6.悪魔 対 元勇者


 どうも、血で血を洗う戦場を離れ、2年以上も王子としてぬくぬくと暮らしてきたジルバギアスです。


 肉薄するソフィアに、それでも俺の体は反射的に動いた。



 ――腹部を狙う突き


 ――跳んでかわすか


 ――いや空中で狩られる


 ――いなすしかない



 突き込まれたソフィアの腕を横に叩いて逸らしつつ、身を傾けて拳をやり過ごす。全部やってから、思考が追いついて、動きに理由が生まれた。


 ――皮肉なもんだ。肉体が別のものに替わってもでも、『体に染み付いた動き』は出るんだな。


 などと頭の片隅で思いつつ、反撃カウンターの軽いジャブを放つ。


 ソフィアの気迫はなかなかのものだ。が、本気で殺しには来ていないだけに生温く感じる。当てさえすれば俺の勝ち。そしてここまで近づいていれば、俺の短いお子様の腕でも十分に届く。


「おっと」


 が、物の理を嘲笑うような急制動で、ソフィアはサッと身を引き、難なく俺の拳をかわした。


 クソッ、これだから悪魔は嫌いなんだ。普段から重力を無視してフワフワ浮いてるような連中だ、あれは当然武術にも応用が効く。現役時代、悪魔どもの理不尽な動きに辛酸を嘗めさせられたことも一度や二度ではない。


 せめてもうちょっと手足が長ければ……。早く大人になりたい。


 追撃を諦めた俺は、左手を突き出し、右手を腰のあたりに引いた構えを取りつつ、すり足で横に動きながらソフィアの様子をうかがう。


「ほほう……」


 様子見しているのはソフィアも同じだった。ふわりと着地して、重力を味わうようにトントンと足の爪先で床を叩く。


「やりますね、お坊ちゃま」


 ソフィアは俺を見つめながら、首を傾げて問うた。



「しかし、どこでそんな動きを?」



 …………。



 久々の闇の輩との攻防に沸き立っていた全身の血が、急激に冷めていく。



 言われるまでもなく、何の心得もない2歳児の動きじゃなかった。体に染み付いた動きがアダになるとは……!


「……練兵場で、やってたのを見た」


 頭をフル回転させて、理由を絞り出す。言ってから思ったが、これ以上ないくらい完璧な言い訳じゃなかろうか。魔王城を探検しまくったのは無駄ではなかったな!


「そうですか? こんな動き、魔族の格闘術にはなかったですけど……」


 左手を突き出し右手を引き、すり足でなめらかに移動してみせるソフィア。


 ――俺は戦慄した。


 聖教会の修道士に叩き込まれた人族汎用近接格闘術、その基本の型が、ほぼ完全に再現されていた。


 たった一度、俺の動きを見ただけでか……?! というか、まずい、再現ということは、俺はこの動きを披露したことになる! 見る者が見れば、これが何なのか理解できてしまう……!


 背中がじっとりと嫌な汗で湿るのを感じながら、恐る恐るプラティを見やると――


「ソフィア。残念だけど、誰もがあなたのように、見ただけで動きを完璧に再現できるわけじゃないのよ」


 ひらひらと扇子を扇ぎながら、呆れたような口調で言った。


「普通は見真似したら、何かしら違ってくるものよ。それにあなたが学んだのは魔族の戦闘術であって、他種族のものまでは網羅していないでしょう」

「なるほど。それは確かに、そうですね」

「ジルバギアスの動きは、獣人の格闘術に近いわ。きっと練兵場で雑兵どもの稽古でも見たんでしょうね」


 などと、勝手に解釈してくれるプラティ。


「ふふ、さすがはわたしの子。見様見真似であの動きとは、今後が楽しみだわ」



 ……助かった。



 確かに――修道会の格闘術は、獣人族の身のこなしを取り入れ、人族用に発展させたものだ。


 それに、よくよく考えたら、聖教修道会の格闘術を魔王軍の連中が戦場で目にする機会なんて滅多にない。


 徒手格闘(というか、爪と牙)は獣人たちの専売特許だし、俺たち人族は剣と盾を使う。そして人族の兵士が武器を失えば、多くの場合、そのまま殺される。聖教会においても、格闘はどちらかというと護身や鍛錬のものという位置づけだった。


 俺の動きを見て『気づく』ヤツがいたとすれば、それは同門か、人族と素手で何度も殴り合ったことがある変わり者だけというわけだ……


「こんなことなら、もっと早く武術を教えてあげればよかったわね。まだ幼すぎると思っていたのだけれども」


 安堵する俺をよそに、プラティは少しばかり残念そうに言う。


「ただし、ジルバギアス。誇り高き魔族が、獣人のような下等種族の武術を真似るのはみっともないわ。やめなさい」


 思わず部屋を見回してしまったが、今いるのはナイトエルフの側仕えだけで、獣人の使用人は姿がなかった。


 ……それ、連中の前でも同じこと言えるのか? 忠誠心にヒビが入るぞ。


「はい、気をつけます」


 ともかく、俺は慎重に答えた。


 今回は運良く誤魔化せたが、次はどうなるかわからない。というか格闘の専門家の獣人に見られたら、怪しまれる可能性は高い。


 勇者時代の動きは、全て封印しないと……。


「さあ、ジルバギアス。あなたには由緒正しい魔族の格闘術を身につけてもらうわ」


 扇子で口元を隠しながらも、はっきりわかる嗜虐的な笑み。


「だいじょうぶ、時間はいくらでもあるんだから……ソフィア。続きを」

「はい、奥方様」


 ソフィアが身構える。小柄な少女の外見には似つかわしくない、両手を掲げるような攻撃的な構えだ。


 なるほど、これが格闘術とやらか……


「いやー、思ったよりも歯応えがありそうで、楽しくなってきちゃいましたね。お坊ちゃまの動きもなかなか侮れない、というか参考になりそうですし」


 畜生、今度ヘタな動きをしたら、再現されてどこでボロが出るかわからない……!


「じゃ行きますよー」


 のんびりした声と同時、ソフィアが踏み込んでくる。




 ――その後、文字通り動きを封じられて精彩を欠いた俺は、ボコボコにされて床に転がされる羽目になった。




 まあボコボコっつっても子供相手だし、魔王に全身を粉々にされたことを思えば、こんなの痛くも痒くもないが……


「あー! やっと! お勉強できますねぇ!!」


 感無量といった様子のソフィアを尻目に、俺はぶっすりと机に向かう。



 負けたので、お勉強タイムだ。



 これは仕方ない。とりあえずテキトーに、最低限の読み書きを頑張って覚えるフリをしつつ、英気を養おう。魔族らしい動きも早く身に付けないといけないし……もうちょっと体が育ったら、このクソ悪魔をボコボコにしてやる……!



 そんなことを考える俺の眼前に、羊皮紙が置かれる。



「さあお坊ちゃま! これが文字というものですよ!!」


 何やら、見たこともない記号の羅列。


「…………?」


 読めねえ。


「え……これが?? 文字???」

「そうですよ」


 ソフィアは、あっけらかんと。


です」


 ………………。


 そういや……なんか……指揮官の司祭とかが言ってた気がする……


 魔族は、話し言葉こそ一緒だけど文字が違うって……


 だから書類とか回収できても、解読に時間がかかるって……


「お坊ちゃま! 魔族の文字は表音文字と言ってですね、この文字ひとつひとつが音を表すのです。これが『あ』、これが『い』というふうにですね。そして組み合わせ次第で別の音に変わったりします。あ、表音文字と言いましたが、実は表意文字というものもありましてそれは人族やエルフ族の文字に言えることなんですが――」


 早口で何やら説明しだすソフィア。俺は気が遠くなるのを感じた。教会の孤児院で文字の書き取りが終わらず、毎晩毎晩、遅くまでやらされた記憶が蘇る……



 その日、俺は生まれ変わってから、一番絶望したかもしれなかった。



 やっぱり魔族……許せねえよ。


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