第20話 発熱と早退、少しだけメイド
「神奈の様子がおかしいんだよ」
勉強兼執筆合宿があった日曜から数日が経ち、また休日が近くなってきた。
朝のHRの前の時間を使って、俺は水鳥と会話に興じていた。
「おかしい? なにが?」
「いや……今朝のことなんだがな。あいつがいつも通り朝飯を作って先に家を出たんだよ」
「……惚気?」
「バカ言え。で、その朝飯がオムレツだったんだが……形がぐちゃぐちゃでオムレツというよりはスクランブルエッグに近い感じだったんだよ」
朝のことを思い出しながら、話を続ける。
「それだけなら失敗しただけなんじゃないの? 神奈さんだって失敗ぐらいするよ」
「そのオムレツもどき、タマゴの殻が混じってたんだよ。それも結構」
「……それはおかしいね。その時、神奈さんと話さなかったの?」
「俺が顔を洗ってリビングに戻ったら、あいつもう家出てやがったんだよ。まるで俺から逃げるようにな」
そもそも二ヶ月近くあいつと一緒に暮らしていれば、神奈の家事スキルの高さは俺がよく知っているし、オムレツのようなスクランブルエッグをそのまま出してる時点でおかしい。確かに失敗は誰にでもあるが、俺の知ってる神奈らしくはない。
「気付かない内になにかしたんじゃないの?」
「それが全く身に覚えがない。様子がおかしいのは今日の朝からだしな」
「その神奈さんは今教室にいないわけだけど」
「さっき教室を出ていったのは確認済みだ」
視界の端に捉えた程度だが、HR前の短い時間を使って行ける場所なんて限られている。
多分トイレかなにかだと思うが、朝のことといい、妙にひっかかるんだよな。
「ふーん……気になるね。って、そろそろチャイム鳴っちゃう。またあとでね」
「おう」
結局、神奈が戻ってきたのはチャイムが鳴って担任が教室に入ったのとほぼ同時だった。
やはりおかしい。
机に肘を付きながら、今日の一連のことを思い出していた授業中のこと。
――ガタンッ。
視界に映っていた神奈の身体がぐらり、と傾いて、咄嗟に身体を支えようとした神奈が机に手を付いて大きな音を立てた。
当然、周りからの注目は神奈に集まっている。
(あいつ……もしかして……!)
今日の行動がおかしかった理由が、今の神奈の状態を見て、ようやく繋がった。
俺がその考えに至るのと同時に、神奈の身体が、椅子から横に倒れるようにして床に崩れ落ちた。
「神奈さん!? どうしたの!?」
授業中の教師が、横たわる神奈に駆け寄り、身体を起こす。
「う……ぁ……」
呻くような小さな神奈の声が、広がっていくクラスメイトたちの戸惑いのざわめきにかき消されていく。
「すごい熱……! 授業は中断します!」
教師が力なくぐったりとしている神奈を背負い、教室を出て行くのを、俺は見送ることしか出来ない。
教師が戻ってきたのは、授業が終わる数分前のことだった。
「俺のせいだ」
「旭のせいじゃないよ」
「いや、実際兆しはあったんだ。朝飯の時点で気が付いて、今日は休ませるべきだった」
どうやって授業を乗り切ったのかは分からないが、気が付くと、さっきの授業から時間が経過し、昼休みになってしまっていた。
俺がぼうっとしている時も、水鳥が話しかけてきていたらしいが、それも記憶にない。
教師から聞いた情報によると、神奈は疲労による免疫力の低下で体調を崩したということだ。
その神奈は、既に家に連絡をして迎えが来て早退している。
「仕方ないよ。神奈さん、きっと旭に気付かれたくなかったんじゃないかな? 迷惑かけられないって、心配かけたくないって思ってたんじゃないかな」
「結局こうなるって分かってただろうに……クソッ」
机に軽く拳を叩き付けると、手には不快な痺れと痛みだけが残った。
やったのは自分なのに、それが余計にイライラする。
「今日のノート、ボク取っておこうか?」
「……いいのか?」
「うん。さっきの授業もそうだけど……旭、今日はもう集中して授業を聞いていられないでしょ?」
「悪い。普段ならそんな迷惑かけられないんだが、正直お前の言う通りだ」
力なく笑みを浮かべると、いつもより柔らかい笑みをたたえた水鳥と目が合った。
「いいってば。その代わり、今度うちで買い物してね?」
「任せろ。本棚空にするぐらいの気概で行ってやる」
魅力的なウィンク付きの言葉に、今度は力強い笑みを浮かべて返した。
そのまま、鞄を掴んで、俺は教室を飛び出した。
「……で、勢い勇んで帰ってきたはいいものの」
神奈の奴、確か迎えにきてもらったって言ってたよな? それなら俺の家じゃなくて実家の方にいるんじゃないのか?
家の前まで帰ってきてから、俺はその可能性に辿り着いた。
そもそも、俺……あいつになにを言えばいいんだ?
「……まあ、帰ってきてしまったものは仕方ないよな」
いつまでもこうしているわけにもいかないので、鍵をドアに刺して回すと、
「開いてる……?」
想像していた手応えとは違う感触が返ってきた。
あいつ、俺の家に帰ってきたのか? 状態からして仕方ないとはいえ、鍵を開けっ放しなんて不用心だな。
改めてドアノブを捻り、部屋に入ると……
「……お帰りなさいませ」
玄関先に立っていたメイドが頭を下げてきた。
「すみません間違えました」
速攻で部屋を出る。
もし、自分の家に入って覚えのないメイドがいたら、人が咄嗟に取る行動は今の俺のように退室するか、驚きの声を上げるかのどちらかだろう。
(どうしてうちにメイド……!? 俺も疲れてやられてるのか?)
扉に頭を軽く当て、脳内で会議を行った結果、前頭葉の強い推しで見間違えという結論が採用された。
深呼吸で呼吸を軽く整え、心の準備をしっかりしてからもう一度扉を開いた。
「……お帰りなさいませ」
「メイドォォォォォ!?」
結局叫ぶこともしてしまったが、それはどうか許してほしい。
俺の叫びを意に介すこともなく、目の前のクールっぽいメイドさんは口を開いた。
「
「あ……はい。ど、どうも」
本人に負けず劣らず綺麗な一礼に対して、不格好でぎこちのない礼を返す。
「お嬢様は今お部屋で休んでおいでです。鷹村様が帰ってきたので、私はこれで失礼します」
「は、はい……お疲れ様です」
「いえ、これも仕事の内ですので。お嬢様のこと、よろしくお願いします」
徹頭徹尾、背筋をピンと伸ばした寿さんとやらは、最後にもう一度一礼して、静かに部屋を出て行った。
「あれが本物のメイドか……」
いいか。メイドカフェでしかメイドを見たことがない全人類よ、よく聞け。
リアルメイドは萌え萌えきゅんとか言わない。多分。
っと、そんなことよりも。
「おい神奈。入るぞ?」
神奈の部屋の前に立って、ノックをしてから、声をかけて数十秒ほどなにかしらのアクションがないかを待つ。
万が一にも起きていたらあれだったが、どうやらその心配は杞憂だったようだ。
あまり足音を立てないように部屋に入ると、自分の家なのに、他人の香りがした。
ベッドの上では、頭に冷却シートを貼った神奈がすうすうと寝息を立てていた。
学校で最後に見た時よりは、顔色が幾分かいいように見える。
「……ひとまずは大丈夫そうだな」
ベッドの傍まで近づいて、そう判断した俺は、そのまま音を立てないように後退ったが、
「……ししょう……?」
どうやら眠りが浅かったらしい神奈が目を覚ましてしまった。
寝起きで頭が回らないのか、舌足らずな声で俺を呼んだ。
「悪い、起こしたか」
「いえ……それより、ししょうはどうしてここに? まだ学校は終わってない時間ですよね?」
喋っている最中に覚醒に近づいているのか、喋り方がどんどんハッキリしてきたっぽい神奈がゆっくりと身体を起こした。
「早退してきた。腹痛でな」
「……そうですか。すみません、ご迷惑をおかけしてしまって……」
「気にするな。学校をサボれたと思えば徳でしかない」
近くにあった椅子に腰を下ろして、神奈と目線を合わせた。
「お前、執筆やら勉強やらで最近ちゃんと寝てなかっただろ。夜更かしなんぞ効率が悪くなるだけだって言わなかったか?」
「うっ……その通りですけど……」
「まあ説教はいい。今回のことで自分自身が一番身に染みただろうからな」
「……はい」
「とりあえず、俺はおかゆでも作ってくる。俺も昼食ってないしな。それに、俺がこのままここにいたらお前もゆっくり休めないだろ」
座ったばかりだったが、立ち上がり、部屋を出るために扉に向かって歩く。
「あ、あの……」
リビングに片足を踏み入れた時、背後から弱々しい声が聞こえた。
「どうした?」
「あ、あの……もし、ご迷惑でないのなら、師匠の話が聞きたいです」
「俺の? どういうことだ?」
「師匠がどうして作家を目指したのか、良ければ聞いてみたいです」
「話したことなかったか?」
「はい。私の記憶が確かなら」
……ふむ。
まあ、話して減るもんじゃないしな。
「いいだろう。子守歌代わりにでも聞け。つまらなかったら寝てもいい」
「一言一句しっかり聞き漏らさないようにします」
むんっと両手を胸の前で握り締めて、決意を表明する神奈に、少し苦笑を漏らして、俺はゆっくりと語り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます