10 夜の船内探検

 タイシェト星系を発ったペンサコラは、何度かのスイングバイを経て二本目のワープに入った。


 翌日、遅く起きた私は昼食を済ませてから“よりみち”のために一日延期していた診察を受けにネムのところへ向かった。診察と言っても経過を診たり毎度の検査結果を教えてもらうくらいで、あっけないほど簡単に済んでしまった。

「はい、後遺症の心配も全くないし、接種したナノマシンの定着も問題ないみたい。じゃあこれで経過観察は今回でおしまい。完治でーす」

 ふわふわした口調でそう言うとネムは小さく拍手してくれた。あまりパチパチと明瞭な音がしないのはナノマシンの身体の特性だろうか。出歩けるようになってから既に何日か経って、ともかく私はあの病原化ナノマシンによる致死性の出血熱から痣のひとつも残さず完治してしまった。

 その後はしばらくネムに医務室の設備やナノマシンの事を教えてもらったり、タイシェト・エコーでの出来事を話した。ネムはユニーからの通信で大体のことは把握していたけれど、私の五感で直に感じたその星の風や光や音や匂いについて興味があるようだった。だから私はなるべく自分の言葉でそれを伝えようと試みた。ネムはとりとめのないこの感覚のつれづれを、まるで音楽を鑑賞でもするかのように聞いてくれた。

 そして、地上で私が感じたものはどれも宇宙には無く、それでいて人間の心には不可欠なこと、不死の身体となっても魂が不死であるかは分からないということ、遠からぬ死の運命を持つナマの肉体でなければそれらの豊かな情報を本当の意味では摂取できないのでは? というジレンマめいた話を聞いた。

 私のとってのネムは命の恩人であるばかりか、死から命を掬い上げることの出来る、ほとんど神様のような存在だ。高度なナノマシン医療技術は命の意味さえ変えてしまいそうな理外の力がある。その上、ネム自身がナノマシンの身体をもつ事実上不死の存在だ。

 それなのに、このとき彼女の言葉のひとつひとつは死の一点において焦点を結んでいるように思えた。ネムの眼差しは儚げで本当はどこを見ているのか分からない。翳の深い瞳孔と目を合わせる事ができず、私の視線は居場所を失い宙を泳いだ。

「そうそう、セイラに一つ宿題があってね」

 そう言うとネムは一部の資料を寄越した。その目からはさっきまでの翳りが消えていた。

「これは?」

「カーパーループに行く前に頭に入れて置いて欲しい知識だよ。現地の知識もそうだけど、世を忍ぶ仮の姿の設定というやつ。私たちは真っ当な市民権もないし、船の素性も隠している。嘘を用意しておいて、それを演じながらでないと用事を済ませることができないの。多分行くのはセイラの他に私とユニーの三人になると思う。サポートはするけど現地で教える暇はないから、今のうちに済ませておいてね」

 今度行くのはディセンダー星ではなく恒星間文明が息づいている星だ。きちんとした社会の仕組みがある以上、それを上手くかいくぐらなければいけない。特に悪いことをするつもりはないのに何故かワクワクしている自分がいた。



 ネムは診察後、医務室内のクリーンルームに入って体のメンテナンスを兼ねて休眠した。

 くるみは船に帰り着くなりすぐに寝てしまったし、ユニーは破損した身体の修理のためスリープしている。ペンサコラにはユニーを修理するための設備や部品はすべて備わっており、自力で正式な修理が行えるらしかった。そもそもスーパーユニバースII型は遥か昔に製造が終了、メーカーが解散しているため運用を続けるなら自前のメンテナンス設備を持つか対応できる修理専門業者を頼るほかないという話だった。カワサキも寝ているままだし、スウとジョウはブリッジで忙しそうにしている。

 そんなわけで、船長室で一人になった。ちょうど航法カメラはフル稼働中だったので私からは操作できない。とはいえ、ワープアウト事故の話を知ってしまうとイルカ達にはしっかり出口観測をして万全な体勢で航行してもらいたいという気持ちが強かった。

 簡単に食事を済ませてお茶を飲み、ネムからもらった資料を軽く読んでみた。前半はカーパーループのこと。宇宙港の仕組みや社会経済に関する要点。後半は私たちが使う便のこと。ペンサコラにはいくつかの偽名があって、それぞれに細かい設定がある。とくに今回使う二つの偽名に関して詳しく描かれていた。私は正直言って、この詳細な嘘の設定ほどに実際のペンサコラのことを知っているかどうか怪しい。

 資料の確認を終えてベッドに寝そべり天井を眺める。金属のような人造石のような、よく分からない質感の内装は古く見えるが汚れは全くない。改めて思ったが、宇宙船の中は何もかもが静かだ。タイシェト・エコーの静かなざわめきとはまるで違う。ビリーの家に射し込むあの暖かい光も元はといえば宇宙に数多ある恒星の光にすぎない。窓の外にはスペクトル偏移した無数の星が瞬きもせずにぎらぎら輝いていた。

 これだけたくさんの星があっても、人が住むのに適した星系は僅かな割合でしか存在しないらしい。もっとも、星の数が数えきれないほどあるから、僅かな割合といってもその絶対数は膨大なものとなる。そして今もまだ、数百万の命を乗せたマザーシップがどこかの星へ向けて旅をしているはず。かつては私の星のマザーシップもこうして旅をしていたんだ。

 ところで、あのマザーシップはどこから来たんだろう。私の祖先は何という星から来たんだろう。今まで考えたことも無かった。自分のルーツはどこにあるのか? なぜその星を旅立ったのか? やっぱり棄民だったのか? 可能性はいくらでもあるし、考え出すとキリが無い。頭の中をうまく空っぽに出来ないのは悪い癖だ。体は疲れているのになかなか寝付けそうにないから、こういう時はどこかへ出かけて気分を変えたい。砂漠に屹立するあのアンテナ塔のような場所が私には必要だった。


 そういうわけで、船内探検だ。探検に先立って事前に船内アーカイブから地図代わりに通路の見取り図として使えそうな資料を探そうとしたけれど、検索の仕方がうまくないのか手に負えないほど大量にヒットしてしまう。詳細だけどごく小さな領域しかないものや、立面と平面でしか見れない図だったり、通路と思いきや電気系統の配線や空気用のダクトの見取り図だったり、私がちょうど欲しい感じのデータにはたどり着けなかった。以前もらった端末内の見取り図は簡単な施設案内という程のものでしかなく、今の私の役には立ちそうにない。


 つまり、頼りになるのは自分の足だ。とにかく行けるところはすべて歩き尽くそう。


 フローターの使い方を覚えると遠く感じた船内のあちこちがぐっと近く感じられた。乗りこなすのはそれほど難しくなく、コツを掴めば半ば無意識でも移動できるようになった。スピードの調節も簡単なので、これなら思うように好きなところに行ける。

 いの一番に行ってみたいのは、以前くるみの部屋の窓から見た、大きな橋のような張り出しだ。アーカイブの資料によると、ペンサコラは右舷からのみ、大きな翼のようなものが生えた左右非対称の形をしている。“アウトリガー”と名付けられているその部分の先端にも観測用の設備があり、船長室のコンソールから操作できるカメラもいくらかあった。最も近いのは植物園の右舷側にあるラボ周辺だ。

 ひとまず温室へ向かってみたが、今は夜間モードらしく照明が落ちている。僅かな灯りが残されていているお陰で歩くことに苦労はない。心なしか昼間モードのときよりも聞こえてくる音が静かな気がする。それでも充満する生命の気配には私の五感のどれが反応しているのだろう。

 ラボの中も照明は落ちているが、栽培している植物の関係で光を放っている設備が多数あり、普段と違いは殆ど無い。もじゃもじゃエリアの机に明日の仕事に関する簡単な書き置きがあるのを見た。


 ラボの外れにはフローターを使った単純な昇降機があった。上に行く階段は無かったはずだが、この昇降機ではどうやら上に行けるらしい。ラボの天井を抜けるとそこは温室の上部だ。昇ってみると想像していたよりもずっと高い。昇降機が止まったそこには温室の上部をぐるっと囲むような細い金網の通路があった。多分、天井付近の温室設備のメンテナンス用だと思う。温室はメンテナンス用に人工重力を切ったり出来ないから、こういう足場が必要になるのかもしれない。見下ろした景色もいいけれど、見上げれば窓の外は広い広い宇宙の視野だった。下からだと梁材が目立つが、ここなら窓の直下から外を見ることができる。船内のどこよりも大きな窓だ。

 金網の通路からは右舷側もなんとか見渡すことができる。ちょうどアウトリガーの根本直上あたりだが、向こうへは行けそうにない。このあたりにエアロックはないが、もし船外活動で外に出たなら、この上を歩けるんじゃないかな。目的は果たせなかったけどいいところを見つけた。


 ラボの下階の区画も見るが、温室の地下土壌を管理したり、菌類の管理プラントが多い。なんとなくアウトリガーの付け根だとあたりを付けた部分は小さなハッチのようなものこそあるが、通れる通路がない。ハッチは開かないというか、開け方が全く不明だ。そもそも中から人が通るようにはなってないのかも知れない。先端に設備があると言っても航法カメラが有るだけならアウトリガー内部に通路を設ける必要性は低い。船外活動の折にでも、行けたら行こうと思う。


 今日はアウトリガーのことは諦め、仕方ないのでその他の部分を探検した。船は主に五層のデッキで構成されていて、ざっくり俯瞰すると以下の通りだ。


 一層 給湯室 倉庫 ブリッジ 船長室 温室 ラボ 図書室(閲覧室)

 二層 空き部屋 吹き抜け 事務室 舷門 倉庫 電算室 ラボ 図書室 機関部

 三層 医務室 倉庫 吹き抜け アンドロイド整備室 蓄電室 図書室 機関部

 四層 ハンガー 機械工作室 光学検査室 クリーンルーム 倉庫 機関部

 五層 ハンガー 管制室 作業室 大型倉庫 検疫室


 入れない扉やハッチなどがいくつもあるので探索には限界がある中、判明した範囲ではこんな所だった。クルーが少なくナマの人間向けの設備が目立たないせいもあるが、私の中にあった航宙船のイメージとはかけ離れた、何かの研究施設のような船だなと思った。


 一層は私のメインの生活空間でもあるので馴染みがある。船の司令塔となるブリッジは基本的に二匹のイルカが常駐し、航海上の重要なときなどはクルーが集まる場所になっている。他に集まれる適当な部屋もないため、用がなくても誰か覗きに来たりするらしい。ブリッジの脇にある給湯室ではお茶を淹れたりできるようになっている。植物園の区画が大きいため、それ以外の部分は割と狭く部屋数も多くはない。


 二層は温室の地下部分が丸ごと埋まっているためか、一層以上に狭い印象がある。日常的に住んでいるクルーのいない階層。電算室のサーバーはもしかするとスウとジョウのといえるのかもしれないが、二層でイルカの姿を見たことはないので、肌感覚としてはあの二人はブリッジの住人だ。事務室も普段使っているわけではないらしく、ラボと図書室以外は利用できる施設がない。


 三層のアンドロイド整備室はユニーやカワサキの身体をメンテナンスできる設備があり、今はユニーが整備中なのだと思う。ある程度大きさのある医務室以外はいくつもある小さな部屋が倉庫として利用されている。その中にユニーの居室と“コレクションルーム”が含まれている。


 四層はハンガーへ通じる入口があるほか、工場のような雰囲気の部屋がほとんどだ。天井が高く、通路の幅も広い。明らかに人の背丈では届かない場所にハッチがある。機械工作室は機関部の附属施設であり、カワサキの居室でもある。クリーンルームは医務室のとは別物で、機械工作室の一種。ナノマシンに対応した医務室のクリーンルームと比べると性能は劣るが、空間が広く多目的ということらしい。


 五層は主にハンガーで、テンダー降下船が格納されている区画だ。その他、資材の搬入口でもあるため、大型の倉庫やナノ密級検疫室などがあり、そこから上層へ運搬する貨物用の昇降機も用意されている。


 どの階層にも大小様々な倉庫がある。第二層と第三層の間には吹き抜けがあり、少し広い空間があるけど何かに使われているわけではなさそうだった。機関部へ通じる扉は船尾に三層に跨って存在する。長い廊下を歩いていると、立ち入ることの出来ない巨大な区画の周りを歩いていることが感覚として判るが、一体何が入っているのだろう。機関部はおそらく広々とした空間で、巨大な動力炉が鎮座している姿を想像できるが、他の部分は燃料のタンクのようなものか?


 フローターがあるからあまり歩いてはいないはずだけど、ひとつひとつの部屋を隈なく探索しようと思うと意外に時間がかかる。予定だと船内暦で明日の夕刻にはワープアウトだ。さすがに疲れてしまったので、船長室に帰るなりシャワーを浴び、ベッドに潜り込んだ。



 そうだ、着替えが無いから洗濯を忘れてはいけないのだった。一度ベッドに入ると抜け出すのはつらい……。




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