2 西風

 天井の低い部屋。窓の向こうに小さく赤い星が見えている。右手、主星の方向はスクリーンが掛かり、恒星の強い輻射から室内を守っている。壁際にはいくつか計器類や通信機の類が設備されているが、一般住居とそう変わりない広さの空間。四人がテーブルを囲んでいる上方で子供のような声が騒ぐ。

『今、アレが大気圏で発光したことを確認したよ』

『タイミングはほぼ予測通りだけど落下地点がかなりズレてるね』

 部屋のテーブルの上で水色のイルカとピンクのイルカの映像が跳ねる。

『とりあえず被災地域の予想を出すけど…』

 中空に赤い惑星のモデルが現れる。南半球の一部が網掛けされている。

『これ人口集積予想範囲とほとんど一致してるんだよね』

『周回軌道上で自由落下ではない軌道変更を自ら行ってる可能性があるよ。もまだ生きてたんだ』

『つまり、ちゃんと人がいる所へ狙って落ちてる』


「……うん」一拍おいて、白い長髪の女が口を開いた。「カワサキは降下船テンダーの最終確認、ユニーはもう準備出来てる?」

 ヒゲを生やした大柄の男は黙って頷く。

「いつでも行けます」

 黒髪の女も即答する。

「くるみは私達が降りたらハンガーと医療区画を隔離、一級と二級隔壁全封鎖。三級は居住ブロックを除いて封鎖。生命維持系を医療区画独立循環に保持。帰還後は隔離エリアの隣接区画を15分ごとにナノ汚染スキャン。72時間の清潔維持を確認するまではノータッチでよろしくね」

 長髪の女は矢継ぎ早に指示を出す。

「はい、ドクター」

 白い少女が操作パネルを出し、船内設備の資料を横目に答える。

『生存者ゼロの可能性が高いよ』

 張り詰めた雰囲気に冷水を浴びせるような明るい口調でピンクのイルカは言った。

「……私もそう思うよ」

 長髪の女は眉一つ動かさずに応じる。




      *




 朝。昨日の流星がニュースになっているか気になって、ラジオを点けた。スイッチを電波放送に切り替え、地元の放送局に合わせる。どの局も流星には一言も触れていなかった。そのかわり、謎の感染症が発生した話題で持ちきりだった。感染力の強い出血熱だというけれど、死者はいまのところ確認されていないが未明から病院には患者が殺到していて、街ではちょっとした混乱が起きているらしい。以前も家畜プラントから病気が発生して騒ぎになったことがあった。この集落は街から離れていて行交いがほとんどないから心配は無さそうだけれど、街に住む友達のことが心配だった。


 母はキッチンに立っていた。父は家の裏でプラント設備用の掃除道具を車に積んでいるらしい。昨日積んでたような気がしたけど何か忘れていたんだろうか。

「ねえ、午前のうちに貯水槽と導水溝のバルブの点検をして欲しいってパパが言ってたよ。行ける?」

 そんなの直接言えばいいのに昨夜のことで父は私に話しかけるのが気まずかったのかもしれない。悪いことをしたかな、と思った。

「わかった。行ってくる」

「あ、それと今日の夜は何食べたい?」

「う〜ん」

 私はおもむろにラジオの録音スイッチを押す。

「証拠を残そうっていうの? 信頼ないわねー」

 母からは見えない腰の後ろのラジオを触る手つきで看破された。

「だってこの前だって約束破ったじゃん」

「悪い癖よ。この前は冷蔵庫が壊れたせいなんだからしょうがないでしょう。で、何が食べたいの?」

 呆れたように母が言う。

「…ナマプルコのニオサジ焼き」

 反射的に父の好物を答えていまい、なんとなくと思った。

「良いよ。うん、それにしよう」


「それじゃあ、行ってきます」

 玄関には母、ガレージの奥からは父がこちらを見ていた気がした。



 貯水槽は家から少し離れた台地にあり、そこからいくつかあるプラント設備に水を供給する導水溝のネットワークがある。各所で水圧を制御するバルブは水がないときは砂で傷みやすいので、稼働前には点検しないといけない。もっとも、既に何度か父と点検して必要な保修は済んでいるので、今日は念のための最終チェックだった。設備間を移動しながら一つ一つ正常に動作していることを確認する。

 貯水槽も問題は無さそうだったので、ひと休みしてラジオを点けてみた。放送がない。系外の星間放送は聞こえるけど、地元局の電波放送が入らない。電波の送受信コンポーネントが壊れたのかもしれない。戻ったら父に見てもらおう。昨日のことも謝らないといけないな、と思うとすぐに帰るのも気が進まなくて、もう少しここで休むことにした。

 そういえば街で発生した病気はどうなったんだろう。ここは高台になっているので遠くに街が見える。ずっと手前にはうちも見える。いつもと変わらない景色。ラジオの通信機能で友達を呼び出してみたけど応答がない。電波の送受信に不具合があるならこっちもダメなのだろう。この辺りはプラントの設備が点在しているだけだから、ラジオを点けていないと本当に静かだ。こんなときは不思議と胸騒ぎがする。



 西風が来た。生ぬるくて湿った独特のにおいを帯びた強い風。短い雨期の始まりだ。薄い雲が速く流れていく。予報通り、今日は午後から雨だろう。降られないうちに帰るため、スクーターに飛び乗った。

 道の途中、いくつか小さな羽虫のようなものを見た。雨期になると生き物が増えて虫も出るけど、これは見たことのない種類だった。遠雷の音も聞こえる。向かい風が強くなる。家のある集落に近づくにつれて羽虫の数は増えているような気がした。


 何もないところに不自然な角度で車が停まっている。近所の人だろうか。こんな辺鄙な道で故障でもしたのかと気になって中の様子を見たら人のような何かが座っていた。が一体何なのかすぐには理解できなかった。だから直視してしまった。思わずスクーターから転げ落ちた。


 ……血まみれの死体だ。血が出ている、というよりは人体の組織が崩れて血液が流れ出し、赤黒い塊のようになっている。元が誰なのかもわからない。


 全身に寒気が走る。心臓が破裂しそうな程に脈打っている。声も出せない。幸い足腰は立ったので、すぐに家へ急いだ。朝のニュースを思い出した。謎の病気が発生したという。死者は確認されてないって……病院で治せるんじゃないのか。ただの感染症で人があんなになるなんて事がありえるのか。街の様子はどうなってる? ラジオのSOS発信をオンにした。壊れているかもしれないが、そこまで考える余裕はない。どんどん羽虫の数が増えていく。吐き気を感じる。落ち着くんだ。船乗りはどんなトラブルも冷静に対処できなければならない。何度も通っているはずの道が長く感じる。


 集落では道端にやはり赤黒い塊がいくつか倒れている。なるべく見ないように努めた。歩いている人は誰も居ない。羽虫が顔にあたって鬱陶しい。家につくと、ガレージに倒れている人影を見た。

「お父さん!」

 父は全身から血を流していたが、まだ意識があるようだ。何か喋ろうとして口を開けるが、血が出てくるばかりで何も聞こえない。呼吸が出来てないようだった。喉が潰れるほどに父を呼んだ。声が届いたかわからないが、虚ろな目から血に混じって涙が流れるのを見た。

「…ごめんなさい」

 震える声を絞り出した。突然の事態に、こんな言葉しか出なかった。話さなきゃいけないことがもっと沢山あったはずだった。


 抱き起こしていた父の体が急に重くなる。いま、事切れたのが感じられた。


 足腰にも力が入らなくなってきた。呆然と立ち上がり、家の中に入る。誰もいないキッチンには火にかけられたままの鍋。そして絶望的な予感はすぐに現実だと分かった。ソファにうなだれた母はもう死んでいる。薄いねずみ色のソファが赤黒く染まっている。直視できなかった。心臓の鼓動が強く肋骨を叩く。視界が歪む。耳鳴りがひどい。


 ふらふらと、逃げ出すように家を出た。膝が痛くてうまく立てない。涙が頬を伝う感触に、思わず手で拭った。手には多量の赤い血が付いた。掌は全体が内出血を起こしたように黒く変色している。体は灼けるように熱いのにひどい悪寒がする。咳をすると血のかたまりを吐き出した。反動で頭が割れるように痛い。


「私も、ここで…死ぬの?」

 思考がバラバラになっていくのを感じる。


 気が付くと天を仰いでいた。倒れているはずなのに宙に浮いて回っているようで、体の向きがよく分からない。息をするたびに血が吹き出す。口に溜まった血で溺れそうだ。




 …もうむせる力もない。





 速く流れる薄い雲の向こうに真昼の太陽が白く円く透けて見える。私は一番近い星にさえ手が届かなかった。地べたに倒れたままで終わるんだ…。






 ……羽虫が舞っている…






 …………透き通った長い髪が揺れている………






 ………人影……






 ……………人?………








 ………




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