第20話

「え?」


「はい、私は、あなたの恋人です。先輩」


ぺろり、と。自らの舌を伸ばして彼女は言う。

舌先の紋様を見ながら、長峡仁衛は確かにそうだと思った。


「あ、あぁ……そうだっけ?……悪い、記憶喪失、でさ」


「構いませんよ、その方が証明出来る方法がありませんから」


にこりと笑みを浮かべて駒啼涙は言う。

駒啼涙。

学園設立に携わった御三家の一角。

彼女たち祓ヰ師は言葉に纏わる術式を扱う。

言うなれば言霊、世界に干渉し、言葉通りに物事を作り変える術式遣い。

その中でも、駒啼涙は虚構を現実に組み替える術式を持つ。

情延硫言霊術式〈嘘八百万の神々かみさまのいうとおり〉。

自身と対象者の間にある共通認識を歪ませる事で、世界そのものを欺く術式。

具体的に言えば、発言者の言葉に対して対象者が虚構であると認識した場合。それが裏返り現実へと変わる。


一見、強力な術式ではあるが、この術式の弱点は対象者が虚構に対する確認を行い、虚構が裏返る前に虚構であると見抜れば虚構は虚構のままとして対処されてしまう。

逆を言えば、確認が出来なければ術式の判定が通ってしまう。


長峡仁衛が記憶喪失となった事で、彼女との経験や記憶、その全てが消失した。

駒啼涙にとっては見慣れた人間だが、しかし、長峡仁衛にとっては初対面。

更に記憶喪失という情報がある為に、その嘘を確かめるどころか本当なのかもしれないという虚構を信じることとなってしまった。


結果。

駒啼涙の言葉が通ってしまい、長峡仁衛の脳裏には駒啼涙が恋人であると認識してしまったのだ。


「なんだろうな、記憶がないのに……それでも、お前は、恋人なんだってわかるよ」


「当然じゃないですか先輩。恋人なんて、そう簡単に忘れられませんよ」


目を細めて、舌先を出して、蛇のように笑みを浮かべると。


「大切な人を忘れることなんて、出来ませんよ」


「そっか、……そうだな」


そう言って、長峡仁衛が目を瞑る。

そして、カチリ、と。長峡仁衛の中で何かが鳴った。

それと同時に、長峡仁衛の中に眠る何かが蓋を開けた。


「………先輩?」


「……あぁ、駒啼か。術式でも使ったか?」


目を開く。

片目ではなく、両目で。

それだけで、駒啼涙は笑みが掻き消えた。


「どちら様ですか?」


「長峡仁衛だよ。取り合えずこれだけは言っておく」


長峡仁衛はその場かた立ち上がって、駒啼涙に伝える。


「僕は君が嫌いだよ。長峡仁衛には近づくな。術式で書き換えた記憶や感情は封印させてもらうよ」


そう言って、長峡仁衛は駒啼涙から離れていく。

駒啼涙はその後ろ姿を見て、小さく笑みを浮かべた。


「あぁ、やっぱり、一筋縄じゃ、いかないかな、ふふ、難しいなぁ」


何処か嬉しそうに、駒啼涙はどうやって長峡仁衛を陥落しようか、考えていた。

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