9 亡霊の惑星

 ビリーが落ち着くまではそっとしておきたいと思い、一度彼の家を後にして私達は丘の畑の石段に腰掛けた。日向の石は暖かい。砂地のあたりとは違って土の匂いがすることに気付いた。日は随分と高くなっていて、風も冷たくなかった。ここからだと街の様子がよく見える。更に遠くには斜めに刺さった塔のようなものがかすかに見え、頂上付近から白い煙を吐いていた。同じものが何本かある。あれがテラフォームキットだろうか。雲の落とす影が街をのんびりと横切っていく様を眺めていると、ここで起きたという惨劇が嘘のようだ。

「私、人があんなふうに泣いているのを見たのは初めてだ」

 自分の記憶に圧し潰されそうなビリーの姿を見ると、自分はまだ救われている方に思えてしまう。彼の傍らには彼の銃があった、そのことが気がかりだった。

「記憶を仕舞いこむのが良いか吐き出すのが良いか。難しいけど多少すっきりしたんじゃないかな」

「これで彼が宗主星からの調査隊をあそこまで恐れていた理由も判明しましたね」

「そうね。まあ、棄民のための恒星間移民なんて成功率は高くないから航海が成就しなかったとして誰か調査しに来るとは思えないけど」

「成功率が高くない?」

「さっきも話してたようにマザーシップは難しい条件での単独ワープを繰り返しているから時には失敗することがある。それに大量の資源を持っているから海賊にとって最も価値の高い獲物だし、コールドスリープ障害で多くの死者を出すケースも有る。船体も設備も、大きいけど経済効率重視の安物なの。仮に植民星に行けても政治的に安定する前に内戦で滅びることもある。だから恒星間移民は植民を期待して行うものではなくて、出港時点での成功となるわけ。もちろん乗った人にそんなことは言わないと思うけど」

「……ディセンダー星が生まれる理由が分かった気がする」

「人権の問題があるから、そうならないように整えるべき最低限の設備や資源の水準が星間条約で定められてる。それでも人の営みがうまくいくかまでは分からない。宇宙と繋がれるかどうかはその星の力次第。この銀河の暗黙のルールだよ」

 歴史の本ではなく、恒星間移民第一世代の話を直接聞いたことの価値、それが少しずつだけど理解できて来たように思う。さっきから私の脳裏には自分の星のことがちらついている。あそこでも過去に内戦があって、あわや自滅というところまで行った。私は馬鹿な話だと唾棄していた。それによる負債が自分の世代に押し付けられているのだと腹を立てていた。けれども、大人たちが愚かだったからなんて単純な理由では片付けられない問題なのかもしれない。

「船内で起きた政治的な策謀も、そういう意味では切ないですね」

「植民星のスタートアップ時に権力を求めるのって、宗主星とつながりを保って特権階級になりたい人か、宗主星と関係を断って新天地の王様になりたい人の二パターンだから、まず両者は相容れないと思う。いずれにせよ宗主星側から見れば切り捨てても良い存在と思われていたんでしょう」

 最後に生き残ったのは支配者ではなく、権力とかけ離れた罪の意識に苦悶する男の姿だった。彼が人を処刑すべきと主張したことも、実際に引き金を引いたことも、私には罰が必要な事だと思えなかった。くるみのがなければ敢えて口に出さず、まだ落ち着いていられたのではなかったか。

「ねえ、くるみはビリーにどうしてあんなことを言わせたの?」

「彼が言いたがっているように感じたから……かな」

「言いたがっていた?」

「ええ。だって、マザーシップが堕ちた後の出来事について、彼の説明はあまりにも理路整然としていたから。記憶をたどって話をするのではなく、まるで用意されていた原稿を読んでるみたいにね」

「どういうこと?」

「つまり、をしていたんじゃないかって。頭の中で何度も何度も繰り返し、あの出来事を話していたんだと思う。誰かに話す機会があるとも知れないこの星で、語り手となった自分を想像していた。実際、話している時の彼はとても辛そうだったけれど、それでも話すのをやめられないというか、話したい欲求に抗えない様子だった。それは彼の中で教訓を伝えたかったのかもしれないし、感情の膿を出し切りたかったのかもしれない。もしかしたら贖罪をしたかったのかも。

 ただ、どうしても気になったことがあったの。彼の話の中で、彼自身の立ち位置が見えてこなかった。当事者なのにまるで第三者のような視点で話をしていた。それが彼にとって最後の躊躇いのように思えたから、あそこまで話を聞いておいてそこで終わりにするのはむしろ残酷なのかもって。それではっきりと彼の口から言ってもらったの」

 私はあの時くるみの事を怖いと思ってしまった。しかし、くるみから言葉を引き出された後の彼の少し晴れたような顔を見れば結果は明らかに思えた。やはりくるみはどこか人の心を見透かしてしまうようなところがある。

「でもね、千年生きたって人の心が分かるもんじゃないのよ。想像するしか無いの」

 あれ、いま私の心を読んだよね……? きょとんとしている私の目を見て、くるみは続ける。

「私は自分のやったことを正しいとは思ってない。あれが荒療治になったかもしれないし、ならなかったかもしれない。それでもあえて彼に言わせたのは、単に私がそういうやり方を好むタイプだったからよ。私を正解だと思わないでね」

 これは長い年月を生きた経験のためか、それとも天性のものか。くるみは人工的に生み出された長命人種だと聞いていたけれど、さっきの話で気になることがあった。

「そういえばオスタヤーヴィ……? の賢人って何?」

「それは……私の実家の話だよ。名前がダサいから禁句ね。ユニーも余計なこと言わなくていいの」

「だってあの時はその方が話が早いかと思って……」

「こーら、スーパーユニバースII型ぁ!」

「そっ、その名前は止めてくださいっ!」

「仕返しよ」

 くるみが舌を出し、ユニーはする。二人の無邪気なじゃれ合いを見ていたら先ほどまでの緊張感がかなりほぐれてきたように思う。急におなかが空いてきた。


 おもむろにユニーが立ち上がる。

「誰かこちらに近づいてきますね」

 丘の上から人影がやってくるのが見えた。ビリーの家のアンドロイドだ。

「ここにいらしたんですね。先程はすみませんでした。今は彼も落ち着いていますし、食事の準備もしましたからどうぞ来てください」

 無口だった栗色の髪の彼女の声はつややかで優しかった。



 テーブルの上には穀物や野菜を使った料理が並べられていた。もじゃもじゃ由来のものは無さそうだった。ビリーは食器を手際よく並べていた。

「さっきはみっともない所を晒して済まなかった。口に合うか分からないが、一緒にどうかな。アレルギーがあれば言ってくれ」

 さすがにナノマシンは入ってないだろうから何も言わなかった。栗毛のアンドロイドもビリーを手伝う。

「紹介が遅れたが、彼女の名前はセスだ。から料理が得意でね。俺も教えてもらっているんだが中々真似ができない」

 セスはにこっと笑っただけだったが、嬉しそうな目をしていた。

 誰かに作ってもらったご飯を食べたのは久しぶりで、とても美味しかった。ペンサコラの食料事情は貧弱だから、材料の種類も味も豊富な食事は嬉しい。どれも食べたことのない味だったけれど、どこか素朴で懐かしい気がしてくる。

 ユニーとセスも水のを飲んでいるが、どこか楽しそうに見えた。

 ビリーも落ち着いていたし、最初は気まずいようにも思ったけれど、意外なほど会話が弾んだ。今度はもっと明るい話題だ。元々土木技師をしていたビリーは特に街の道路設計にこだわりがあるようだった。ここで暮らしていくために建物の設計やアンドロイド工学の勉強も始めてみたらしく、先程とは打って変わって活き活きした口ぶりなことに安堵感を得た。落ち着いて周囲を見まわすと、壁にはビリーが描いたのか、都市のスケッチが何枚か貼ってある。今の街よりもずっと大きな規模のものだ。彼は思った以上に生きることに前向きそうで良かった。

 食事を終えて一息つくと、またセスがお茶を淹れてくれた。今度はタイシェトBの薄赤い色によく似たお茶だ。フルーツのような香りがする。

 ここでユニーがひとつ、話を切り出した。

「ビリーさん。つかぬことを伺いますが、街にいたアンドロイド達はマザーシップに搭載されていた労働用アンドロイドで間違いありませんか?」

「そうだ。俺が皆をセットアップして開拓作業を手伝ってもらった」

「ハードウェアはともかく、彼らはただの労働用サーヴァントAIには思えませんでした。かなり人間の社会生活を時間を掛けて学習しているようにしか……」

「やはりアンドロイドには分かるのか。そう、彼らは最初期こそ通常のサーヴァントモードで俺の手伝いをしてもらっていたんだが、今は自然学習型のAIとして機能している」

「開拓惑星のような環境でのアンドロイドが相互に自然学習を行いながらわずか数年であそこまで個性豊かになるものでしょうか」

「君たちはなんでもお見通しなんだな」

 ユニーにも何かAIの人格について哲学的な関心のようなものがあるのだろうか。それとも単なる技術的な興味なのか。


「彼らは死んだマザーシップの乗員たちなんだ」

「それはどういうこと?」

「テチューヘの乗員はスリープ中は意識だけを船内ネット上のサーバーに接続して社会生活を送ることが出来たんだが、実は死んだ人たちの生前のプロフィールから行動履歴、個人的な記録情報やメッセージツールの通信内容などが墜落後も残されていたんだ。全てではないが、人口の八割はカバーしていた。マザーAIの提案で、そこから復元した個々の仮想人格のデータをアンドロイドにインストールすることで不完全ながらも生前の人格を再現できるだろうという可能性が示された。本来ならプライバシーの関係でロックされている領域も、隔絶環境で生存者が一人になった状況をマザーAIが認識すれば特例的にアクセスできるらしかった。

 俺は残されたマザーシップ資源を使って簡単なアンドロイドの改修プラントを作った。俺にアンドロイドの専門技術は無いから、もちろんマザーAIとサーヴァント・アンドロイドの補助があってのものだが。そうして死亡した乗員の再現人格を持ったアンドロイド達が生まれた。

 だから街にいる連中はみんな俺が蘇らせたテチューヘの乗員達なんだ。セットアップ時から個別の再現人格を持っているから、皆それぞれに個性や生前の知識がある」

 マザーAIというのはテチューヘにおけるイルカのようなものだろうか。死んだ人とまた会えるなら、それは良いことのようにも感じられるが、一方で少し気味の悪いことだとも思った。

「当時はずっと俺一人でやっていたから、話し相手が出来たことを無邪気に喜んだ。改修プラントも高度化して、顔や体格をある程度改造出来るようになっていたから生前のそれに近づけることができた。中には人間だったはずの自分がいつのまにかアンドロイドになっていることに戸惑う者もいたが、さほど混乱は起きなかった。おそらくマザーAIが人格データのパッケージを作るときに多少の調整を加えていたのだろう」

「そういうことなら、彼らの個性には納得が出来ますね」

「一番戸惑ったのは俺だったかもしれない。たまたま仕事の付き合いでよく知っていた男の人格データがサルベージできたとき、俺は嬉々としてアンドロイドに仕立てたんだ。趣味が合って一緒に酒を飲むことも多かった男だから、また昔の話だって出来るかもしれないと期待した。

 だが結果は思い通りとは行かなかった。最初はうまく行った気がしたが、話せば話すほど別人のように感じた。顔は同じだし、彼が知っているべきことは全て知っていた。俺のことも完全ではないにせよ知っていた。でも違和感が拭えなかった。なまじっか似ているからこそ気味が悪いと感じてしまったんだ。だから俺はそいつのことを避けるようになった。だが、そいつは生前と同じように気さくに俺に話しかけてくるんだ。避けられていると分かると、理由を聞かせてほしいと迫った。そいつらしい行動だと思った。

 俺は堪らなくなってそいつのAIをリセットした」

 じっと聞いていたユニーが少し身震いをしたように見えた。AIの意識から見れば、リセットというのは死と同じことなんだろう。

「テチューヘにあったアーカイブの中からAIに関する資料を幾つか読んでみたら、俺が試したことは過去に実験済みのことだと分かった。見知らぬ他人からみれば違和感のないという程度の人格を再現できるが、親密な仲であるほどオリジナルとの差に敏感になる。だからデータから機械学習で復元した人格はあくまで精度の低いものだと」

「死者を生き返らせたい、という欲求は人間が昔から持っているものだけど、一番取り戻したい命ほどうまくいかないのね」

「その通りだと思う。だが、その資料には精度の高い復元方法も書いてあった。それは口伝くでんによる自然学習だ」

「口伝?」

「つまり機械学習を使わずに、君はこういう人間だったんだよと言葉で教えたり、過去に体験したことを話し聞かせたり、共通の思い出を再現したり、そういったことを時間を掛けて行うんだ。とことん地道なやり方だが、そうやって育てた再現人格は人間から見ても感情が自然で、何より生前の本人そのものと言えるほど精度が高いものになるという話だ」

「分かる気はするけど、ちょっといんちき臭いわね」

 素直なくるみは容赦ない。

「そう、この話には続きがあった。あくまで再現人格がオリジナルをどの程度再現できたか評価するのは、口伝で学習させた人間の主観に因るほか無い。だから人格再現の精度を客観的に評価することはできなかった。教える側の人間の心理を含めた追加の研究では、結局のところ長期間の学習プロセスの中で、教える側の記憶がある程度形を変えてしまい、自然学習で形成された再現人格に偏向したものになってしまうということだった」

「では再現を行おうとした人間の側も、プロセスの中で変わっていくことで、人格再現が成功したかのように錯覚した、ということでしょうか」

「ああ、そうだ。そして俺はそのアイデアを気に入った。墜落事故の時点まで時間を巻き戻すようなやり方に拘る理由はなかった。そもそも人は人との付き合いの中で互いに経験を交換しあって変化していくなんて当然なんだ。それに、最終的に俺が相手をまぎれもない本人だと思えるなら、それで良いんじゃないかと思った」


 栗毛のセスはビリーの隣に座り、手を取った。

「セスは俺の恋人だ。婚約していたんだ。駆け落ち同然で一緒にテチューヘに乗り、二人で新天地で暮らそうと決めていた」

 セスの目は悲しみと穏やかさが同居したように搖れている。

「じゃあ、墜落のときに……」

「いや、セスは俺と一緒にいて軽い怪我を負った程度だった。俺はまっさらな星に彼女が居てくれさえすれば何もいらないと思っていたから、正直あの時はそこまで深刻な気持ちではなかった。元の星にいた時は腐敗が進行した社会や暴動の多発による治安の悪化でひどい有様だったからな。

 だが最後の殺し合いが起こったあの日のことだった。俺と彼女はパニックから逃れるように物陰に隠れることが出来た。だが、銃撃戦の生き残りがこちらに気づき、追いかけてきたんだ。袋小路だったから逃げられず、そこでセスは俺をかばって撃たれた。俺は逆上して相手を殺した。死体になったそいつを弾が切れるまで撃ち続けた。それで俺は最後の生き残りになったんだ」

 ビリーの口調は落ち着いていたが、両頬には涙が伝い落ちていた。セスはビリーの腕を抱いて頭を寄せていた。彼女に泣く機能があれば、きっと涙を流しているであろう表情で。そしてユニーもセスと同じ表情をしていた。ビリーはセスの頭を胸に抱き寄せて話を続ける。

「セスを喪った俺は何度死のうと思ったか分からない。なにせ死ぬための道具なら辺り一面に転がっていた」

「でもあなたは自殺しなかった」

「ああ。みんな死んだということは自分が殺される心配もなくなったということだ。セスが死んで最悪の結末を迎えたということに変わりはないが、長らく続いた緊張からの解放でもあったんだ。何より死にたければいつでも死ねるんだ。だからセスと暮らすはずだったこの星を、最後に少し見てみようと思った。

 そしてその後、例の再現人格データをアンドロイドにインストールする手法を知ったんだ」

「その時すぐにセスの人格データを作らなかったの?」

 私なら一番大事な人を真っ先に蘇らせたいと思うはずだ。

「私も気になるわ」

「……マザーAIは自動で船内ネットに散らばるデータをマイニングして人格パッケージを作ってくれたが、セスのデータだけは俺が手作業で集めることにしていたんだ。個人のデータは一箇所に集められているのではなく、船内ネットのさまざまなサービスに分散していたし量も膨大だったから時間が掛かった。機械学習による人格再現の問題点を知ったのはその最中のことだ。そこで俺はセスに基本的な知識データだけをセットアップした後、人格に関する領域は口伝での自然学習をすることに決めた。それなりの歳月を費やすだろうが死ぬことばかり考えていた俺にとって、彼女の人格再現の可能性は残りの人生を賭けるに値するチャンスだった」

「そういうことだったんだ。だけど、そんな話をセスの前でしても良いものなの?」

 ビリーはセスと目を合わせた。

「私は自分が死んだことも、彼がセットアップしたアンドロイドだということも知っています」

「今のセスに与えた知識と記憶の全ては死んだセスの“形見”なんだ。ここで起きたことは何もかも教えることにした」

「死んだセスの記憶は私が引き継ぎます。私は彼を愛しているから」

 ずっとどこか所在なげだったセスの眼差しが、今では決意に満ちている。ユニーは涙の出ない目元を人差し指でぬぐう仕草をしている。これも人から学習したのだろうか。そんな姿を見ていたら、私の目からも涙がぽつんと一粒こぼれた。

「ありがとうセイラ、人間の涙を見たのは久しぶりだ」


 ビリーは目を細めた。


 そんなとき、戸を叩く音がして街のが訪ねてきた。慌てて涙を拭いたが、その人は持ってきた小さな包みをセスに手渡すとすぐに立ち去った。どうやらユニーの修理に使うパーツをビリーが手配してくれていたものらしい。早速くるみとセスがユニーの応急修理を行い、私はその上から補修テープを貼る。ユニーは肩をぐるぐる回して調子を確かめたが、問題は無いようだった。

「済まなかったな、本当に。どう謝ったらいいか……。俺は何をやっても失敗ばかりだ。取り返しの付かない事になるところだった」

「そんなこと言わないで。あなたがいい人だってことはもう知っているんだから」

 気休めにありがちなセリフだなと思ったが、割と本音を言ったつもりだ。

「いい人か……。いや、俺は単に臆病なだけなんだ。いい人でありさえすれば世の中をどうにか渡っていける。だからそう演じてきただけなのかもしれない。ただセスと暮らせる世界が欲しかっただけなのに、自分の内側にある臆病さからは何光年旅したところで逃げられやしなかった。ここではそんな安っぽい処世術は通用しなかった。

 それに、殺し合いなんてもうたくさんだと、あれほど思い知っていたはずだった。なのに今日、俺はそれでも君たちを撃ってしまった。何も学んじゃいなかった」

 ビリーを見ていると、後悔はまるで泥沼のようだと思った。

「ここにはあなたが守るべきものがたくさんある。恐れる気持ちを否定しません。それにあなたは臆病ではなく優しい。今まで十分苦しんだのでしょう? だからもう、そのことは謝らないでください」

 いつになくユニーの言葉には力がこもっていた。窓から射し込む傾いた陽の光のように、その眼差しは暖かだった。

「分かったよ。ありがとう。俺は今まで君のようなアンドロイドがいるなんて知らなかった」

「ユニーはモデル人格こそ無いけど対人コミュニケーションによる自然学習AIなの。時間を掛けて学習してきたこの子はたとえ中身が機械だとしても人と区別するにはあまりに感情が人間らしい。だから、あなたがセスとの未来に見出した可能性もきっと無駄にならない」

「そうか……」

 ビリーの表情は憑き物が落ちたように、どこか生気が感じられてきた。


「あの事件の後、テチューヘにあった武器の類はあらかた資源化プラントにまわしていたんだが、これで最後の銃を潰す決心がついた」

 ビリーは部屋の傍らにあった銃を指した。

「これは俺の中にある人間不信の最後の残りカスだったようだ。君たちのお陰で覚悟が決まったよ」



 気づけば夕方になっていた。残ったお茶を飲み、片付けを手伝った後、窓の外には夕陽の中に佇むテチューヘの姿があった。赤い空の下にある黒いマザーシップは郷愁を誘う色だ。くるみとユニーはペンサコラとの通信でネムと話しているらしい。

 傍にビリーとセスが来た。

「セイラ、君は普通の人間なんだってな。俺にこんなことを言う資格は無いかもしれないが、人生はいつどう転ぶか分からない。くれぐれも命は大事にな」

「今の私にとって、あなたは初めて見た普通の人間の女の子です。少しの間でも、話せて良かった。悔いのない人生を送ってね」

「うん……ありがとう!」

 胸に迫るものは色々あったが、言葉にはまとまらなかった。ありがとうは便利な言葉だ。もっとこの二人と話をしてみたかった。



 日没はまだだけど、家の外はもうすっかり冷えていた。雲はなく、空には星が見え始めている。惑星の大気の底から見る星は瞬いているんだ。そんなことを思い出した。

 くるみは肩から提げた黒い端末から何かの表のようなパネルを表示させながら言う。

本船ペンサコラ経由で照会した失踪船舶のデータベースだとテチューヘはワープ事故による“みなし乗員全員死亡”で、現在捜索が行われていることを示すステータスは無かった。しかも現地調査の省略可能な簡易保険が既に支払い済みになっている。だから宗主星の調査隊が来る心配はしなくて良いと思う。あとそれからひとつ」

 くるみがウィンクで合図するとユニーがセスの手を取り近距離通信でデータ送信を行った。

「これは一体……」

「私たちの本船がこの星の周回軌道上から観測した地形や高度マップに写真測量のデータ。土木技師のあなたならきっと有効活用できると思う。あとは短期観測による推定値だけど、この星系の天体暦とかその他諸々の詰め合わせ。上空に待機しているテンダー降下船経由でユニーがダウンロードしたの。美味しいお茶と食事のお礼に、宇宙からのおみやげというところかしら」

「本当に何から何までありがとう」

「私からもお礼を言います」

 朱い陽の光にセスの栗毛が美しくなびいている。こうして見ているとビリーとセスは本当に夫婦のようだ。いつ結婚するんだろう?

「もっと滞在してくれても良かったんだがな」

「今は私たちがいた星団の慣性系から長く離れるわけにはいかないの。次の用事に関わるからね」

「そうか、銀河を旅するというのも苦労が多いな」

 宵さしの空から静かにエアロビスタが降りてくる。風の中、私たちは最後に二人と握手をした。

「もしまた近くへ来ることがあったらぜひ立ち寄ってくれ」

「ええ、それまでには三つ星ホテルを建てておいてね」

「努力しよう。それじゃあ、どうかいい旅を」



 遠くの地平線にタイシェトBが沈み、タイシェトAも山の稜線にかかっている。エアロビスタは街の上空を旋回しながら高度を上げ、夜の方角へ飛び立った。街の灯はマザーシップから根を張るように伸びていた。ビリーの計画した道路だ。

「ビリーたちを助けなくて良かったのかな」

「助けるって、どこかへ連れて行くってこと?」

「うん。この星で暮らしていても、いずれはマザーシップ資源も尽きる日が来るし、いつかビリーが死んだら残されたセスはどうなるの?」

「そうね、彼らが択んだことなら、私たちが口出しすることじゃないと思ってる。最後の最後に滅びるとしても、命の終わりまで確実な平穏があるなら彼にとって悪くない世界かもよ? ここがディセンダー星じゃなかったら、彼のささやかな望みは叶わないかもしれないし」

 くるみもユニーも、機窓から薄明の夜空を眺めている。私はディセンダー星を絶望のイメージで捉えることしか知らなかった。だけどビリーとセスにとって、ここがディセンダー星であることは彼らの平和な世界が外から隔離されることを意味していた。

 思い返してみれば私がペンサコラで目覚めた後、すぐに船を降りて星に帰る選択肢も与えられていたのだった。私にとってただの自殺としか思えなかったそれも、立場が違えば別の、もっと前向きな意味を持つのかもしれない。

 私は星の海に憧れていたから船に乗ることを択んだ。そういうことだ。


「たまには星に降りてみるのもいいわね! 疲れたけど」

 くるみは大きく伸びをした。

「そうですね、私もがたくさん得られました」

「いつもパンパンのリュックが今日はスカスカだけど、よほど良いものを拾ったのね?」

「ふふふ、そうなんです」

 ユニーは膝に載せたリュックを抱えながらにやにやしていた。


「私たち下手したら死んでたかも知れないのに、そんな気楽な感じでいいの?」

 結果だけ見ればビリーは良い人だったし来て良かったけれど、くるみとユニー、どちらが欠けても私は死んでいた。ユニーは大丈夫かもしれないが、くるみだって危険だったはず。なんて紙一重な命だろう。

「ビリーに撃たれた時のことでしたら、別に危険という程のことは……」

「私たちが守ったのはセイラじゃなくてビリーの身の安全よ」

 え?

「ユニーならあの状況に対処するのはそんなに難しいことじゃないはず。だからあえて反撃しないで説得に徹していられた」

「撃たれた時、倒れかけてたようにも見えたけど……」

「あれは弾を真正面から受けるとさすがにつらいので、衝撃を和らげるために身を斜めに構え直したんですよ」

「そういうわけで、そんなに危険は無かったのよ」

「で、でもくるみは私の後ろに隠れてなかった?」

「あれはセイラのことを捕まえてたの。あの状況で一番困るのはあなたが不意に動いてしまうこと。ユニーの後ろでじっとしててくれないと安全が保証できない」

 ええ……

「何かあったときの対策をいくつか事前に打ち合わせてたの。本当に危ない時ならエアロビスタが急降下してくる事になってる」

 タイシェト・エコーに降りてからビリーに会うまでの間、話し合うような時間はなかったはず。とすると、二人がペンサコラのハンガーに遅れてやってきたのはそのためだったのか。

「私が驚いたのはくるみがあの時前に出て行ったことですね」

「あれは……ごめんね」

 くるみは小さく舌を出した。

 守られているのは喜ぶべきことなのかもしれないけど、悔しい気持ちもあった。

「ここに来るって決めたのは私だから……私のせいなのに」

「ここへ来ることをあなたにのは私なのよ」

 どこか勝ち誇るようなくるみの目に、それ以上は言葉が出てこなかった。ピクニックのような気分で見知らぬ星へ降りて危険な思いをした私と、起こり得る可能性を想定して準備をし、楽しんでいた二人の余裕。悔しがる根拠さえ、私にはまだ無い。



 タイシェト・エコーが球体に見え始める頃、窓の外には遠くの空で淡い光の粒が尾を曳いているのが見えた。流星だ。

『さあみんな、早く戻って来なさい。もうじきマザーシップ由来の流星群が来るからペンサコラはすぐに軌道離脱するよー』

 コンソールからネムの声がした。

「よくこんな短い時間でデブリ群をみつけたね。やるじゃない」

『スペクトル型の違う星同士の連星系のおかげか、光学観測で意外と簡単に見つかったんだよ。頑張ったのはスウだけどね。ピークは明日の真夜中だろうってさ』


 惑星間空間で船体崩壊を起こしたテチューヘの残骸は、公転の度にタイシェト・エコーへ降着し、それが流星群になるという。ビリーとセス、そして街のみんながどうか誰にも見つからず、平和に暮らしていけますように。




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