第4話 担当編集(姉)
「あれ? あんただけ? 琥珀ちゃんは?」
創太といなりがそれぞれ用事があるからと帰って、夜になった。
俺はパソコンの前に座って思いつくままにキーボードを叩いていたのだが……突然の来訪者の声に、手を止めて声の主の方を見た。
「あいつなら今コンビニに出かけてる。というか何しにきたんだよ」
「お店で飲んでたんだけど、飲み足りなくて」
「人ん家を二件目梯子する感覚で居酒屋みたいに扱うのはやめろ」
飲んでたくせして顔に全く変化が見られないのは、確実に酒の強い両親からの遺伝だろう。
俺も将来酒を飲むことになるだろうから、安心だな。
「あんたも大人になれば分かるわよ。大人っていうのはね、美味しいお酒を飲むために仕事を頑張るの。そうすれば、どんな嫌な仕事でも上司のいびりでも耐えられるってものなのよ」
「まだ一七歳で夢を見て生きていたい盛の高校二年の弟に世知辛い現実を教えるなんてどういう神経してんだ」
ああ、大人になりたくない。
特に目の前にいる、実の姉のように辛い現実を見せつけてくるような大人にはなりたくない。
「飲むのはいいが、酔っても介抱しないからな」
「大丈夫だって。あたしのお酒の強さ、知ってるでしょ」
「お前毎回酔ってんだろうが。強いからって酔わないわけじゃないんだからな。絡まれる方と家で吐かれてマーキングされる家主の身にもなれ」
そりゃ、度数9パーセントのストロング系アルコールを5本も6本もハイペースでパカパカ飲んでれば酔うに決まってる。
というか勝手に酒を常備するのもやめてほしい。
とりあえず、俺の文句を聞き流しながら、「旭が冷たーい。アサヒスーパードゥラァァァァイ」とか巻き舌で言ってる姉を今すぐぶん殴りたい。
こいつは
いなりより僅かに高い程度の身長に、勝気な瞳。
引き締まるところは引き締まっていて、出るとこが出てるのは、運動好きな性格と母親の遺伝子を強く引き継いだお陰だろう。
明るい地毛の茶髪のセミロングに緩くパーマを当てていて、頭頂部には鷹村印のアホ毛が生えている。
……まあ、黙っていれば我が姉ながら見た目はいい部類に入る。
「ぷはあっ! あーお酒が美味しい! 彼氏が欲しい……!」
「テンションを上げるのか下げるのかハッキリしろよ」
情緒の動きが激しすぎだろ。
「というか、まだ二十二なのにそこまで焦る必要ないだろ」
「分かってないわね! そうやって高を括ってると結局行き遅れたりするのよ! 実際友達の何人かはもう結婚してたり子供がいたりするんだから!」
高を括ってようが、括っていまいが、結局結婚できる奴は出来るし、出来ない奴は出来ないもんだと思う。
むしろ今の年齢でがっついている女なんてモテの対極にいるような気がしてならない。……俺はモテたことないから正直憶測でしかないが。
「ううっ……お金だけがどんどん溜まっていっても、そこに愛がないのよ……大学一年の時からコツコツ貯めてきた結婚資金はいつ日の目を見られるのかしら……」
「少なくとも、そんな重たいエピソードを弟に話している時点でしばらくは無理だろうな。あとそれ絶対男の前で口にするなよ? 悪いことは言わんから」
口を開けば結婚のことか、激重エピソードが出てくる二十代前半の女とかどう考えても地雷でしかないぞ。
こんなんでも仕事は出来るから、就職したばかりなのに複数担当を抱えているんだがな。
まあ、それは大学時代から出版社でバイトをしていた頃からの実績が大きいんだとは思う。
それでも、まだバイト時代の紬に経験を積ませるために実の弟だからって俺の担当を任せるのはおかしいと言わざるを得なかったけども。
「師匠ー。戻りましたー……って、紬さん来てたんですか。こんばんは」
「おう、お帰り。エナジードリンクとコーヒーは買ってきたか?」
「はい。ストックが切れていたので、何本か買っておきました」
「助かる。金はあとで渡す」
いくらこいつが金持ちだとはいえ、金を払わせっぱなしなのは性に合わんからな。
「……おい、紬。なんだその顔は」
俺と神奈のやり取りをジトリとした目で見ていた紬が、手に持っていた缶を一気に
「べっつにー? いいわよねー、あんたには琥珀ちゃんっていう可愛い同棲相手がいて。もうそのまま付き合っちゃえばぁ? そうしたらお金持ちのいい男を紹介してもらえるしぃ?」
果てしなくウザい紬の言葉に、俺と神奈は同時にお互いの顔を見た。
「いやいや、俺と神奈に限ってそんなことにはならない」
「そうですよ。私、師匠のことは作家として尊敬しているだけであって、好みの男性ではないですから。私はもっと控えめで大人な人が好きなので」
「こんな面と向かってお前の性格は好みから外れているなんて言い切ってくる女なんて俺もごめんだ。俺はもっと自己主張が激しくなくて、お淑やかな子がいい」
まあ、多分それが同棲生活が割と順調にいっている理由なんだろう。
さすがに風呂やトイレとか、洗濯物の下着がどうたら的なハプニングや性的な接触を避けるぐらいには異性としての意識はあるが、恋愛感情まであるかと聞かれれば、俺と神奈は間違いなくノーと答える。
仮に異性としての意識が恋愛感情に向いていたら、四六時中家の中でも一緒で、意識しまくってしまって、多分執筆だとか、そのほかの普通の生活どころじゃなくなるだろうしな。
「そんなこと言ってる奴らに限って、しれっと付き合い始めたりすんのよ!」
ドンっと缶を机に叩き付けた紬の相手が本格的に面倒になってきた。
神奈が買ってきたものの中から、エナジードリンクを一つ取り出して、高機能チェアに腰掛ける。
「あたしだって……あたしだって、本気を出せばねえ……!」
「紬さんは素敵な女性だとは思いますが……そうですね、もう少し家庭的な部分をアピールしていってはどうでしょうか?」
「そうだな。そろそろ料理でも出来るようになったらどうだ?」
「いつまでも料理が出来ない女だと思ってんじゃないわよ? 塩と砂糖の区別ぐらいは出来るようになったんだから」
「身内として、それを喜べばいいのか、その程度のことを今まで判別出来てなかったことを悲しめばいいのかジャッジに困るんだが」
この女の調理スタイルは味見をしないフィーリングでレシピにない調味料を入れてしまうという、料理出来ない奴のおおよそ全てを混ぜ合わせたストロングスタイル。
そのため、調理が全て終わってから「あ、これ塩じゃなくて砂糖だった。てへっ」と笑えない状況に陥ることしかない。
「そんなんだから、最短記録三日で逃げられた彼氏に置手紙で探さないでくださいって書かれるんだよ」
「そんなことが……!?」
「あ、あれは向こうに見る目がなかっただけよ! せっかくあたしが手料理を作ってあげたっていうのに!」
むしろ、手料理を作らなければ一週間はもったのでは? それでも結局短いことには変わりはないが。
ちなみに、俺は紬とは違って家事はある程度出来る。
この姉の背中を見て育ったんだ。そりゃ反面教師にするだろ。
「……お前黙ってれば見た目はいいんだし、やっぱりその路線でいくのがいいんじゃないか」
「前にそれでいって会話が続かなくてつまらないって言われて振られたじゃない」
黙りすぎなんだよ。その辺の判断ぐらい自分でしろ。
割とまともなアドバイスをしたつもりだったのにあんたのせいで振られたって言われ理不尽に殴られそうになった俺の身にもなれ。
「はあ……もういい。俺は仕事に戻る」
酔っぱらいの相手は神奈に任せ、俺は作業用デスクに置かれたパソコンに向き直ってキーボードを叩き始めた。
後ろの方から紬が神奈に絡む声が聞こえてきたが、細かい内容までは頭に入っておこなくなる。
――恋愛なんて、している暇があるものか。
俺には、勝たないといけない奴らがいるんだからな。
そいつらに勝つまで、そういうことを考えている暇なんてない。
胸を焦がす炎を文字に変えるべく、俺はひたすらキーボードを叩き続けた。
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