第12話 深き海、母なる穹
冷たい闇に誘われて、僕はフラフラと甲板に出る。
何かに誘われるように、小さな頃から恐れる、体を包む深い闇と、そこの見えない深い海と対面する。
未知だ。
そこに広がるのは、知らないなにかだ。
手で掬うことも、見ることも、嗅ぐこともできずに、心という曖昧な感覚器官でしか感じ取ることは出来ない。
未知との遭遇は恐怖であり、何よりも悲願であった。
大海原は嵐のようだった。
熱があるかのように夢遊に魘され、千鳥足で、胡乱な目で、海を見つめる。
海蛇のように波打つ様を見ながら、僕はふと、これは夢なんだろうかと思う。
夢の中だからこそ、千鳥足なのか。
それとも千鳥足になるような状態だからこそ、こんな突飛な発想をしてしまうのか。
「深海から誰かが、呼んでいる。だからこそ、彼方からの呼び掛けは実を結ぶのだ。美しき娘よ、勇猛な戦士よ、応えよ」
隣の客室の扉が開き、虚ろな目をした客人が出てくる。
その客人は自らの首を絞めて、甲板から身投げした。
闇を恐れるのは、溶け込むことが出来ないからだ。
船の甲板を見渡してみれば、沢山の人がそれぞれ思い思いのことをしている。
海に身投げするもの、嵐に向かって舵を切るモノ、自傷にはしるモノと様々だ。
皆一様に何かへの敬意と殺意を混同している。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
切羽詰まったような女性はドアに頭を打ち付けている。
「どこだ、どこにあるんだ、未知は、俺の知ってる未知は、どこだァ!」
男は血走った目で髪をかき乱し、自らの目を抉って海へ捨てる。
「なぁ、誰か、俺を知らないか嵐で掻き回されちまったみたいでよ。頭が、軽いんだ」
脳漿を撒き散らした乗組員が嘆く。
「助けて、助けて、助けて、助けて。この子を、助けて。あなたの知識で」
脳みそを啜る青白い妊婦の女性が懇願する。
「暗闇は、背骨を開き、臓腑の中を探っても出てこぬものよ。その行動自体が罪深いのだ」
誰かが、何かを言っている。
言葉はきっと僕の意識をすり抜けていく。
頭が重い、思考が纏まらない。
僕は、恐怖を見つめて、それに魅入られた。
果たして、深海には何が潜むのだろうか。
「ズルズル、ズズ、ズズズズ」
みんなの目が、虚ろだ。
正気だろうか。
いや、きっと多分狂気にある。
重かった頭が、軽いんだ。
何かが、僕から、こぼれて、行く。
やがて、寒くて、痛くなくなって、ダルさが消えて───それで、それで?
頭が、落ちたのに、僕の視界はそのままだ。
天にも昇心地。
キモチガイイ。
地面が、持ち上げられていくさなか、僕は僕を捨てた。
未知が既知へと変わっていく。
僕が何に変わったのかも。
このロビージャクソン号に何が起こったのかも。
夜の底に、深海に何が潜むのかも。
【ロビージャクソン号158室の記録】
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