第11話 パソコンのエナドリ漬けと書いてロストメモリー

「――んぇあ?」


 その間抜けな声が自分の口から漏れ出たものだということに気付くまで、やや時間がかかった。


 ゆっくりと顔を上げると、目の前には画面に文章が表示されたままのパソコン。

 どうやら、執筆中に寝落ちしてしまったらしい。


「うぐおっ……」


 身体を伸ばした瞬間、首と背中と肩に痛みが走った。

 やっぱり座ったまま寝るのは疲れも取れないし、身体が強張るな……。


 いくら若くても、長時間座って執筆すると、どうしたってガタがくる。

 頭もぼんやりしているし、寝起きだからという理由だけじゃなく、疲労でも目が霞んでいるような気がする。

 

 その甲斐あって、ラブコメはかなり書き進めることが出来た。

 紬に送っているのは二章までで、寝落ちする前に三章を書き終え、四章の執筆に入ったあたりで記憶が途切れている。


「結構寝てたんだな」


 スマホを見て時間を確認すると、最後に見た時間から三時間経っていた。

 カーテンの隙間からは日の光が差し込んでいて、夜が明けていることが分かる。

 

 まあ、紬と蒼空が帰って、風呂から出てから夜中までずっと執筆していて、寝落ちだからな……そりゃ夜も明けるか。


 ――ブーッ、ブーッ、ブーッ。


 あくびで出てきた涙を拭いながら、もう一度伸びをしていると、マナーモードにして机の上に置いていたスマホがガタガタと存在を主張し始めた。

 

「いなり?」


 こんな朝から珍しいな。


「もしもし?」


『もしもし。ごめん、起こした?』


 寝起きのせいで声が変になってるのか。寝起きだってことが即バレたな。


「いや、起きて少し経ったところだ」


『そう。今日部屋に行っていい?』


「今日は予定もないし、いいぞ」


『じゃあお昼頃にそっちに行くね』


「ああ。というかお前締め切りは?」


 最後に会ったのはGWの時だし、一週間経ってるならそこそこ原稿も進んでるはずだが。


『……ちゃ、ちゃんとやってるから。そっちでも執筆するし。そっちは進捗、どう?』


 少し言葉に詰まったところが怪しいが、まあいいだろう。こっちで進めるって言ってるんだしな。


「ふっ、余裕だ。さっきまでは寝落ちしていたが、次の巻の四章に入ったところだからな」


『相変わらず、執筆速度は早いね』


「はって、それだと執筆においての俺の取り柄が速度だけってことに聞こえるんだが?」


 問うと、スマホの向こうから沈黙が返ってきた。

 こいつが俺のことをどう思っているかよく分かった。絶対泣かす。


 とりあえずベッドの上に移動するか。さすがに柔らかいところに座りたい。


「ととっ……!」


 急に立ち上がったせいなのかふらついた俺は、咄嗟に机の上に手を付いた。

 そして――……。


 ――カコン、タパタパタパタパ。


 付いた手がパソコンの横に置いてあったエナジードリンクの缶を倒して、中身がパソコンの上に溢れ出した。


「……」


 なんかパソコンの画面が真っ暗になったんだが……?

 熱くもないどころか、身体は冷えているのにぶわりと身体中から汗が流れ出てきた。


『アサヒ? どうしたの? えっと、ごめん冗談だから。気を悪くしないでほしい』


 耳元で聞こえるいなりの声もどこか遠くに聞こえる。

 試しに電源ボタンを押してみるが、なにも反応はない。


「…………進捗の話だったな」


『え、あ、うん。どうしたの?』


 俺の声からなにか不穏なものを感じ取ったのか、スマホの向こうのいなりの声が少しだけ畏まったものになった。

 俺はふっと笑い――。


「たった今……全てが無に帰したところだ」


 パソコンが壊れてしまったという事実をようやく飲み込んで、頭を抱えたのだった。




『――とにかくすぐに買い換えなさい!』


「わ、分かっている。今新しいのを見に来たところだ」


『全く……パソコンが壊れてまだ送ってない原稿が全部消えるなんて、あんたほんと勘弁してよね……USBメモリー使うなりクラウド使うなりしときなさいよ……』


「嘆きたいのは俺も同じだ! まさか修理も難しいレベルだとは……とにかくもう切るぞ」


 通話を切り、大きく息を吐き出した。


 まさか、USBメモリーだのクラウドだのを使ってなかったことが仇になるとは……パソコンを買うついでに買っておくか、USBメモリー。


 くそっ、あの中には世に出せはしなかったが作家デビューしてから今まで書いてきたお蔵入り小説なんかもかなり入ってたっていうのに……まるで自分の子供を失った気分だ……。

 

 そんなわけで俺は今、大型家電量販店にいる。

 ここに来る前に修理専門の店に寄ってパソコンを見せたのだが、型が古いことが災いして、完全に修理するのは難しいとの話だった。

 あのパソコンは中学入学の祝いに親父がくれたお古だったし、少々動作が重くなっていた。もう寿命だったと思って諦めるしかないだろう。


 それにしても……。


「何故お前らが付いて来てるんだ」


「ひまつぶ……息抜きにもなるし」


 明らかに暇潰しって言ってんじゃねえか。


「私も息抜きです。ちょっと執筆に詰まっているところがあるので」


「まあいい。早いとこ新しいのを買って帰るとするか」


「あ、私はいなりちゃんとこのフロアを見て回るので、師匠は先にパソコンが売ってあるフロアに行っておいてください」


 呼び止める間もなく、いなりと神奈はさっさと行ってしまった。

 まあ端から一人で来るつもりだったし、俺は俺の買い物をするとしよう。


「ふーむ……分からん」


 ずらりと並んだ数多のパソコンの前で独りごちる。

 なんかもう色が違うだけで全部同じに見えるんだよな。


「埒が明かないな。自分の使用用途から絞ってみるか」


 主だった目的は執筆、調べ物、動画鑑賞だな。そうなると、ある程度のスペックは欲しい。動作が重いものはストレスが溜まるからな。

 あとは、そうだな……自分の部屋とリビング間で持ち運んだりするし、休日は出版社に持って行くこともある。


 となると、


「スペックが良くて持ち運びに適したあまり重くないものになるな」


 頭の中で整理すると、不思議と俺の目はあるパソコンの元へ吸い込まれた。 

 

「少々値は張るが、一番条件に合致しているな」


 俺の目に止まったのはMucシリーズと呼ばれるもので、スペックもさることながら、軽量で持ち運びに適している。

 オシャレな喫茶店でよく意識高い系の奴がキーボードをッターンってやってるイメージが強いあれだ。


 試しにキーボードを触って打鍵感を確かめて見るが、中々指に馴染む。

 よし、これに決めるか。幸い、在庫もあるみたいだしな。


 早速購入用のカードと、ついでにUSBメモリーも掴んでレジに向かい、店員にカードを差し出すと、店員がすぐに製品を取りに行って戻ってきた。


「こちらの製品でよろしかったでしょうか」


「はい」


 ピッという音と共に、値段が表示される。

 念のため多めに金を下ろしておいてよかった。

 

「あれ? もう選んだんですか?」


 財布を懐から取り出していると、真横から声がかけられた。

 僅かに横を見ると神奈といなりが立っていて、神奈の手には家電量販店のロゴが入った袋がぶら下がっていた。

 

「ああ。いいのがあったからな……お前もなにか買ったのか」

 

「メガネです。いなりちゃんと一緒に選びました」


「メガネ? なんでまた」


「ブルーライトのやつだよ。パソコンの画面を長時間見てたら疲れるから」


「あー、なるほどな」


 ブルーライトか……どれぐらい効果があるのか分からんが、俺も買っておいた方がいいかもしれない。

 執筆作業あとって結構目が霞んでるし、少しでも疲労を軽減出来るのならそっちの方がいいいだろう。……さっきみたいなハプニングを避けるためにもな。


「こ、琥珀お嬢様!? どうしてここに!?」


 そのまま会計を進めていると、突然大声が耳朶を打った。

 

「知り合いか?」


「い、いえ」


 大声を上げた人物の胸元をそれとなく見ると、店長と書かれた名札がかかっていた。

 

「私はお嬢様のお父様にお世話になっている者です。なのでお嬢様と直接の面識はありません」


 多分だが、神奈グループに関わりがある人物なのだろう。

 

「そちらの方々はお嬢様のご友人ですね。お買い上げありがとうございます……むっ」


 店長が言葉を区切ったかと思うと、レジの方に回った。

 なにをするつもりなんだ?


「バカ者ォ! お嬢様のご友人に定額で売りつけるなど……半額だァ!」


「「「「ええええええええ!?」」」」


 俺、神奈、いなり、そしてレジを担当していた店員の四人で揃って驚愕の声を上げた。

 なに言ってんだこの人!?


「いやいやいや! 定額で大丈夫ですから!」


「それだと私の面目が立たんのです! むっ……お嬢様もなにか買い物を……!? まさかお嬢様からお金を!? なんてことを……! 今すぐ対応した店員の首を切りますのでお許しを!」


「いやいやいや! 結構ですから!」


 なんかとんでもなく物騒なことを言い始めたぞ!? この店長怖い!


「て、店長! 落ち着いてください! 社長に怒られちゃいますよ!」


 店員が必死に宥めるが、店長は右手を横に大きく薙ぎ、


「ええいうるさい! 責任は私がとる! せめてご友人の製品は半額だァ!」


 声高に言ってのけた。


「だから定額で大丈夫だって言ってるだろおおおおおお!」


 たまらず、俺も叫び返してしまったのだった。



「……結局半額で買う羽目になってしまったな」


 勢いでゴリ押されて、買ってしまったパソコンは軽量を謳っているくせに、どうにも重く感じる。


 安くなったのは嬉しいが、本当に良かったんだろうか……。


「すみません、私の家のせいで……」


「いや、過程はどうあれ安くしてもらったんだし、それで文句を言ったらバチが当たるだろ」


「店長さん、社長に怒られたりしないかな?」


「それに関しては全く否定出来ない」


 あの店長の首が切られないことを祈るばかりだ。


「そうだ、師匠」


「どうした?」


「目をつむってください」


「は? なんでだ?」


「いいから、ほら」


「いなりまで……分かった、これでいいのか?」


 言われた通り目を閉じる。

 すると、神奈の香りが一際近くなって、顔と耳に何かが当たる感触がした。

 

「はい、もういいですよ」


 神奈の声を合図に目を開けると、神奈といなりの柔らかな笑みがに見えた。


「これは……」


 顔にかけられたものを外し、手で持って見つめる。

 それはネイビーのスクエア型のブルーライトカットのメガネだった。


「私といなりちゃんからのプレゼントです。師匠に合いそうなものを選んだんですよ?」


「あの……アサヒ、もしかして朝のこと怒ってるんじゃないかと思って……だから、それはお詫びというか……」


「朝のこと?」


「あの執筆においての取り柄が早さしかないって話」


「ああ、なんだよ。そんなこと気にしてたのか? ちなみに俺はパソコン壊れたショックで完全に頭から抜けてたぞ」


 そもそも最初からあまり気にしてなかったし、あのぐらい通販サイトの批評家気取りのレビューコメントに比べたら生温いまである。


「でもごめん」


「よし、許す。そんでもって……これ、大切に使わせてもらう。ありがとう」


 二人の気遣いに感謝し、俺は改めてプレゼントされたメガネを顔にかけて口角を上げてみせたのだった。

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