4 私に残されたもの
その日の夜、ブリッジに招かれた。クルー全員と顔合わせ、ということらしいので少し緊張する。ブリッジは想像していたものとは違い、腎形のテーブルを囲んでいくつか椅子が置いてある。病室よりも狭いかもしれない。天井も低いが、テーブルの上はドーム状の円天井のようにくり抜かれている。窓の外には星の海。やはりここは宇宙船だ。
席には四人座っている。クルー全員で四人だけ? そのうち三人は見知っているが、見覚えのない男の人が一人。いかにも威厳があるヒゲの大男だ。この人が船長だろうか。中空には水色とピンクのイルカが8の字を描きながら泳いでいる。
くるみちゃんがひとりずつ紹介してくれる。
「こちらがご存知、この船の船医ネム、そしてこちらがメイドのユニー」
メイド?
「で、初対面だと思うけど、このマッチョはカワサキ。この船の機関士でメカ全般の整備を担当してる」
どうやら船長ではないらしい。
「あの状態から生き残るなんで中々大した根性じゃないか」
そう言ってカワサキさんは笑った。顔つきが怖かったけど、笑うと人が好さそうだ。私の中にあるザ・船乗りなステレオタイプに当てはまり、少し感激した。
「ちなみに私は司書を担当してるの。何か調べたいことがあったら言ってね」
くるみちゃんはそう言ってテーブルのお茶を一口飲んだ。
「上で泳いでるのがこの船の航法AIのスウとジョウ。簡単にいえばこの船の人格そのもの。イルカだけど。操船とか船全般の管理はだいたいこの子たちがやってくれる。立体映像で船のだいたいどこにでも出てこれる…というかスウには会ったんだよね」
『やあ、お客さん』
『もう元気になったの?』
二匹とも同じ声なのでどちらがしゃべっているのか分からない。この前怒られた水色はスウというらしい。航法AIが二匹いる必要はあるのだろうか。とりあえず手を振っておいた。
「ええと、私はセイラ・ウラノといいます。助けて頂いてありがとうございました」
半ば無理やりだけど、言うきっかけがなかった言葉をようやく言えた。お礼はタイミングを逃すと難しい。
「本当にありがたいことになったかどうかはこれからの話次第。というわけでセイラ、あなたのこれからを聞かせて」
少し緊張を含んだ声でネムさんが言う。私は促されて席につく。
今ここで決めよう。択ぶ自由の恐ろしさに足がすくむ。でも私は宇宙船に乗ることをずっと夢見てきたんだ。ここへ来る代償はあまりにも大きかったけれど、これは千年に一度あるとも知れないチャンス。全てを失って夢と命だけが残った。ならばもう、何だってやるしかないのだ。
「私を……私をこの船に乗せてください。選択の保留のためではなく、クルーとして乗組ませてください。雑用でも何でもやります! だから、どうか、お願いします!」
思わず立ち上がって頭を下げた。
………沈黙が耳に痛い。胸の鼓動が跳ねる。握りしめた手の中に汗が滲むのがわかる。頼むから早く誰か何とか言ってくれ…。
「ああ、なるほど。いいんじゃない?」
拍子抜けするほど呆気ない答えだった。
「俺も良いと思うぞ」
「そうだね、それは良い」
「私も賛成です」
「部屋はどうする」
「脳も体もナマなんでしょ」
「じゃあお風呂とトイレが要るよね」
「船長室が空いてるじゃん?」
「そうか、船長室ならちょうど良いな」
「じゃあ早速掃除しておきますね」
「というか船長やってもらえば良いんじゃない?」
「その手があったか!」
『え〜っ!? じゃあ、とうとうこの船にも船長が?』
『やった〜〜やっぱり船長がいてこそ船って感じするよね〜〜』
「へ?」
……私だけを置き去りにして状況だけが予想外の方向に光速で飛んでいった。四人と二匹のクルー達は、まるで学校の友だちが放課後街へ遊びに出る算段を立てるように話を進める。なんかお菓子とかも食べてるし、こういう感じで決めていいのだろうか…。というか船長いなかったの……。
「私が、船長?」
「そういうわけでセイラ、満場一致であなたの乗船を歓迎するわ。改めて、汎銀河航宙船ペンサコラへようこそ」
ペンサコラ、それがこの船の名前。汎銀河航宙船という区分は銀河全域航海に耐える設備がなされた船舶のことらしい。惑星間や恒星間の航宙船なら知っているけど、未だ知らないカテゴリが存在していた。確かに医療設備はかなり充実していたが、どんなスペックが要求されるんだろう。
「ねえくるみちゃん、船長って何をすればいいんですか」
「まあ、形式的なものだから実際はみんなの手伝いをしてくれれば良いと思う。船長としては手続きをお願いしようかしらね。ところで、この船ではクルーの関係に上下は無いの。敬語はいらないし、さんもちゃんもつけなくて良いんだよ」
「はい……あ、ええと、うん…」
いきなり敬語抜きというのは正直苦手なパターンだ。でも歳下の子になら大丈夫かもしれない。
「くるみはこう見えて多分、お前の星のマザーシップより歳上かも知れないぞ」
カワサキが僧帽筋を動かしながら言う。
「マザーシップよりも? それは一体…」
「白髪になって随分経つのよね。色素の産生機能は普通の人間と寿命が変わらないみたいなの」
「!?」
この船に乗ってから驚くことが多すぎて慣れかけているが、さすがにそんな存在があるとは思わなかった。くるみはこちらを見てピースサインをちょきちょきさせている。神話のような年齢のおばあちゃんが小さな女の子の姿をしているなんて反則じゃないか。そういえば普通の人間は私だけと言っていた。
……もう一つ一つの事にいちいち驚いてはいられない。
「それで、手続きというのはなにをすれば良いの?」
「とりあえず戸籍の回復から始めましょう」
「戸籍…私の?」
「そう。船長になるならきちんとした市民権のある人でないといけないから」
「私ってディセンダー星の生まれだからもう…」
「あなたが寝ている間に調べたんだけど、どうやらあなたの星はハナムグリ座・ペルセウス運動星団連立共和国のメンバーに入っているらしいの」
「ハナ…ムグ……?」
「天の川銀河中央標準星座のハナムグリ座天域とペルセウス腕の交叉宙域にある運動星団を中心とした星系国家群のことで、長ったらしいからグリセウス共和国と呼ばれているし、公式文書でも略称が認められているみたい」
道理で聞いたことのない名前だと思った。
「順を追って説明するね」
くるみとネムの説明によると、私の星は共和国内の一国家として通常のカタログでは省略されているが統計上は存在していたらしい。交易はないけれど、定期的な通信で住民のデータは同期され、それが共和国の人口統計として組み入れられているのだとか。航路から外れた星に共和国としての保護はないけれど納税の義務もない。単なるデータ上の存在。とは言え、私には共和国市民として一応の法的地位が与えられている、ということだった。
今は病原化ナノマシンによる住民の全滅で定時通信が途絶えるため、そうなると住民の市民権も生存が確認できないという理由から凍結されてしまうらしい。共和国側が実態調査に出向く可能性はゼロではないが、少なくともディセンダー星の場合は期待できそうにない。
そこでこちらから共和国内の星系国家に赴き、このペンサコラが実地収集したデータと共に事件のあらましを報告して、併せて凍結された私の戸籍を回復させるらしい。もちろん、これによって私以外の全住民は正式に死亡扱いとなる。
「ところで最寄りのゲートまで12光年はあるらしいけど、どうやって行くの?」
この星系は銀河航路のワープゲートから離れているからこそ孤立している。自力で星間航行できる技術水準がなくても他の星系から定期的に往来があればディセンダー星とはならない。
「私達はどうやってここまでやって来たと思う?」
ネムが思わせぶりに切り返す。言われてみればそうだ。
「ペンサコラは汎銀河航宙船だ。その意味するところはゲートを使わず長距離単独ワープが可能な点にある」カワサキが上腕二頭筋を誇示しながら言う。血管が浮いている。
ワープ技術にはいくつか種類があるのは知っている。船舶による単独ワープは難点が多く、銀河航路に設置されたワープゲートを通って恒星間空間を移動するのが通常のやり方らしい。単独ワープ船の全盛期は遥か昔の銀河航路開拓時代で、今は軍籍の艦船や一部の海賊船などに限られているし、搭載されていても惑星間航行用の短距離ワープがほとんどだとアーカイブで読んだことがある。ワープのための機関について調べたこともあったが、見つけられたのは通常推進のための核融合炉や対消滅機関に関する技術文書だけだった。
「もっとも、短距離ワープはあまり得意ではないけどな」カワサキが上腕三頭筋を隆起させて高笑いした。
そしてくるみ、ネム、カワサキの三人がイルカを交えて行き先となる星の相談を始めた。星ごとに手続きの方法に差があったり、この船が入港できるか否か、航路設計の難易度などを検討しないといけないらしい。船長と言われても何も分からないので黙って見ているしかなかった。ユニーはお茶とお菓子を勧めてくれた。
しばらくして話が終わり、まとまった内容をくるみが教えてくれた。どうもこの船ではくるみが実質的なリーダーの役割であるように見える。
「行き先はここから72光年先にあるカーパーループ。グリセウス共和国の第II種星で治安はまずまずだし補給もやりやすい。その割には公安が間抜けだから安心できるかな。中距離ワープ二本で四日と半日の道程となる予定だよ」
ちょっと不穏なセリフが含まれていた気がするけど、私はもう驚かないようにしているから大丈夫。
「機関、元から準備よーし!」カワサキが大きく唸った。
『航路設定も完了』
『ここから一気に一本目のワープに入れるよ』
二匹のイルカが跳ねた。
「重力場干渉器、良好」
ネムが頬杖をついて片手を振る。
「中継ポイント確認しました。問題ありません」
ユニーもいつの間にかコンソールのような画面を出して何かの作業をしている。
「さあ船長、発進の合図をお願い」
くるみが肩にかかる白い髪を揺らしてこちらを見る。続いて皆も私の方を見る。思わず息を飲んだ。
ブリッジの窓には赤い星がぽつんと浮いている。多分、これで見納めになるだろう。ずっと忌々しいと思っていた砂の赤色。だけど、青い恒星たちの煌めきの中にあって、どこか温かい色に感じてしまう。
私はここから旅立たなければならない。
「そ、それじゃあいきます…」
皆が頷く。
「ペンサコラ、発進!」
『『了解! ペンサコラ発進!』』
上ずってしまった声にイルカが笑顔で復唱した。急に恥ずかしさが出てきた。しかし、特にみんなは何をするでもなく、そのまま座ってじっとしている。
「あの……これ、必要あったのかな……?」
「操船は全部AIがやってくれるからこれで良いの。一度やってみたかっただけよ」
くるみは微笑んだ。
そんな。
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