第13話 意外と身体が締まってる系作家と濡れてるだけでも絵になる系自称弟子

「……まさか、夕立に遭うとは……ついていないな」


 人類が最も憂鬱になるであろう曜日の月曜日の夕方。

 気怠い学校を終えて、帰宅していた俺を待っていたのは突然の雨だった。

 

「あーくそっ、全身ずぶ濡れで気持ち悪い!」


 降水確率がゼロだったせいで、俺は傘を持っておらず、濡れ鼠になりながらどうにかこうして帰ってきた。

 ただでさえ月曜で憂鬱で、ようやく一日が終わるという時に更に追い打ちで憂鬱になる出来事。


 ははーん、さては今日の俺の星座占い最下位だったな? 

 占いなど普段は信じないが、ここまで運が悪いとなにかのせいにしたがるのが人間というものだろう。


「とにかく早いとこシャワーを浴びてしまわないと風邪を引いてしまうな……」


 俺は制服とシャツを脱いで脱衣カゴに放り込み、部屋から急いで着替えを取ってきて、浴室に駆け込んだ。


「あ゛ー……温けえ……」


 上から降り注ぐ温水に、ついおっさんのような声を上げてしまった。

 冷えていた身体も温まるし、なんかこう心が洗い流されて憂鬱な気分も一緒に流れていっているような気さえする。


 やはり風呂とは日本人のDNAに刻まれてなくてはならないものだ、間違いない。

 

「……風呂ぐらい沸かしておいてやるか」


 あいつは折りたたみ傘ぐらい持っているかもしれないが、念のためだ。

 もしかしたら俺のようにずぶ濡れになって帰ってくるかもしれないからな。

 風邪を引かれたら俺の寝覚めも悪い。


 風呂に湯を張る設定をして、俺はシャワーを切って浴室の外へ出た。


「……しまった。ちゃんと確認するべきだったな」


 バスタオルで身体の水気を拭き取り、服を着ようとした俺は違和感に気が付いて、手を止めた。

 下着はある。短パンもある。……それも二枚。

 つまるところ、俺はTシャツと間違えてズボンを一枚余分に掴んで持ってきてしまったというわけだ。


 急いでいたことと、洗濯を終えている畳む前の服の中から適当に掴んだのもよくなかったな。

 

「ここでこうしていても服が湧いて出るわけじゃなし、部屋に戻ってシャツを着るか」


 ズボンを履き、リビングに繋がる廊下に出るのと、 

 

 ――ガチャリ。


 と玄関の扉が音を立てて開いたのはほぼ同時だったように思う。


「「……え?」」


 俺は当然無意識に開いた玄関の方を見るし、家に入ってきた神奈も真正面を向いているせいで、俺たちは視線を交わし合うことになった。


 神奈はさっきの俺のようにずぶ濡れ状態で、自慢の白髪からもぽたりぽたりと水滴が落ちている。

 極めつけは何故かブレザーを脱いでいるせいで、透けてしまっているYシャツだ。


 濡れているせいで、シャツは肌に張り付き、身体のラインは強調され、水色の下着が透けて見えてしまっている。

 扇情的な格好だが、その姿から品は全く損なわれていない。

 

 むしろ、白髪蒼眼の整った容姿のせいで、ただ濡れているだけなのに幻想的な雰囲気すらある。

 言葉も出せないまま、神奈を見ていると、真っ白な肌がどんどん赤く染まっていく。


「し、師匠……そんなに見られる恥ずかしい、ですし……その……早く服を……ですね?」


「す、すまん!」


 俺は恥じらっている神奈に背を向け、自分の部屋に駆け込む……前に脱衣所に引っ込んでからバスタオルを一枚神奈の方に放った。


「今風呂沸かしてるからそれで身体拭いてろ!」


 ぽかんとしてタオルを受け取った神奈から逃げるように、今度こそ自室に引っ込んだ。

 扉を閉め、服を着ることもせずに、扉に背中を預けてずるずると座り込む。


「……はあああああ」


 そのまま大きく息を吐き出して、さっきまでの神奈の姿を思い出しそうになって慌てて立ち上がった。

 見えてしまった下着だとか、身体のラインとかの強烈なイメージが頭の中から消えてなくならない。


「煩悩退散、煩悩退散……!」


 俺は頭を振って、シャツを着てから、ひたすら執筆に集中して頭の中のイメージを無理矢理かき消す。

 常々恋愛には興味がないと言っている俺ではあるが、性欲に関してはそうじゃない。

 というか俺の歳で性的なことに興味がない奴のほうがおかしいと断言出来る。


 そのまま煩悩を消そうとしばらくこれまでにないぐらいの真剣さでキーボードを必死に叩いていたが――……。


「だぁーっ! ぜんっぜんダメだ!」


 集中出来ていないせいで産み出されていく駄文に頭を抱えて叫んだ。

 ところどころぱっと見で分かるぐらい誤字脱字だらけだし、文章のあちこちに下着という文字が見える。


「バカな……! 俺は無意識に下着という文字を打ち込んでいたというのか!?」


 落ち着け、下着なんて姉ので見慣れているはずだ! あんなもんただの布だと姉と過ごした数十年で認識しているはずだろう!

 

「仕方ない、この手段だけは使いたくなかったが……はぁぁぁぁぁぁぁ……!」


 我が脳内に現れよ……! 実家のリビングで腹を出してすっぴんの寝顔を晒している我が母よ! 我の煩悩を晴らしたまえ!


「……中和完了。いや、若干ダメージの方がデカい気がするが、とにかく落ち着いた」


 僅かながらに吐き気を感じるのがこの方法の弱点みたいなところがあるが、その効果は絶大。

 とはいえ、このまま集中して作業なんて出来そうにない。

 ため息をと共に立ち上がって、リビングに移動する。


「あ」


「お」


 リビングに移動したところで、ちょうど風呂から上がってきた神奈と鉢合わせてしまった。

 いや、どうせ遅かれ早かれ鉢合わせていたんだろうが、落ち着いたとはいえ心の準備は別問題だ。

 俺は必死に平静を装って口を開いた。


「思ったより上がるの早かったな」


「はい。あ、お風呂沸かしておいてくれてありがとうございます」


「気にするな。ついでだったからな」


 二人して、無言で離れた位置のソファに同時に腰を下ろす。

 お互いになにを言うか考えているような空気感が俺たちの間に流れる。


 ここはあれだな。話題をなるべくさっきのことから遠ざける方向で会話を進めるべきだな、うん。


「あ、あの……」


「……どうした?」


 ようやくなにを言うかまとまったのか、タッチの差で神奈が先に話し始めた。

 

「し、師匠って意外と身体締まってるんですね!」


「ぶほぁっ!? お、お前が蒸し返してどうするんだ! こっちがせっかく話題を逸らそうとしてる時に!」


「いや無理ですよ! この空気で別のこと話しても結局無言になってましたよ! それなら最初からあえて話題に触れた方が後々に響かないってもんです!」


「そ、そうかあ?」


 一理ないことはない……のかもしれないが……まあいいか……。


「身体のことに関しては、昔から紬のストレス解消に付き合わされていたせいだろうな」


「紬さんですか?」


「ああ。あいつ身体動かすのが昔から好きで、俺はそれに付き合わされてたんだよ。お陰で身体は頑丈になった」


 正確に言えば、紬がいろんな部活の助っ人を引き受けていたせいで、俺はその特訓に無理矢理付き合わされていただけだったけどな。

 

「し、師匠の方は私になにか言いたいことはありますか!?」


「だからお前の方から聞いてくるのか!?」


 言えと!? お前の下着とか身体のラインとかが頭から離れず執筆に集中できないと言えと!? 俺はそこまで肝座ってないぞ!


「さ、さあ! どうなんですか!」


 顔を赤くしてまで聞いてくることなのか!?

 くっ、しかし、こいつは一度言い出したことは滅多なことじゃ曲げない奴だ……!

 ここはとりあえずなにかを聞いておくのがいいか……。


「そ、そのだな……ど、どうしてお前はブレザーを脱いでたんだ? 着ていれば服が透けることなんてなかったんじゃないのか?」


「えっと、鞄の中が浸水しないように、鞄にかけてたんですよ……それで……」


「た、確かにそれは大事だな!」


 はははとお互いに空笑いをした。

 あーもうこれはあれだな、時間が解決してくれることを待つしかない。

 世の中のラブコメ主人公たちってやっぱすごいんだな。こんな場面に遭遇しても一ページぐらいで冷静さを取り戻すなんて俺には無理だ。


「……鞄の中が無事かどうか確認してくる」


「そうですね。私もちょっと確認してこようと思います」


 神奈と頷き合って、俺たちは自室に引っ込んだ。

 そのまま晩飯の時間まで、俺はひたすら羞恥が引っ込むのを待つ羽目になった。

 多分だが、向こうも同じだろう。


 その日の晩飯は、いつもよりも一時間程度遅かったからな。

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