第21話 鷹村旭が鷹村アサヒになった日

 俺が作家になったのは、ある人の作品を読んで、その人に憧れたからだ。

 憧れて、俺が小説を書き始めるまでにそんなに時間はかからなかった。


 ちょうど、俺が応募した時の審査員もその人で、どうにか佳作で受賞できた俺は、授賞式の会場で、その人――天科真白あましなましろ先生に出会った。


「は、初めまして! おれ……僕は鷹村アサヒと言います! 天科先生の作品に憧れて作家になりました! 会えて感激です! 先生の作品がどの作品よりも一番好きです!」


 憧れの人を目の前にして、震える声でそう告げた俺を見て、天科先生は人好きのする子供のような笑みを浮かべた。


「あはは。俺、でいいよ。うんうん、君、私の作品が一番好きだなんて、嬉しいことを言ってくれるね! 見る目があるよぉ?」


 第一印象は綺麗なのにひょうきんな感じ。

 おどけたような物言いで、とっつきやすい人。

 

 綺麗な白髪が腰の辺りまで真っ直ぐ伸びていて、それも相まってか雰囲気からしてとても柔らかい人だった。


「いやー、それにしても中学二年生かー。若いなー。わたしももう歳だなー、あはは」


 言いはしてるが、天科先生は実年齢よりもかなり若く見える。

 ついでにさしてショックを受けているようには見えない。


 ともあれ、これが俺と天科先生の出会い。

 

 天科先生は、この時は確か作家歴七年程度だっただろうか。

 デビュー当時から、重版を量産している天才作家。

 類い希なる文章力と描写力、まるで本当に生きているかのように感じさせるキャラクターの造形力を、この人は持っていた。


「あ、あの! 差し出がましいお願いなのですが、俺に小説の書き方について教えてもらえませんか!」


「お。やる気満々だね! いいよー、アサヒくん。わたしは今気分がいいからね、トクベツに君を弟子にしてしんぜよう!」


「ほ、本当ですか!?」


 小説の書き方だけじゃなくて、まさか向こうから弟子にしてくれると言い出してくれるなんて、嬉しすぎる誤算だった。

 と、舞い上がっている俺の元に、


「よっ。お前が鷹村アサヒ? オレは神創太。よろしくな」


 神創太……大賞の奴か。

 せっかく天科先生と二人で話していたのに、水を差された気分だ。

 しかし、無視をするわけにもいかない。


「ああ。よろしく頼む。じゃあ俺はこれで」


「待て待て待て。せっかく同い年、同じ中二の作家なんだ。もうちょっと話そうぜ。今もう一人捕まえてくるからよ」


 止める間もなく、神はどこかに走り去ってしまった。

 神はどこかに走り去ってしまったって字面がやばいな。


「うーん。とっても騒がしい子だねえ。元気でよろしい」


 天科先生は突然の乱入者に対しても、マイペースに頷いている。

 またしばらく聞きたいことを聞いていると、騒がしい奴が長い黒髪の女を連れて戻ってきた。


「ほら、こいつも同い年だしよ。中二が三人同時受賞なんて滅多にないんだし、仲良くやろうぜ」


「うるさい」


「な、なんだとてめえ!?」


「ああ。確かにうるさい」


「お前まで!?」


 神創太の第一印象は、今とあまり変わらずリアクションが大きくうるさい奴。

 

「まあ、どうせ挨拶には行こうと思ってたからいいけど。涼風いなりです。よろしく」


 涼風……優秀賞の奴だったか。

 くっ、俺と同い年の奴二人に負けたのか……!


「……鷹村アサヒだ。お互い変なのに絡まれて苦労するな」


「そうだね。お互いに大変だね」


「誰が変な奴だてめえら!」


「「うるさい」」


 示し合わせたわけでもないのに、涼風とセリフが揃ってしまった。

 さすがに二人から言われるのは応えるのか、神は黙り込んでしまう。


 涼風いなりの第一印象は、今とは違って大人っぽく静かな場所を好む奴。

 今はクールぶってるだけで中身は子供だと思っている。


「ぷっ、あはは! 君たち、上手くやっていけそうだね!」


 今のやり取りのどこでそう判断したのかは分からないが、天科先生が腹を抱えて笑い始める。

 ひとしきり笑ってすっきりしたのか、天科先生は目の端に浮かんだ涙を指で拭いつつ、俺たち三人と顔を合わせて、口を開いた。


「せっかくの機会だから、君たち三人に小説を書くということで一つ大事なことを教えてあげよう!」


 プロ作家の先生が大事なことと言うだけあって、俺たちは程度は違えど、三人が全員目を輝かせた。

 一番はもちろん俺だったが。


「こほん。大事なこと、それはね……君たちのように競い合っていける仲間を見つけること、自分がちゃんと作品を楽しんで書くことだ!」


 ……二つあるじゃん。

 それは口にせず、思うだけにとどめた。今なら絶対言ってる。


 今でこそ思うが、天科真白という人は、小説を書く以外は割とアレな人だった気がする。

 それでも憧れの人というのは変わらないが。


「よーし、今日はわたしの奢りで焼き肉いっちゃおう! 未来ある後輩たちの歓迎会ってことで!」


 授賞式が終わって、俺たちは天科先生の奢りで焼き肉店へ。

 憧れの作家に奢ってもらえるなんて、今思い返しても信じられない体験だ。


「なあなあ、アサヒといなりはどうして作家になろうと思ったんだ?」

 

 席に着くやいなや、許可もしてないのに神が俺たちを下の名前で呼ぶ。

 まあ、俺はともかく涼風はペンネームなんだが。


「なんだよ急に」


「いやせっかく天科先生が親睦を深めるためにこうして飯連れてきてくれたわけじゃん。それなら親睦をちゃんと深めて先生の顔を立てるのが筋ってもんだろ」


 む……それは一理あるな。


「俺は天科先生の作品を読んで、憧れたからだ」


「いやー何度聞いても照れるなー」


 先生はにこにこと俺たちのやり取りを聞いている。


「いなりは?」


「名前で呼ぶの許可してないんだけど……」


「いいだろ、別に。オレも創太でいいから」


「別に私の方は上の方で呼んでもいいんだけど」


「……待て、涼風。よく考えてみろ」


 とある事実に気が付いた俺は、涼風を止めた。

 涼風が怪訝な顔をして、こっちを見てくるのを確認して、俺は考えを口にした。


「こいつのペンネームは神創太。上で呼ぶってことは……こいつのことを神って呼ぶってことに――」


「よろしく創太。ありがとうアサヒ。私はとんでもない恥を晒すところだった。アサヒも私のことはいなりでいいから」


 すかさず手のひらを返して、下の方で呼び捨てたいなり。

 恐るべき切り返しの速さだ。


「お前らなあ……まあいいわ。それで、いなりはどうしてだ?」


「特にこれって理由はない。ライトノベルとか本を読むのが好きで、自然と書く方にも興味を持ったってだけ」


「ふーん……なんの面白みもない答えだな」


「そういう創太はなんで作家になろうと思ったんだ? 人にそう言うってことはさぞかし面白い理由なんだろうな」


 よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの得意気な笑みを浮かべた創太は、意気揚々と立ち上がった。


「オレは声優さんとお近づきになるため、あわよくば声優さんと付き合い、果ては結婚するために作家になった!」


「「……」」


 こいつさてはバカだな?

 面白すぎる理由に、俺といなりはフリーズし、天科先生は……


「あはははは! それで大賞取れちゃったんだ! あははははは!」


 腹を抱えて、大爆笑していた。

 

 まあ、こうして俺たちの関係は今に至っているわけだが……。 

 変わったものもある。


 鷹村旭が鷹村アサヒになってから、一年後。

 

 ――天才作家で憧れの人、天科真白先生は亡くなってしまった。


 同業者や出版社の人がたくさん葬儀に参加したらしいが、当時中学三年の俺たちが呼ばれることはなく、天科先生が亡くなったことを知らされたのは、葬儀から数日経ってからだった。


 元々身体があまり強くなかったらしく、時間を空けて顔を合わせる度に、どんどん顔色が悪くなっていたけど、それでも先生の笑顔だけは、いつも明るかった。

 

 なんだか身体の調子と表情がミスマッチすぎて、見ていてこっちが辛くなってしまうぐらいだったこともあり、俺はある日、我慢出来ずに尋ねてしまったことがある。


 ――辛くないんですか、と。


 いくら先生が天才と呼ばれる作家でも、アンチはいる。 

 当然、先生の耳や目にもそういったアンチの発言は届いているはずだ。


 身体だけじゃなく、精神的にもくるものがあるはずなのに……先生は今にも泣き出しそうな顔をしている俺とは対照的にいつも以上の明るい笑みを浮かべて、こう言い放った。


「全然辛くないよ! わたしはこの仕事が楽しくて仕方がないからね! 物語を書くことが好きで好きでたまらないんだよ!」


 この言葉は深く、深く、鮮烈に俺の心に刻まれた。

 神奈が言っていた心が動く瞬間というのは、きっとこういう時に言うのが相応しい。


「あ、それとね。前にわたしの子供の話したじゃない?」


「はい」


 先生には、俺と同い年の子供がいるらしいとは、聞いていた。


「その子、引っ込み思案で人見知りなところあるんだけど……その内、アサヒくんたちに紹介するから! 仲良くしてあげてくれたら嬉しいな」


「はい……もちろんです」


「そっか……! よかった。あの子のこと、よろしくね」


 その笑みは、今まで見た先生の笑顔の中で、一番綺麗だった。


 これから数日後に、天科先生の体調が急変し、約束は果たされることはなくなってしまった。

 先生の子供は、今どこでなにをしているんだろうか。


 そんなことを思いつつ、俺は今日も、天科先生が言った自分が楽しんで書くということを胸に作家であり続けているというわけだ。




「……神奈?」


 話し終えると、神奈からの反応がないことに気が付いた。

 どうやら寝てしまったらしい。


 仕方ない……予定通りおかゆでも作ってくることにしよう。


「――お母さん……」


 リビングに戻る際に、神奈の寝言が聞こえた気がしたが、本当に聞こえたのかどうかを確かめる術は、もうどこにもなかった。

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