第23話 汗を垂らして、嵐の予感

「それでは、テスト週間を無事乗り越えた兼いなりが締め切りを乗り越えたことを祝しまして……!」


「「「「かんぱーい」」」」


 かつん、とグラス同士がぶつかる音が部屋に響く。

 神奈が体調を崩してから一週間が経ち、今日は言葉通り、中間テストといなりの原稿が無事に間に合ったことを祝うためのぷちパーティを開くことになった。

 

「で、テストの出来はどうだったんだ?」


 大皿からからあげを一つ摘まみながら、三人に話題を振る。

 

「オレはいつも通り。二人は?」


「私もいつも通りですね」


 俺たち三人の視線がいなりに向かう。

 そもそも俺たちは成績については最初から心配などなかった。

 勉強会が主に必要だったのはこいつだからな。


「……いつも以上に出来たと思う。これは上位も夢じゃない」


 いなりはそう言い、自信満々に笑みを浮かべた。

 それはさすがに言い過ぎだと思うが、それだけ自信があるということだろう。


「琥珀のお陰。印税使って家庭教師として雇いたいぐらい」


「私は大したことしてませんよ。いなりちゃんが頑張った結果です」


「とにかくありがとう。これで心置きなくゲームが出来る」


 飯もそっちのけでコントローラー握るほどに我慢してたのか。

 まあさすがにあの状況でのんきにゲームをしていられるほど悠長ではなかったしな。


「今日はとにかく付き合ってもらう。今夜は寝かさないから」


「そういうセリフはもうちょっと色っぽいシチュの時に聞きたかったわ」


 んふーと息を荒げるいなりに、創太が苦笑しながら返した。

 

「俺もちょうど付き合ってほしいクエストがあったからちょうどいいが」


「何百周でも付き合う……!」


「いや素材集まるまでで結構っす」


「そのやる気をちょっとでも原稿の方に向けてれば、もう少し楽出来たんじゃねえの……」


 全くその通りだ。

 というか飯ぐらい食えよ。


「あ、私も付き合ってほしいゲームが……」


「何千周でも付き合うから」


「桁増えすぎだろ」


 やべえよ、こいつ。

 ゲームやるバーサーカーみたいになってやがる。

 こりゃ今日だけじゃなくて土日も付き合わされそうだ。


「それはそれとしてさ……」


 創太が目に見えてウキウキしているいなりを見て、言った。


「お前、もしかして太った?」


 空気が凍り付くとはこのことを言うのだろう。

 創太の奴、よくそれ本人に言えるな……俺だったら無理。

 というかそれをやってどうなるか、姉で検証済み。答えはアッパー気味のボディ。


「……さあ、ゲーム。始めよ」


「現実逃避してんじゃねえよ。他人が見て太ったって気付くレベルはちょっとやば――ぐっふぅ!?」


 創太のセリフは最後まで言われることがなかった。

 いなりが無言で立ち上がり、創太をフック気味の抉るようなボディで黙らせたから。

 世界を取れるな、あれ。


「し、信じられない! 普通それ、思ってても言う!? 本当にデリカシーがない!」


「げほっ、がはっ! だからって無警戒の人間にいきなりボディかます奴があるか!」


「ああ。だから、お前さっきから料理に手を付けなかったのか」


「うぐっ……アサヒまで……」


「原稿の締め切りとテスト週間が重なると乙女的な危機になるんですね……」


「いなりの場合、その二つがなくても自分から運動することはないぞ。こいつ運動苦手だから」


 俺と創太は定期的に運動したりはするように心掛けているが、いなりは完全にインドア。

 そのツケが完全に回ってきた形だろう。

 多分頑張る自分にご褒美、だとかで甘いもの食い続けたな?


「うーん……私もちょっと運動不足ですし……こうなったら一緒に運動しませんか?」


「う、うぅ……!」


「太ったままは嫌だけど、運動も嫌だって感じだろうな」


「究極の選択みたいな面してるな、アレ」


「二人で考察しなくていいから……! せ、背に腹は代えられない……運動、する……」


 そんな渋りながら言うか。どんだけ嫌なんだか。

 俺は渋面を作ったいなりを見ながら、グラスに注がれた飲み物で喉を潤した。





「……で、なんでオレたちまで付き合わないといけねえんだよ」


「まあまあ、いいじゃないですか。こういうのは大勢でやった方が楽しいですし」


 翌日。

 早速市営の体育館を予約した、いなりと神奈に引っ張られる形で、俺と創太の二人も運動着姿で体育館に立つ羽目になっていた。


「言っておくけど、一日だけ運動したって痩せないからな? こういうのは継続してやらないとさ」


「まあ、もうここまで来てしまった以上、俺たちもストレス解消と考えてやろう。ごちゃごちゃ考えるよりはそっちのがいいだろ」


「ですです。師匠の言う通りですよ。さあなにからやりますか? 色々とありますよ」


「じゃあ私やりたいことがあるんだけど……」


 いなりが片手を軽く挙げた。


「ここから家まで歩いて行くっていうのはどう? ウォーキングだって立派な運動だよ」


「お前帰りたいだけだろ」


「時間は限られてるしな。こいつの戯れ言は無視でいい。コハクちゃんはやってみたいことあるか?」


 とりあえず嬉々として帰宅をスポーツだと言い張るいなりは無視の方向に走る。

 

「じゃあ、バドミントンがやりたいです。ネット張って出来るのは室内ならではですし」


「うし、準備すっか」


「あ。私ちょっと飲み物買いに」


「さっき全員一緒に買ったあれが飲み物でなければなんなんだ。お前のための集まりなんだから準備からサボろうとするな」


 言葉巧みにサボろうとしたってそうはいかない。

 倉庫から支柱を取り出して、コートの設営をスムーズに行う。


「チームはどうする?」


「とりあえず、アサヒとコハクちゃんの師弟コンビとオレといなりでいいんじゃね?」


「私はそれでいいですよ」


「だから師弟じゃないと……」


 俺の文句は誰も聞いてくれる気がないらしい。

 まあ、チームの分け方に異論があるだけで、神奈個人と組むこと自体には異論はない。


「そっちからサーブでいいぜ」


「ああ。それじゃいくぞ」


 ぽんっと山なりに軽く打った羽が、いなりの方に飛んでいく。

 ラケットをぎこちなく構えたいなりが、羽に向かってラケットをフルスイングする。


 ――ぶぅん。ぽとり。


「「「「……」」」」


 羽は静かに相手のコートに落ちた。

 俺たち三人の視線が、ラケットを振り切った体勢で固まるいなりへと集中する。

 その視線を受けて、いなりがどう思ったのかは分からないが、何故かいなりはフッと不敵な笑みを浮かべ――


「なるほど。今のが変化球だね」


 ものすごいことをのたまった。


「いや、ド直球だし俺にとってはその返答が変化球もいいところなんだが」


「お前どんだけ運動音痴なんだよ……」


「いなりちゃん……」


 哀れみの目を、いなりに向ける。


「つ、次こそ取るから」


「じゃあ、いくぞ? そらっ」


 再び山なりのサーブを相手コートに打つ。

 

「見えた……! ここっ!」


 ――ぶぅん。ぽとり。


 さっきのリプレイのような光景が目の前で起きる。

 いなりはラケットの裏と表を訝しげに見始めた。


「いや別にラケットにおかしいところはねえんだよ」


「まず自分の腕を疑えよ」


「え、えっと……最初は上振りじゃなくて、下振りの方が当たりやすい……かも、です」


 無理にフォローする必要ないだろ。

 途中から自分の言葉に自信がなくなってきてるじゃないか。

 

「わ、私が特別おかしいわけじゃないから……! 運動苦手な人なら誰だってこうなるから!」


 まあ、確かに自分の身体すら満足に操れないのに、道具の扱いに期待しない方がいいな。

 

 その後もソフトバレーだの、バスケだの、色々なスポーツをやってみたが、いなりの運動神経が壊滅的だということが分かっただけだった。

 誰よりも動いていないのに、誰よりも疲れているいなりを引き摺って、俺たちは体育館をあとにする。


「……絶対明日筋肉痛。休みでよかった……」


「これに懲りたら普段から少しは運動するようにしろよ。オレとアサヒを見習え」


「私でよければいつでも付き合いますよ」


 四人で他愛のない話をしながら、俺の家への道を歩いて、マンションの近くまで戻ってきた。

 

「とりあえず、運動もほとんど出来てないから……晩飯は野菜を中心に低カロリーなものにした方が――」


 俺がそう言おうとした瞬間、近くに黒い車が停車したので、思わずそっちを見てしまう。

 車のドアが開いて、中からスーツに身を包んだ男が降りてきた。

 見るからに金持ちというかいい身分の人間だ。


「――お、父さん……?」


「……………………え?」


 呟きを辿るように、神奈の方を見ると、目を見開いた神奈が呆然と立っていた。

 

「――久しぶりだね、琥珀」


 男の方がそう返したのを見て、目の前のスーツの男が、本当に神奈の父親だということが確定した。

 

 嵐はいつも、唐突にやってくる。

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