第6話 感想と小説バカ
「微妙だったぞ、以上」
「ちょっ!? そんなハッキリ言うか普通!?」
「少しはオブラートに包んで言った方が……」
夕方、神奈が帰ってきて、俺は開口一番に小説の評価を口にした。
創太といなりが慌てているが、こいつがそういう気を遣った感想を求めていないのはUSBメモリーを受け取った時の真剣な顔や、これまでの一ヶ月間での同棲生活で分かる。
だったら、こっち包み隠さずに伝えるべきだろう。
「あー、やっぱりですか……一応書き切りはしたものの、なんかしっくりこなかったんですよね」
神奈もあっけらかんと答えて、あはは、と笑った。
「だがまあ……ちゃんと書き切ったことは評価する。それが出来る人間は意外と少ないからな」
「ありがとうございます! 師匠!」
創太といなりがホっと息をついて安堵したのが、横目に映った。
大体こんなことで凹むメンタルなら、家出をしてまで異性の家に押しかけ弟子をしようとはしないだろ。
……俺は弟子だと認めた覚えはないが。
「今から晩御飯を作りますけど、神先生といなりちゃんも食べて行きますか?」
「お、おう。じゃ、お言葉に甘えて……」
「私もご相伴にあずからせてもらう」
「はーい。では、私は買い出しに行くので、師匠たちは部屋で寛いでいてください!」
神奈はそう言い残し、自分の部屋に引っ込んでいった。
……あいつ、遊びに行ってたんだからスマホも財布も持ってるだろうに、部屋に何しに戻ったんだ?
「――さすがに俺たちも含めて四人分の材料を一人で持たせるわけにはいかないな」
「オレたちも買い出し、手伝うか」
「そうだね。それがいいと思う」
「……なら、先に出て待っててくれ。俺は財布取ってくるから」
二人の返事を待たずに、俺は部屋に戻って財布を掴んだ。
リビングに戻ると、既に二人の姿はない。
さて、と……。
俺は二人のあとを追いかけるのではなく、神奈の部屋の扉を開いた。
「うぐぬー……! 悔しい……!」
そこには、悔しそうにしながらベッドに乗って静かに地団太を踏む自称弟子の姿が。
ベッドに乗っているのは、多分だが地団太を踏んだ時の音を立てないための配慮だ。静かに地団太を踏んでいるのも、俺たちに悔しがっている姿を見せないためだろう。
「なにやってるんだ。早く買い出しに行くぞ」
悔しがりすぎて、視野も狭くなっていたのか、俺が声をかけてようやく神奈がバッとこちらを振り返った。
片足を上げた状態で、ぴたりと静止した神奈の顔が、羞恥からかどんどん赤くなっていく。
ベッドの上でその体勢で静止出来るとかバランスいいな、こいつ。
「し、師匠!? どうして!?」
「ふん。スマホも財布も持ってるくせして、部屋に引っ込むなんて不自然だろうが。あの二人は気が付かなかったみたいだがな」
ついでに、去り際に歯を食いしばる横顔が見えたっていうのもあるがな。
なんにせよ、隠し切れてない。
「そ、それで二人は……」
「安心しろ。買い出しを手伝うという体で、先に部屋の外に出てもらっている」
俺は開けた扉に背中を預けて、鼻を鳴らした。
「お前が入ろうとしているのは、こういう世界だぞ? 魂込めて、時間をかけて書き上げた物語が、必ず評価されるとは限らない世界だ。俺のはまだマイルドな方だ」
「……はい」
「お前は、それでもこの世界に入りたいのか?」
「……はい」
「そう言えば、聞いたことがなかったな。お前が作家を志したきっかけを」
いい機会だ。家を出てまで、こいつが作家になりたがる理由と言うものを聞かせてもらおう。
「カッコいいからです」
「カッコいい?」
「叩かれようとけなされようと、自分の力で未来を切り開いていく、その姿がカッコよかったからです。自分の書いた物語で、誰かの心を救ってしまうような、そんな在り方に憧れたんです」
晴れやかな顔をして語る神奈に、俺はそっと目を閉じ呟く。
「……そうか」
――お前も、そうだったんだな。俺と同じで。
だが、そうなれる前に折れてしまうかもしれないのが、この世界だ。
理想は所詮、理想でしかない。
この顔を見てまで、これを言うほど野暮ではないが。
「……まあ、自分の作品を微妙だと言われてへらへらしているよりも、そうやって悔しがっている方が、よっぽど好感が持てる」
「師匠……」
俺は代わりに別の言葉を口にした。
今口にしたことだって、俺が本気でそう思っていることだしな。
「時間を取らせたな。創太たちも待たせてることだし、そろそろ行くぞ」
「はい!」
踵を返した俺の後ろから、とたたっと軽やかな神奈の足音が聞こえてきた。
そして、一夜が明けて、GWが終わってしまった。
「くぁ……ねっむ……」
昨夜は四人で晩飯を食べたあと、早めに風呂を済ませてから部屋に戻って、軽く執筆をしてから日付が変わる前にはベッドに入ったのだが、この連休中ずっと夜遅くまで起きていたせいで、中々寝付けなかった。
結局寝不足になるなら、もう少し執筆しておけばよかったな。
「あ、師匠。おはようございます」
ベッドに戻りたいと抵抗してくる意識を無理やり引きずって、リビングに入ると学校指定のYシャツにスカートの上から薄い水色のエプロンを身に着けた神奈が、朝の日差しに負けないほどの爽やかな笑顔を浮かべて立っていた。
もはや夜の住人と化したと言っても過言ではない俺にとっては、眩しすぎて浄化されてしまいそうなほどの笑み。
「あ゛ぁ……おはよう……」
思わず濁点を付けた返事をしてしまった。
眠気で開きづらい目を更に細めて睨み、早くその笑顔を引っ込めろという意思表示をするが、
「もうすぐで朝ごはん出来ますので、今のうちに顔を洗ってきてください」
全くと言っていいほどに意思が伝わっておらず、微笑みを携えたまま、中断していた調理に戻ってしまった。
そのまま立っていても仕方がないので、言われた通り洗面所に行き、冷たい水を顔に叩き付ける。
ふう……多少はマシになったな。優雅に二度寝をかまして学校に遅刻するという事態は避けられそうだ。
それにしても……。
「お前はよく早起きなんて出来るな」
朝食を作っているのと、料理の進行具合でこいつが俺が起きたのよりも早く起きたのは明白。
それなのにあの爽やかな笑み……同じ人間だとは思えない。
「私、ショートスリーパーなので。それに、家にいた頃から早起きは習慣でしたから。むしろ、これでも前より遅いぐらいですよ?」
「マジかよ……早起きが習慣なんて、上流階級に生まれなくてよかった……」
それにしてもショートスリーパーなんて羨ましい限りだな。
俺なんて休日は十時間ぐらい寝ないと身体が持たないぞ……。
少しでも眠気を覚ますために、俺は神奈と話し続けるための話題を探し、目は自然とテーブルの上に並べられた朝食にいった。
鮮やかな黄色の形のいいオムレツに、彩豊かなサラダ、キツネ色に焼けたトーストに乗せられたベーコンが嫌でも食欲を誘う。
それに、眠気覚まし用なのかアイスのコーヒーが用意されている。学生の朝食にしてはかなりしっかりしたものなのは間違いないだろう。
「……お金持ちのお嬢様って言ったら、使用人とかが家事をやるから家事が出来ないってイメージがあったんだが、お前はそうじゃないんだよな」
「私はむしろ自分から手伝ってました。花嫁修業だと思って」
「なるほど」
押しかけられた時は面倒だと思ったが、こうして家事をやってもらえるというのはかなり助かっている。
俺は家事は出来るが、一人暮らしを始めてすぐにその面倒くささに音を上げそうになっていたところだったからな。
家事が出来るのと、やりたいかどうかは別物だ。
コーヒーを一口啜って、ほうと息をつく。
「私からも一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「先生方のペンネームの由来を知りたいなー、なんて」
「由来?」
聞き返すと、神奈はこくりと頷く。
「私も応募する時のペンネームをそろそろ考えておきたいな、と」
「ふむ……なるほど」
デビューしてからじゃなく、応募の際にもペンネームは必要だ。
公募に出すにせよ、ネットで活動するにせよ、名付けは避けて通れないだろう。
「俺みたいに本名を少し変えるのはどうだ?」
「うーん……実はそれも考えたんですけど、私の名前って色々と有名な方なので……出来れば本人が特定出来そうなネーミングは避けたいんです」
「それが自惚れにならないのがすごいな。うっかり忘れそうになるが、お前は大企業の社長令嬢だもんな」
こいつは本当に各方面で名前を知られている。
詳しくは知らないが、名立たる政治家だとか、有名企業の社長だとか……そんな神奈が本名、もしくは少し弄っただけのペンネームを付けたとしよう。
「大ニュースになるな。大企業のご令嬢、神奈琥珀さんが作家デビュー!? とかな」
「あはは……そうなると、実力も関係ないのに話題性だけで売れてしまいそうですから……それに、学校のみんなにもバレて落ち着かなそうで。師匠は気にならないんですか? 身バレとか」
「全く気にならんな」
そんなものを気にしているなら、端からほぼ本名のペンネームを付けたりしない。
自分からバラすのはあれだが、自然にバレたのならそれでいいと思っている。
「私も師匠のそういう姿勢を見習いたいんですけどね」
「俺とお前じゃ名前の知名度とか、価値的なものが違うんだ。あまり気にするな」
まあ、俺はいつか必ず鷹村アサヒの名を轟かせて見せるがな。
「それはそれとして、あの二人のペンネームの由来だったな」
サラダを咀嚼していた神奈が、口を開かずに頷いた。
「詳しく聞いたわけじゃないが、創太はとりあえず神って付けたかったのと、創造の創を入れたくて神創太にしたとかなんとか」
「あー……なんか神先生っぽいですね」
「いなりは京都の方出身で、作家デビューしたこともあって、今はこっちに上京してきてるらしい。とりあえず地元が京都で和風だから、ネーミングも和風っぽくして、涼風いなりにしたと言っていた」
「はぇー……ネーミングの仕方にも色々とあるんですね。性格出てるというか、なんというか」
へとほの間みたいな発音の声を発して感嘆した様子の神奈は、トーストを齧った。
一瞬会話が途切れた静寂に、サクリという小気味のいい合いの手が入る。
「なにか候補とかはあるのか?」
「……あるにはあるんですが、ちょっと微妙なので変えようかなーなんて、えへへ……」
明らかになにかを誤魔化そうとしてる態度だというのは分かったが、無理矢理聞くことでもない。
そのあとは他愛のない話を繰り返して、誤魔化された振りをして、朝食を黙々と食べ続けた。
神奈が先に家を出たあと、俺は自室に戻って学校指定のよくあるネイビー色のブレザーに袖を通した。
一週間程度しか経っていないのに、随分と久しぶりに着た気がするな。
「……む」
鞄を掴んだところで、頭の中に執筆のネタが浮かんだ。
か、書き溜めておきたい……!
動きを止め、しばし葛藤。
時計を見ると七時ちょっと過ぎ。時間にはまだ多少の余裕がある。
「……ちょっと書くぐらいなら大丈夫だな、うん」
悩んでいる時間ももったいない。
そう思い、自分を納得させ、パソコンをスリープモードから立ち上げて、簡単なプロットの設定を執筆し始めた。
程よい疲労を感じ、顔を上げる。
「……ふむ、これは結構いいんじゃないか?」
一通り自分で読んでみて、呟いた。
まだ序盤だけだが、かなり面白くなりそうな予感だ。これなら習作だけじゃなく、企画と一緒に一冊分を丸々提出してもいいかもな。
「ふっ、咄嗟の閃きでここまで面白いものを書けてしまうなんて、やはり俺は天才だな……ふふふ……! さて、そろそろ登校しないと遅刻してしまうな。……ん?」
パソコンに表示されている時間を見て、首を傾げた。
そんなわけないと、次いでスマホで時間を再確認。
――時刻は十時を過ぎていた。
こうして俺は、寝坊していないのに時間を忘れて執筆に集中してしまって遅刻するという失態をやらかしてしまうのだった。
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