1 砂の星と星の海

 私はこの赤い砂の星が嫌いだ。どっちを向いても赤茶けた砂ぼこりの舞う砂漠と荒野しかない。


「セイラ、今日からプラントの準備があるから寄り道しないで帰ってきなさいね」

「わかってるって」

 口うるさい母の声を背にして玄関を出る。藻類プラントを経営してる我が家では、雨季の始まりに合わせて設備を稼働させる。明日からは学校も休暇に入るから、私はプラント設備と緑のもじゃもじゃの面倒を見なきゃいけない。土地の痩せたこの星では植物を育てるのが難しく、とてもコストがかかってしまう。だから水と光と化学肥料で安価に大量生産できる藻類が必要とされるらしい。栄養価は高いけれど、あまり美味しくない。


 一人乗りのスクーターに乗って学校までの道を走る。車輪がないから空を飛んでるみたいだしそれなりにスピードも出る。古い舗装の一本道と赤砂の荒野、それから点在する家々の向こうに大きなマザーシップ恒星間移民船の遺構が横たわっている。巨大な蛇の骨のようなそれは地平線の向こうまで続いていて、終端を見たことは一度もない。少し斜めに聳えているアンテナ塔も遺構の一部だ。周りに高い山がないから、塔のてっぺんはこの辺では一番高い。


 はるか昔、星の海を渡って来た祖先はこの惑星へ降り、マザーシップは移民後の資源として使われたらしい。生まれた子供が母親の体を喰って養分とする生き物の話を聞いたことがあるが、それと似ている気がする。けれど私達はこの母なる船を骨まで喰い尽くした挙句、巨大な動力炉のエネルギーを争って人口と資源を消耗し、文明を維持するどころか後退させて再び星の海へ漕ぎ出す力を失ってしまった。星間航路からも遠く、系外からの往来がない孤立した世界。そういう惑星のことをディセンダー星降下民の星と呼ぶらしい。まったく愚かな話だと思った。でも、ディセンダー星に生まれた者は自力でここから出ることが叶わない。私もいずれあのマザーシップと同様にこの地で死ぬ運命にある。それがどうしても嫌だった。


 腰につけたラジオはマザーシップの遺構から発掘された部品で作られた通信機を父が私専用のラジオに改造してくれたものだ。いつも星間運輸航路の船員向けのチャンネルに合わせてある。天の川銀河には幾千の星系国家があり、船乗りたちは宇宙を飛び回っている。その現実の残響だけがこの星にも届く。船乗りになりたい。たとえ無理だと分かっていても。恒星風の天気予報やワープゲートの渋滞情報、活発な星間分子雲や海賊の注意喚起をまるで自分事のように聞いた。片道20分の通学路で役に立つものではないけれど。



「よう、もじゃもじゃ農家」

 教室に入ると出くわしたクラスメートから開口一番、うちの家業への敬意が飛んできた。

「おう」

 もじゃもじゃはたいていの子供が嫌いで、でも体に良いからと無理やり食べさせられた苦い経験を持つ。そんなわけで、私はそのもじゃもじゃを生産する悪の農家だ。15歳にもなればこれもからかいや悪口というより腐れ縁が糜爛した挨拶のようなものでさほど気にならない。人口の少ないこの地域の学校ではみんなが小さい頃から一緒だから、気心が知れていると言えるのかもしれない。


 学校では進路の申請に関する説明があった。最終学年ともなると、こういう手続きがいくつかある。学校では農科・工科・商科の実業三科を学び、卒業後は正式に仕事に就く。順当に行けば私は家業のもじゃもじゃ農家を継ぐことになる。一部の優秀な者は医科や法科に進むことができるため、私は医学を学んでいずれは航宙船の船医になるなどと妄想したことがあるが、医科に進める程の成績を収めることが出来ずに諦めさせられた。


「恒星間航宙船調理師!?」

 私の進路希望を覗き見たクラスメートが言う。

「覗き見は良くないと思うぞ」

「でもかっこいいんじゃない?」

 屈託のない笑顔で言われると少し卑屈な気持ちになる。

「あんたみたいに医科に行けるわけでもなければ大した特技もないしね…

「ん〜、まあ、セイラの料理は本当に美味しいと思うし、特技でいいと思うけど」

「あれは無限にあるもじゃもじゃを美味しく食べる知恵なのだよ…」

「ははは…」


 以前なら船乗りになって天の川銀河を旅する夢を語り合った友達が何人もいた。無邪気な夢は砂しかない惑星の子供にとって格好の遊び道具だった。図書館には旧恒星間文明の頃の情報遺産を含んだ巨大なアーカイブがあって、航宙船や恒星間航路の資料も読むことが出来た。動力機関や船体の図面さえもあった。これらを基に自分たちの船を作れば、いつかきっと宇宙に行けるはずだろうと信じていた。

 けれど工科を学んでいくと、いかにそれが難しいかが解ってきた。材料はマザーシップから調達できるかもしれない。形を真似た模型くらいなら作れるかもしれない。だけども、個々の部品にはそれぞれに適した組成や材料特性が求められ、それを測定出来るような機器も検査のノウハウも失われている。品質のばらつきも管理しなくてはならない。もし材料が揃っても加工するには加工するための機械が必要で、その機械もまた数多くの部品から作られている。では、その部品の材料は? それをどうやって加工する? その加工に使う機械の部品はどこから調達できる?

 現実を知れば知るほど目眩のするような奥行きの世界が見えてくる。決して不可能ではないのだろう。けれど、かつてそれを試みた大人たちが何人も、もしかしたら何万人もいて、それらが全て失敗に終わったからこそ、ここはディセンダー星なのだ。


「おいセイラ、いい加減にしなさい」

 案の定、申請を見た先生に怒られた。怒るというよりは呆れに近い表情だったと思う。

「本気なのにー」

 目を合わせずに返事をする。

「一昨年まで船医になるとか息巻いた割には勉強もろくにやらなかったのがお前の本気なのか?」

 耳の痛い指摘をおどけた表情ではぐらかすが、その通りだったのでばつが悪い。


 夢を語る子供に対し、大人たちは口を揃えて「自分が置かれた場所で精一杯生きなさい」などと諭す。卑屈な道徳だ。ディセンダー星に生まれた事を受け入れなさい、ということだ。

 工科のみならず実業を学び仕事の中身を知ると大人たちの精一杯の頑張りが分かってしまう。藻類プラントを維持することの大変さ、藻類がこの惑星の食料事情にとっていかに不可欠であるかを知ってしまう。この惑星の重力を振りきれなくても、生きるためのひたむきな努力は続けられている。

 友達はひとり、またひとり、船乗りの夢を口にすることを止めてしまった。大人になっていった。精一杯の努力をして医科へ進む同級生がいる一方、私は学校の中でさえ精一杯やれずに不貞腐れ、成績は振るわなかった。あと半年も経てば、もじゃもじゃ農家となるわけである。書面の上でささやかに抵抗してみるくらい、良いじゃないか。


 矛盾だらけの感情が頭のなかで渦を巻き、色彩の無いもじゃもじゃが大きくなっていく。

 放課後、遊びの誘いは断った。近頃はいつもこんな感じだった。家では両親とプラントの準備に関する打ち合わせをした。といっても毎年のことなので、いつもと変わらない手順の確認をしたり設備のマニュアルを引っ張り出すくらいしかやることはない。


 夕食を済ませた後、また外へ出た。一人になりたい気分だった。日が沈み、薄明を迎えたばかりの空の下、私はスクーターを駆ってマザーシップのアンテナ塔へ向かった。




      *




 宵の口、星々が輝き始め、天の川がぼんやりと姿を現す。見上げればアンテナ塔は空に向かって黒く聳えていた。てっぺんに登り着く頃には息が上がっていた。何度も登っているので途中で休むことは無かったが、それでも少し苦しい。砂漠を撫でる風の音と私の息と心臓の音。この高さからだと遠くの地平線はまだ少し明るいけれど、今の時季は天の川銀河の中心、いちばん絢爛な天域が空に高く懸かっている。


 私が自分の力で来ることができる宇宙に一番近い場所。……これが私の限界だ。


 どれくらい星を見ていたか。それほど長い時間では無かったと思うけど、すでに息は整っていた。ラジオを点けて、知っている星座を眺めながら持ってきたお茶を飲んでいた時だった。

「流星だ!」

 無意識に叫んだ。夜空に真一文字、目が眩むような一閃が視界の端から端までを横切った。ただの流星などというものではなく、まるで星空が切り裂かれたようにも錯覚した。滅多に見ることが出来ない程の明るさに驚いて、思わず狭い足場から落ちそうになった。もしかしたら隕石が落ちているのかもしれない。息をするのも忘れて閃光の去った星空を見ていた。


 すっかり頭の中のもじゃもじゃした感情が切り払われた私は少し胸のせいせいした気持ちで家に帰った。帰り道、スクーターのライトが不調だったので、ガレージにいた父に見てもらうことになった。

「ランプの交換時期だろうね」

 簡単に点検しながら父は言う。

「最近はあまり整備もしてなかったし、明日から広いプラントを見て回らないといけないから、ついでに気になるところは全部直しておこうか」

 そういうと手際よく外装を分解し、中の配線や部品を触り始める。片手で持てるような板状の本体と、その端に取り付けられたの高さの支柱に支えられたハンドルで構成されるシンプルな機械だが、中身もそれほど複雑ではなさそうだ。

「ついでだからやり方教えてよ」

「そうだな、出先で困ったときに自分で応急修理が出来た方がいいしな」

 そして父から部品の名前や配線の役割を説明する。忘れないように、腰のラジオの音声録音ボタンを押した。

 もっとも重要な部品はいびつな形をした分厚いガラスの破片のような、透明な石だった。石そのものには手を加えないようにするためか、金属のバンドでくるむようにシャーシに取り付けられている。石には数本の細い線が貼り付けられていて、まるで心臓を検査しているかのような見た目だ。

 父によると、これはマザーシップから発掘された物で、動力として世代を超えて使い続けられているらしい。その他のコンポーネントは私が見てもすぐ分かるようなバッテリーや簡単な制御回路だった。

 ひと通り手を加えてもらい、各部の説明を受けた。父の顔は何故だかうれしそうだ。そういえば最近はこんなにじっくりと話をしたことは無かったかもしれない。

 そしてメカの説明が一巡すると話の中身はただの雑談になり、やがて私の進路の話題に移った。

「藻類農家だって子供のうちは馬鹿にされるかもしれないけど、家畜飼料や医薬品にも使われるんだ。ちゃんと役に立つし人から感謝される仕事なんだよ。まあ、医科に進めなくて落ち込んでるのは分かるけどな……」

「分かってないよ全然!」

 予感はあったが、胸にチクリと来る言葉でつい反射的に父の話を遮った。そうだよ、何も分かってない。落ち込めるほどきちんと勉強することさえ私には出来なかったのだから。

 「……とにかく、なんというか、一緒に仕事ができることが嬉しいんだよ」父は困ったように首の後ろに手を当てて、下を向きながら言った。「確かにこの星で生きていくのは選択肢が少ないけど、誰だって置かれた場所で精一杯生き…」

 またこのセリフだ。言葉の途中でラジオの録音を切った。自分がこの時どんな顔をしていたかは分からないが、多分怒った表情だったと思う。こんなのはただの八つ当たりだ。でも、父は黙ってしまった。私が悪いのは解っていたけれど、にわかに気まずくなってしまった空気から逃げるように自室へ戻った。


 せっかく良いものが見れた夜なのにうんざりだ。




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