれば進歩できるかなんて、図書室の本にいくらでも書いてあるのに……


「ジルバギアス……どうだ……? これが魔王の仕事だ……」


 そんな調子で、2、3時間はぶっ続けでやってたと思う。しばしの休憩を宣言した魔王が、砂糖をたっぷり入れた茶を飲みながらげっそりとした様子で言った。



 見てる分には楽しかったぜ、魔王。



 お前が苦しんでいる姿はなァ……!



「参考になります。大変なお仕事のようですね」


 そんな内心はおくびにも出さず、俺はお行儀よく答えた。


 魔王国の内側に巣食う様々な問題が見えて、色々とのは本当だ。つつけば騒ぎになりそうな案件、くすぶっている火種、そういったものは忘れず心に留めておこう……


「……随分と楽しそうだな、お前は……」


 魔王が何か別の世界の生き物を見るような目をしている。


「どうだ? もう少し研鑽を積んで、お前も役人になって我を支えてみぬか?」

「俺は……父上を超えるくらい強い戦士となるのが目標ですので……役人ではなく」


 別に書類仕事が好きなわけじゃねーんだ……と俺は目を逸らした。魔王が残念そうに「そうか……」とつぶやき、もう一口茶を飲んでから、「そうか…………」と再び嘆息した。


 この程度のことで凹んでんじゃねえよ。天下の魔王様だろうがよ。


「……初代魔王陛下も、こんなふうに仕事をしてたんでしょうか」


 あいつの本を読む限りでは、豪放磊落な人物像が伝わってきた。執務机にかじりついて書類仕事をするイメージなんて、まったく湧かない。


「していたとも。しかし当時は、今ほど魔王国の版図が膨れ上がっていなかったし、父上は――初代様は、割と重要な仕事でも、周囲に任せておいででな」


 魔王が苦虫を潰したような顔になった。


「おかげで、我が引き継いだときには、酷いことになっていた。汚職に粉飾にサボりに……何人更迭したかわからん。下等種族ならともかく、魔族の役人をだぞ? 下等種族の方がよほど真面目に働いていたなど、笑い話にもならぬ」


 歯を剥き出しにして唸る魔王――よほど腹に据えかねたらしい。ってか魔族の役人が少ないのって、もしかしてそういう理由……? 汚職に走りがちとか……?


 一般的な魔族の性格を鑑みるに、権力渡したらロクなことになりそうにないのは、火を見るより明らかだけどさ。


「……長兄アイオギアス長姉ルビーフィアも、この激務についてはご存知で?」


 魔王がおっかない空気を放ち始めたので、少し話題を変える。


「無論だ。この姿を見せつけたとも……ふたりとも1時間足らずで飽きて出ていったがな」


 かなり集中して仕事に取り組んでいた魔王だが、執務室の外には長い行列ができており、ちょっとやそっとでは片付きそうにない。ため息まじりに茶を飲み干し、執事におかわりを要求する魔王。


 この姿を見て、魔王になりたいと思うやつがどれだけいるか。


「アイオギアスは『自分ならこなせる』と自信満々だった。ルビーフィアは『いつかやらなきゃいけないなら、あとの楽しみに取っておく』などと抜かしおった。あやつら、他人事だと思いおって……!」


 ふん、と鼻を鳴らした魔王が、改めて期待の眼差しを向けてきたので、全力で顔を背ける。何が悲しゅうて魔王の補佐なんてしなきゃならんのだ!! こちとらお前に殺された元勇者で、今は5歳児だぞ!!


「……兄上で思い出しましたが、眠り姫トパーズィアが対アイオギアス最終兵器である、という話を小耳に挟みました。父上はご存知ですか?」

「ああ、あの話か。知っておるぞ」


 運ばれてきたおかわりの茶をすすりながら、魔王。


「トパーズィアが宮殿入りしたときから、アイオギアスはずっと己の派閥に勧誘していた。何せ、土木建築を一手に担うコルヴト族の姫だからな、是が非でも取り込みたかったのだろう――しかし当の本人はルビーフィア側を希望していて、アイオギアスを疎んでいた」


 そして眠り姫が魔界入りし、悪魔と契約した数日後の、ある日。


「トパーズィアを勧誘しに出かけたアイオギアスが、側仕えともども、いつまで経っても戻ってこない――と、ラズリエルが我に泣きついてきてな。ちょっとした騒ぎになったのよ。それで城を探してみれば、なんとふたりとも中庭で昼寝しておったわ」

「昼寝……ですか」

「そう。ふたり仲良く揃って――しかもアイオギアスの側仕えに取り巻きも加えて、、だ」


 思い出し笑いでくつくつと喉を鳴らす魔王。


「ジルバギアス、お前も薄々察しているだろうが、トパーズィアは睡魔と契約していてな」

「睡魔? 睡眠の悪魔ですか?」

「トパーズィアいわく、睡眠の悪魔よりもっと純粋な存在らしい。我も、見たことがあるわけではないので、よくわからんのだが」


 アンテ、知ってるか?


『淫魔の睡眠版じゃな』


 なるほど、わかりやすい。


『ただし、我も数えるほどしかお目にかかったことがないくらい、珍しい存在じゃ。年がら年中寝ておるせいで存在が希薄なのよ。そもそも知覚できんし、我でさえ対話したことはないぞ。契約する程度の自我があることさえ、今の今まで知らんかった』


 めちゃくちゃレアなやつじゃん……


「何にせよ、トパーズィアがいつも眠ってるのは、その睡魔とやらのせいですか」

「そうだ。そしてそれの代償に、アイオギアスにさえ一切の抵抗を許さんほど、強力な睡眠の魔法を使えるというわけだ」


 自分も巻き添えになるが、周囲の存在を問答無用で眠らせる魔法――まともに受ければ我でさえ危ういかもしれん、と魔王は言った。


「それほどまでに……強力なのですか」


 へぇ……魔王さえ抵抗できないかもしれないほどの魔法、ねえ。


「うむ。まあそれはともかくとして、アイオギアスとその取り巻きどもは面目丸潰れよな。最も年下の妹に、いいようにあしらわれてしまったのだから。アイオギアスはそれまで、1度たりとも挫折を味わったことがなかった。そして取り巻きたちの増長ぶりも目に余るものがあった」


 あれはいい薬になっただろう、と魔王は満足げにしている。


 なるほど……それで結局、眠り姫はルビーフィア派閥になり、アイオギアスにとっては苦い思い出と戒めの象徴になったわけか。


「……さて、そろそろ休憩も終いにせねばな。ジルバギアス、お前も自分がなすべきことをするといい。いつまでも我の仕事を見守る必要はないぞ」


 執事に空のカップを渡しながら、魔王はニヤリと笑った。


「――もちろん、手伝いたいというなら話は別だが」

「今日のところはお暇します。勉学や鍛錬もありますし」


 俺は早口で言いながら、しめやかに席を立つ。


 とはいえ。


「父上、手伝うかどうかはさておき、また見学には来てもいいですか?」

「物好きだな、お前も。そんなに面白かったか?」

「魔王国の『今』が――取り巻く情勢が、間近で見れる気がしましたので」

「まあ、お前がそうしたいなら、別に構わんが」


 魔王はやはり、変な生き物でも見るような目をしていた。


「……と、そうだ。お前にこれをやろう」


 ふと思い出したように、執務机の引き出しを開けてゴソゴソと探る魔王。片付けはあまり得意じゃないみたいだな。


「これだ……ナイトエルフからの献上品だが、我は使わん。お前が勉学にでも役立てるといい」


 手渡されたのは、1冊の手帳だった。


 白っぽい色合いの革張りで、しっとりすべすべした不思議な肌触りをしていた。


「なんですか? これ……すごく、触り心地はいいですけど」


 牛革ではない――もっと柔らかくて、繊細だ。それでいて蛇革のようにしなやかでもある。



「ハイエルフ皮だ。もちろんフォレストのな」



 魔王の返答に、俺は鼻水が出そうになった。


「ハイエルフですか!?」


 エルフ族の中でも一握りの上位者、高貴で神聖なる血筋の者たちのことだ。魔力が極めて強く、魂が精霊に近いとされ、普通のエルフよりもさらに長寿で、数千年も生きたりする。


 俺は勇者という立場上、様々な種族と交流がありエルフ族も例外ではなかったが、それでも2名しか面識がなかった。人族の王侯貴族よりもよほど珍しい存在だった。


「うむ。ジルバギアス、お前が生まれる少し前の話だが、同盟が魔王城に直接殴り込んできたことがあってな。聞いたことがあるか?」


 …………魔王城強襲作戦。


「――知っています」


 よく知っている。


「うむ。そのとき殴り込んできた連中の中に、なんと森エルフの聖女がおってな」


 …………なんですと!?


 エルフの聖女。俺たち聖教会の『聖属性』とは別物で、光の神々の恩恵を強く受け継いだハイエルフの乙女は、『聖女』と称されたりする。


 当然、ヘタな王侯貴族などより、よっぽど高貴な存在で――


「なんで聖女なんかが、そんな無謀な殴り込みに?」

「よくわからんが、話を聞く限りでは、我を倒すためにこっそり部隊に紛れ込んでいたようだ」


 嘘だろ!?!?


 いや、待て。すごく嫌な予感がする。


 何を隠そう、俺と面識のあったハイエルフのひとりも聖女だったんだが――


 なら。


 長寿とは思えないくらい落ち着きがなくて、上位種とは思えないくらい無鉄砲で、負けん気が強かったなら。


 そういうこと、普通にやりそうな気がする……。


「同盟の強襲部隊はほぼ全滅させたが、この聖女はどうにか生け捕りに成功してな。ナイトエルフたちに身柄を渡すと、狂喜乱舞しておったわ」



 なんと……



 むごい……



 懐かしい気持ちは一瞬で萎れて、俺は、絶句してしまった。


 森エルフに恨み真髄で、残虐かつ冷酷、拷問好きの夜エルフたちに、聖女が投げ渡されたら――


 彼女がどれだけ凄惨な最期を遂げたか、想像したくもなかった。


 何せ、その生皮で作られたと思しき手帳が、この手にある……。


「まあそういうわけで、魔王城には良質なエルフ皮生産機があるというわけだ」

「……生産機、ですか?」

「うむ。ナイトエルフたちの居住区に囚われておる」

「まだ生きてるんですか!?」


 俺は驚愕した。


 夜エルフが、森エルフの捕虜を生かしておくことがあるなんて!

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