第10話 賑やかし系年下天才イラストレーター

「師匠、先にお風呂頂いてもいいですか?」


「ん、いいぞ」


「ありがとうございます」


 人によっては長く、人によっては短く感じる一週間が終わる。

 正確に言えば、今日は金曜の夜で一週間はあと土日があるのだが、休みに入るんだしそこまで細かく言わなくてもいいはずだ。


 とたとたと風呂に向かっていく神奈を見送りながら、リビングにある作業スペースに座り、パソコンを開く。

 

「とりあえずなにを書くかだな」


 刊行しているラブコメかファンタジーもののどちらかか、新作の企画か……。

 よし、今日と明日でラブコメものをいいところまで書いてしまおう。もうちょっとで書き上がるしな。


 早速書いている途中のテキストファイルを開くと、来客を知らせるインターフォンが鳴り響いた。

 

「……誰だ、人がせっかく執筆をしようとしている時に」


 こんな夜に尋ねてくる奴なんて限られているが、とりあえず創太だったら殴ってその他だった場合は人によって考えるか。

 やる気に水を差されたことに少し苛立ちながら、モニターを覗き込んだ。


「紬?」


 モニターの画面に表示されたのは俺の姉、鷹村紬だった。

 一体何の用だ?


「なんなんだ、原稿なら出来てないぞ」


 怪訝に思いながら玄関を開け、開口一番言い放った。

 

「今日はそういう用事じゃないの。とりあえず上がるわね」


「あ、ああ」


「それと靴は隠しておいてくれない?」


「靴?」


 どうして靴を、と聞く前に紬はさっさとリビングに行ってしまう。

 まあいい。とりあえず言われた通りにしておくか。


「で、結局今日はなんの用だ?」


「まあまあ。いいからいいから。その内分かるわよ」


 本当になんなんだよ……酒も飲まないし、気味が悪いな。

 足を組んで、スマホを触る紬に更になにかを言ってやろうと口を開いた瞬間、


 ――ピンポーン。


 と、再びインターフォンが鳴った。


「来たわね」


「来たって、誰が?」


「いいから、ほら」


 早く出なさいと言ってくる紬に釈然としないものを感じながら、とりあえずモニターを見た。

 ……ん?


 画面に映る来客者を見て、もう一度紬を見ると、頷かれた。

 そういうことか。

 全てを悟った俺は玄関に行き、扉を開ける。


「お疲れさまでーっす、センセー!」


 扉を開けた瞬間聞こえてきたのは、底抜けに明るくとにかくうるさい女の声。

 あちこちが跳ねたショートカットは本人の元気過ぎる性格を表しているかのようで、くりくりとした目と知っている異性の中では一際小柄な体躯。


「お疲れさまじゃない。来る時は前もって連絡入れろって言ってるだろ」


「えへへ、すいません! ところでちょっと匿ってもらっていいっすかね?」


「お前またイラスト上げずに逃げ回ってるのか」


「や、やだなー……逃げ回ってるだなんて人聞きの悪い。ただちょっとアレですよ、アレ」


 どれだよ。

 俺は冷や汗をかいて目を逸らす女をじとりと睨め付けると、女はことさらに明るい声であははと誤魔化すように笑った。


「言っておくが、うちはやめておいた方がいいぞ? 俺もバレたらあとが怖いし」


「そ、そんな!? お願いします、なんでもしますから!」


「それなら仕事しろよ」


「仕事以外でお願いします!」


 お願いしますじゃないぞ……全く。

 ため息をついて、女――綾野蒼空あやのそらを部屋に招き入れた。

 

「一応、俺は止めたからな?」


「はい、お邪魔しまーす!」


 蒼空が意気揚々とリビングに入っていくのを見て、俺は隠していた紬の靴を下駄箱から出した。


「わぁぁぁぁぁぁああああああ!? 許してくださぁぁぁぁぁああああい!」


 その後、すぐに蒼空の悲鳴が聞こえてきた。

 だから止めたのにな。


「どうしてアタシがここに来るってわかったんすかぁ!」


「あんたの考えることなんて大体分かるのよ! もう逃がさないからね!」


「せ、センセー! 助けてくださいよお!」


「お前が悪い。大人しくお縄につけ」


 蒼空はペンネーム、Skyという名前でイラストレーターをやっていて、俺が現在刊行しているラブコメのイラストレーターでもある。

 こいつが今逃げ回っているのは俺とは別の案件だろうな、多分。


「ううー……そんなあ……」


「今更だがお前そんなんでよくイラストレーターやろうと思ったな」


「絵を描くのは好きなんすよー。それが期限とかに縛られてなければ」


 こんなんでも人気イラストレーターなんだよな、こいつ。

 まあこの無責任さでこの仕事以外が務まるとは思えないが、少しは期限を守って担当の胃に優しいイラストレーターになってほしいもんだ。

 主にその担当である紬の憂さ晴らし相手に付き合わされる俺の身にもなれ。


「し、仕事したいのは山々なんですが……仕事道具もありませんし」


「あたしが一式持ってきてるわ」


「お、お腹が空いて……」


「今日はビーフシチューだったから余ってるぞ。よかったら食うか?」


「もうなんなんすかこの鬼畜姉弟! どうしてことごとく逃げ道を塞ぐんですか! でもビーフシチューはいただきます!」


 こいつの図々しさは相変わらずだな……。

 蒼空は俺のデビュー作のイラストを担当してもらってから以来の付き合いだ。

 

「めっちゃいい匂いっすね! これセンセーが作ったんすか?」


「いや、同居人が」


「同居人!? なんすかそれ、アタシそんなの聞いてないっすよ!」


「言ってなかったか? そう言えばお前来るの久しぶりだったな」


「そっすね。入学準備とかで色々と忙しかったですから」


 蒼空は今年高校に入学したばかり。

 俺より年下なのに、既に人気イラストレーターの名を欲しいままにした、天才でもある。

 最も、普段からの態度のせいで全くそうは見えないが。


「それでそれで、同居人ってどんな人なんですか? どういう感じで共同生活が始まったんすか?」


「あー、説明が難しいな……とりあえず、今風呂に入ってるから出てきたら本人に聞け。ところで紬は飯、どうする?」


「食べたいんだけど、そこのイラストレーターに仕事させないといけないから、あとでいいわ」


「うげえ……一気に食欲なくなってきたっす」


 俺の家で仕事させる気なのか……ホテルとかに連れて行って監禁してやればいいものを……まさか、こいつら明日が土曜日なのをいいことに泊まり作業するつもりじゃないだろうな。


 嫌な予感を覚えながらも、ビーフシチューを温め続けていると、リビングと玄関を繋ぐ扉がかちゃりと開いて、頭にバスタオルを乗せてTシャツにハーフパンツといったラフ極まりない格好の神奈が入ってきた。


「師匠ー。お風呂頂きました……って紬さんと、そちらの方は……?」


「ど、同居人って女の子!? しかも超弩級の美少女じゃないっすか! なんなんすか、いつの間に作家からラブコメ主人公にジョブチェンジしちゃったんすかセンセー!」


「神奈、こいつは綾野蒼空。ペンネームはSky。ここまで言えばお前なら分かるだろ?」


「Sky先生!? それって師匠のデビュー作を担当した人気イラストレーターさんじゃないですか! うわあ、会えて感激です!」


「おっと、もしかしてアタシのファンですか? いやー嬉しいっすね! えっと……」


「神奈琥珀と申します! 是非お話を聞かせてください! それとサインを……!」


「オッケーっす! ならこっちもセンセーと同棲を始めた時の話とか聞かせてほしいっす!」


 話が盛り上がり始めてしまった……。

 俺は温め終わった料理が入った皿と飲み物をトレーに載せて蒼空の前に置き、作業スペースに腰を下ろして執筆を再開し始めた。




「なるほどー。そんなことが……いやーセンセーも隅に置けないっすねー! こんな可愛らしい子に師匠と慕われるなんて!」


「俺は弟子だと認めた覚えはないがな」


「ひゅー! またまたー照れちゃってぇ!」


 ひゅー、うっぜえ。

 

「話を聞いたなら、そろそろ仕事してもらおうかしら」


「あはは、オッケーっす! 面白い話を聞かせてもらったお陰で創作意欲がバリバリ湧いてきたんで、ちゃちゃーっと仕上げちゃいます!」


 ビシリと敬礼をしてみせた蒼空は、用意された仕事道具を持って、手を動かし始めた。

 横顔には笑みが浮かんでいることから、絵を描くのが好きだという言葉に嘘がないことがよく分かる。


「わーっ……イラストってこう描いてるんですね」


 神奈が興味深そうに蒼空の手元を覗き込んで、感嘆の息を漏らしている。

 あいつは普段逃げ回っているが、一旦スイッチが入ってしまえば手が早いタイプだ。

 その証拠に神奈の質問に答えながらも、手は全く止まっていない。


「これだから天才ってやつは……」


 誰に言うでもなく口の中で転がすように呟いて、しばらくの間、自分の執筆に集中していると、


「よーっし終わりー!」


 蒼空のイラストが上がったようだった。

 

「お疲れ。うん、いつも通りいい絵ね。ったく、あんたはやれば出来るのになんで逃げ回ったりするのよ」


「いやーあれですよ。子供が親に宿題やれーとか、手伝えーとか言われるとやる気がなくなって、今やろうと思ってたのにーってなるやつです」


「言いたいことは分かるがな……」


 確かに自分のタイミングで物事を進めたいっていうのはあるが、さすがに仕事をやれって言われて逃げ回るのはどうかと思う。


「あーなんか集中したらまたお腹が空いちゃったっすね。ビーフシチューのおかわりってもうないっすか?」


「たくさん作ったのでまだまだありますよ」


「あたしももらっていい? 仕事も一段落したし」


「はい。じゃあすぐに準備しますね」


 こんな時間に食ったら太るぞ、と思ったが言わないでおいた。

 言ったら確実に紬の拳で床に沈むことになるからな。


 より濃く漂い始めたビーフシチューの香りを嗅ぎながら、俺はまたパソコンに向き直るのだった。

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