8 棄民の王様
タイシェト・エコーの砂色は淡い。
重力はペンサコラの船内Gと大差ないはずなのに、惑星の大地に立つというのはどこか違った安定感を感じた。人間は本質的に、巨大な質量に寄り添うように出来ているのかもしれない。大きな黄色い太陽と小さな薄赤い太陽から来る光は暖かいが風は冷たい。ここはまだ陽の低い午前中で、影は二重の輪郭を伴って長く伸びている。
私たちは市街地から少し離れた荒野のなだらかな窪地に降りた。周囲に目立たぬよう、エアロビスタはジョウのコントロールで飛び去り、上空で待機するとのことだった。エアロビスタの通信機はユニーとデータのやり取りが出来るし、私のラジオとも通信が可能にしてあり、何かあればすぐ駆けつけてくれるという話になっている。
「ちょっと試してみたいことがあるんだけど、良いかな」
私は持ってきたスクーターを地面に置き、ハンドルを立て、電源を入れた。地上からフッと浮上するまでは良かった。飛び乗ってから試しにスロットルをひねると、前に進むはずだったそれは左上方へ直進、私をぐるんと宙に投げ出した。
「ぎゃっ!」
右半身を強かに打ち、服も砂まみれになった。スクーターは空中で斜めになって静止していた。
「ずいぶん派手に転んだけど大丈夫?」
「いったた……。そんなあ、故障かな……」
メンテナンスしたばかりとはいえ、確かに最後に使った時は状況が状況だった。乱暴に乗り捨てるような使い方をしていたと思うし、どこか壊れていたっておかしくはなかった。私にちゃんと修理できるだろうか。
「まあ、メカのことなら今度カワサキに相談しましょう。多分どうにかしてくれますよ」
そう言ってユニーは空中で傾いて静止しているスクーターをジャンプして捕まえ、私に返してくれた。
「きっと直るから、そんな泣きそうな顔しないで、ほら」
「口に砂が入って……」
「ああ、それならちょっと泣きそうにしてても良いわよ」
私の下手くそなごまかしを、くるみはおそらく見抜いてる。ユニーは落ちている石ころを一つ拾い、白くて薄い布に包んでリュックにしまっているところだ。
「さあ、出発しましょう」
幸先の悪いスタートだったが、私はスクーターのストラップを肩に掛けて担ぎ、二人の後をトボトボと歩き出した。遠くには地平線を縁取るように横たわるマザーシップが見えている。
街の外れには誰も人がいないが、意外なほど建物は多かった。金属と人造石で出来た建築物は、意匠こそ見慣れないが私には馴染みのある質感だった。マザーシップ資源から生産しやすい材料なのだ。建物の種類は一目して分かるものではないが、住居らしきものは少なく、何かの生産プラントのような大きめの建屋が目立つ。これなら食料生産も出来るし、工業力もありそうだ。道路上のマーキングの意味はなんとなく理解できたし、看板こそ読めないが文字を扱う人たちの営みなのだと思えば異星の地といえど理外の物は無いように感じた。
人の気配のない所を抜けて建物が多く集積しているエリアに出ると、車も人も普通に行き交っている様子だった。活気があまり無いのは時間がまだ早いからなのかもしれない。すれ違う人は皆、こちらをちらりと見るが、それほど気には留めていないらしい。聞こえてくる話し声も、すこし訛りこそ感じるけど何を言っているのか理解できる。ともかくこれは実態調査なので、街の様々な場所を歩き回っては情報を集める。ラジオでは電波放送が受信できたし、複数の局が存在しているようだった。趣味が合わないけれど音楽を流している局が多い。
普通に人が暮らしている街だという印象が深まるにつれて、私は調査というよりは旅行のような気分になっていたかもしれない。しかし、くるみとユニーはそうは思っていなかった。
「ねえユニー、ここの人たちって今のところ全員……」
「ええ、全てアンドロイドです。人間は一人もいません」
「全員!?」
「そう、まだいないと決まったわけではないけど、この星は明らかにアンドロイド人口が優越してる」
「人間用の食料を作るための農地が見られないこともそれで説明がつきそうです」
そう説明するユニーもアンドロイドだ。確かにポリエチレングリコールを飲む事以外では人間と区別できない。なんとなく道行く人達を人間だと思い込んでいたけど、人間とアンドロイドを区別する方法を私は知らないのだ、ということに初めて気付いた。
「サイボーグとも違うの?」
「ええ、全員アンドロイドですね。一部分でも人体を持ってる個体はありません」
途端に、少し不安な感情が季節雨のように立ちこめた。人の営みとしか思えない街をアンドロイドが作り上げ、そこで人と変わらぬ暮らしをしているのだ。機械だけがそこにあるなら街まで作って人の暮らしを模倣する意味はあるのか。そしてすぐ、AIに対する差別めいた気持ちが自分の中にあったことにハッとなり、傍を歩くユニーに対して妙に後ろめたくなり、季節雨は深いぬかるみになった。
「そろそろ、話しをしてみようかしら」
そう言うとくるみは小さな公園のような一角で話し込んでいた初老の男性二人のところへ小股で駆けて行った。私とユニーもその後をついていく。
「こんにちは」
「やあどうも、こんにちは」
男性はかぶっている帽子を少しつまみ上げて優しく挨拶した。もう一人も顔の皺をくしゃっと寄せて微笑んだ。
「何か用かい?」
「お嬢ちゃんたち見かけない顔だね、この街に住んでいたかなあ」
「私達、宇宙から来てこの星の事を調べているの。ここに人間は住んでる?」
思ったよりストレートな質問だ。見てるだけの私の心が何故だか慌てている。
「宇宙から来たって? そりゃあ珍しいお客さんだ。それなら向こう、テチューヘの丘に行くといい。人間が一人住んでいる。この星の
彼はマザーシップの方角を指した。意外なほどすんなりと受け入れてくれた。私の星で宇宙からやって来たと言う人がいたら、大騒ぎになっていたか誰も信じないかの二択だろう。
マザーシップの黒い巨体が重くそびえる手前は低い丘になっていて、そこも幾つか建物がある。だが、明らかに砂地とは違う黒い土に植物の生えた土地もあった。
「あの緑の土地は…」
「あれは畑だ。少ないけど野菜や麦を育てている」
人が一人しかいないなら農地もそれほど多くは必要ないのだろう。
一人の人間と多数のアンドロイドで構成された世界。その人はどういう気持で暮らしているんだろうか。ペンサコラのクルーでは私だけが普通の人間だ。有り様は少し違えど共通項を感じるその人と話してみたい、と強く思った。
丘へ向かう道すがら、別のアンドロイドたちにも何人か話しかけたが、彼らはおしなべて友好的だった。私達に驚く素振りはなく、質問をしても気前よく答えてくれた。誰も彼もがのんびりとしていて警戒心もなく、どこか人にしては人が好すぎるなと感じられなくもなかった。
中心市街を抜けて丘に差し掛かると、建物の数は急に少なくなった。ペンサコラの温室とは植生が随分違うが、それなりに多くの種類の草花がある。緩やかな坂道は舗装がなくて柔らかい。
「ここはマザーシップが墜落した衝撃で出来た丘なのかもしれない。勝手に耕されて土が柔らかい。太陽が正中する方角に面した斜面は農耕に適している……。単純にして大胆なインターステラー農法ね。ふふ」
くるみは独り言のように何かぶつぶつと土の感想を漏らしたり笑ったりしている。
「二人共、向こうから誰か来ます」
ユニーの言葉で道の先を見ると一人の男が歩いてきている。
「もしかして、あの人は人間?」
「そのようです」
そこでユニーとくるみは何故か立ち止まり、歩いてくる男を黙って見ている。大柄な若い男の人だ。黒色の髪を後ろに撫で付けたような髪型をして、黒い革の上着を着ている。
「まさか、何でこの星に……」
男は一度立ち止まり、微かにそんなことを呟いたように聞こえた。ユニーとくるみは立ち止まったまま、再び近づいて来る男の方を見ている。どこか様子が変だ。
ユニーがまた歩き始めたので私がその後に続こうとすると、男はもう一度立ち止まり、私達を睨みつけて口を開く。
「お前たち、止まれ! そこを動くな!!」
怒声。彼は手に持っていた黒くて細長いものをこちらに向けて大声で怒鳴った。あれは多分、銃だ。実物を見るのは初めてだけど、映画で見たことがあるのでどんな事をする道具なのかは分かる。それに明らかに殺気立っているのが伝わってきた。彼は私達がいることを知って様子を見に来たようだった。考えてみればユニーがエアロビスタを通信できるように、街にいたアンドロイドだってお互いに遠隔通信できるのは当然かもしれない。だから彼は宇宙からの訪問者を随分前に察知していたのだろう。
「なんてクラシックな武器なの」
くるみは呆れたようにそう言うと私の背後に隠れた。すかさずユニーが私の前に立って庇う姿勢をとった。小さな両手が私の服の背中を掴んでいる。ビジュアル的には正しいけれど、私のほうがずっと歳下なんだけどなあ。でもおばあちゃんならむしろ庇うべきなのか。さすがにくるみを盾にはできないからこの順番しか無いよなあ、なんて場違いに呑気なことを考えてしまった。
「目的は何だ!」
「私達には敵対する意志はありません! 銃を下ろしてください!!」
「目的は何だと聞いている!!」
ユニーの説得に返ってくるのは苛立ちを含んだ怒声。丘の向こう、マザーシップの船体が跳ね返すせいなのか、大きな声は残響を曳いて聞こえる。
「これは調査です!」
「何? 調査だと……」
「そうです、ただの実態調査に過ぎません」
「そうか、やはりな。分かった……」
男の口調が急に穏やかになる。そうか、話せば通じるんだ。人間なんだから。
少しほっとした次の瞬間、耳をつんざくような硬い破裂音が遠くから三回聞こえた。至近から鈍い打撃音も三回聞こえた。
前に立つユニーの身体がぐらっと揺れて大きく仰け反った。
ユニーが撃たれた。
倒れはしなかったが少し
「お前、アンドロイドか! やはり国の連中の差し金だな!!」
「私達に敵意はありません! 攻撃をやめてください」
叫び声の応酬。それでも説得をやめないが、ユニーも腰に下げたナイフに右手をかけている。
「そりゃあお前らは敵意なんて無いだろうさ! 下らない話をする気はない、ここで消えてくれ!!」
怒声の主は目の前にある背中の向こうできっと銃を構えている。一触即発だ。私には何を言っているのか分からない。まるで話が噛み合っていない。怖い。
ここへ来て自分へ向けられている殺意のリアリティをようやく体が理解した。恐怖の感情が全身を駆け巡ると、途端に骨が崩れるみたいに脚が震えた。
「なるほどね」
背後から穏やかな声。
気づくと背中にあった小さな手の感触は無くなっていた。そして私の視界の右端を白い影が通り過ぎて行く。それは悠然と歩いてユニーの前へ出た。
「おい! 動くんじゃない!!」
「くるみ! 下がって!!」
あとに続いて前に出ようとするユニーをくるみが手で制す。男はやはりこちらに銃を向けたまま。
「私達はいかなる国家の命も受けていない! 恒星間移民船テチューヘからの救難信号を拾ってここへ来たの。あなたの事情はある程度察したけれど、宗主星の心配ならしなくていい。だから銃を下ろして」
それから刹那の沈黙。私はここまで大きくて強いくるみの声を聞いたことは無かった。
男の顔には明らかにためらいの色が浮かんだ。私とユニーを庇うように立っているくるみは微動だにしない。
「……そうか……分かった……」
そして銃を下ろし、肩の力を抜いていることが離れていても見て取れる。ユニーもすでに警戒を解いている。
急に足腰の力が抜けて地面にへたり込んでしまった。腰を抜かす、というのはこういうことなのか。
「本当に……君たちは違うのか?」
「そうよ、私たちは自前の単独ワープ船で航海をしているの」
くるみは男の方へ近づいていく。
「だからこの星に来れたのか……」
「そう、本当はワープの中継でスイングバイをする予定だったんだけどね」
男は呆然とした表情で地面に膝をついた。
それからユニーは私のことを手を引いて起こしてくれた。銃創からは透明な液体が滲み出していた。ポリエチレングリコールだろうか。ユニーは荷物の中から粘着テープのようなものを取り出して銃創を覆うように貼り付けた。これで一応の手当になるらしい。
「体は大丈夫なの?」
「少し出力は落ちるかもしれませんが骨格に損傷がないので大丈夫ですよ」
そして私たちは男の家へ招かれた。ユニーの応急修理のため、傷の状態を確認してくれた。彼は先ほどの剣幕が嘘のように穏やかな話し方をする。近くで見ると若く見える割りにくたびれた顔つきをしているな、と思った。あまりに何度も謝罪の言葉を口にするので、ユニーは却って恐縮していた。
彼によるとユニーのことが遠目には軍用アンドロイドに見えたらしいし、私が肩から提げていたスクーターは銃のように見えたらしい。言われてみれば確かにそうかもしれない。
彼の家には女性形のアンドロイドがいて、慣れた手つきでお茶を淹れてくれた。とても甘くて、花蜜やハーブとはまた違った香りのするお茶だ。ユニーには別に透明な液体が供されたが、ポリエチレングリコールではなく精製水らしい。
「俺はビリー・セルジャンスタウだ。ビリーで良い」
「私はくるみ・タハテラ・ユリーカ。こっちのアンドロイドがユニーでそこのボサボサ頭がセイラ。彼女はナマの人間よ」
ボ、ボサボサ頭!? 否定はしないけど……。
そしてくるみはペンサコラでの航海の事を少し話した。多分、私達が彼に敵対するような存在でないことをしっかり説明するためのものだと思う。私が拾われる以前の話も含まれていた。彼の反応からみても、やはり単独での長距離ワープ船は珍しい存在のようだったし、航海中に二連続でディセンダー星に降りるのも稀なことらしかった。
「……そういうことだったのか。この星に誰かが来るとしたら宗主星からの調査隊かと思ったんだ。航路外星系だし、位置を推定できるとしたら連中しかいない。調査に来たと聞いてつい反応してしまったんだ。とんだ早とちりでまったく申し訳ない……。
しかし、先程の君には驚かされた。こちらの事情をすぐさま察知したようだった。大したお嬢さんだね。歳は十にも満たないように見えるが、一体何者なんだ?」
「別に、何者ってほどのものでもないけれど」
口を濁すくるみにユニーが補足をする。
「オスタヤーヴィの賢人、と言えば分かりますか」
くるみは下唇を突き出し、眉間にしわを寄せてユニーを睨む。これは抗議の意だろうか。残念ながらかわいい。
「……そうか、それなら確かに。話には聞いていたが実在したんだな」
男は少し驚き、それから静かに何かを得心したようだった。
「まあ、私はあそこから逃げて来たから、ただのお尋ね者なんだけどね。むしろあなたと似た境遇かもしれない」
「タハテラというのは王族の名として聞いたことがあるが……」
「人為的に作られた品種だから血筋も何もないけれど、私たちはみんなタハテラ姓を持ってる。王族の私物である血統の証、それからあえて賢人と呼ばせた私たちに王族の血を多少なり混ぜ込むことが王権のブランド価値にとってプラスになると考えたから」
「なるほど……」
何がなるほどなのか私には分からない。賢人? 王族? くるみのような人種は有名な存在なんだろうか。
「それで、君たちはどうしてこの星に降りようと思ったんだ? 救難信号はもう四年以上前のものだが」
「救難信号の受信後、光学観測でマザーシップの脇に街が形成されていることは分かったけれど農地が見えなかったから、救難はともかく何が起こっているのか気になったの。先を急ぐ航海でもないし、少し立ち寄るくらいならと思ってね」
「そうだったのか。テチューヘは航行中、船内で勃発した内乱で爆発事故を起こしたんだ。爆発自体は小規模だったがワープ機関を損傷した。これがワープ中の出来事だったから強制ワープアウトしてこの星系に出たんだ。何故かは知らないが、強制ワープアウトの結果テチューヘの船体は大規模な構造破壊を起こして操舵不能に陥った。あの時起きていた乗員はブリッジに避難していたが、一瞬で巨大な船体が紙切れみたいにひしゃげていく様はこの世の終わりのような瞬間だった。救難信号はその前後に発したんだろう。この星に不時着して最終的に生き残ったのは俺一人、街は労働用に搭載されていたアンドロイド達の手を借りて造ったものだ。推察の通り、食料は一人分でいいから農地はこの周辺にしか無い」
「内乱ってどういうことですか?」
「輪番で中間冷凍睡眠をしていたから詳しい経緯は飛び飛びでよく分からない。船内でちょっとした小競り合いがあるという話は何度か聞いた。どうやら植民星での支配権を巡って政治的な抗争があったらしい。しかも、船には地上で戦闘を行うための武器が積み込まれていた」
中間冷凍睡眠というのはカワサキの半生コールドスリープのようなものだろうか。
「まあ、恒星間移民あるあるよね。そもそも恒星間移民は人も物もお金も大量に動くビッグビジネスだから程度の差こそあれ必ず権力が介入してくる。その権力が一枚岩じゃなければ渡った先の星で戦争をすることもあるけれど、テチューヘは不幸にも船の中でそれが起きてしまった、ということね」
「そんなところだ。元々俺たちがいた宗主星は人口過多で資源や食料ををめぐる紛争が増加していたんだ。破滅的な戦争は無かったが、いつそれが起きても不思議じゃなかった。経済も社会も疲弊してひどい有様だった。だから棄民政策として恒星間移民事業が企てられたんだ。あわよくば植民した星を開発して利潤を吸い上げることも出来るかもしれない。だから、後に傀儡政権となるよう政府は自分たちのシンパを乗せた。武器は彼らの支配を助けるために載せられたものだと思う」
「ワープアウトしただけで船が壊れるなんてことがあるの?」
私の疑問にはくるみが答えてくれた。
「恒星間移民船で使われる古典サイアルスタイン式空間跳躍器による単独ワープは入口宙域と出口宙域で重力ポテンシャルがなるべく等しくならないといけないの。ポテンシャルのズレが大きい場合は船体が潮汐破壊する。このとき大きくて重い船ほどダメージを受けやすいから、マザーシップみたいな超大型船はかなり精密な出口設定をするはず。それが強制ワープアウトになったらひとたまりもないわ。ちなみにペンサコラも同じワープ機関を使ってるの」
「それって大丈夫なの? ワープアウトで即アウトとか怖いんだけど……」
「大丈夫。等ポテンシャル空間を選ぶのは同じだけど、うちは中型船だからマザーシップほどシビアじゃない」
「君らは中型船で長距離ワープをしているのか? それこそマザーシップ級の動力炉じゃなきゃ動かせないと聞いたが……」
「ウチの主機は特別製なの☆」
何故かくるみは自慢気だ。
「でもそんなひどい墜落事故で一人だけ生き残ったなんて奇跡でしたね」
私がそう言うと、何故かビリーは目をそらし、少し引き攣ったような表情になった。不用意なことを言ってしまったかも。
「墜落で大勢死んだが、実は俺以外にも生存者はいたんだ。ほとんど無傷の者もいた」
「墜落の後に起きた出来事であなた以外の全員が死亡したのね」
「ああ、その通りだ。……そうだな、せっかくだし俺達の身に起きたことを順に話そうか」
「それがよさそうね」
「分かった、じゃあ聞いてくれ。
テチューヘでは乗っていた人口の二パーセントが順番に起きてしばらく船内で生活をして、またスリープに入る。そういう仕組だった。脳だけを覚醒させて意識をサーバー上のバーチャル空間で生活させることもできるが、身体の健康維持のためには時々全身覚醒して運動するのが良いらしい。
俺達は当時、スリープ明けで同じ区画にいた連中と一緒に船員から航海の状況に関してレクチャーを受けていたんだ。これ自体はいつものルーティーンだ。VIP区画にいる連中が揉め事を起こした話も聞いたが、その時は当事者が船長権限で逮捕されて収まったということだった。だがそれからすぐに何か事件が起こったとかで船員が慌て始めた。火災警報が鳴ったので、覚醒組はブリッジ区画の退避所に誘導されて避難した。数万人はいた覚醒組だが、すぐ待避所に辿りつけたのは二千人がいいところだ。何しろでかい船だから、船内の移動だけでも時間がかかる。あとは船員が通信している内容から断片的に得た情報で、銃撃戦が起きてワープ機関に繋がるパイプラインが爆発したとか、火災が続発しているだとかで俺たちもパニックになりかけていた。船内の通路も破壊されていたかもしれない。あとはもう、わけのわからぬまま何度かの爆発音を聞いた後、強制ワープアウトが起きて船体が滅茶苦茶になったんだ。
激しい揺れと混乱の最中に船は不時着先をこの星に選び、テラフォームキットを撃ち込んだという船長代理のアナウンスを聞いた。重力場干渉器はまだ生きていたが崩壊した船体を支えきれず、不時着というよりは墜落に近かった。船でもっとも安全なブリッジ区画にいた人間でさえ多くの死傷者が出たが、37人が生存した。待避所でも損害の軽いエリアにいたせいか、周囲には俺を含めて軽傷で済んだ者が多かった」
話が進むにつれてビリーの表情は暗くなり、声には緊張感が滲み出ていた。惨劇の記憶をなぞることの怖さは私も知っているつもりだけど、彼の口調はそれでも粛々としていて、穏やかさを踏み外すことがなかった。そして話は続いた。
「気になるのはなぜ俺以外の36人が死んだのか、ということだろう。結論から言えば生存者の間で殺し合いが起きた。墜落で助かったのは
でも最初は生存者同士、協力して生きていこうと頑張っていたんだ。あの頃は遅れてやってきたテチューヘの大きな残骸が隕石のように度々降ってきていたしテラフォーミング初期で環境も厳しかったが生きられないことはなかった。人は大勢死んだがマザーシップ資源は豊富にあったから、どうにかやっていけると思っていた。動力炉の一部、労働用アンドロイド、マザーAIが使える状態なのは不幸中の幸いだ。できる事を数え上げれば生きる希望も湧いてきた。
きっかけは、生存者の中に船内での抗争に絡んだグループのメンバーが混ざっていたことだ。
彼は政治活動家で過去に何度か事件を起こしていたから顔は知られていた。でも起こった事態があまりに大きすぎたせいか、彼自身は大人しくしていたんだ。彼が実際に船内での事故に直接関与したかどうかも分からなかった。むしろ他の連中が彼の処遇を巡って口論になった。即刻処刑すべきという者は一人いた。拘束すべきという者が数人いた。そして残りはあえて罪を問わず一人でも多くの人間が協力してこの難局に取り組むべきだと主張した。極限状態では人間同士の争いが致命的な状況を生むという話は誰でも知っていたから、大半の者は罪を問わずにいようと考えていた。だから俺もそのことに安心していた。
最初の銃声が聞こえたのはそれから数日後だった。撃たれたのは処刑を主張していた者だ。犯人は分からなかった。その翌日、次の銃声の犠牲者となったのは例の政治活動家だった。処刑論者殺害の犯人だと疑われたからだ。これも犯人が分からなかった。しかしこのことで問題の火種が無くなったようにも思えた。それからしばらくは平穏だった。
残った35人の中に人を撃った奴がいる、という事実は紛れもなかったが、誰も問題にしようとしなかった。というより、そのことに触れないよう敢えて目を逸らしていたと言ったほうが良いかもしれない。だが口に出さないだけで相互不信は募っていった。銃はマザーシップで簡単に手に入ったから皆が携帯するようになっていた。キャンプを離れる必要があるときは必ず三人以上で行動するようになった。外敵がいるわけでもないのに、いつしか寝るのも見張りを付けて交代制になった。それでも事件は起きなかったから平和と言えたかもしれないが、そんな緊張は長く続かないし、事実、誰もが消耗し切っていた。
そんな状況下で響いた次の銃声では二人が死んだ。マザーシップ資源の探索に出掛けた三人組の一人がもう一人を撃ち、残りの一人が撃った奴を殺した。
生き残ったそいつをどうするべきか、皆で話し合った。その三人組の中で何が起きたのか、本当のところは分からない。生き残りの証言によれば、死んだ二人は政治活動家を殺した犯人についての口論をしていたという。最初に撃ったのが犯人で、次は自分が撃たれると思ったから自衛のためにそいつを射殺したそうだ。確かに考えられるシナリオだった。
だが、俺達はもうひとつの
結局処刑はせずに拘束を選んだ。声高に処刑を主張していた者たちも、実際に人を殺すことには及び腰になった。
だがその日の夜、俺達はどういうわけか見張りを立てず、32人全員で寝てしまった。彼を拘束したことで問題は解決したんだと、どこかで皆がそう思い込みたかったのだろう。精神的にも肉体的にも疲労は限界だった。俺もそうだった。だから久しぶりに安心して熟睡できた。
深い眠りを得られた満足感から覚めると、拘束されていた奴は刺殺体となっていた。処刑を主張していた者たちは自分がやったのではないと釈明したが、彼らを責め立てる者、つかの間の安心が露と消えパニックに陥る者で状況は最悪だった。
そこで次の銃声が鳴った。パニックを起こした一人が自分の頭を撃ち抜いたんだ。それを見て、どうにか平静を保っていた奴もパニックを起こし始めた。俺を含めた何人かは恐ろしくなって逃げ出した。その場にいれば危険だと思った。だが逃げた者を犯人と疑う奴がいて、何人かが背中を撃たれた。死んだ奴もいたし、弾が当たらなかった奴もいた。俺も運良く弾は当たらず物陰に逃げ込むことが出来た。
そこから先はお分かりだと思うがただの地獄だ。長く続いた不信や不安の均衡が崩れた。ずっと理性でこらえていたはずの感情がお互いを殺人者に仕立て上げ、実際に引き金を引き合った」
最初は静かに話していたビリーだが、次第に感情が昂ぶり声が大きくなっていた。息遣いも荒く、唇や手は震え、時折咳き込み、額は汗ばんでいた。私は話の内容よりもその身振りがむしろ怖いと感じて圧倒されたが、話が途切れたとき彼はがっくりとうなだれた。目を閉じ、両手の拳を握りしめて息を整えようとしている。
それでもくるみはいつもの穏やかな口調で問いかける。
「それで、最後に引き金を引いたのは誰?」
しばらく彼は黙っていた。しかし、大きく息を吐いてからゆっくりと、はっきりとした口調で答えた。
「俺だ」
くるみは敢えてビリーが口にしたくないことを言わせているように見えた。質問は続く。
「最初の活動家の処遇をどうするか、あなたの意見は?」
何かに怯えるようにビリーの手は再び震え出す。
「……罪を問わずに皆で協力しようとした」
「それじゃあ三人組の生き残りのことはどうすべきと主張した?」
ビリーは肩を震わせ、両手で顔を覆った。これはまるで尋問だ。くるみを止めるべきだと思ったが、私には何も出来なかった。そして彼は深く息をし、震える声を絞った。
「……あいつを……殺すべきだと……言ってしまった。……処刑すべきだと俺は言った!」
いくつもの涙が落ちるのを見た。彼は声を震わせている。
ティーカップを皿に置く音が、沈黙に鋭いヒビを入れた。
「わかったわ。あなたのことを、私は信用する。私はあなたを信じるわ」
一言一句を言い聞かせるような調子だった。
そしてくるみは椅子から降りてビリーのもとへ歩み寄り、彼の握りしめた大きな両手の上に、小さな両手をそっと乗せた。
「ずっと一人でそのことを抱えながら今までやってきたんでしょう。畑を拓き、街を作り、平和な世界を作ろうとした。私たちはここに来るまでにそれを見てきたの。皆優しいし気さくでいい人達ね。ちょっと殺風景だけど、私は好きよ」
顔を上げたビリーの表情は泣き濡れていたが、険が取れて少し穏やかになっている気がした。くるみも屈託の無い笑顔だった。彼の家のアンドロイドが傍らに来て、優しく肩を抱いていた。
私のお茶は冷め切っていた。
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