第7話 友人が彼女面をしてきて困る
「へえ……それじゃ寝坊じゃなくて、執筆してて遅刻したってこと? あはは、なにそれ、面白いね!」
「笑い事じゃない……まあお陰で満足のいくものが書けたから、結果オーライ的なあれはあるが……余計な説教を受ける羽目になったぞ」
どうにか三時間目が始まる前に学校には着いた。
一応担任には俺が作家業に就いていることを話してあるが、今回遅刻した理由は寝坊ということにしてある。
もし執筆していて遅刻したなんて言ったらもっと長い時間説教されることになっていただろうし、下手をすると保護者召喚ものだっただろう。
「旭って今二シリーズ刊行中なのに、まだ仕事増やすの?」
「その二シリーズだって今は売れ行きは好調だが、いつ打ち切られるかは分からないからな。備えがあるならその方がいい」
俺が現在刊行しているのはラブコメと現代ファンタジーもの。
どちらもそこそこ売れていて、今のところは続刊出来ているが、いつ何が起こって本が出せなくなるのか分からないからな。
作家として本が出し続けられるのなら、たとえ忙しくなろうとそっちの方がいいだろう。
それに、書いて書いて書きまくって……俺は先を走る背中に追いつかないといけないんだからな。
止まっている暇なんてない。
俺の胸の内を知るはずもない目の前の友人が、柔和な笑みを浮かべた。
「ボク、旭の新作が出たらちゃんと買うからね」
「ありがたいが、それならお前の家のおすすめコーナーに俺の本を陳列してくれた方が助かるぞ。
「それはボクの琴線に触れる物語を旭が書けたらになるね」
言いながら、目の前の友人――
水鳥は俺の友人で、実家が水鳥書店という個人経営だが中々規模が大きい書店を経営している。
なにをどうしたらそんなにサラサラになるのかというキューティクルが整った明るめで長めなふわふわの髪。
身長は百六十程度で小柄、可愛らしく整った端正な顔立ちで、常に浮かべられた柔和な笑みと柔らかな声音が特徴的だ。
こいつのラノベを見る目は少々厳しめだが、逆にこいつの目に
「友達のよしみでなんとかならないか……?」
「ダメダメ。旭が執筆に本気なように、ボクにだって読み手としてのプライドがあるんだから」
そんな水鳥だが、書店員という顔の他にネットで小説のレビューを書いたりする読み手としての活動を行っていて、正確な分析と批評を行うことで有名だ。
なので、一部読者と作家からは神として崇め奉られている。
「くっ……! 今に見ていろよ……いずれお前をも唸らせる至高の作品をこの手で書き上げてやるからな!」
「楽しみにしてるね、旭」
「ふん、待っていろ……ところで俺は学食に行くが、お前はどうする?」
「今日はボクも学食かな。お弁当、今日は作ってもらってないんだね。神奈さんに」
ここまでの会話で分かると思うが、こいつには俺が作家であることを話している。ついでに神奈と同棲することになったことも。
信用のおける相手なら変に隠すよりも、話してしまっておいた方が色々と楽だからな。
「まあ、いつも弁当を作るなんて手間がかかるだろ」
「それもそうだよね。ボクはお母さんがいつも作ってくれてるけど、親が作ってくれるのって一人暮らしをしている人の話を聞いたらありがたいなーって思うもん」
「かと言って、コンビニ飯やインスタントばかりじゃ栄養が偏って身体を壊すかもしれないし……作家は身体が資本だし、若いうちから不摂生なんて歳をとったあとが怖すぎるからな」
言いながら、俺は椅子から立ち上がって、水鳥と一緒に教室を出る。
と、そこで扉の影から出てきた誰かとぶつかってしまった。
「ととっ……悪い、大丈夫か? 神奈」
俺の胸元に顔を埋めるようになってしまったのは、両手に数種類のパンと飲み物を抱えた神奈琥珀だった。
ふわり、と神奈から香る爽やかな香りと、髪から漂うフルーツのような香りが混ざり合って、俺に届く。
「大丈夫です。こちらこそすみません。鷹村くん」
ぺこり、と頭を下げて、神奈は教室の中に戻っていく。
なんとなくそのまま目で追っていると、数人のクラスメイトたちと揃って昼食を食べ始めた。
鷹村くん……ね。
まさか、師匠と呼ばれるよりも、そう呼ばれる方が違和感を感じるなんてな。
というか、まあ……あいつが俺の苗字を呼んだ回数よりも、師匠と呼んだ回数の方が多いんだから当たり前か。
なんにせよ、よく器用に使い分けられるもんだな。
「どうしたの、旭?」
「……いや、ちょっと今になって寝不足の弊害がな」
自分より下の目線から怪訝そうな瞳で見上げてくる水鳥に対して、適当な誤魔化しを入れ、俺は人がごった返す廊下を歩き始めた。
「神奈。俺はこのあと水鳥書店に寄って帰るが、お前の方にはなにか予定があるのか?」
襲い来る眠気と戦い、時に屈し、ようやく放課後になった。
下駄箱で近くに誰もいないことをしっかりと確認し、神奈に話しかける。
「私は友達と一緒に遊ぶ予定があります。恐らく師匠よりも帰宅は遅くなると思うので、食材だけ買っておいてもらえると助かります」
「ああ、分かった」
俺は神奈から離れ、少し先で待っていた水鳥と合流した。
こいつには同棲のことは話しているものの、なんというか……こういう会話を聞かれるのはなんとなく気まずかったから、水鳥の配慮には感謝だな。
「で、今のラノベの流行なんだけど、やっぱり異世界ものから回りまわってラブコメに戻ってきた感はあるよね」
「それはラノベ全体の流行というよりも、どちらかと言えばネット小説の流行じゃないのか?」
「あー確かに。ネット小説がどんどん普及していって、それから誰でもデビューしやすくなったっていうのもあって、ラブコメの作品が爆発的に増えた印象だね」
「人によるだろうが、ラブコメっていうのが比較的書きやすいジャンルなんじゃないか? 初心者だと変に設定が凝った異世界ものを書くよりも、変な設定がないもので王道やテンプレの作品の方が執筆の練習にもなるからな」
お互いに昨今のラノベ業界のことについて、意見を交わしあっていると、あっという間に水鳥の両親が経営する水鳥書店へと到着した。
俺は作家デビューをする前からこの書店にお世話になっているが、水鳥とこうして話すようになったのは、中学に上がってからだ。
「じゃ、店内適当に見ておくから」
「うん。ボクは上で準備してくるね」
水鳥はばたばたとレジの奥の階段を上がっていった。
この店は一階が書店で二階が生活スペースと、まあよくある個人経営の店の建物の間取りとなっている。
「ほう……さすが水鳥、いいラインナップだな」
水鳥を見送った俺は、自然とライトノベルコーナーに足を運んでいた。
本棚に陳列された商品を見て、思わず唸る。
昔の作品から今の流行の作品が目を惹くように並べられたこのライトノベルコーナーを仕切っているのは主に水鳥であり、色とりどりのポップアップやラノベのキャラのイラストもあいつの自作だ。
また絵の腕上げたんじゃないか……? あいつ。
好きなキャラのイラストを好きなように描いてみたいと始めたらしいイラストも今では立派に読み手に並び立つ趣味の一つになってやがる。
作家としてイラストレーターが上げてくるイラストを見ている俺からしても本職となんら遜色はないな……ラノベが好きという気持ちだけでここまで出来る水鳥さんマジパねえ。
「ごめんね、お待たせ!」
語彙を失っていると、後ろから声をかけられて、振り返った。
そこに立っていたのは、ラフな私服に着替えて水鳥書店と小さく、しかし目立つようなデザインのロゴの入ったモスグリーンのエプロンを着た水鳥。
ちなみにこのエプロンのデザインも水鳥雫玖プロデュースらしい。パない。
「俺は別に待ってないが」
「お店に来てくれている以上、旭も立派なお客様だよ。お買い上げ、ありがとうございます」
「まだなにも買ってねえんだよ」
何が楽しいのかクスクスと笑う水鳥から視線を逸らして、ライトノベルコーナーについての話を振ろうとした時だった、
「あ、あの!」
俺たちの横から、男の声が響いた。
揃ってそちらに目をやると、俺たちと同い年ぐらいの純朴そうな学校の制服を着た男が立っていた。
……ああ、いつものだな。
男の顔からこれから起こることを察した俺は、小さく嘆息する。
「えっと……ボクに用ですか? それとも探している本でもあるんですか?」
水鳥が優しく問いかけると、顔を赤くして一度は俯いた男が覚悟を決めたように顔を上げた。
「ひ、一目見た時からあなたのことが、す……すすす、好きでした! 僕と付き合ってください!」
ほらな、いつものだ。
水鳥雫玖は非常にモテる。
だからこういう風に、よく告られたりしているのだが、何度もこの現場を見てきた俺はこのあとの水鳥の返事を聞くまでもなく、知っている。
水鳥は困ったような顔をして、俺の上をするりと取った。
「ごめんね。ボク、この人と付き合ってるから……君の告白を受けるわけにはいかないんだ」
「そ……そう……ですか……は、はは……」
ショックを受けて、ふらふらと立ち去っていく男の姿が書店から消えてから、俺は未だに組まれている腕を軽く振り払った。
「おい。いつものことだが、お前本当にこれでいいのか?」
「いいのいいの。こうしておいた方が多分ショックは少ないだろうし、ね?」
そのタイミングでレジの方から店員を呼ぶためのベルの音が鳴り響いた。
はーいと返事をして小走りでレジへ向かう水鳥の後姿を見ながら、俺は思う。
――確かに、男に告白してしまったと知ったら……そっちの方がショックを受けるだろうな。
水鳥雫玖……性別は男。
その詐欺のような容姿のせいで、よく女だと間違われて男から告白をされる。
そのため、男に告白してしまったというショックを緩和するために、真実を明かすよりも彼氏の存在をほのめかすことにより、告白を逃れている。
普段からの振る舞いとか、容姿だとかで、俺もたまにあいつが本当に男なのか疑ってしまいそうなことがあるが……あいつは間違いなく男だ。
俺は中学の修学旅行の風呂の時にあいつの股間に揺れる、自分よりも立派な男の象徴を目撃してしまっているので、今更勘違いのしようがないわけだが。
「自分の本当に欲しいものは、他の誰かが持っていることが多い……か」
才能だったり、大きい男の象徴(別にほしいとも思っていないが、……そこまで思っているわけでもないが)だったり、自分が欲したものはいつも誰かが持っている。
「ままならないな……」
呟いて、俺は一冊のラノベを手に取って、レジに向かった。
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