第2話 押しかけ美少女

 それは大体一ヶ月前のこと。

 高校二年への進級を控えた三月の四週目、つまりは春休みのことだ。

 二年への進級をきっかけに、環境が色々と変わったりして、そこそこに忙しい日々を送っていた俺のSNSに、一通のメッセージが届いた。


 長々と書かれていたが、内容を要約すると、俺のファンだから直接会って話を聞いてみたいとのことらしい。

 

 いつもだったら当然そんな頼みは断るところだが、この時の俺は浮かれに浮かれていて、正常な判断が出来なくなっていた。

 それと言うのも……。


「くくく、この俺の本が一番好きだとは……見る目がある奴だな」


 とにかく小説を褒められて、機嫌が最高に良かったせいだ。

 だから、直接会って話をしてやってもいい。的な返信してしまうのに、そう時間はかからなかった。


 何よりも、自分の読者の生の声を聴けるというのが、ちょっと魅力的に感じてしまったのだ。


 最低限の身だしなみを整えるために、鏡をのぞき込むと、明らかににやけ切った自分の顔とご対面。

 短くも長くもない黒髪に、どういう仕組みなのか重力に逆らって立っているアホ毛。

 線が細めで、そこまでカッコよくはない、だが決してブサイクではない顔の造り。

 一七〇程度の体躯はとりあえず変ではないだろう服に包まれている。


 いつも通り代わり映えしない自分の姿をパッと流し見て、蛇口を捻り、春休みということもあって連日執筆による寝不足が伺える顔に、冷たい水を思いっきり叩き付けた。


 そうして行った待ち合わせ場所にいたのが、こいつ……神奈琥珀だった。

 俺の通う学校でこいつの名前を知らない生徒はまずいないだろう。


 ――容姿端麗、才色兼備、眉目秀麗。

 まあ、とにかくそんな言葉が飾り立てられるほどの優れた容姿。

 こういうのは誰が言い始めているのかは知らないが、ラノベのヒロインよろしく学校一の美少女と呼ばれる存在。それが俺の知っている神奈琥珀という女だ。

 しかも親は世間に疎い俺でも名前を聞いたことがある、有名企業のグループのトップらしく、超が付くほどのお金持ち。


「な、何故お前がここにいる!?」


 当然、そんな有名人が待ち合わせ場所にいたら、人目を憚らず、大声を出してしまうのも無理はないだろう。

 いや、遠目から見て白い髪の時点で、おや? とは思っていたが、まさか本当に本人だとは思いはしないじゃないか。


 声に反応し、俺より十センチは低いであろう、恐らく百五十台後半程度の位置から、神奈は青い瞳で俺を見上げてきた。


「確か、同じ学校の……? 私は鷹村アサヒ先生という作家さんに会いにここに来たのですが……あなたは?」


「……鷹村アサヒは俺だ」


 俺は作家業をする際のペンネームは名前を漢字からカタカナに変えただけのものを使っている。

 同じ学校であるはずなのに、名前が知られていない理由はクラスが関係しているんだろう。


 俺の学年、つまりまだ一年だが、一クラスおおよそ三十人程度でそれが六クラス存在している。

 体育の際や行事の際に、一から三、四から六といった感じで分けられるので、クラスが離れてしまえば、顔は知っているが名前は知らないといったこともざらにある。

 

 俺は二組で、神奈は五組。

 神奈のような有名人じゃなければ、俺の知名度なんてそんなもんだろう。

 決して、俺の影が薄いからだとか、そんなことはないはずだ。

 そもそも、あの神奈琥珀が特に目立った特徴のない俺の顔を記憶の片隅に捉えていたのが不思議ではあるが。


「……えと、エイプリルフールにはまだ早いですよ?」


「話したことがない人間をいきなり嘘つき呼ばわりするな」


 どういう教育を受けて……英才教育だろうな、間違いなく。


「で、でも……同級生が急に憧れの作家だってことを言われて、逆にあなたならどう反応するんです?」


「……エイプリルフールにはまだ早い、だろうな」


 しばし熟考し、当然のようにそれを口にした。

 少なくとも、嘘を疑うのは間違いない。

 

「ほ、ほら! やっぱりそうなるじゃないですか! あなたが鷹村先生だという証拠がないのなら――」


「ほら、名刺だ」


 これ以上この押し問答をするのは時間の浪費でしかなかったので、とっとと一番証拠になりそうなものを渡した。

 白い紙にシンプルな字体で『小説家 鷹村アサヒ』と書かれている。

 ただの嘘のために名刺を自作して持ち歩く奴なんていないだろうからな。


「え……? え? ええ!? ほ、本物の……鷹村先生!? あの私先生の大ファンで! 本当に尊敬しています!」


 名刺を見て、どうやら俺が本当に本物の鷹村アサヒだということを認識したらしい神奈が、俺との距離を詰めて前のめり気味に勢いよく捲し立て始めた。

 

「わ、分かったから少し落ち着け!」


 前のめりになったせいか、女性特有の胸の膨らみ(普通程度ぐらいだった)が強調され、咄嗟に目を逸らしながら、俺はたたらを踏んで自分から距離を取った。


 姉のおかげで異性には慣れているが、さすがに同学年の女子にここまで接近されるとどぎまぎしてしまう。


 距離を取るのと同時に、微かに香っていたどこか爽やかさを感じさせる、神奈の匂いもふっと離れて、ようやく人心地ついた。


 そのあとは二人でファミレスに入り、約束通り作品のことや創作についてのことを語って、二、三時間ほどで解散した。

 それだけなら、作家とファンのただの交流だったのだが……。


 ――ここからが、俺と神奈が同棲に至ることになった経緯だ。


 次の日。

 神奈がなぜか俺が住んでいるマンションの部屋に訪ねてきた。


「……どうしてお前がうちを知っている」


 満面の笑みを張り付けて、ただ家に訪ねてくるだけにして多く見える荷物を持った神奈に自分の家を知っていること警戒しながら聞いた。

 すると、目の前の女は、笑顔でこう言い放ったのだ。


「――弟子にしてもらいにきました!」


「は? 弟子? ってそうじゃなくてなんでお前が俺の家を知っているのかと聞いているんだが!?」


「ああ。そのことなら解散したあと先生の跡をつけました。では、お邪魔しますね」


「ち、ちょっと待て!」


 今の発言に対するものと、勝手に部屋に侵入しようとする行動への二重の意味を込めたちょっと待てだった。


 さっきの弟子にしてくれ発言といい、キャリーバッグを持っていることといい、なにかロクでもないことになりそうな予感がしてたまらない。

 

 ……たまらない、が。


「……とりあえず部屋を片付けるから少し待て」


 このまま玄関で騒ぐと周りの住人に迷惑がかかるという判断のもと、俺は渋々こいつを部屋に上げることに。


 リビングに置いてあった下着類や女の子が書かれている際どい表紙のラノベを自室に放り込み、神奈を部屋に通した。


「お邪魔します……へえ、聞いていた通り、かなりいい部屋に住んでるんですね」


「あ、ああ。まあな」


 昨日の会話の中で、自分が高校に入学したのと同時にこの部屋で一人暮らしをし始めたことは言ってある。


 一人暮らしをするにしては、贅沢すぎる2LDKの部屋。

 自室とは別に、荷物を置いたり本を置いたりする部屋が欲しかったので、1LDKにはしなかった。

 

 中学二年の時、LF文庫というレーベルから佳作で作家デビューして以来、あまり金は使わなかったので、その分貯金もあるから家賃は払えている。


「それで? 弟子とはどういうことだ?」


 一応客ということで、二人分の飲み物をコップに注いでから、ソファに腰掛ける神奈に一つ差し出した。


 良家の令嬢というのは本当らしく、ただソファに座っている姿でさえ品がある。


「ありがとうございます。言葉通りの意味なんですが……私は作家になりたいと思っているんです」


「ほう」

 

 なるほど。確かに昨日の反応から察するに、こいつはラノベを読んだりするのが好きみたいだしな。

 そこは納得がいく。


「だから、私が一番好きで面白い作品を書く、一番尊敬出来る作家の鷹村先生に弟子入りしたいんです」


「そ、そうか。まあ、跡を付けてまで家を調べ、無理矢理押しかけてきたのは褒められたことではないが……この俺の弟子になりたいというのは、見る目があるな。ふはは!」


 そこまで言われて悪い気はしないし、美少女が弟子になるなんてラノベの主人公っぽい……! 弟子の一人ぐらい取ってやってもいいかもな!


「ところで、気になっていたんだが……訪ねてくるだけにしてはやけに荷物が多くないか?」


 どんなに荷物が多かったとしても、ただ家に弟子にしてと言いにきたにしては、キャリーバッグとリュックはさすがにおかしいだろう。


「実は私、家出をしてきまして……行く当てがないんです。なので、先生の家でお世話になりたくて」


「……………………うん?」


 おかしい。俺は今、話を聞き逃したんだろうか?

 えへへ、とはにかむ美少女が、急に厄介ごとを持ち込んできた疫病神に見えて仕方がない。


「ま、待て……! お世話になりたいだと!? まさかここに住む気か!?」


「はい」


「正気か!?」


「はい。あ、今の住む気か正気かってちょっと韻踏んでてラップっぽいですね」


 呑気なことを言い始めた神奈に、俺は絶句することしか出来ない。


「常識的に考えてそんなこと許可出来るわけがないだろ!」


 同じ学校に通う同級生の女子と同棲なんてリスクが大きすぎる!

 

「もちろんただでとは言いません」


 ――まさか、これはあの展開か……? 

 古今東西、全ての同棲ネタにおける黄金パターン。


『私のことを好きにしてくれて構いません』と『何でもしますから』……このセリフがきちゃうのか!?


 真剣な顔で言う神奈に、俺は思わず生唾を飲み込んで続きの言葉を待つ。

 すると神奈はポケットから何か紙切れを取り出した。


「とりあえず、一千万でどうでしょうか」


「マジでただじゃないやつ!?」


 ただって無料って書いてただってことかよ! というか小切手!? 初めて見た!

 まさか、俺の人生の中で本物の小切手を目にする日がくるなんて……。


「まあ、お決まりのセリフのことも頭をよぎったのはよぎったのですが、先生はそういうことをしてしまう人ではないと思ったので」


「……昨日話したばかりの俺を随分と買っているようだな?」


「はい。私は人を見る目には自信がありますから。幼少期より、両親の開くパーティなどでたくさんの偉い人たちと接してきましたし」


 その言葉には疑うことを許されない、圧倒的な説得力があった。


「信頼してもらえるのはありがたいが、家には置かんし金も受け取らん。誰か頼れる友達のとこにでも泊めてもらえ」


「私の友達の家は友達以外にも家族の皆さんが住んでいますから、迷惑になります」


「俺の家なら迷惑にならないみたいな言い方はやめろ」


「少なくとも最小限の迷惑で済むかと……ちょうど2LDKで一人暮らしですし」


「お前が住むために2LDKにしたんじゃない!」


 良家の令嬢のくせして結構強引というか、神経が図太いやつだな……そこまでして家にいたくない理由でもあるのか?


「その小切手を使ってホテルにでも泊まればいいだろ」


「いえ。これは先生に渡そうと思って用意したものなので、受け取ってもらえなかった場合処分しようかと」


「退路を断ちすぎだ! そこまで身を削ってもダメなもんはダメだ! 諦めろ!」


「……そうですか」


 しゅんと項垂れる神奈を見て、何故か俺の方が悪者なのではないかと思ったが、かぶりを振ってその考えを消し去った。

 

「それなら、私はこれから漫画喫茶で暮らしていこうと思います」


「何故だ!? 帰ればいいだろ!」


「帰りません。あそこにいても息苦しくて、何もありませんから」


 神奈は冷たい声で呟き、立ち上がった。


「……突然押しかけてしまい、申し訳ありませんでした。では」


 荷物を持ってリビングから立ち去る神奈。

 まさか、本当に帰らないつもりか? いや、あの顔と声は間違いなく本気だった。


 つまり、これからあいつは漫画喫茶に泊まり続けるのか? 

 女一人で……?


「あーくそっ! これで見捨てたら後味が悪いだろうが! 分かった、住めばいいだろう!」

 

 頭を片手で乱暴にかき、神奈の方を見ないままやけくそ気味に叫んだ。


「本当ですか!?」


「男に二言はない! 俺はバッドエンドだとか、後味の悪い物語が大嫌いなんだ!」


「ありがとうございます! 先生ならそう言ってくれると信じていました!」


「お前のためではない! お前を見捨てたら良心が呵責で苛まれそうだからだ……って、待て。そう言ってくれると信じてたってことは……!」


 こいつ、俺がこう動くと見越してわざと……?

 慌てて神奈の方を見ると、そいつは誰もが見惚れそうな笑みをにこりと浮かべ、


「言質は取りましたからね? 取り消しは無しですよ、!」


 それから茶目っ気たっぷりにウィンクをしてみせた。


「ふ、ふ、ふ……ふざけんなぁぁぁああああああ‼」


 俺の怒りの叫びがリビング内にこだました。

 

 こうして、なし崩し的にというよりは、完全に押し切り寄り切りの形で、こいつとの奇妙が関係が始まって。

 まあ、それから……家事を請け負うという話が出て、弟子だということなんて認めてないから師匠と呼ぶなというやりとりがあったりして、一ヶ月後の今に至るというわけだ。

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