第17話 第一次パンツ事変

「お、洗濯物が終わったみたいだな」


 リビングで各々が執筆したり唸りながら勉強したりと自由に過ごしていると、脱衣所から洗濯機が洗濯終了の音を鳴らしたのが聞こえた。

 

「手伝う?」


「いらん。いいから勉強してろ」


 嬉々として勉強をサボるための口実にしようとしたいなりを制し、脱衣所に向かう。

 というか洗濯物回収するだけでそこまで時間使わないし、大して時間稼げないだろ。


「ふう……戻るか」


 乱雑に男二人分の洗濯物をカゴに放り込み、リビングに戻る。

 創太は執筆をし、いなりは机にかじり付くように勉強し、神奈はいなりに勉強を教えながら自分の勉強をしていた。


 ちなみに今は土曜日の午前中。

 昨日はちゃんと夜遅くまで執筆と勉強をこなした。

 

 今回は監督役に学年上位の神奈がいるおかげなのか、いなりはいつもはもっと苦しむはずの理系でも割と理解が早いらしく、執筆の方に多めに時間を割けているみたいだ。

 

 俺は周りの作業の邪魔にならないように、自室にアイロンとアイロン台と洗濯カゴを持って引っ込んだ。


 カゴから一枚一枚取り出して、アイロンをかけてしわを伸ばして、衣服を自分と創太の物を分けて畳んでいく。


「……毎度思うが、どうして俺が創太のパンツにまでアイロンかけないといけないんだ」


 あいつが泊まりにくる度にこうして俺がアイロンがけまでやっているわけだが、時折こうして我に返って、友人の下着のしわを伸ばしていることに虚無感を覚えてしまう。

 

 いっそのこと、このトランクス燃やしてやろうか。


 もちろん、そんなことはせずに無心でアイロンをかけて畳み、カゴの中に手を伸ばして掴んだものをアイロン台に乗せた。


「――ん? なんだこれ?」


 俺がカゴの中を見ずに掴んだものは、明るめのパステルグリーンだとか、ミントグリーンだとか呼ばれる色の類いの丸まった布地だった。

 

 ハンカチか? 俺も見覚えないし、創太もこんな色合いのものは使わないだろう。そもそもあいつが俺の家に来るのにハンカチなんぞ持ってきているわけがない。

 

 となると、神奈かいなりのものか? 多分、さっき回収しきれてなかったものがあとから入れた俺たちのものと混ざったんだな。 

 

「全く、神奈はたまにこういうそそっかしいところがあるな」


 何気なく丸まった布地を手に取り広げると、布地は想定していた四角形ではなく三角形にトランスフォームした。

 

「……………………………………ん?」


 ――それは紛れもなく、女性ものの下着だった。


「おわあああああああああああ!?」


 数秒遅れで目の前のものを認識した俺は、思わず叫び声を上げてしまった。

 隣にはあいつらがいるわけで、いきなり大声なんて上げてしまえば、当然……。


「どうした!? なにがあった!?」


「師匠!?」


「アサヒ、大丈夫!?」


「ななななな、なんでもないぞ! ちょっと虫が出て驚いただけだ!」


 三人が部屋に入ってきた瞬間、俺は神がかり的なスピードで手に持っていた下着をポケットにねじ込んだ。

 恐らく、もう二度とこんなスピードは出せない。


「なんだよ、虫かよ……驚かせやがって」


「は、はは。悪いな。結構デカかったものでな、ははは……」


「……本当に虫? アサヒ、なにか隠してない?」


「ば、バカなこと言うな! 俺がお前らに一体なにを隠す必要があるというんだ!?」


 パンツ隠してるなんて言えるわけがないだろうが! というかこれ、神奈といなりのどちらかのものってことだろ!? なおさら言えるか!


「師匠? 汗がすごいですよ? 本当になにも隠してないんですよね?」


「し、しつこいぞ! そんなことよりも扉開けっ放しにしておくと奴に逃げられるかもしれないからな! ここは俺に任せてリビングに戻るといい! いなりは特にこんなことしてる時間なんてないだろ?」


 滝の如くだばだばと流れ落ちる汗を拭いながら、俺は部屋から出るように促した。

 神奈かいなりのパンツが懐に入っているだけでも心臓に悪いのに、本人までいたら落ち着こうにも落ち着けない。


「まあ、いいか。行こ、琥珀」


「そうですね。いなりちゃんには一刻も早く勉強を終わらせてもらわないと。新刊、私だって楽しみにしてるんですから」


「あ、創太。お前はちょっと残ってくれ」


 去って行く女性陣の背中に続こうとする創太に声をかけて、引き留める。


「は? なんでだよ」


「いいから残れぶっ殺すぞ」


「マジでなんでだよ!?」


 なおもなにか言おうとする創太を有無を言わさない圧力で無理矢理黙らせて、そっと扉を閉めた。


「んで? お前なにがあったの? お前が虫ぐらいでビビるわけないしな」


「その前に、こいつを見てくれ」


 ポケットから件の布地を取り出して、突き出す。

 

「は? なんだよ、これ……おわあああああああああ!?」


 怪訝そうにしていた創太が布地を受け取って広げると、先ほどの俺と全く同じ声を上げた。 

 やっぱそうなるよな。


「おまっ!? これっ!?」


「……洗濯物に混じってたみたいだ。どうしよう」


「ふざけんな! お前巻き込みやがったな!?」


「一人で抱えきれるかこんな案件! これでお前も共犯なんだからどうやってこれをバレずに返却するか知恵貸せやごらぁっ!」


「それが人を巻き込んだ挙げ句にものを頼む態度かてめえ!」


 ――がちゃ。


「あの、二人とも、どうかしたんです――」


「そっちだ創太ァ!」


「任せろアサヒィ!」


 扉を開けて、神奈が顔を覗かせた瞬間、俺たちはすぐに誤魔化しに走った。

 居もしない虫を連携プレイで仕留めようとしているが如く、声を張り上げる。

 もちろん、手に持っていたパンツを隠し忘れるようなヘマはしていない。


「ふう、ふう……! クッソ、中々手強いな! アサヒが一人で仕留めきれないからってオレを引き留めたのも頷ける!」


「はあ、はあ……! だが俺たちのコンビネーションにかかればすぐに仕留められる!」


 同じく演技を続けている創太と目が合った。

 

 ――いつか殺す。


 その目は俺への殺意で満ちあふれていた。

 上等だ、殺られる前に殺ってやる。


「あ、あのぉ……?」


「むっ? どうした神奈、なにかあったか?」


「そこにいると虫がそっちに飛んでくかもしれないから気を付けた方がいいぜ?」


 二人してまるで本当に虫がいるかのような演技を続けながら、汗をぬぐい、爽やかな笑みを引き攣った顔をしている神奈に向けた。


「な、なんでもないです……二人で大声を上げてるものですから、気になっただけです」


 やや早口でそう言った神奈は、口元をひくつかせ、リビングに戻っていった。

 あの顔と目は、間違いなくドン引きだ。


 この状態で更に俺たちがパンツを隠し持っていると知ったら、きっと虫を見るような目で見られることも間違いない。

 

「なにやってんだろうな、オレたち……」


「……すまんな、巻き込んで」


 急に虚しさがこみ上げてきて、自分の行いを謝罪した。

 創太も多分俺と同じ心境なんだろう。 


「いや、多分オレも同じようにお前を巻き込んでたと思う」


「だ、だよな。やっぱり一人じゃどうしようもないよな、こんなの」


「「……」」


 二人して無言になって、アイロン台に置いた女性もののパンツを見つめる。

 

「って、見つめてる場合じゃない! どっちのかは分からないが、早急にこいつをどうにかしてあいつらの洗濯物の中にバレずに返さないといけないわけだ」

 

「個人的にいなりのイメージじゃない気がするな」


「やっぱりそうか? って持ち主を詮索するのもなしだ! 意識すると余計にとんでもないことになるぞ!」


 仮に神奈のものだった場合、一緒に住んでる俺が気まずすぎる!

 どっちのものかを知らず、バレずになにもなかったことにするのが全員にとっての幸せに繋がるはずだ。


「……そうか! なにもあいつらに返す必要はねえ!」


「盗むってことか!?」


「バカ野郎! つまり、元あった場所に返すってことだよ! 女子たちの洗濯物の中に入れるんじゃなくて、洗濯機の中に返すんだ」


「――お前さては天才だな?」


 こうして、孔明もビックリの名案のお陰で、第一次パンツ事変は無事に幕を下ろしたのだった。

 二度目はない。なくていい。こんなスリルは二度とごめんだ。

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