第四夜 コードレス(お題:ホラーorミステリー)
僕・一ノ瀬和樹は、自分の兄の謎を解くべく、にわか探偵になることにした。
先日、両親が揃って倒れるという家庭内大事件の折、滅多に帰省しない兄がさっそうと現れて、事が起こるのを予知していたかのようにサクサクとすべてを片付けた。幸い両親とも無事に一泊入院だけで帰宅すると、腹立たしいことに僕が何かを追求する間もなく、とっとと自宅マンションに帰ってしまったのである。
おっとり系の両親と姉は、「いい時に来てくれて、助かったね」とほんわかしているが、僕は誤魔化されない。あの時、僕は見聞きしてしまったのだ。兄の怪しげな呟きと、薄暗い病院の廊下で兄の首回りに居た謎の生き物を。
『───が、ささやくからさ』とは、何故この兄が、あまりにも都合よく現れたのかを追求している時の言葉だ。聞こえたのは僕だけ───何がささやくのか・何をささやくのか───追求するのは、僕の役目だろう。
それに、あの不思議な生き物───リスよりもまだ小さい、強いていうならジャンガリアン・ハムスター程度の大きさの生き物───いや、普通の生き物であれば、ぼんやり光ったりはしない。ましてや、
だとしたら、アレはいったい……。
家庭内大事件の数日後、僕は無難で適当な言い訳を両親と姉に告げ、兄の住む街へと向かった。
JRの快速に乗って一時間強、乗り換え無しで兄が住んでいる街に着く。にわか探偵は、ここでもう一つの疑問を持った。乗り換えなしで一時間強であれば、充分通勤圏内ではないだろうか?
勤務時間が不規則な仕事をしているからという兄の言い分を鵜呑みにしていたが、本当にそれだけが理由なのだろうか?
勿論、社会人として独立している成人男子としては、親姉弟と同居していては都合の悪いなんだかんだがあるとは思う。彼女が出来た時や飲み会で深夜になった時、彼女が泊まりに来た時や残業で午前様になった時など、色々ある筈だ。
けれども、本当にそれだけなのだろうか?
今回の微妙に不審な兄の挙動により、これまで信じていた事にすら疑問を抱いてしまう。
普通のサラリーマン基準の帰宅時間を想定して訪れたので、兄のマンションに着く頃にはすっかり日が暮れていた。弟とはいえ、マナーとして一応オートロックの自動ドアの前のインターホンを鳴らす。何故、『一応』なのかというと、合鍵を持っているからだ。実家には、誰がいつ来てもいいからと、予備の鍵が置いてある。
(ん?───と、いうことは、彼女の線は薄いのかな?)
しばらく待ってみたが、インターホンに応答はない。なので、さっさと上がり込むことにした。
(その実、探偵でも何でもないよな。兄弟特権で、留守宅に上がり込むんだから)
兄の部屋には、何度も泊まったことがある。玄関ドアを開けると中は真っ暗で、やはり留守のようだ。そして、部屋の中から廊下へと少し冷たい空気が流れ出た。
(エアコンの消し忘れかな?)
真夏の留守宅は、熱気が籠るものだ。近年は、エアコンを点けたり消したりするよりも、二十四時間点けたままの方が省エネだとの説もあるが、どちらかというと雑な兄がそれを気にするとは思えない。それに、エアコンの冷気とはどこか違うような?
玄関の灯りを点け、更に奥のLDKの灯りも点ける。目の前には、以前来た時と同じ、モノトーンと濃い青で統一されたインテリア───センス自体は悪くないのだが、僕の兄に一旦『これで良し』と整えた部屋を模様替えするマメさはない。おそらく一部屋だけ別空間の寝室も、前に見た時と同じだろう。十年後に訪れたとしても同じ部屋を見る事になるのだと、僕は確信している。
さてさて、連絡もせずに訪問した以上、兄である大輔が何時頃に帰宅するのか、はたまた帰宅しないのかすら分からない。食料だけは持参して来たので、勝手に冷蔵庫を物色して一杯飲みながら、色々チェックして行こうと思っている。留守中にビールの一本や二本を拝借しても、ベッドを借りて眠り、会わないまま帰ったとしても、書き置きを残しておけば気にしないだろう。
『まずはビール』とキッチンカウンターに向かい───僕はフリーズした。
何かが見ている。
LDKの空間のほとんどに背を向けたとたん、確かな視線が僕の背中に突き刺さった。敵意は感じないけれど決して友好的でもない、無機質な視線が、誰も居ない筈のLDKのどこかから見ている。
全身に、どっと冷たい汗が噴き出した。一気に高まった緊張感で、呼吸が浅く・早くなっていく。やっぱり……やっぱり何かがあるのだ。兄は───大輔は、一体何に係わってしまったのだろう?
振り返るのが怖い───けれども、無防備な背中を
僕は、体重をキッチンカウンターに委ねるようにして、ゆっくり───正体不明の何かを刺激しないように、ゆっくりと振り返った。
何度も訪れたことがある知っている筈の部屋───ガラスのローテーブルと二人掛けのローソファー、薄型のシンプルなオーディオと一人で観るにはやや大きめのテレビ……。
ゆっくり、出来るだけ動作をゆっくりと───それだけを意識しながら、LDKに置いてある物を一つずつ確認していく。
その間にも、エアコンが頑張って働いているのか、徐々に寒くなって来る。一体、いつも何度の設定で使っているのやら。
思うと同時に、無意識に天井近くに視線を向け、膝から力が抜け落ちそうになった。エアコンは動いていない。では……では、真夏にこの冷気は何なのか? すでに、涼しいを通り越して寒いこの冷気は?
もう一度LDKの中を見回すと、スイッチが入っていないテレビの画面の中に、腰を抜かし掛けている僕と、背にしたキッチンカウンターの上に朱色の何かが写り込んでいる。ついさっき、カウンターに向き合っていた時には無かった物だ。丁度、仏壇にあるお
こいつだ。
僕は確信した。兄にまとわり付いていたのも、今現在僕を見ているのもこいつなのだ。
それが判ったからといって、僕に何が出来るだろう? この緊張感の中で、もう気を失ってしまいたいほどなのに……。
「ダッシュ、やめろっ!」
突然、聞き慣れた声が───兄・大輔の声が響き渡った。ガチガチに緊迫していた僕は気付かなかったが、兄はすでにLDKに飛び込んで来るところだった。
兄の声と共に、僕を圧し潰しそうだった威圧感が霧散する。それと同時に、朱色の珠から何かが飛び出し、兄の元へと向かった。一瞬の内に、カウンターの上に残されたのは、ただ単なる
突然帰宅した兄は、半ば失神しかけていた僕をソファーに寝かせて毛布で包み、温かな飲み物───ただの温めた牛乳だったが───を用意したりと、甲斐甲斐しく面倒をみてくれた。
そして、僕の方が大丈夫だと判断したのか、背後に向かって声を荒げる。
「クロっ! いつも言っているだろうっ! 俺や
兄は、一人で帰宅したわけではなかったようだ。視線の先を辿ってみると、LDKと玄関を分けるドアの所に一人の青年が立っていた。いや、単に青年と表現するのは間違っている気がする。少年にも女性にも
「まあ、落ち着け。この間は、それで家族の危機に間に合ったのだろう? 今からちゃんと微調整するから」
絵にも描けない美青年は、兄の抗議をさらりと流し、猫のような滑らかな動きで僕の傍に来て、膝をついた。
「怖い思いをさせて申し訳なかった。初めまして、僕は
「そうなんですね」としか、答えようがなかった。僕は、彼の話を聞いた事がなかったからだ。
「一ノ瀬がダッシュと呼んだのは、僕が彼に着けた護衛でね。彼に関する危機に対応するように申し付けている。先日、御実家の危機を一ノ瀬に伝えたのは御手柄だったが、今回はやり過ぎだったようだ。ダッシュはいわば電話の子機のような役目なのだが、本体の方を調整すれば今回のようなことは無くなるから、それで許してくれないだろうか?」
本体とか子機とか、言っていることがよく分からないが、それでこの奇妙な体験が終わるのならば、嫌はない。
そう伝えると彼は微笑み、優美な睫毛に縁取られた目を閉じ、
「ちはやふる 桂の宮に
唱え終わるか終わらないかの内に、細身の彼の隣に成人男子と変わらぬ大きさの炎が顕現した。
炎?───いや、炎のような毛並みをした朱色の獣だ。それは、三本の尾を持つ狐に似た生き物に見えた。
「この子の名は千里。ダッシュはこの子の分身であり、子供のようなものなんだ。千里は精霊のようなもので、神格を得るまで僕の所に居ることになっているし、一ノ瀬のことも良く知っているから、適任だと思ったんだが───。千里、和樹くんは一ノ瀬の親族だ。一ノ瀬の血族に危害や恐怖を与えることを、僕は許さない。彼らを認識し、ダッシュにもよく判らせるように」
『御意、我が君』
朱色の獣は深々と頭を下げ、僕の臭いを確認すると霧が溶けるように消えていった。
「千里やダッシュの存在は、普段は悟られないように振る舞うことを命じているけれど、知ってしまった和樹くんは気になるだろうと思う。彼らの事は、操作の必要がない、コードレスの警報装置と考えてくれないだろうか?」
超常の存在によるコードレス警報装置───一気に気が遠くなる。突然知ってしまった驚愕の事実を受け入れることが出来ない程、僕の精神は限界だった。
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