第7話 あつい、手を繋いだ

 日曜日は特にこれと言ってすることがなく、音楽の制作後梅澤さん推薦の本を読んでいた。

 いつの間にか日が暮れていて、ご飯を作って食べてすぐに寝てしまった。

 あまり眠れなかった。月曜は休み明けの憂鬱がひどいのに、寝不足が追い討ちして昼間は少し寝てしまった。隣の人は僕の寝顔を見て笑っていたけど、梅澤さんはわざわざ缶コーヒを買ってきてくれてた。

 お金を返そうとすると、「明日食堂で一緒にお昼ご飯を食べましょう」ともじもじして言っていた。側から意味深な笑顔の隣の人が見えていた。僕は快く引き受けると、梅澤さんは嬉しそうに微笑んだ。

 今は火曜のお昼頃。もうそろそろ夏だった。

 食堂に集まる社員たち服装は涼しげになってきていた。上はシャツだけになっていて、半袖が目立ってきた。風にあたれば少し寒いから、腕まくりしている社員もちらほら見えた。

 僕は薄手のパーカーを着ていた。この前買ったのは私服で仕事用の服ではないので、勝が買ってくれたのを参考に仕事用を買いに行こうとぼんやりと思っていた。

 「ごめんね、待たせて。」

 梅澤さんはナポリタンを乗せたお盆を机に置いた。僕は梅澤さんに頼まれて二人席を確保していた。

 「あれ、食べ始めてなかったの?」

 せっかく誘われたから、無断で箸を進めるのは躊躇われた。

 「うん、一緒に食べるなら、相手に合わせるのがいいでしょ」

 「ありがとう」

 梅澤さんは微笑んだ。僕と梅澤さんは一緒に手を合わせた。小学生じみた儀式で恥ずかしくなった。恥ずかしさをなるべく意識せずに、箸を味噌汁に入れて味噌を回す。いい匂いが漂って、口へと運んだ。

 「近藤君、渋いね。」

 僕は鮭定食を頼んだ。今日はそんな気分だった。きつねうどんとも迷ったが、この前梅澤さんと食べたのを思い出してやめた。

 そうかな。僕は梅澤さんのナポリタンに目を落としながら呟いた。

 器用に麺を絡ませて、髪を手で押さえて口まで運ぶ。それを見ていると、髪を伸ばすのも大変なんだなと他人事に思った。

 この前のうどん屋さんみたいな雰囲気ではなかった。不思議な緊張と安心が混在していた。話しかけようかと、気まぐれに思ったり思わなかったり。葛藤を続けながら、鮭を割って口に運ぶ。

 「梅澤さんの教えてくれた本、読んだよ」

 そういやそんな話題もあったな、と思った。

 梅澤さんは嬉しそうに目を僕に向けた。噛んで、口の中がなくなると紙ナフキンで口を拭いた。

 「ほんと?面白かった?」

 「うん、面白かった。人間の皮肉がうまいこと表現されてて、歌詞に使えそうだなって思った。」

 言った後、しまったと心で舌打ちした。うかっり言ってしまった。勝や部長以外に創作のことは言わないようにしてるのに。あなたのことが知りたいとか言ってたから、詮索されたら困った。

 誤魔化すように、水を飲んだ。ちらっと梅澤さんを伺うと、表情は変わっていない。詮索してきそうな好奇な目も見えない。

 「そうだよね。皮肉面白いよね。でも、歌詞ってどっかで聞いたような…」

 冷や汗は直ぐに引いた。歌詞と聞いたとき、死刑宣告を言い渡されるような緊張があったが。僕は安心するとご飯を口に放り込む。

 「そうだね、mortemとかかな?」

 「mortem?…ああ、あのバンドか。そんな歌詞なんだ」

 「そうだよ」

 「今度聞いてみよっかな。おすすめは?」

 僕は、命の繋ぎ歌と答えると、少し神妙な顔をして曲名を復唱した。ぷっと吹き出して、謝った。

 「ごめんなさい。あんまり聞いたことない名前だったから、暗いなぁって」

 「まぁ、そうだよね」

 それが一般的な答えだとわかっていた。ネットとか巷で見かける評価は暗いや尖っている歌詞、救いようがないとかだった。幸せなバンドではない。というか幸せな人生を送っている人間には似合わないバンドだ。

 そんなバンドが笑われるのは、普通のことだ。しかし、どこかで心が暴れ出す。

 「あ、そうだ。ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」

 梅澤さんは食べ終わった後のフォークをいじりながら目で伺ってきた。

 僕は冷ややかな目線をなるべく出さないように、目で返事をする。

 「ん?何?」

 「…今週の土曜日空いてたりしないかな?」

 僕は、絵の具を落とされた綺麗な水の心情だった。

 「…空いて、ます」

 「じゃ、さ」

 不慣れな間合いがあると、少し力んだ拳を作って、

 「私と、デート。してくれませんか。」

 梅澤さんはいつもと違った不鮮明な声で言った。いや、そう聞こえただけかもしれない。でも、梅澤さんの声は少し聞き取りづらかった。

 口は大きく動いていた。手も力んでいた。僕はそれを見て、少し感動した。人間ってこんなに頑張るんだと。

 「うん、いいですよ」

 「いいの」

 梅澤さんは嬉々として返事をした。

 「敬語、戻ってるよ」

 指摘されて、初めて気が付いた。


 「お待たせ」

 小説の話しが丁度いいところで終わったところでに梅澤さんが来た。

 梅澤さんは少し汗を流している。暑いねぇ、と言ってタオルで汗を拭った。

 「待った?」

 「いや、そこまで」

 梅澤さんは白のブラウスにジーパンを履いてきていた。

 「そのシャツ似合ってるね。柄物が似合うとは意外だな」

 僕は先日勝に買ってもらったシャツと適当に羽織りものを着て、ジーパンで出てきた。着慣れない恥ずかしさは道中酸っぱい程味わった。それが、今日は梅澤さんの隣で歩くなると僕は今日の服装の記憶を真っ先に消去するに違いない。やはり、慣れないことはやるものではなかった。

 「じゃ、行こっか」

 梅澤さんと肩を並べて歩き出す。

 今日までに、何度か喋っていると梅澤さんが動物が見たいと言ったので、僕はそれに賛成した。梅澤さんの家の近くに動物園があるというのでそこに行くことになった。

 「今日、温度高くなりそうだよね。長袖まずかったな」

 と自分の服の腕を見ながら言った。

 「でも、近藤君も暑そうだからいいか」

 と笑った。

 僕はどう返したらいいか分からず、適当に笑った気がする。

 合図をするわけでもなく歩き出す。

 「腕まくりしたらいいんじゃない?」

 とか適当に返すと、動物の受付が見えた。

 今は10時過ぎ。カップルや家族づれが目につく。混んでいるとは言えないが、空いているとも言い難い。動物園にはそこそこいい人込みなんだろうな思った。

 カウンターに近づくと、アクリル板越しのおばさんにチケット大人2枚をお願いする。おばさん声のスピーカー音が聞こえて、僕は辺りを見回す。上にスピーカーがあってなるほどと思っていると、おばさんと梅澤さんがクスクスと笑っていた。

 お金を渡してチケットをもらいゲートを潜ると、土の匂いが鼻腔を擦った。

 「久しぶりだな、ここに来るの」

 梅澤さんは通りを歩きながら伸びをすると、気持ちよさそうに笑顔を作った。

 「近藤君は、よく来る?」

 「あんまり来ないかな」

 僕の記憶の中に動物園はなかった。親が高校のとき、小さい頃の写真アルバムを見せてきたときに小さな自分が動物のゲートでピースする写真を見た記憶があるだけだった。動物園との親和性はかなり低い方だ。

 「梅澤さんは来慣れてる感じだよね、案内よろしく」

 「任せてよ」

 今日の梅澤さんはちょっと嬉しそうにしてる。小さなカバンを肩から下げているが、それが肩の振動と一緒に細かく踊っていた。

 「ほら、サイがいる」

 梅澤さんについて行くとサバンナエリアに来た。サイが2頭見えて、柵の前の方は家族連れが占領していた。

 サイは2頭寄り添ったり、離れたりしていた。時々、草を食べたりしていた。

 「ねぇ、あのサイ夫婦なんだよ。」

 看板を指しながら梅澤さんは僕の肩に手を置く。僕は言われた通り、看板を見る。オスとメスの名前が書かれているが興味がさほど無かったから、目線をサイに移すと直ぐに忘れてしまった。

 「そうなんだ。仲良いのかな、くっついたり、離れたりしてるけど。」

 「それが、いいんでしょ」

 梅澤さんと目が合うと笑っていた。

 「ねぇ、向こうに象いるよ」

 梅澤さんの肘が自分の肘と当たると、心臓がゾワっとした。鮫肌みたいな気がした。

 砂利を踏む音は、未知なるマーチのような気がする。リズミカルなんだけど、不器用な演奏も入っている。

 「象、久しぶりに見るけど、やっぱりでかいね」

 「そうだね」

 そう話していたら、象は鼻に水を含んで自分の体にかけ始めた。強い日差しが水滴に反射して綺麗な光の円弧を作っていた。

 梅澤さんと一緒に小さな感動を漏らした。

 回ると時間は早く過ぎるもので、サバンナエリアを終わる頃11時半を指すところだった。

 「もう、そろそろお昼だね。ちょっと喉乾いた」

 スマホを見ながら自動販売機の側までくると、鞄から小銭入れを取り出して硬貨を自販機の口に入れた。

 「近藤君はどうする?水?」

 あ、うん。咄嗟に聞かれたから返事が疎かになった。

 僕の目線の先には何度も同じところを行ったり来たりしている子供姿があった。年齢は幼稚園児ぐらいだろうか。泣きまいと口をぐっと噛み締めて、不乱に足を動かしている。

 「はい、近藤君。近藤君?」

 と僕が見ている方向に、梅澤さんも視線を合わせる。

 「あれ迷子だよね」

 僕はペットボトルの蓋を回しながら子供を見ていた。口に水を運ぶと、今まで汗をかいていたことを自覚させられる。そういや、子供の髪がベタついていた。

 「そうだね、どうしよ。」

 梅澤さんは少し困った。

 「梅澤さん、先に声かけて、近くのベンチに座らせてくれる?」

 「うん」

 梅澤さんは小走りになって、子供の元に行くと膝をおって「お母さんは?」とか「迷子になっちゃったの?」とか聞いていた。子供は知らない人だと警戒するけど心細いのか、梅澤さんに差し出された手を握った。口はぎゅっと結んでいるが、今にも目から涙がこぼれそうだった。

 僕は自販機に小銭を入れて、小さいサイズの水を買う。ついでに、売店が近くにあったのでハンカチも買っていく。

 僕も遅れて子供の元に行くと、子供は少し顔を赤くしていた。

 「やっぱり」

 「え?何」

 「この子熱中症を起こしかけてる。日陰のベンチに移動しよう。」

 僕は子供担ぎ上げると、近くのベンチに移動させる。手はずっと梅澤さんと繋がっていた。

 「えっと」

 子供の髪は短かった。それに、キャラクターがプリントされた白シャツに半ズボンという出立ちだった。正直性別は見分けられない。

 適当に少年と言っておく。

 「少年、水、飲める?」

 膝を折って蓋の空いた水を差し出すと、グビグビと飲み始めた。

 「これ、使っていいよ。」

 僕は買ったばかりのハンカチで汗を拭いてやると、少年は笑ってくれた。安心した、道で子供が倒れたら大問題だ。

 「よかった。でも、親御さんが来るまでどうするか。」

 梅澤さんはずっとそばで見ていた。僕と子供のやりとり含めて。後で聞いた話はなんか人が違ったようだったと言われた。

 親御さんが探しているなら、あまりここから離れられない。

 梅澤さんは子供の横に座って、色々とおしゃべりをしていた。子供はキャッキャしていた。それに釣られて梅澤さんも柔らかい笑みを作っていた。

 「ねぇ、あれ、お母さん?」

 と梅澤さんはあるところを指さした。

 席が空いているベビーカーを押した夫婦が向こうから歩いてきていた。時折、名前を呼んでいた。多分親御さんだろう。

 「あ、お母さん!」

 子供は駆け出していった。ハンカチが落ちたが、きっちりと水は掴んでいた。

 「良かったね」

 梅澤さんは安心した笑顔を作った。僕は答えるように笑顔を作った。

 夫婦が僕たちに気づいた。母親がこちらに走ってきて、頭を下げた。

 大丈夫ですよ、気にしないでください。水分不足だと思うので、水はよく飲ませてあげてください。と適当に言った。母親は再び深く頭を下げて、財布を取り出そうとした。

 「いえ、大丈夫ですよ。お金は入りませんから」 

 面倒臭さを感じ始めたので、別れの言葉を口にして、梅澤さんを連れて歩き出した。

 しばらく、お互い黙ったまま歩いた。僕が先行していて、木漏れ日が綺麗にできた道を歩いた。

 僕が止まると、梅澤さんは隣で止まった。時計台の針は12時を過ぎていた。

 「ねぇ、近藤君」

 梅澤さんの声と一緒に持ち上げられた手は結ばれていた。それをしばらく他人事のように眺めてようやく理解した。一方の手は僕の手だった。

 「意外と大胆だね…それに優しいし」

 恥ずかしそうに言う梅澤さんを直視できなかった。人と手を繋いでいる自分を今直ぐにでも殺したかった。

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