第16話 テスト週間と締め切りが重なるとやばい
「んー! ようやく週末ですね!」
リビングのソファに座った神奈が大きく伸びをしながら、歓喜の声を上げた。
「……ああ。そうだな」
「どうしたんですか? なんかげんなりした顔してますけど」
「いや、いつものことなんだが……このあと起こることを考えたら素直に週末を喜べん」
「このあと?」
毎回テスト週間の週末になると、とあることが起きるのだが、神奈は知らなくて当たり前だ。
首を傾げた神奈に対する答え合わせをするように、インターフォンが来客を知らせた。
「……来たか」
「え? 誰がです?」
「いいから、モニター見れば分かる」
「……あれ、いなりちゃんと神先生?」
モニターを確認した神奈がスリッパをたぱたぱ鳴らして小走りで玄関に駆けていく。
俺はその背中を見送りながら、作業スペースの高機能チェアに腰を下ろして、深く息をはいた。
「うぃーっす」
片手を挙げて気怠げに挨拶しながら部屋に入ってくるそこそこの大荷物を持った創太とその後ろには、
「……………………はあ」
俺に負けず劣らず、大きく深い息をはくいなりの姿があった。
長く重そうな黒髪がもっと重そうに見える。
「えっと、いなりちゃんは一体どうしちゃったんでしょうか?」
「ヒント。テスト週間」
「ヒントその二、締め切り」
俺と創太が神奈に向かって順番に発言する。
勘のいい人間ならこれだけでどうしていなりがここまで重く暗い雰囲気をまとっているのかが分かるはずだ。
「原稿の締め切りがマズい時にテスト週間で勉強までしないといけないから大変だってことですか?」
「大正解」
「見事正解したコハクちゃんには商品として、コハクちゃんのためだけにアサヒが小説を書いてくれる権利をプレゼントしよう」
「ふざけんな。なにを勝手に――」
「ありがとうございます!」
食い気味に感謝されてしまった。
「いや、書かないからな。新作の企画でも忙しいというのに」
「あ……そ、そう……ですよね……」
「マジ凹み!?」
俺が言ったわけじゃないのにどうしてこんなに罪悪感に駆られてしまうんだ……。
「冗談ですよ。その権利は本当に惜しいですけど、師匠の邪魔をする気はありませんから。で、いなりちゃんが締め切りが近くてマズいっていうのは分かるんですけど、勉強もですか?」
「意外だとでも言いたげな顔だな」
「はい。いなりちゃんって頭良さそうに見えますし」
「ところがどっこい。オレたちの中で一番成績が悪いのがこいつなんだよ」
「え!? いなりちゃんが!?」
なにを言いたいのかは分かるが創太といなりの間で視線を往復させるんじゃない。
「神奈、お前を除いた俺たち三人の中で一番成績がいいのは、実は創太だ」
「ええ!?」
「そーなんだよ。実はオレって成績いいんだよ」
腹立たしいことにな。
「……私は別に勉強が出来ないわけじゃない」
俯きがちで黙っていたいなりが異議を唱えた。
まあ、確かに出来ないわけじゃないんだが……。
「言うよりも実物を見せた方が早いだろ。いなり、一年の頃のテスト持ってきてるだろ。神奈に見せてやれ」
「……これ」
「では失礼して……わ、現代文百点!? すごいですね!」
「驚くのはまだ早いよ、コハクちゃん」
「え? あー……」
神奈の手元を軽く覗き込むと、数学四十点の文字が。
「要するに、いなりは典型的な文系タイプで、理系の成績がゴミなんだよ」
「しかもそれ、一番直近のテストだから進級がかかった学期末テストのやつで赤点ギリギリだしな」
「一番苦手な教科で補修なんて受けたくないから、いつも必死で……しかも今回は締め切りが重なって勉強している暇もほとんどない……」
「締め切りはお前の自業自得だがな」
なんだかんだ補修受けたくないからって赤点は回避してるんだが、赤点で補習制度だったりだとかのペナルティがなかったら、多分だが、いなりは平気で理系全部0点取る。
「むっ。そういうアサヒだって締め切りのことに関しては今回は人のこと言ってる余裕なんてないはず」
「は? なにが?」
「だって前パソコン壊れて、送ってなかった部分が全部消えたんでしょ? 締め切りがヤバい仲間だよ、私たち」
「その部分ならとっくに取り返したし、もう初稿を紬に送ったぞ。今は赤字待ちだ」
「え……あれって確か一週間前ぐらいだったはずだよね……?」
「一週間もあれば余裕だろ。手が空いたから締め切りに余裕がある現代ファンタジーの次巻の原稿と新作の企画に着手してるぐらいだしな」
「……ありえない」
そんな未知の生き物見るような顔されても困るんだが。
これぐらい普通だろ。
「どういう思考回路してるの……? どうしてそんなにすらすらと文章が書けるの……?」
「さすがにいつもこのペースってわけじゃないぞ」
「あー師匠ってたまに夜中になるとなにも思いつかねえって叫びながら外に走りに行ってますもんね」
「「「それは作家なら誰でもやってるから」」」
俺と創太といなりの声が完全にシンクロした。
作家、意外と運動不足にならない説。
「まあそれはいいとして、いなりの理系がやばいから、テスト前の週末はこうやってうちに泊まりに来て勉強会してるってことだ」
「そうだったんですか」
「というかお前……次巻はオレと発売日一緒で来月だったよな? 今締め切りって言うのはヤバくないか?」
「……………………」
「黙秘権を行使してもお前の締め切りがヤバい事実は変わらないぞ。確実に破ったらマズい方の締め切りだろうしな」
今が五月の中旬ぐらいで、発売日は来月の下旬。
この焦りよう、さては締め切りまであと一週間あるかないかだな? そんでもって初稿すら上がってないな。
「締め切りって破っていいものもあるんですか?」
「ああ。破っても間に合う本来の締め切りと破ったら本が出せなくなるラインの二種類だ」
と言ってはみたが、基本的に締め切りは破らない方がいい。
仕事相手からの信用はなくなるし、一度でも破ってしまえば、破りやすくなってしまうもの。
たとえるなら、キャバクラや風俗に苦手意識のあった人間が一度でも行ってしまうと案外平気だということに気付き、その後通うようになってしまうのと似ている。
……さすがにちょっと違うか? まあニュアンスとしては大体そんな感じだ。
「新人の頃は律儀に締め切りを守って書くんだけど、その内本当に破ったらマズい方の締め切りを逆算出来るようになるんだよ」
「で、いなりちゃんは今本が出せなくなる方の締め切りがマズいと……」
「し、仕方ないことだから。次巻はこの作品にとって大事な山場だから。悩む場面が多いから、簡単には書けないから、うん」
目を逸らすなよ。
お前が原稿に手を付けないでゲームしてたのは知ってるんだからな?
「と、とにかく! 早く勉強して執筆もしないと! もし赤点なんか取ったら実家に連れ戻される!」
「勉強に関しては、今回は神奈がいるからな。俺たちは自分のことやってればよさそうだな」
「だな。オレもとりあえず軽く勉強してから執筆の方するとしますか」
「成績のこともそうですけど、神先生って勉強嫌いなタイプじゃないんですね。ちょっと意外でした」
「いや、勉強は大嫌いだけど」
「へ? それならどうして……」
俺といなりの二人は、どうして創太が勉強嫌いなのに成績いいのかについて知っているが、何度聞いても呆れてものが言えないんだよな、あれ。
「どうしてって……勉強出来る奴はモテるって聞いたからだけど?」
な? ふざけた理由だろ? こんな動機で毎回好成績取ってくるんだぞ、創太の奴は。
「……その理由でちゃんと結果出してるんですから、人の欲ってすごいんですね……」
呆れているのか感心しているのか分からないような声音で神奈が呟いた。
ちなみに、運動が出来るのもモテると聞いたからで、身だしなみに気を遣っているのもモテると聞いたかららしい。
作家になった理由といい、異性が絡むととてつもない力を発揮するのが、神創太という男なわけだ。
ま、結果……モテていないのも神創太という男なんだけどな。
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