第五夜 自動音声応答(お題:スマホ)
千客万来:入れ替わり立ち代わり、多くの客が来ること。
辞書から引いてきたような四字熟語が、脳内をテロップ付きで流れて行く。
俺・一ノ瀬大輔は思った。社会人になり、まがりなりにも自分で稼いだ金銭だけで一人暮らしを始めて数年、わりと平和に平穏に過ごして来た。新社会人になってすぐには、新人だからこその何だかんだは勿論あったが、学生時代のあれやこれやを思えば、本当に、信じられないほど普通の日々を過ごしていた。
それなのに───
深夜近くになって、ようやく仕事を終えての帰宅───玄関ドアを開けてみればリビングの灯りが点いており、愛用のローソファーの足元に座り込む酔っ払いが一人。周囲には、見覚えのないビールの缶と見覚えのあるビールの缶が複数転がっている。おまけにその酔っ払いは、俺のお気に入りの今治産バスタオルを抱えてメソメソしていて、涙と鼻水を一緒に拭っているようだった。
束の間、見ていたくはない現実から視線を逸らし、我が身を振り返る。もしかしたら、作った合鍵の数が多過ぎたのだろうか?
自分が持ち歩いているのが一本、スペアがパソコンデスクに一本。それとは別に、実家の家族と腐れ縁の旧友二人に一本ずつ渡している。家族はともかく、旧友二人に渡しているのは、必要に迫られてのことだった。何かあった時、在宅だろうと不在だろうと、彼らには問答無用で部屋に入ってもらわなければならないからだ。
最も、その旧友の片方に至っては、人には言えない持ち前の特技で、合鍵が無くても勝手に入れることが後日になって判明したのだが……。
「イッチーが冷たい~~~」
勝手に上がり込んで呑んだくれた挙句、俺が奮発して買った今治のバスタオルを抱えてメソメソしていた奴の矛先が、いつの間にか俺に向いていた。
「何があったかも訊いてくれないなんて~~~」
「……すまん、ちょっと自分の人生を考え直していた」
「っっっ!! 僕を捨てるのっ?!」
「誤解を生むから、その言い方はやめろ。今更、『俺は関係ありません』は無理で不可能だろう。とにかく着替えて来るから、晩飯を食う間に何があったか話せよ」
そうは云ったものの、俺が帰宅するまでに相当煮詰まっていたらしい腐れ縁の旧友・
曰く───。
瑛士は、とある小学校の教諭だ。仕事の性質上、スマホを常に持ち歩くよう義務付けられている(まあ、今やほぼどんな仕事でもそうだが)。同僚や保護者との連絡の為というのも理由の一つではあるが、近年では付近の不審者情報やJ‐ALERTがスマホに入る関係もあって、必要性はより増している。
そんなわけで、仕様頻度の高いスマホ故に、忙しさに追われて気付かないうちに充電が足りなくなって、電源が切れていたのだそうだ。
その事に気付いたのは、自宅に帰り着いてから。いつから電源が落ちていたのかも分からず、『これはマズイ』と慌てて充電をして再起動をすると───山のようなLINEメッセージが入っていたらしい。
「
俺には姉と弟がいるが、瑛士は妹一人の二人兄妹だ。藍音さんというのは、大学時代から時間を掛けてお付き合いを重ね、最近ようやく婚約するに至った大事な大事な彼女のことである。付け加えるなら、妹と婚約者はとても仲が良く、常々情報交換を欠かさないと聞いている。
「どうして電話に出ないんだって?」
「……違う───あの女は誰だって……」
「女?」
「藍音さんは、『電話口に出た女は誰だ?』って。妹は、『藍音さんと別れたのか?』ってっ!!」
云いながら、酔っている瑛士の声がヒートアップしてくる。それはまあいいとして、どうも話が変だ。スマホは電源が切れていた筈。なのに、電話口で応答した『女』がいると?
「自動留守録の機械音声じゃなくて?」
「それだったら、誰が聞いたって分かるだろ? 大体自動留守録が、『ただいま河野は、諸事情により電話に出ることが出来ません。要件がございましたら承りますが、後程お掛け直しされる事をお勧めします』なんて答えるもんかっ!」
ごもっともだった。自動留守録は名前まで名乗らないし、掛け直しを推奨したりはしない。加えて、口調が莫迦丁寧過ぎる。そもそも、電源が切れているスマホの電話口で対応するなど、どこの誰にだって不可能だろう。───一部の例外を除けば。
すっかり動転している上に、酔っ払っている瑛士は気付かないようだが、俺は大体の事情が読めた。不可能を可能にする奴とその関係者(?)が、俺達二人の近くにいるではないか。それはもう、二十四時間・三百六十五日、いつも。
レンチンした飲食店のテイクアウトで腹を満たし、瑛士のささやかな心遣いか、一本だけ残っていたビールの三五〇ml缶を飲み干してようやく、俺は真面目に事と向き合うことにした。とにかく、エネルギーを補充しないと話にならない。それに、いつまでもメソメソしている男を見ている趣味もない。
「ダッシュ、心当たりがあるんじゃないのか?」
『ダッシュ』と俺が云った瞬間、泣き腫らした目の瑛士がはっと顔を上げ、神棚の珠から朱い小動物もどきが飛び出して来た。
『わたしではありません!』
掌サイズの朱い妖狐が、黄金色の目を見開き、ふさふさの尻尾を膨らませて主張した。
「それは分かってるって。お前は俺の傍に居るもんな。けれど、双子の片割れの方はどうなんだ? 聞いていただろうけど、お前達はそういうことが出来るものなのか?」
『双子───わたし達は双子なのですか?』
さすが精霊もどきの妖狐。引っ掛る所が違う。
「そこじゃなくて、可能か不可能かって話だ。片割れは? 瑛士と一緒に来ているんじゃないのか?」
妖狐に使う表現ではないと思うが、ダッシュは可愛らしく右へ左へと首を傾げながら考え、ゆっくり一つずつ答えた。奴曰く、彼らは彼らなりの知性を持つが、それを人間とのコミュニケーションに使う為に、人語へと変換することが難しいのだそうだ。人間と妖狐では、知覚するものも違えば、感性と価値観も大きく違う。その二つを摺り合わせて行く為には、ひたすらに経験を重ねていくしかないのだと。
『可能です。電気信号?───は、我々が干渉し易いものの一つです。大輔さまがおっしゃる片割れ?───は、先程、大輔さまがわたしを呼んだ時に、お部屋の外に出て行きました』
一々?が付くのは、言葉の意味を確かめながら話しているせいだろう。それでも、以前に比べれば話すのが上手になった。
「どうして、こんな事をしたと思う?」
『してはならない事でしたか? 我々は、お二人のお役に立ちたいのです。我が君が大切にされている方々ですから』
───ということは、同じ事が俺に起こっていた場合、俺の方でも同じ事態が発生していたということだ。まあ、現在の俺には彼女はいないが。
事件は解明され、被害者(?)の瑛士は、呆れたような泣き笑いのような表情のまま固まって、返す言葉もないようだ。
残りの問題は、瑛士の所のダッシュと話した人間を、どうやって誤魔化すか───ということだけだった。
本来であれば、非常に個人的な通信手段であるスマホに、所有者本人以外が出ることはない。たまたま本人の手が空いていなくて、代わりの者が出ることがあるかもしれないが、それも家族か友人か恋人止まりだ。
では、何故全く知らない声で応対があったのか───無理矢理シャワーに押し込んでアルコールを飛ばさせた瑛士と俺は、フォローの期限を明日までと決め、もっともらしい設定を考えた。この際、スマホの電源が落ちていたことまでを開示する必要はないだろう。
やってみたことはないが、近年は、パソコンやスマホで可能なことが多岐に渡っていて、合成音声ながらもアイドルや声優の声を取り込み、ユーザーが望む台詞を話させることが出来るらしい。それを利用することにした。
シナリオとしては、俺が悪戯で、自動留守録の音声の設定を勝手に変えていたことにする(他に適任者が居ないのは判っているが、何故に俺が犯人?)。後は、明日、俺から悪戯の告白を受けた瑛士が、なけなしの演技力で藍音さんと妹を納得させるしかない。
面倒で難しいのは、頭の中に直接聞こえるダッシュの声のイメージと、大きな誤差のない声を探す作業だった。
それらの課題を何とか終わらせると、残った問題は一つだけである。
つまり、かなり人間社会の諸々を知らないダッシュ達の、今後の教育問題だ。
「細かいところまで、一つひとつとなると───かなりの手間だな」
「時間も掛かるだろうね……」
なにせ、彼らの『我が君』である奴=
「あいつなりに、俺達の心配をしてくれているのは分かるが……」
「いつになっても、台風の目はタマちゃんだよね……」
思い起こせば、中学三年生だったあの夏───編入生・黒羽環と深く係わったのが、現在に至る諸々の事の起こりだった。
勿論、奴との関係を断たなかった自分達の、自業自得を否定する事は出来ないのも確かな事実である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます