11 もうひとりのクルー

 朝だ。船内では朝も夜も変わらないけど、時計がそう言っている。何か夢を見ていた気がするけど、内容は思い出せない。


 洗濯は寝ているうちに終わっていたので、起きたらすぐに着替えられた。料理は作らず食事は缶詰で済ませ、早めに船長室を後にする。急ぐ用事は無いけれど、今日は次の星に到着するんだと思うと無性に気がはやった。


 今日の仕事はもじゃもじゃ関連の設備の点検、ログの確認、合成肥料が生育に与える寄与度の算出を行い、その後は採取された温室土壌のサンプルから菌類を分離して簡単な処理を行うという作業内容だった。私の手を離れた後の工程は機械がやってくれる。次にラボ内の小温室にある植物の様子を確認する。ここは単なる温室に鉢植えが置いてあるだけなので、ほとんど機械化されていない。水やりをしたら、くるみが作成したレポートの書式を真似て、私が今日の分のデータを入力する。

 ひと通りの作業の後でラボ内を掃除し、余った時間でバイオスフィア管理の資料を読み込んだ。私が今まで知っていた農科の知識は、生物世界の大きな循環の一部分に過ぎない。自分を含めた多数の生物種が生み出す流れは面白いけれど、理解にはそれなりの知識を要求される。一つ一つを完璧に覚えようとしたらどれくらい時間がかかるんだろう、生きているうちにどれくらいのことを知ることができるだろう。そんな事を考えていた。


「へー、結構面白そうなことやってるねえ」

 背後から声。


 驚いて振り向くと、そこには見たことのない女が立っていた。私よりは少し年上かもという程度、背も私よりわずかに高いくらいの痩せた女の子だ。

「ディセンダー星にいた割には科学の知識がありそう……。うん、悪くない」

 ペンサコラにはいなかったはずのその人は私を品定めするかのように凝視している。この隔絶した宇宙船内に居るはずのない人が居る。密航者? 人の皮を被った別の何か? 古典的な恐怖で足がすくみ、口も頭も回らない。

「えっ、いや、あの……」

「セイラ……だったよね、君はメカもいける方かな?」

 何で私の名前を知ってるの!? 後ずさりして行き当たった棚のビーカーを手に取り投げつけようとした。

「ちょ、ちょっと待って! 待ってってば!」



 温室は真昼の光。静かなざわめきの中に彼女の笑い声が響いた。くるみが起きないかな、と少しだけ心配になった。

「いや〜ごめんね! そうだよね、は見たことなかったよね」

 私を温室に連れ出し、円テーブルの椅子に座った彼女は無邪気そうに笑い、私も座るようにと促した。温室の眩しい光の下でも、彼女の青白い肌は不健康そうに見えた。眼鏡をかけ、耳には金属の鋲を打ち、爪の先には塗装が施されている。これは古い映画で見たというものかもしれない。髪は黒くて長く、少し目にかかった前髪の下から大きな目がこちらを見ている。

「ええと、あなたは……」

「私の名前はシノ。カワサキ・シノだよ」

 カワサキ?

「じゃあ、あのカワサキに娘が……?」

 それを聞いてまた彼女は大笑いし、少し引き攣りながらも話を続けた。落ち着きが無く、いちいち笑うのが別の意味で怖かった。

「ごーめんごめん。私がカワサキだよ」

 そう言って彼女は上腕二頭筋をアピールするポーズをとった。白く細い腕はカワサキの日に焼けた隆起する腕と似ても似つかない。

「じゃああなたはカワサキの……本体?」

「いやいや、むしろアッチが本体だよ。いまメンテナンス中なの。この体は遠隔操作の単なるロボット。マッチョの中にある脳の意識が動かしてるんだよ」

 そういって彼女は両手をぐっぱーさせて見せる。

「そ、そうなんだ……」

 カワサキは、シノは、結局男なのか女なのか、そして歳は? どっちが本当の人格なんだろう。私があっけにとられているのを見て彼女は不満げに言う。

「セイラはなんか暗い子だなあ」

 それはすみませんでした。

「緊張してるのかな。じゃあ助っ人を呼んじゃおう。ユニー! イルカちゃーん! 来てー」


 そう言うと空いている椅子に半透明のユニーがびよんっと現れた。テーブルの上には水色のスウが泡のエフェクトと共にしゅぽんと出てきた。

『何? ジョウは今手が放せないよ』

「手ないでしょあんたたち」

『何でしょうシノ、セイラも一緒なんですね』

 半透明のユニーはイルカ同様、プロジェクターによるものらしい。ヒラヒラの服を着ている。

「ユニーはまだ身体整備中なの?さっき損傷箇所は全部きれいにしたはずだけど」

『ちょうど人工筋繊維に充填してあるポリエチレングリコールが交換の時期だったので、ついでに……』

 やっぱりポリエチレングリコールが入ってるんだ!

「そうか、じゃあしょうがないね」

『で、何なのさ〜! 今日はもうワープアウトするんだから割と忙しいんだよ』

 スウはちょっと不満気だ。

「いいじゃんいいじゃん、そう言わないで。皆でお話しようよ」

『そういえばシノはシノの時にセイラに会うのは初めてですよね』

「そう、ちょっと驚かせちゃったみたいで。カワサキの時に一度会ったきりだったから話してみたかったんだ」

「ねえユニー。この人は本当にカワサキと同一人物なの?」

『ええ、同じ脳で動いている別の身体ですよ。今はシノですけど』

「二重人格?」

「あはは、二重人格かー! それもイイね」

『身体に合わせて切り替えてるんですよ』

「いまいち腑に落ちないって顔だね。だってせっかく脳だけになって身体を変えられるんだから、服を着替えるみたいにだって変えたいじゃん?」

「元々はおじさんだったの? 女の子だったの?」

「ヒトの肉体を捨てて二、三世紀も生きれば性別とかどうでも良くなってくるんだけどね。ちなみに私がサイボーグになる時点の身体が今のこの姿。オリジナルの肉体はとうの昔に土に還っただろうけど」

『なので私たちは彼女がシノの時はシノ、カワサキの時はカワサキと呼んでいるんです』

『ホモ・サピエンスは面倒くさいよね〜』

「まあ、ファッションで着替えるのもいいけど実用性もあってさ、メカの整備で重量物を動かすときにこんなカワイイ身体使えないでしょ? 治安の悪い惑星に行くときもマッチョが役立つの。でも細かい作業や機関部の狭いところにマッチョは入れないから“シノちゃん”の出番なワケ」

「あくまで脳はカワサキの方に入れっぱなし? もともとがシノっぽいならこっちの身体のほうがしっくりくるんじゃない?」

「当然のご指摘ねー。まあそれもそうなんだけど、身体が選べるなら頑丈な方に入れておきたかったの。唯一替えのきかないパーツ脳みそは大事にしたいからね」

 そう言ってシノは自分の頭を爪の長い人差し指で示した。

 なんというか、シノの持つ雰囲気や話の流れにはつい圧倒されてしまう。くるみともまた違う、独特の逆らえない空気のようなものを感じた。

「脳はネムみたいに機械に移したり出来ないの? 脳を維持するコンポーネントが節約できたら機械としても有利なんじゃない?」

「その質問はお里が知れちゃうぞー、セイラ。あの子ネムは特別なの。そもそも人の魂というべきものは機械に転写することも技術的に可能とされているけど成功率が極めて低い。試して廃人になった例なんて数が知れない。成功例が殆ど無いから、研究も進んでいない」

『ナノマシンで構築した擬似脳にはAIの僕も入れなかったんだよ〜』

「そんなに珍しいことだったの……」

「この銀河全ての情報を一手に把握することは不可能だけど、信頼できる国家群が共同で運営する同期学術データベースがあって、そのレコードでは完全な人格転写の成功例は過去に13例のみ。ちなみにナノマシン群体で人体を形成した例は7例。その両方に成功したという報告はナシ。そしてこの数字にネムは含まれていない」

『もしネムの存在が公になったらネム自身は研究材料にされてしまう可能性が高いんです』

「まあ、その点ネムは自分自身が分子機械学者だからできて羨ましいよねー」

『シノ、そういうことは言ってはダメですよ』

「ごめんごめん……」

 ペンサコラに来てから初めて見るものばかりだったから、どれも同列に凄いものと感じていたけれど、凄さや珍しさにも程度の差があるんだなと、冷静になれば当たり前のことを思い知らされた。病原化ナノマシンに冒された重症者を救うなんてネムじゃないと出来ない芸当だと、くるみが言っていたっけ。常識に大きな隔たりを感じるのは私がディセンダー星出身だからというだけでなく、このペンサコラ自体がクルーを含めて常識から外れた存在だからなのだと分かってきた気がする。

「ところでセイラはどうするの、その身体」

 シノは明日の予定どうする? くらいの口調で訊いてくる。

「そんなこと言われても……自分の身体を機械に置き換えるかってことだよね?」

「うん。見ての通り私は今のあなたとそう変わらない歳で身体を捨てたの。すぐには考えられないかもしれないけど、星ではなく船上で生きるつもりならいつか択ぶ日がやってくる。汎銀河航宙船のクルーにサイボーグは珍しくない。だから頭の片隅に置いておいてね」

 脳の一部だけを残したシノは、目の前で話していると疑いようもなく人間だ。だから必要な部分以外を捨てても人間でいられるのだろうということは分かる。でも、残された身体の側は命ではないのか。ぞっとするようなだったけれど、早いうちに気づけて良かったのかもしれない。仮に将来、人間の体のまま死ぬとしても、私はそれを択んでそうすることができるのだから。

『そういえばセイラ、シノにを見てもらいましょうよ』

 ユニーがパチンと手を叩きながら提案する。立体映像のユニーでも手を叩くと音が再生されるのか、と一瞬遅れて感心した。

「そういえばそうだった」

「え、なになに何の話?」

『というかこの会話、僕が呼ばれた必要あったの?』

 スウは怒って泡のエフェクトをたくさん吐き出した。もし船の管理を統括するAIが本気で怒ったらクルーは全員即死なのでは?




 私は急いで船長室へ戻ってスクーターを取り、シノに言われた通り機械工作室へ向かった。機関部に近く、さまざまな部品の修理や製作を行う設備がある。すぐ隣はカワサキ&シノの居室になっているらしい。部屋に入ると既にシノと半透明ユニーが待っていた。スウの姿はなかった。

 機械工作室はかなり広い部屋で、天井にはクレーンのレールがある。加工機械がいくつも並んでいて、きっとカワサキがいれば似合っていただろうけれど、シノとユニーは少し場違いな格好に見えた。

 部屋の中央にある大きな作業台の上にスクーターを乗せて、シノに見てもらう。

「へえー。なんかこう、ザ・ディセンダー星って感じするねー」

 スクーターを見るなり目を輝かせるシノ。なんとなくバカにされている気がする。

「ぶー」

「褒めてるんだよ私はぁ」

 そして本体部分の蓋を開けてみた。お父さんがやった手順をそのまま真似たら簡単に出来た。カラン、という軽い金属の音。一瞬、かすかに家のガレージの匂いを感じた。

「そうか、なるほどそういう原理ねえ」

「すぐに分かるものなの?」

 箱状の本体の中に固定されている透明な石を指してシノが説明する。

「ほらこの石、これが動力そのもの。そこの通路にもあるフローターの欠片だよ」

「あの板の?」

 そう言われるとフローターの乗り心地はこのスクーターのそれとそっくりだった。

「うん。それにしても良い石だよこれは。昔はこのくらいの品質が普通に出回ってたんだけどね、今じゃこんなのなかなかお目にかかれないや。程度の良いアンティークはプレミアが付いてるくらいさ。多分マザーシップのやつを流用したんだと思う。こいつをこのサイズで矩形に切ったりしたら機能を失うことが多いけどこれはきちんと結晶構造の形を理解して切ってある。だから小さくても十分に機能する。で、コントロールするために電極が後付けされているっていうわけ。ハンドルから来た操作が電気信号になって電極から石に伝わる。でね、この電極は取り付ける位置がキモなんだ。ちょっとずらすだけで挙動が大きく変わるんだよ。フローターそのものを作る技術が無いなりに、利用するための技術は曲芸的な洗練を遂げてるね」

 シノは上体を細かく揺らしながら興奮したような早口で、これはあれだ、ネムがナノマシンについて語るときやユニーが集めたモノについて語るときと同じ熱だ。

「フローターって結局何なの?」

「フローターっていうのは重力場干渉器の一種なんだよ。船内重力発生器や通常推進機関ドルフィン キックに使われるようなものと根っこの原理は一緒で、その中でも特別シンプルなタイプだね。問題は駆動させる系の原点や種類を設定しないといけないんだ。だから、このスクーターが違う星で変な方向にぶっ飛ぶのは当然。船の中で使ってたら事故になる所だったよ」

『動かしたのが広いところで良かったですね……』

「部品の点数が少ないし想像はつくんだけど、壊しちゃうといけないから、念のためここに繋がっているコンポーネントの説明はできる?」

「うん、一応……」

 お父さんの説明は全部頭のなかに入っていた。あの夜のことを何度も反芻していたから、ラジオの録音で復習しなくても各部の説明を繰り返すことが出来た。

「そっか、じゃあ同じやり方で等ポテンシャル面のキャリブレーションと慣性系の設定を行う回路を取り付ければいいんだね。そうだ、まだすき間もあるし、ジャンクのフローターをちょっと足しておこうか。出力上がるよー♪」

 あんまり変なふうにはしないで欲しいんだけどな、という不安な気持ちとは裏腹に、シノの顔つきは真面目だし手際も信じられなほど素早く正確だった。石を追加しつつ、実体顕微鏡下でいくつかの電極を取り付け、小さな回路を増設している。ハンドル部分にキャリブレーション機構を操作するためのボタンが追加され、シャーシには折りたためる荷台のような部分を取り付けてくれた。

「さあ出来た! どんな惑星でも船内でも乗れる。船体外板に沿って動くこともできるから、船外活動の時にも使えるよ。台車にも使えるから荷物の運搬も楽にこなせる! さっそく動作テストしよう!!」


 シノは私の腕をぐいぐい引っ張って外の廊下に出た。半透明ユニーも後からついてくる。

「じゃあ、試してみるね」

 恐る恐る電源を入れ、キャリブレーションの完了を表すインジケーターが点灯したのを確認した。スクーターはぷうんと浮いて静止した。ここまではタイシェト・エコーの時と変わらない。乗った時の感触も同じだ。そして慎重にスロットルをひねると、今度はゆっくり滑らかに前へ進み出した。

「やった、うごいた!」

 少しスピードを出してみる。ぐんっという加速がかかり、あっという間に通路の端まで来てしまった。慌ててブレーキを掛け、Uターンして機械加工室の前まで戻る。今度は滑らかに加速して滑らかに減速する。それでも一瞬だ。

「すごい、前より速く動く!!」

「でしょー」

『これでカタミが復活しましたね!』

 ユニーは目を輝かせて、なんだか私以上に興奮しながらぴょんぴょん跳ねている。

「シノ、本当にありがとう!」

「なあに大したことじゃないよ」

 正直、シノを最初に見た時は怖かったし、話し方も雰囲気も苦手なタイプだと思っていた。でも話をしているうちにすごく気さくで優しいことが分かってきたし、何よりスクーターも快く直してくれた。人を第一印象で判断してしまうのは反省しなければならない。


 シノは私を見てニコニコ笑っている。

「で、修理代のことなんだけどさ」


 えっ?




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