5 星の海に浮かぶ庭
一本目のワープ所要時間は53時間。72光年先に行くため、あえて迂回して318光年の距離をワープする。この船のワープ機関では短い距離は却って時間がかかるらしく、これがほぼ最短時間の経路だそうだ。私にとっての記念すべき初航海も、その船出はとても静かなものだった。ワープに入ってしまうとイルカのスウとジョウ以外はあまり仕事が無いらしく、みんな寝ていたり私室に引き上げてしまった。ワープ中はラジオで星間放送も聞けないらしく、船での暮らしは思ったより暇かもしれない。ワープ中でも意外と窓の外には星が見える。ワープ中は星の見え方や色、位置関係が通常とは異なるし妙な動きをしているものもあるけれど、ぱっと見る限りは普通の宇宙空間と大差ない。
ペンサコラで私は船長室を与えられた。船長室には専用の小さなお風呂とトイレがあるし簡単な料理が出来そうなキッチンもついていた。船ではその手の設備は共同なのだろうという先入観に反して船長には専用のものが用意されていたらしい。専用の生活空間はうれしかったけど、殺風景な広い部屋に僅かな私物があるのみなので、どうにも落ち着かなかった。クルーはそれぞれが船内のバラバラの場所で離れて暮らしている。中型船だからちょっと歩けばすぐの距離とはいえ、船上での共同生活というよりはむしろ家が数軒ある集落で一人暮らしをしている感覚だった。
一晩寝て、今日は朝からネムの診察があるので医務室に行く。医務室はネムが住んでいるところでもある。身体を構成しているナノマシンは定期的なメンテナンスが必要で、クリーンルーム内の専用設備に生命維持を依存しているかららしい。
「おはよう、調子はどうかな」
「うん、かなり良くなっ………へくしッ!」
ネムはなにか驚いたような目で私を見る。温暖な星に育ったせいで船内が少し寒く感じるのかもしれない。あるいは陽にあたっていないからか。閉鎖環境では感染症が蔓延したら大事になるかもしれない。まして相手は船医だ。
「ご、ごめんなさい」
「いやあ、なんだかくしゃみを見るのが久しぶりだったから」
「久しぶり?」
「ペンサコラのクルーでくしゃみができる体なのはセイラとくるみだけなんだよ」
そういえば普通の人間は私だけしかいないという話だった。
「ユニーは人工的に製造されたアンドロイドだし、カワサキはサイボーグだから人間の部分は脳の一部だけ。そして私も全身がナノマシンだからある種のサイボーグ。そんなわけでナマの肉体を持っているのはこの船じゃ少数派ね。くるみは仲間が増えたって喜んでたよ」
くるみが私のためにお風呂やトイレのことで気をかけてくれていたのはそのためだったのかな、と思った。ユニーは普通の人間のように見えてたけどあまり会話をしていなかったのでそこまで意外だとは感じなかった。でもカワサキの筋肉が人工物だったのは少し残念。
「くるみは普通の人間とどう違うの? 」
「あの子は人工的に作られた長命人種なの。世代を超えて知識を受け継いでいくために
「てっきりウラシマ効果みたいな話なのかと……」
「まあ、銀河を旅するからには多少の時間のズレもあるだろうけど、900年以上は生きてるから誤差のようなものだね」
ネムの淡白な口調のせいか、そういうものなのかなとつい納得してしまいそうになるが、私には計り知れない話だ。マザーシップより歳上という話はどうも本当らしい。
そのほか船内の生活に関する話をあれこれしながらも、ネムは手際よく診察と細かい検査を続ける。私の憧れていた船医の仕事が目の前で見れることが嬉しくて、手つきのひとつひとつや使う道具などを詳しく目で追ってしまう。診察室の設備についてもできれば逐一訊いてみたいが今日のところは遠慮しておいた。
後遺症という程のものではないけれど、しばらく生理不順があるかもしれないという点を除けば私の体調はほとんど元の機能を回復しているらしい。筋肉痛も随分軽くなったし、熱っぽさも全くない。内出血もいつの間にか消えていた。
「そういえばまだきちんと船内を周ってないよね。散歩をするなら植物園の温室がオススメだよ。場所は渡した端末で確認できるでしょ」
船内の情報ネットにアクセスしたり通信に使える端末をもらっていたことを思い出した。これを使う限り船内での電波の発射も問題ないらしい。船内図を開くと植物園と書かれた区画がある。かなり大きいのですぐに分かった。
「植物園?」
「そう。G型星のスペクトルに似せた照明で日光浴もできるし風もあって開放的な所だよ。船上生活は心のメンテナンスが重要項目だから息抜きや気晴らしを軽く見ないことね」
「わかった! ありがとう」
植物園の入口は最上層のデッキにあり、船の体積の四割近くを占めているかなり大きな区画だ。機関部の次に大きい。というより端末で確認した図によればこの船のほとんどは植物園と機関部で、居住ブロックやブリッジは全体から見て僅かな空間でしかないらしい。乗員が少ないせいかこれでもかなり広々とした印象だったが、まだ船内の半分も把握できていないようだ。
少し長い通路を歩くと、突き当りに明るい光が透けて見える扉があった。二重扉で簡単なエアロックのような構造になっている。使い方がよく分からないパネルを適当に触ったら難なく通過でき、植物園に足を踏み入れた。
「すごい……」
扉を抜けた先は白くまばゆい光が射す緑の世界だった。肺の底まで深呼吸をしてみると空気が美味しい。ここが宇宙なのが嘘のようだ。気がついた時には宇宙船で寝ていた私にとって、ますます現実感が無くなっていく光景だ。上に目をやれば透けた天井から星が見えるのでここが温室なのだと分かるが、視界の下半分はまるで地上の庭園だった。砂の惑星では見たことが無いほどの植物が生い茂っている。自分の背丈よりも高い木を見るのは初めてだ。この部屋の奥がどこまで続いているのか見通せない。それに、ざわざわとした音に満たされている。
そう、音だ。
風が耳を撫でる音、木々の葉が擦れる音、どこかで流れる水の音。急に知覚が開けた気がした。それと同時に、船内の居住ブロックではずっと音が無かったことに気がついた。何かの低い唸るような音がかすかに聞こえるだけの空間だった。でも、この温室で聞こえてくる音の情報量こそが本来私の知る世界の姿。過去の私が静かだと思ってた地上世界も、本当はこれだけの情報にあふれていたんだと、今更になって理解した。
大きな花がいくつも咲いている一角では息が詰まるほど濃密で甘い匂いがする。この香気を水に垂らせば油のように玉が出来そうだ。こんな匂いは嗅いだことがない。私が知っているのは雨期の終わり、砂漠に生えた小さな植物が数日だけ小さな花を開いたときに風で運ばれてくる淡い香りだ。幾つか見覚えのあるような多肉植物もあるけれど、こんなに形も色も様々な草木を見たのは初めてだった。
石畳の小径を歩いていると、少し開けた場所にある四つ辻で右手からくるみが歩いている姿を見た。
「あら、いらっしゃい」
くるみはあどけない仕草で微笑む。図書室から来て、植物園の“ラボ”へ行く途中らしい。図書室があるのか。そういえばくるみは司書をしていると言っていた。
「ちょうど良かった。あなたのことを案内したいと思っていたところだったの。頼みたいこともあったしね」
「頼みたいこと?」
個人的には図書室の方が気になったけれど、後について道なりに進むと温室の終わりに突き当たり、部屋の入口があった。ここも簡易エアロックのようなドアだ。くるみに招かれて入ったそこは目が慣れないせいか薄暗く見える。幾つかある大きな机の上には様々な機械や資料が乗っている。棚には標本が入れられた瓶がならび、奥の方には一際大きな装置がある。この装置に関してはひと目で何をするものか見当がついた。
「植物の培養プラントだ」
「正解、見ただけで分かるなら話が早い」
もじゃもじゃを生産するプラントの設備はマザーシップ由来のものだから恒星間文明のおさがりであり、ここの設備もいくらか共通している部分があった。具体的な操作まで推測するのは難しいけれど、各コンポーネントがどんな機能を果たしているのかはなんとなく分かる。
「体積では植物園区画の大部分が温室だけど、機能としての中枢はこのラボなの。温室はあくまでここの附属施設。ラボでは植物の研究から船内での食料生産、温室の管理、船内バイオスフィアのモニタリングなどを担ってる。私と同じで生物としての肉体を持っているあなたにとっては生命維持に必要な設備だよ。だから見てもらいたかったの」
それからくるみはラボ内の設備や備品のことを説明してくれた。藻だけでなく地上の野菜を生産するプラントや小さな甲殻類を育てる設備もあり、船では出来る限りの自給自足をしているようだった。とはいえ食べる口が少ないのでプラントの稼働率にはかなりの余裕があるらしく、それを個人的な研究に流用しているらしい。
案内されるままに歩きまわるラボは思ったよりも広く、見通しが良くない幾つもの部屋が連なった施設となっていた。医務室もそうだが、この船の施設はやけに入り組んだ作りになっていて道に迷いそうだった。
「さてセイラ、あなたは船長ではあるけど今は名目上のものだし、これから学ばないといけないことが星ほどにある。この宇宙は無知が死に直結する世界。裏を返せば知ることでこそあなたの宇宙は外へ外へと拡がっていくの。足の速い船に乗っただけでは何が変わるわけでもないわ」
くるみは芝居がかった大げさな身振りと演説のような口調でおどけてみせる。だけど言っていることは割と本気なんだと思う。
そして私はこの船で最初の仕事を得た。内容は食料の生産や温室の管理の一部、そしてくるみの研究の助手だ。仕事を通して必要な知識を身につけていくほか、この宇宙での常識に関することや航海をする上での基本事項などの座学も必修とのことだった。
今日はひとまず藻類プラントの管理を教えてもらった。私がどこまで知っているかの確認と、実際の仕事に必要な知識の補充。くるみは見た目に違わず少食らしいので一番食べる私がこれを担当するのは当然のように思えた。プラントはかなり自動化されているが、全体的な生産の流れは知っている部分が多かったので、しくみを理解するのに時間はかからなかった。
ひと通りの仕事をしたあと休憩の時間になった。くるみに誘われてやって来たラボの一番奥の空間はふかふかのベッドがひとつと、その周辺によく分からない機械が幾つかある他は、質素な椅子と机、棚がひとつ置いてある位だった。壁一面に資料や標本、設備の類が満載されていたこれまでの部屋とは雰囲気が異なる。部屋の形は矩形ではなく、壁がなだらかに傾いている。船体右舷のすぐ内側らしく、窓があった。
「ここが私の部屋だよ」
そう言ってくるみはベッドに腰掛け、隣に座るようにと手でポンポン叩いで促す。それに応じて腰を下ろすと窓の外がよく見えた。船体から橋のようなものが緩やかな弧を描くように脇に突き出していて、その先端にも何かがある。大気がないと遠近感がつかめなくて、どれくらいの長さがあるのか目測ではよく判らない。端末の船内立面図では見たことがない。考えてみれば医務室で目覚めてからずっと船内にいるから、船の外観がどうなっているのかを知らなかった。
私と同じように窓の外を眺めながらくるみが話しかけてくる。
「セイラはどうしてこの船に乗り組みたいって思ったの?」
こうしていると、何だかまるで年の近い友達と話をしているようだ。
「私は元々船乗りになりたかったんだ。ディセンダー星では叶わないと思ってたけど……」
「そう。航宙船の装置類をわりと普通に操作できるのはそのせい?」
「いろいろな資料を読んだりもしたけど、マザーシップ資源を使った機械が多い環境だったからなんとなくで」
「ふうん。ところでこのペンサコラの目的ってなんだと思う?」
「目的?」
「そう、目的。旅客船なら旅客の運送。貨物船なら貨物の輸送。病院船なら傷病人の治療や移送。警戒船なら警備活動。船には大抵の場合目的があって、航海はそれに従事したものになる」
ぎょっとした。言われてみればその通りだ。私は船乗りになりたいとは思ったけれど、どんな船に乗りたいかさえ具体的に考えていなかった。そしてこの船の目的も訊かずに乗り組ませてほしいなどと大見得を切ってしまった。
「あの……その……」
穴があったら入りたかった。しかしくるみは私の内心をやはり見透かしたように言った。
「安心して、特に無いから」
くるみが足をパタパタ動かしているので、私もつられて恥ずかし紛れに少し真似た。
「もっと言うと船は多くの場合、企業や政府機関が所有していて、船員はそこに雇われて乗り組むことになる。そうなれば船乗りは採用されるために何らかの資格や技能が必要になる。でもこの船にはそういう所有者がいないから、言ってみればプライベートシップのようなものなの。だからあなたに頼まれたとき、クルーみんなで考えてOKできたというわけ」
「じゃあ私のいた星に来たのは…」
「あれはネムのリクエスト。クルーそれぞれにやりたいことがあるから、それに付き合うのがこの船のルール……かな。船長がいなかっただけあって、そんな感じで民主的に決めてるの」
民主的。
「そうなんだ……。ところで船長がいない船なんてアリなの?」
「もちろんナシだよ?」
笑顔で即答されましても。
「まあ、航海の途中で船長が死亡するとかで一時的に船長不在の船はありえるけど、法的には必須の存在。技術的には航法AIがいれば航海は可能だから、船長とAIがいればひとまず船は動かせることになる。恒星間航行だと機関士の乗船を義務付ける国がほとんどだけど」
「じゃあこの船って……」
「サブスタンダード船の一種だね。つまり法的な要求基準を達成してない船。国によっては海賊船に分類されることもある」
宇宙海賊!? それは少しかっこいい。
「船だけではなくて私とカワサキは一部の国で指名手配されてるし、ネムは戸籍データの上では死亡扱い。ユニーは過去に廃棄されたことになってるから無登録個体で国によっては取り締まりの対象。寄港する時は別の船や人を装ったりすることがあるから、その都度使う方便の設定は頭に入れておいてね」
「は、はあ……」
「やばい船に乗っちゃったって思ってる?」
ベッドに寝転んでいつものように微笑むくるみ。その表情はどことなく得意気のようにも見える。
「いや、その……」
「カーパーループであなたの戸籍を回復した後、乗るのも降りるのもあなたの自由だからね」
最後の一言は囁くように優しかった。くるみは目を瞑るとそのまま眠ってしまった。彼女は人種的な特徴で睡眠時間が長いらしい。歳を取れば取るほど長く眠るようになるとかで、ラボのプラントを見れる人手が増えることは歓迎なんだそうだ。
もし、私がまともな船に救助されていたらどうなっていたか。間違いなく難民としてどこかの星に降ろされるだろう。まだ何の能力もないのだから、あくまで
だからある意味で幸運だったのかもしれないし、そう思うことにしたい。今はとにかくここの生活に慣れて、宇宙で生きる力を身につけるのが先決だ。この船で役に立てなければ私は何者にもなれないだろう。
天使のように寝息を立てるくるみにシーツを掛け、窓の向こうの星の海を一瞥し、教えてもらったばかりの午後のルーティーンに着手する。私は藻類農家の一人娘だからもじゃもじゃの面倒を見るのはお手の物。それに、うまくすればナマプルコに近いものが食べられるかもしれない。
――ところで指名手配って、一体何をしでかしたんだろう?
*
「それで、あの子の状態はどう見えた? 肉体的には健康になっても一番心配なのは心のダメージ」
診察室の椅子に座るネムとクッションを抱えて処置用のベッドに寝そべるくるみ。
「今のところは大丈夫かな。診察のときも気持ちは落ち着いていたし、本人もそうしようと努めてるみたい」
「最初に話をした時はあなたの処方の通り鎮静剤を投与しながらだったから、うまくショックを緩和しながら事態を飲み込んでくれたみたい。その後の経過はスウに見ててもらったけど、ふたたび意識が戻った後もあまりひどく荒れてる様子ではなかった。妙に物分かりが良いから、そのことが却って心配になるの」
「確かに思ってたよりずっと冷静に見える。まだ現実離れした出来事が感覚としてついてきていないのか、無理して抑え込もうとしてるのか」
「うん、なるべくつらい記憶を思い出さないようにしながら目の前にあることに集中しているように見える。初めて見るものばかりの環境だから、ということもあるだろうけどね。でも、だとするとここの環境に慣れてきた頃にどうなるか」くるみが身を起こして付け加える。「それともうひとつ。現状ではナノマシン災害が人為的に引き起こされたことをどこまで理解してるかは分からないけど……ネム、くれぐれもそっちには引き入れないように」
「それは……もちろん」
「悲しみは時間がある程度解決してくれるものだけど、憎しみの行く末がどうなるかまでは予想できないからね」
ネムは黙って頷いた。
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